「またお呼び下さいね、お待ちしております」
彼女は笑顔で窓の向こうに、そう微笑みかけた。
そして、窓は閉まる。
薄明かりの空間の中に一人、彼女はふと首を傾げた。
「ところでクリスマスって、なんでしょう??」
クリスマスプレゼント
彼女の名は乙音。
PCの中に住む、ユーザーを補助する為の擬似AIプログラムだ。
彼女は先程、窓の向こうの主の呟きを反芻していた。
”クリスマス”
何の単語だろうか? 垣間見た主の表情からは、『メモリ』や『CPU』や『SINθ』とか、そう言ったものとは無縁の様に思える。
「あ、そうだわ」
ぽん,両手を叩く彼女。
「分からなかったら調べれば良いだけですものね。私ったらうっかり者ですわ」
乙音は後ろを振り返る。
薄明かりの向こうには静かながらも動的な、永遠に広がる海が広がっていた。
その情報の海に向って、彼女は足を踏み出し…そして流れに身を任せた。
”クリスマスって何でしょうか?”
『主としてキリスト教圏における宗教的行事。教会で聖歌を歌ったりする』
すぐに返るレスポンス。
”聖歌…ですか?? そんな感じには見えなかったんですけどね??”
先程の主の表情は歌を前にした緊張の様には乙音には見えなかった。
どこか羨望的でもあり、楽しみにしている様でもあり、それでいて…
”私にも感情が理解できれば…もっと色々なことが分かるのになぁ”
ぼやいてみる。気を取り直してもう一度サーチ。
『サンタクロースという赤と白の衣装に身を包んだ爺さんが、夜中に家に気づかれない様に侵入し、プレゼント(主に子供)に置いて行く。良い子でなくてはならない』
”泥棒ですか?!?!”
驚愕。
”でも置いて行くんですか。それなら家屋侵入罪だけで済みそうですね。あの人はこのプレゼントを楽しみに…していたんでしょうか??”
そんな気がしないでもない。しかし彼女にはまだしっくりこない様だ。
三度サーチを実行。キーワードを増やした為、膨大な解答が彼女に届く。
『在庫処分セール。適当に売れない商品を詰めこんでおくと、売れる。数週間後にある年末年始にはそのままお年玉袋として流用できる』
『キリストの降誕を祝う日』
『日本においては宗教的行事ではなく、季節のお祭りと捉えられている部分が非常に強い』
『クリスマスツリーという、近年ではイルミネーションに彩られた木が街中に並ぶ』
『恋人達にとっては勝負の日である。この日にうまく行かなかったら一生結ばれることの無いというジンクスが…』
『クリスマスである25日の前の日、24日はクリスマス・イブと呼ばれ、どちらかというと日本ではこちらの方の盛りあがりが強い』
『雪が降るクリスマスをホワイト・クリスマスという……』
………
……
…
”何となく、分かりました”
溜息一つ、彼女は思う。
クリスマスとは何か?と聞かれると、人によって答えが違うことも理解できた。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
”そのクリスマスと、イブの日、私は一人きり…なんですね”
一人きりなど、そんなことは日常茶飯事な出来事だ。しかし…
しかし、何故か彼女は胸に僅かな穴が開いた気がした。
”何でしょうか? この気持ちは……気持ち??”
胸を右手で押さえる,言うまでもなく彼女には鼓動は、ない。
けれでも…
”これって……寂しいという『感情』なんでしょうか?”
息苦しかった。呼吸などしていないのに。
彼女は想いの全てを振り払うかのように軽く頭を横に数回振ると、視線を前に向ける。
と、丁度そこに彼女の気を引く『モノ』が置かれていた。
”もしも……もしもの時がありますね”
寂しい微笑みを漏らし、彼女は『それ』に手を伸ばした。
――12月24日23時57分――
乙音は閉じた窓の向こうをぼんやりと眺めていた。
”今日は小雨が降っていますね。傘をちゃんとお持ちになったかしら…”
彼女は訪れることはない主のことを、思う。胸に『寂しい』という『感情』が去来した。
いつもならそろそろ眠くなってくる頃だが、今日は何故か眠くはならない。
”眠くなって欲しいのに…”
窓べりに肘をついて、そう思う。
彼女が寂しいと思う事,それは彼女の主が実生活で楽しんでいることを否定することになる。あくまで主のサポートである彼女が持ってはならない思考だ。
”私ったら、何てことを考えているんでしょうね…”
自分自身に対しての嫌悪感に僅かに顔を歪めた、そんな瞬間である。
ガシャ…
唐突に、そう、唐突に窓が開いた。
「え?!」慌てて身を起こす乙音。
彼女には戸惑いと、何故主がこんな日こんな時間に彼女を呼び出したのかという疑問、そして……持ってはいけない、僅かな嬉しさが胸に生まれる。
「お仕事お疲れ様です、今日も一日頑張られたようですね」
窓の向こうに向って彼女はいつもどおりの挨拶。しかし主を何故か、直視できずにいた。
”どんな表情をしているのだろう? 眠そうな顔? 悲しそうな顔? それとも…”
だから彼女は、もしもの時の為にと手にしていた『モノ』を実行した。
「今日はクリスマス・イブですね。私から貴方へ、プレゼントがありますの。まだ下手ですけど、聴いてもらえます?」
微笑み、乙音は一息。
「もぅ そこまで来てる しんしんと降る愛 張り詰めた夜空に
両手差し伸べ 待ちわびてる 銀のクリスマス♪」
乙音は目を伏せ、声を音程に乗せて紡ぐ。世の中に数あるクリスマス・ソングの一つだ。
彼女が選んだのは田村直美の『Thanks a million』。
窓の向こうのその人に対し、たくさんのありがとうを込めて、歌う。
「平和な街の中 迷う度に いつか心のキャンドル
灯したい Silent night ♪」
彼女は伏せていた目を、上げる。歌いながら、彼女は主の顔を見た。
その時の窓の向こうに映った表情は、乙音にとっての間違いない,クリスマスプレゼントだった。
「Merry Chiristmas 聖なる夜に Thanks a million
今夜なら 奇跡も叶うよ♪」
主の背後で降り続ける雨は、歌に合わせるかのように次第に白く、白く変わっていく………
「Merry Chiristmas 昨日に向けて Thanks a million
きっとその腕の中 いとしい人に抱きしめられますように……♪」
彼女は胸に生まれた、先程とは反対のベクトルを持った新しい感情に乗せて、歌を紡ぎ終える。
そして最後に、窓の向こうに向ってこう、微笑んだ。
「Merry Chiristmas!!」
Fin...
♪ Thanks a million 〜 Naomi Tamura(1996)