逃げちゃダメだ

お題:『To Heart』


 「乗るのよ,マルチちゃん」
 「乗れ,マルチ」
 「…貴方が乗らないのなら私が乗るわ」
 自己中女とひげ眼鏡,包帯少女に詰め寄られ、彼女は半泣きのまま頷いていた。
 「乗りますぅ」




 「使徒接近,マルチを5番ケージに」
 「搬送完了,発射口に立たせました」
 「武器の所持,確認…装備完了!」
 テキパキと指示が伝わって行く。それを白髪の初老の男が静かに見下ろし、そして…
 「人型汎用決戦兵器・HMX−13,マルチ発進!




 耳にドライヤーの様なアンテナと、ホウキを持たされた彼女,マルチは昇降機に乗せられた。
 「あ、あの〜,乗るって…何にです?」
 おずおずと彼女は目の前の白衣の眼鏡女性に尋ねる。
 そんな弱気な少女を、女性はキッと睨み付けると氷のように冷たい言葉をはきはきを放つ。
 「その耳に付けたアンテナは、何時いかなる時も尊師(グル)のお言葉を聞くことが出来るわ。そして身に付けているセーラー服は司令御用達のブルセラショップで買ってきた逸品。5万円もしたのよ」
 「はぁ」
 「なによりそのホウキは今までこの第3新東京市を這い回るゴキブリ達およそ20匹をポアした業物,大事に使いなさい」
 「わ、分かりました」無理矢理流されるマルチ。
 と、2人の間に自己中女が割り込んだ。
 「時間よ,マルチ。覚悟は良い?」
 「か、覚悟ですか?!」
 「まずは歩くことを考えて。まずはそれからなのよ」

 「はい?」
 「司令?」自己中女は後ろのひげ眼鏡に振り返る。
 「…問題ない」低い声で一言。
 「期待しているわよ」
 「な、何を…」
 ググン,唸る音。4人はマルチの傍から一斉に離れる。
 次の瞬間、彼女は10m/secで上昇する床の上に叩き付けられていた。




 「うおぉぉぉん!」
 街を徘徊する巨大な怪物。
 と、その怪物に向って何か人のような物が飛び出し、ぶつかった。
 ぽて
 落ちる。
 「いたたたた…」頭を抱えながら起き上がるはマルチ。
 見上げると、巨大な怪物が,使徒が彼女を見下ろしていた。
 「あ、あわわわわ…」
 腰が抜けるマルチ
 『歩くのよ,歩くことだけを考えなさい』自己中女の言葉がリフレイン。
 しかし使徒の触手のような物が、彼女の左手に絡み付いた。




 「マルチ,使徒に拘束されました!」
 作戦室に悲痛な男の声が響く。
 「司令!」叫ぶは自己中女。
 「問題ない」ひげオヤジはそう、呟いていた。




 触手に力がこもる。
 「い、痛いですぅぅ!!」マルチは悲痛の声を上げながら、空いた方の手でホウキを振り上げ、使徒の足をぺしぺし叩く。




 「使徒,マルチの攻撃が効きません!!」泣きそうな声の男性オペレーターの声。
 「司令!」
 「問題ない」




 「うおぉぉん!」
 ぽき
 「いたたたたたた!! お、折れたぁぁ!!!」泣き叫ぶマルチ。左手が途中から変な方向を向いていた。
 『マルチ,それは貴方の腕じゃないのよ』
アンテナから入るは自己中女の声。
 「嘘ですぅぅ,痛い痛い!」




 ジオフロント内に、スピーカーから破壊音が響いてくる。
 「マルチ,使徒の攻撃を受けてます! 右足損傷,頭蓋陥没!!」男性オペレーターの苦しい声。
 「マルチ,それは貴方の体じゃないのよ!!」
 『きゃ〜〜〜』
 「マルチ!」自己中女は限界と悟ったか,ひげ眼鏡に振り返り指示を仰いだ。
 「…自爆信号を送れ」
 「自爆信号,アクセプト!」
 ちゅど〜ん

 遠く、爆発音が響いていた…




 「あ、来楢川先輩,おはようございます」
 青年の隣を歩く少女は、行き違った彼女にそう頭を下げた。
 挨拶された美しい黒髪の彼女は、足を止める。
 そんな彼女に、少女の隣の青年は首を傾げた。
 「どうしたんだ,センパイ? またそんな含み笑い漏らして…」
 “また含み笑い??”少女は隣の幼馴染みの言葉にやはり首を傾げる。
 「…で…が…くすくす」

 「ん? マルチがエヴァの代わりになったらどうかって? …よくわかんね〜けど、おもしろそうだな」
 「ひ、浩之ちゃん??」
 ぺこり,来楢川は一礼すると去って行った。
 「まだ笑ってら」
 「そ、そうなの?」隣の青年を見上げながら、彼女は『金持ちは分からん』とほとほと思うのだった。


おわれ!