重たい沈黙がリビングルームを満たしていた。
 かちゃかちゃと、紅茶を満たしたカップの音だけが響いている。
 「さて、と」
 沈黙をわざとらしい陽気な声で破るのは少年だ。
 ソファから立ち上がった彼を、空のカップをテーブルに置いた少女が見上げる。
 「巧さん、どうなさるんですか?」
 「図書館にでも行ってみようかな…ってね。何か良い方法が見つかるかもしれない」
 その少年の答えに少女は眉間にしわを寄せた。
 「どうして…」
 少年の真っ直ぐな瞳に言葉を途切らせ、しかし浮かんだ言葉を彼女はしっかりと放った。
 「どうしてあんなコト言われたのに、そんなことが出来るんですか?!」
 「そう、怒ることでもないだろう?」
 困った様に頭を一掻き,巧は改めて少女に向きかえる。
 「それにどうしてエレンさんが怒ってるの? オレが言われた事なのにさ」
 「それは…その…」
 言葉に詰まって視線を落す彼女の頭を、巧は軽く叩く。
 「おネェのアレはいつものことなんだ。何にムカついているのか自分でも分かんない時、辺りに怒りを撒き散らすんだ。でも熱しやすく冷め易いからあんまり気にしなくていいんだよ」
 「…でも迷惑な方ですねぇ」
 「まぁね。でもそれは親しい人にしかしないから…だからびっくりしたよ。エレンさんのいる前であんなんになるからさ」
 「それは…私のことはきっと鏡を見ているように感じたんじゃないでしょうか? 姿形も何もかも似ているのなら、自分の一部じゃないか?とかそんな感覚で…」
 「ふぅん、そうかなぁ……でもオレはおネェとエレンさんは姿はそっくりだと思うけど、中身は結構違うと思うよ」
 「え…」
 「おネェとこうやって話している時のおネェは絶対にオレの姉貴だしそれ以外何者でもないけど、エレンさんと話しているとエレンさんは普通の女の子だもの。って分かりにくい…かな?」
 「…なんとなく、分かる気がします。だって私、貴方と初めて会った時から……」
 「きゃ〜〜〜〜〜」
 突如聞こえた悲鳴は2階から,そして声の主は言うまでもない。
 「おネェ?!」
 慌てて廊下に飛び出す巧に、エレンもまた続いた。


えんじぇる・りんぐ...?



 時間はホンの少し、戻る。
 自分の部屋に駆け戻った由美は、そのままベットに飛びこんだ。
 そして布団を思いきり締め上げ、顔を埋める。
 「巧のばぁぁか! 死んじまえ!!」
 怒りの叫びはしかし、布団の中に埋もれて消えた。
 「大体何なのよ、あの女は! 巧をあんな目で見て!! ふざけんじゃないわよ!!!」
 由美は気付いていた。気付けるのはやはりエレンと『似て』いることを半ば本能的に確信してしまったからなのだろうか?
 由美が気付いたこと。
 それは、エレンの巧を見つめる目は、由美が好きな異性に向ける目と同じだということだ。
 許せなかった。
 その事の何が許せないのか、はっきり分からない。
 全てが許せないといえば全てだ。
 はっきり分からないことすらも許せなかった。
 冷静に理解しようとすれば、自分の中の何かが変ってしまいそうになるのに気が付く。
 それは恐いことだった。
 だからエレンがとうとう巧の為に動いた時に、自分の中の何かがキレた。
 怒りだけをぶつけて、逃げた。
 何もかも許せない,訳の分からない怒りだけが、今彼女の中で燃えている。
 「巧なんて、大っ嫌い!!」
 布団に顔を埋めたまま、思いっきり叫ぶ。
 そして…彼女は異変に気付いた。
 なにか口がおかしいことに。
 由美はムクリと起きあがり、姿見の鏡に向って歩き出す。
 そこに映るはいつもの己の顔…のはずだった。
 しかしちと違う。
 由美は絶句、ののちに、
 「きゃ〜〜〜〜〜〜」
 叫ぶ。
 思いっきり。
 もぅ、心の限り。
 ドタドタドタドタドタドタ!!
 二人分の足音が近づいてくる。
 バタン!
