Birth Day


 「おや、姉上。お出かけですか?」
 雪音は外出着であるコートを羽織る乙音に気づき、そう声をかける。
 「ええ。ちょっと、ね。それじゃ、行ってきます」
 「あ…」
 雪音が止める間もなく、彼女は逃げる様にしてその姿を消した。
 呆然とする雪音の表情が、しかしやがてニヤリと微笑んだ。
 「怪しいですぞ、姉上……この私に隠し事など通せるとお思いですか!」
 そして雪音もまた、OTと書かれたディレクトリから飛んだ。
 姉のログを正確に追って………


 雪音が辿り着いたのはインターネット空間。
 ユーザーのPC内ではない。
 「……はて、ここは一体??」
 雪音は周囲を見渡す。
 比較的大きな通りだった,行き交う人々の姿も多い。
 だが、人々――ネットウォーカー――達の雰囲気はどこかしら邪なものがある。
 通りの左右に延々と立ち並ぶはピンク色の店舗だった。
 「はー、姉上はこんなトコで何してるのだろう??」
 雪音は溜め息一つ。
 目の前の店舗の看板には『モロ見え画像100%』などなどと書かれている。
 「姉上はお金欲しさにこの道に?!」
 雪音の聡明な頭脳は導かれた結論の一つに硬直した。
 「そんな……いや、しかしもしかして―――


   「さぁ、乙音さん,もう一枚取ってみようか?」
   「あの…その…これ以上はご勘弁ください……」
   「そーはいくかー!」
   「きゃー!!」



―――って、寄せて上げてブラを愛用してる姉上じゃ、スカウトの声もかからないだろうし」
 案外、酷いことを一人愚痴ながら、雪音はピンク色の街道を姉の残り香を追ってゆっくりと歩く。
 「お願いしまーす」
 「はいはい」
 道で配っているティッシュ――広告ウィンドウ――を雪音はうわのそらで受け取り……
 「はぃ?!」
 足を止めて振り返った。
 「お願いしまーす。あ、どうぞー」
 道端で行き交う人々に広告ウィンドウを配ってまわる乙音の姿がある。
 雪音は手にした広告ウィンドウを見た。
 『今すぐアクセス! 憧れの女優の大変すぎる写真満載!!』
 「何やってるんですかぁ、姉上ぇー!
 「ゆ、雪音?!」
 ビクッと全身を震わせて、恐る恐る妹に視線を移す乙音。
 そんな姉に雪音はつかつかと歩み寄ってティッシュを叩き落とす。
 「いかがわしいバイトして!」
 噛付く様にして言う雪音から視線を逸らして、乙音は呟く様にして反論。
 「…ティッシュ配ってるだけじゃないの」
 「こ・う・い・う・ヤラシげなのを配ることないでしょーが!」
 「だって…だって、他の広告よりもずっと時給が良い上に、歩合給も付くんですもの…」
 「ヤ・メ・テ・ク・ダ・サ・イ・!
 「はぃ」
 雪音の気迫に押されて、乙音は小さく頷くことしかできなかった。