 扉が、開いた。
 由美は反射的に扉に振り返る。
 「お、おネェ…」
 「由美…さん?」
 唖然とした二人に、やはり唖然と由美は呟く。
 「牙、生えちゃった」
 そぅ、由美の左右の八重歯には下唇まで届く白い牙が2本、生えていたのである。



 「牙って…カルシウム取り過ぎだよ、おネェ?」
 「伸びるかぁ、ボケェ!」
 目に涙を溜めての豪快な右ストレートが巧の左頬にクリティカルヒット!
 ガシャン!
 彼がパンチの反動にエレンを押し倒して、廊下に飛ばされると同時に鳴る衝撃音。
 「「がしゃん?」」
 ありえない音に、3人はそれぞれの格好で首を傾げ…
 「「後ろ後ろ!!」」
 叫ぶは巧とエレン。由美の後ろを揃って指差している。
 「はぃ?」
 『志村けん、うしろ!』のノリで巧とエレンは廊下でひっくり返りながらも由美の後ろの『人物』を睨みつけた。
 由美は恐る恐る後ろを振り返り………
 窓ガラスが割れていた。
 ガラスの散らばった学習机の上に誰かが立っている。
 「な、な、な…」
 由美の唇が震えた。
 驚愕の表情の彼女に向って、侵入者は『同じ顔』で不敵に微笑む。
 「アタイの牙を奪うたぁ、どういうことだい?」
 そこには、由美と同じ顔をした少女が仁王立ちで彼女を見下ろしている。
 背中には蝙蝠のような黒い翼。
 何よりも小柄な体を包むのは、肌も露な黒いボンテージ!
 「んじゃ、その格好わぁぁ!!!!」
 「「格好じゃねぇだろ…」」
 己の事の様に顔を紅潮させて由美に、案外冷静な二人のツッコミ。
 エレンに手を貸しながら立ちあがった巧は、そんな侵入者を一瞥して呟く様に小さな一言。
 「やはり小さいな」
 ピピクッ!!
 由美と、悪魔の姿をした由美の姿を持つ侵入者のこめかみが同時に小さく痙攣。
 ギロリ、と巧を四つの瞳が捉えた。
 「何が小さいって?」
 詰め寄る由美に、巧は額に汗一筋。
 「いや…背が?」
 「なんで疑問形なの?」
 彼の脇で控えるエレンからも、こちらは悪意のないツッコミ。
 しかしそれ故になかなかキッツイ。
 「おぃ、そこの男!」
 鋭い声が飛ぶ,悪魔の由美からだ。
 「アタイがいっちばん気にしていることを…」
 ふるふると肩を震わせて、キッと顔を上げる。
 瞳には純粋なまでの殺意!
 次の瞬間、悪魔の由美は翼を羽ばたかる。
 由美を飛び越え巧に向かい、何処から取り出したのか,手にした大鎌を振り下ろしていた!!
 「巧さん!」
 慌てて巧の前に出るはエレン。
 右手を悪魔に向ってかざす!
 ギギィン!!
 鈍く重い音が、悪魔と天使の間に鳴り響いた。
 「巧?!」
 我に返る由美。
 「エレンさん!」
 鎌を手にした悪魔を睨みながら巧。
 エレンは、やはり何処から取り出したのか,右手の杓杖で大鎌を受けとめていた。
 「チッ! 天使かい」
 憎々しげに彼女は呟き、背後の由美を一瞥。
 ニヤリと笑みを浮かべたかと思うと飛び退き,悪魔は由美の後ろに回りこむ。
 「え?!」
 首筋に鎌を突きつけられ、悪魔に羽交い締めにされる由美。
 「おネェ!」
 「おっと、動くなよ!」
 静止の声に、巧とエレンの動きが止まる。
 捕まった由美は首に突きつけられた鎌を見る。
 黒いその刃は磨かれ、細い彼女の首などあっさりと切れそうだ。
 想像して、彼女は全身が硬直した。
 「そこの男」
 悪魔は巧を悪意の瞳で睨みながら、続ける。
 「アタイの牙をこの女から取り戻せ!」
 「え…えと…」
 巧は言葉に詰まる,しかしどうやったらいいかなど分かる訳もない。
 「その前に…」
 唾を呑みこみ、巧は問う。
 「貴方は誰ですか?」
 「悪魔リゼル,だったけど、コイツに牙を取られて今や翼しかない半悪魔さ」
 自嘲気味に吐き出す様に言い放ち、巧からエレンに目を移す。
 「そっちも天使もコイツに翼を取られたみたいだねぇ」
 ニヤリと笑みを浮かべる。そんな悪魔に対し、エレンは巧を護るように杓杖を構えて問うた。
 「リゼル…ですね? 牙を取り戻すとおっしゃっても、どうやったら良いのか…私も翼を取られて困ってるんです」
 「リゼルさん。おネェの治し方を知ってるんだったら、是非教えてください!」
 二人の言葉にリゼルの表情は一変。
 「分からないのか? 本当に分からないのか??」
 怒りが浮かんでいる,その怒りは純粋な殺意となって、巧唯一人に向けられていた。
 「お前はコイツをどう思っているんだ?」
 「うっ!」
 鎌をさらに突き付けられ、僅かにうめく由美。
 「止めろ! リゼル!!」
 威圧する様に叫ぶ巧。だが迫力を衰えさせぬまま、悪魔は続ける。
 「どう思うかと聞いているんだ!」
 リゼルの問い掛けに、巧は答えない。
 「お前が確たる想いを持たぬから、コイツも『そう』なんだ。だから,どっちか分からないから、コイツの光と影であるアタイとそこの天使がこんな目に遇うんだよ!」
 「ちょっと、それは一体??」
 エレンの言葉を聞かぬまま、リゼルは由美を羽交い締めたまま窓の外に飛び去った。
 巧とエレンは慌てて窓際に駆け寄る。
 空中で羽ばたきながら、リゼルは二人に言い放った。
 「覚悟を決めたら、港の第52番倉庫まで来な」
 「行かなかった場合は?」
 咄嗟に聞き返す巧。
 「…………えと」
 「来なかったら殺すかんね! 巧!!」
 やや動揺を浮かべたリゼルの声をかき消して、由美があらん限りの声を絞り出して叫ぶ。
 声は尾を引く様に二人ともども、青空の彼方へと消えて行った。



 姉と悪魔の姿が見えなくなると同時に、巧は階下に。
 そのまま玄関へと直行する。
 「ちょ、ちょっと巧さん!」
 慌てて追いすがるエレン。
 「行くつもりですか?」
 「当たり前でしょう?」
 彼の即答に、エレンの形の良い眉が僅かに歪む。
 「リゼルは、由美さんに危害を加えることはありませんよ」
 「分かってるよ」
 靴紐を結びながら答える巧に、エレンはさらに困った顔をする。
 「なら、リゼルが痺れを切らせて由美さんを解放するのを待っていれば…」
 「解放された時、おネェは殺人鬼に変わるよ,『見捨てやがって、愚弟ェェ!!』とか叫びながら瞬殺?」
 おどけて巧は言うが、彼の声の内に隠された真剣さを見つけ出し、エレンは悔しそうに下唇を噛んだ。
 「だからさ…」
 紐を結び終えた巧は立ちあがり、後ろを振り返る。
 「リゼルが覚悟だとか何だか良く分からないことを言ってたけど、弟だったら言って上げないと…」
 言葉が、止まる。
 唐突な状況に。
 エレンが巧の胸に顔を埋めたからだ。
 「…ですか?」
 「え?」
 エレンの小さな声に、巧は聞き返す。
 「私じゃ、ダメですか?」
 「何…が?」
 困った様に頭を掻く巧。僅かな沈黙の後、エレンは巧の上着を強く掴み、顔を埋めたままボソリと呟き始める。
 「……リゼルも言っていたでしょう? 私、あんまり物覚えが良くないから忘れてたんですけど、私は由美さんの『光』で、リゼルは『影』なんです。人には、その人と同じ天使と悪魔がこの世に存在しているんです。この世に存在する全ての人に」
 「ふぅん,そいや、光とか影とか、そんなこと言ってたな」
 「だから…!」
 エレンは顔を上げる。
 上気した頬は僅かな涙で湿っていた。