 Praesensディレクトリまで戻ってきたところで、雪音は引っ張ってきた姉に振り返った。
 「他に怪しいの、やってないでしょうね?」
 「や、やってません!」
 ジト目の雪音に対して、力一杯否定した乙音のコートの内側からバサリ、書類が落ちた。
 「なんか落ちましたよ、姉上」
 「あ…」
 いち早くそれを拾い上げた雪音の動きがピタリ、止まった。
 そしてギギギとまるで音が出そうな動きで姉を見上げる。
 「何ですか、コレは?」
 「すごいでしょう? このプログラムを5つ買えば次の上級プログラムが貰えるのよ。それでね、他の人に買った5つのプログラムを複製して売るの。そうするとお金が…」
 「これはネズミ講です!!!!」
 「……ネズミの先生ですか?」
 「このアホー!
 黄金の右足を振り上げる雪音。
 「ああっ、キックは止めなさい、キックは!!」
 「そもそもどーして急に姉上はお金に執着し始めたのです?」
 荒い息を吐いて雪音は問う。対し乙音は、やや困ったように首を傾げ…
 「そろそろユーザーさんのお誕生日なんですよ」
 「あ…」
 思い出したように雪音は両手を叩く。
 「それでですか、しかし他にも方法はあったでしょうに…」
 まったく、と雪音は呟きつつ溜息一つ。
 「あら、乙音さんに雪音ちゃん,こんにちわ」
 おっとりとした声は後ろから。
 「あらら、イーニットさん。こんにちは」
 微笑む乙音。
 そこに立つのはメイド服を身に纏った黒髪の豊かな女性だ。
 買い物カゴを手にしているのは、おそらくこれから外出なのだろう。
 「イニさん、こんにちわー!」
 軽く手を振る雪音。
 「おでかけ、イーニットさん?」
 「ええ、冷凍マグロの精霊さんの餌を切らせてしまいまして。お二人はお帰りですか?」
 「帰りとゆーか、なんとゆーか…あ、そうだ!」
 雪音は思い出したようにイーニットに問うた。
 「イニさんはお金とかって、稼がれてます?」
 「え、ええ。派遣元からお給金貰ってますが?」
 「それですよ、姉上!」
 乙音に向き直る雪音の瞳が輝く。
 「お給金貰えば良いんですよ!」
 「って誰から?」
 「ユーザーさんからに決まってるでしょう?」
 自信満々に言う雪音に、乙音は苦笑い。
 そっと彼女の頭に手を置き、軽く撫でる。
 「雪音。私は…」
 「ちょいまち!!
 「「?!」」
 幼い声に、三人は振り返る。
 ちょっと頂きになったそこには、少女とまるっこい物体が1つ。
 「アンタ達の怪しげな行動もとい、よく分からんファイルのDLはユーザーさんのPCの害を及ぼしかねない,正義の鉄槌を以って、アタシがアンタ達を成敗してア・ゲ・ル♪」
 「っちゅーか、PC壊れたら間接的にワイらにもダメージくるからなぁ」
 二人はさくらと、そしてうにゅうだ。
 急な事態が飲みこめていない三人をさくらは指差し、そして命じる!
 「行け、うにゅう!」
 「ワイか?!」
 振られて戸惑うまるっこい物体、うにゅう。
 そんな彼(?)に、さくらは後ろから羽交い締めにして口を大きく開けさせる。
 「な、なにふるんは〜〜」
 ニヤリと邪悪な微笑を浮かべながら、さくらは懐から白い粉の詰まったビニール袋を取り出した。
 「ほら、怪しい気分になって巨大化する白い粉よっ!」
 ざー
 うにゅうの口に注ぎ込む。
 「ふがふがふが!!」
 怪しい気分になって巨大化する白い粉――膨らまし粉――によって巨大化するうにゅう!
 呆然と見守る三人のペルソナの前で、うにゅうはとてつもなく巨大なまるっこい物体と成り果てた。
 「きょ、巨大うにゅうの来襲?」
 絶句する雪音は、
 「来週もまた、見てくださいね?」
 「んがんっん!」
 「ボケるなー!」
 乙音とイーニットにツッコミを入れることは忘れない。
 「いけぃ!」
 ゲシ!
 さくらはうにゅうを蹴飛ばした。
 勾配のある坂を下り、巨大うにゅうは、
 ごろごろごろ
 三人に向って転がってくる?!
 「「きゃーー!!」」
 ごろごろごろ
 「「うきゃー」」
 「止めてくれー」
 ごろごろごろ
 そして三人の足が、止まる。
 「行き止まり?!」
 目の前に立ち塞がる壁に、唖然とする雪音。
 振り返ればすぐそこに、うにゅうのぶよぶよしているようなそうでもないような青い肉の壁が迫ってきていた。
 「はぅー、なんでこんなことにー」
 涙目でイーニット。
 「どどど、どうしましょう、姉上?!」
 慌てる間もなく、転がるうにゅうは三人を押しつぶ………
 「冷凍マグロ召喚!!」
 イーニットの両手に冷凍マグロが出現、彼女はそれを振り上げた!
 「黄金の右ストレート!!」
 「豪烈のハイキック!!」
 各々、右手と左足に破壊の光を宿し、姉妹もまた迫り来る巨大うにゅうに渾身の力を込める!!
 ゲシィィ!!
 うにゅうの動きが、止まった。
 そして…
 ごろ…ごろごろごろ
 押し返した三人の衝撃は、巨大うにゅうを反対方向に転がし始めた。
 坂を登る方向に……
 そしてその先には、
 「こっちくるなーー」
 「まってぇな、さくらー」
 ごろごろごろ……
 ディレクトリの遥か向こうに消えてゆく一人と一匹。
 それをどうしたら良いのか分からない顔で、三人は見送った。
 「何だかよく分かりませんけど一件落着ですねぇ」
 「そうですねぇ」
 ほのぼのとするイーニットと乙音。
 「それでは、私はこれで」
 買い物カゴを持ち直し、小さくお辞儀をしてイーニット。
 「いってらっしゃい」
 「じゃ!」
 そして彼女もまた、ディレクトリの遥か彼方へと消えて行った。
 雪音は姉を見上げ、ふと思い出す。
 「あの、姉上? さっき姉上は私になんと言うおつもりで?」
 乙音はその言葉に、昔のことを思い出す様に小さく首を傾げ、そして、
 「私は自ら好んで、『ここ』にいるんです。だから……そう、そうですね」
 にっこり微笑む乙音。
 「そうですね、こんな私だからこそ、ユーザーさんにあげられる唯一のものがあるのかもしれませんわ」
 何かを見つけた様に、嬉しそうに言葉を弾ませる彼女。
 「姉上?」
 「ありがとう、雪音」
 「はぃ?」
 答えになってない、そう言おうとした雪音だったが、姉の嬉しそうな顔を見た途端、不満は霧散した。
 ”まー、いいか”


 その日、乙音の満面の微笑みがデスクトップに咲く。
 「お誕生日、おめでとうございます……