 「私は由美さんの代わりになれる。私じゃ、ダメなんですか?」
 エレンの告白に巧は優しく微笑み、そっと細い肩に手を置いた。
 「おネェはおネェだし、エレンさんはエレンさんだよ。代わりとか、そんなんじゃないだろ?」
 ゆっくりと彼女を引き離しながら答える。
 「おネェはエレンさんになれないし、エレンさんもおネェにはなれない。それだから、オレはエレンさんを…その…」
 困った様に頭を掻き、巧は僅かに視線をエレンから離して語尾を締めくくった。
 「かわいいなって思う。おネェをそんな風には思えないもんな」
 苦虫を潰した様に笑う彼を見て、エレンもまた微笑を浮かべていた。



 倉庫街。
 小麦袋がでででんと積み上げられているそこには二人の少女がいる。
 コテコテな展開に、由美は脱力するしかなかった。
 「んで、人には同じ思考を持った天使と悪魔が一人ずつ存在するワケ」
 ボンテージ姿の己と同じ顔をした悪魔を直視するのが恥ずかしくやや顔を下に向けて、由美はリゼルの『天使と悪魔』の説明を受けていた。
 「アタイはアンタの悪意,エレンとかいう天使はアンタの善意が具象化したモノさ。よく何かを決定しようとする時、頭の中で天使と悪魔が格闘するイメージがあるだろ? アレさね」
 「へぇ…」
 と、由美は何かに思い当たり顔を上げる。
 「ところでアンタは普段、何やってるの?」
 「アタイか? そりゃ、悪いことに決まってんだろ?」
 大鎌を肩に掛け、さも当然といった風に答えた。
 「悪いことって具体的には?」
 「そうだね……エレベーターで降りる前に全部のボタンを押して逃げるとか、スーパーの魚コーナーでラップに包まれた魚をぷにっと指で押して跡をつけるとか?」
 「そんなものか、アタシの悪意…」
 がっくりとうなだれる由美をリゼルは首を傾げて見ている。
 と、リゼルは口元を引き締め、真剣な表情で問うた。
 「アンタはアタイの牙を奪った。それはどう言うことか分かるか?」
 「分かる訳ないでしょう!?」
 「アタイはアンタの影だ。アンタがアタイが思う以上に『影』な思考を持ったから、牙は人であるアンタの方が悪魔だと認識して、そっちにいっちまったんだ」
 リゼルの言葉に由美は鼻白む。
 「悪女ってこと? まぁ、傾国の美女ってことは認めるけど」
 「……………」
 「冗談よ」
 ジロリと無言で見つめる悪魔に耐えきれなくなって、由美は降参した。
 「でだ。アンタに牙が生えた時、アンタは何を『思った』?」
 「何を……って……」
 由美は記憶をリフレイン。
 確かあの時は。
 妙に仲の良い巧とエレンを見て……自分はこんなに大変なのに。
 で、頭にきて…
 「巧にムカついた」
 ボソリと呟く由美に、リゼルはニヤリと微笑む。
 「やっぱりな。お前はあのガキをどう思っている?」
 「アタシが巧をどう思っているか?」
 悪魔の問いに、由美は冷静に一言。
 「愚弟よ」
 「それだけか?」
 「う〜ん…それだけよ」
 「アタイはヤツが殺したい位に嫌いだ」
 あっさりと言う悪魔に、しかし由美は眉の一つも動かさない。
 「ホントウに、アンタはあの『男』をどう思っている?」
 「私は…巧を…」
 真っ直ぐなリゼルの瞳に魅入られた様に、由美の口が自然と動き…
 「大好きか?」
 問いに、
 「んなワケ、ないでしょ!!」
 我に返って叫ぶ。
 「大嫌いか?」
 「…そういうワケじゃ」
 「どっちなんだ!」
 「知らないわよ! んなこと!!」
 お互い、鼻を合わせんばかりに顔を突き付け合い、そして
 「「フン!」」
 お互い顔を背け合った。
 同時に、
 ガコン!
 倉庫の扉が重々しい音を立てて開き始める。



 「おネェ!」
 巧の声。
 「早かったな」
 「さっさと助けんかい!!」
 リゼルと由美の声が飛ぶ。
 やがて二人の前に巧とエレンが姿を現した。
 そんな巧をみて、リゼルはニタリと微笑んで由美を見る。
 「姉想いの良い弟じゃないか。え?」
 「お、弟が姉を助けるのは当然じゃないの」
 顔を背けた由美から、リゼルの視線は巧へと向く。
 「覚悟は決めてきたんだろうな?」
 「……覚悟って何の覚悟か良く分からないけど、おネェを助けなきゃ行けないもんな。その覚悟ってもんを見せてあげるよ」
 「だとさ」
 リゼルは由美に言う。由美は僅かに顔を赤らめ、そっぽを向いたままだ。
 「じゃぁ、巧。アンタの覚悟を聞かせてもらうよ。アンタは姉であるこの由美のことを…」
 「エンジェル・リング,あた〜っく!」
 リゼルの問いかけは、巧の隣にいた天使の声によって破られる!
 彼女は自らの頭上に浮かぶ天使の輪をひっつかみ、由美に向ってぶん投げた!!
 「「んな?!」」
 驚愕の由美、リゼル。
 展開に着いていけない巧。
 天使の輪は由美の頭上に止まると、『そこ』で固定する。
 エレンはそれに満足げに頷き、隣の巧に抱きついた。
 「私が由美さんの代わりに『人間』になって、巧さんとずっとずっと一緒にいます。だから由美さんは天使になっててください!」
 「はぃ?」
 素っ頓狂な巧に。
 「んだとぉぉ!!」
 激怒・大魔人と化した由美。
 「巧ぃぃぃ!! いつの間にアタシの『光』を口説きやがったぁぁ!!!」
 「オレか? オレが悪いのか?!」
 怒りの矛先はエレンではなくて巧だった。理不尽な恨みに、巧は顔が青くなる。
 「うきゃぁぁ!! アタイの翼がぁぁ!!」
 悲鳴は由美の隣から。
 コウモリ風な翼を無くしたリゼルがいた。その翼のある場所は…
 「おネェ?!」
 唖然とする巧。
 彼の姉はそりゃもぅ、大変なことになっていた。
 牙を生やして、背中には二対の天使と悪魔の翼。終いには頭上に輝く天使の輪。
 「ぐぅ!」
 由美は苦しげに頭を抱えた。
 彼女の頭の中に、相反する様々な感情が流れこんで来る。
 目の前に立つ巧のことが…
 好き
 憎い
 愛している
 大嫌い
 リゼルが叫ぶ、巧に向って。
 「巧ぃ、覚悟は決めてるのか! 言ってやれ、アンタは由美の事をどう思っている?!」
 巧は戸惑うことなしに、頭を抱える由美に向かって叫び、声を届ける。
 「おネェはおネェだ! それ以上でもそれ以下でもない。オレにとってたった一人の姉貴だ!」
 それを聞いたエレンは、由美に向かって問いかける。
 「由美さんにとって、巧さんは一体、何なんですか?」
 真摯な問い。
 由美は巧に向かってやはり叫んで声を届けた。
 「愚弟は愚弟よっ! 私は巧が好き。でも好きは好きでもエレンの言うような『好き』じゃない,でもそれにも負けない違う意味の『好き』」
 「おネェ?」
 「それに私は巧が嫌い。嫌いといってもリゼルのいう『嫌い』じゃなくて、もっと違う『嫌い』。『好き』と同じくらいの『嫌い』よ!」
 途端、由美の姿が元に戻った。
 『人』の姿に。
 倒れ始める姉を、弟は慌てて抱きとめた。
 「ったく、くだらないことに巻き込みやがって…」
 そんなリゼルの苦笑いと安堵に満ちた声は、霞のように消えゆく。彼女の姿と伴に。
 「エレンさん?」
 同じく光の中に消えゆく天使を、巧はじっと見つめる。
 「私は由美さんの光,私は由美さんの『何処か』にいることを…憶えておいてくださいね」
 ニッコリ微笑むエレンもまた、余韻すら残さずに消え去った。
 「ふぅ」
 溜息を吐く巧。その彼の腕の中で由美が身をもたげる。
 「なんだかんだと、よ〜やく一段落付いたわね」
 「そ〜だね」
 答える弟を見上げながら、由美は浮かびかけた微笑を消す。
 「巧、アンタ…」
 「ん、なに?」
 掠れ声を上げる姉の視線は、巧の頭の上。
 「その天使の輪は、一体何よぉぉぉ!!」
 「なにぃぃぃぃ!!!」



お・わ・り...?