アルベルトはビッシィ,黒板に白墨で書いた文字を棒で指す。
『一日一善』
そっけなく書かれた一言。
「これが今週のテーマだ、しっかりやるように!」
「「おう!」」頷くは自警団達。
その様子を、窓から覗く一対の瞳が合った事に、気付くものはいなかった。
「ねぇねぇ、アルベルト?」
「ん?」
金曜日の真昼のさくら亭,パティは客である青年に小声で尋ねる。
「知ってる? 最近のアレ?」
「何だよ、アレって?」
「? あら、知らないの?」
意外、とでも言うようにパティ。
「知らないの? アンタが?」
「だからなんだ?」
「エンフィールドの街中の猫が、組織的に動いているって言う噂」
「何じゃ、そりゃ?」
アルベルトはくだらない,とでも言うように一笑に伏し、注文したカルボナーラに手を付ける。
「今週の頭から、怠け者で有名だったエルシードさんちの猫のパトリオットが他の猫と一緒にねずみ取りに夢中になったり、街中の猫がムーンリバーで溺れている子供を助けたり、暴れ馬を鎮めたり、果ては怪我人を回復魔法を使って治したそうよ」
えへん,得意げに言う彼女を見つめ、アルベルトはその場面を想像。
”ねずみ取りは良いとしよう,というか本能だろう?
川で溺れた子供を助ける…猫は泳げるのか?
暴れ馬を鎮める…ううむ。
回復魔法など想像もつかん”
ふと彼はある猫娘を思い出す。
『痛いの痛いの飛んでけ〜,きゅぁ〜♪』
”…魔法使えるのか?”
考えを打ち払うかのように、彼はぶんぶん頭を左右に振った。
と、その時である。
「ひったくりだぁ!」
「何ぃ!」
アルベルトは通りから聞こえてくる、その声に慌てて席を立つ。
「え? なになに??」パティもまた、野次馬根性からその後ろを追った。
カラン
カウ・ベルを鳴らして外へ。
「待てぇ!」丁度、目の前を全力疾走するアレフが通り過ぎるところだった。
彼が追うその先には、見るからに怪しげな中年男の背が。
手には女物のハンドバックを持っている。
「あいつか!」アレフに並んでアルベルトもまた、ひったくりを追った。
「テメ! アル,付いてくんじゃねぇ!!」
「ウルセ〜,こいつは自警団の仕事だ!」
対抗意識に燃える二人,しかしながらひったくりの足は異様に早く、みるみるその差を延ばされていった。
シタタタタ…
カー●ルイスを彷彿とさせる完璧なフォームのオヤジ。
「は…」
「はやい…」
男の背が小さくなり、2人の若者が諦めかけた、その時である!
にゃ〜
にゃ〜
にゃ〜
「「??」」
そんな鳴き声がだんだんと、近づいてくる。
首を傾げながらもひたすら走り続ける2人の目標は、不意に空から降ってきたそれらによって転倒した!
空からではない,通りに面して立つ商店街の建物の屋根から、それらは引ったくりに襲い掛かったのだ。
「ひ、ひぃぃぃ!!」
何が起こったか訳の分からないひったくりは、それらを引き剥がそうと通りを転げ回っている。しかし彼は鋭い爪に引っかかれ、情けない声をあげていた。
「神妙にしやがれ!」
「御用だ!」
その間にようやく追いついたアレフとアルベルトは、ひったくりを押えつける。
そしてそのひったくりにひっつき、爪を立てる生物達を改めてまじまじと見つめた。
「? どうして?」
「猫が??」
ようやくおとなしくなったひったくりに安心したのか何なのか,5匹のノラ猫達は満足げに2人の青年を見上げると、それぞれ去って行った。
「あ、僕も見たよ,ついさっき」
「ど、どこでだ? クリス?!」
夜のさくら亭,アレフはクリスのそんな言葉に詰め寄った。
クリスはそんな彼と、その隣で同じように聞き耳を立てる自警団の青年に苦笑した。
「えっとね、馬車の通りの多い中央通りで、おばあさんが渡ろうとしてたのを猫が3匹ぐらい通りに飛び出してね,馬車は横転するし、おばあさんは腰抜かすし大変だったよ」思い出しながら彼は言い、スープを一口。
「…訳分からんな」
「一体、どうなってやがんだ?」
「「う〜む」」
唸る2人に、パティとクリスは顔を見合わせて苦笑い。
ここ2、3日、街を騒がせているネコ(家猫も含むらしい)の奇っ怪な行動は、自警団にしても公安にしても原因は掴めないでいた。
大して害のないことだから,ということで調査されていなかったのでもあるが、今日のクリスの見た馬車の転倒をきっかけに、さすがに両局とも腰を上げざるを得なくなったようである。
「でも街中の猫なのよね,こんなことしてるのって」
「そうみたいだな」パティの言葉に、アルベルトは頷く。
「猫って、夜中に一か所に集まる癖ってあるのよね」
「あ、それ僕も知ってます。公園とか、人のいないところで会議ひらくんですよね」
猫には夜中に集まるというクセがある。その不気味さが元で異国では魔女の使い魔やら、死を運ぶ獣やら猫を忌み嫌い場所もあるくらいだ。
実際、そのクセが何の原因によるものか,生物学者でも掴めずにいるのが現状である。
「…猫の集会か」
「つけて…みるか?」
二人の青年は各々同じことを考えていた。
深夜、さくら亭前。
「ねぇ、アレフ? 僕眠いよ」
「友達だろ,付き合ってくれても良いだろ?」
アレフはクリスを連れて、小声でそう暗闇の中、囁いた。
彼らの先には一匹のノラ猫が背を向けて歩いている。
と、同じくさくら亭の裏。
「何でついて来るんだ? パティ?!」
「こんな話のネタになりそうな面白そうな事、見逃せる訳ないでしょう?」
「頼むから邪魔はしないでくれよ,これには大きな陰謀の匂いがする」
「…そんな大した物じゃないと思うけどさ」
やはり一匹のノラ猫を追って、二人の人影が小声で言葉を交しながら一定の距離を置いてつけていた。
「お、曲がったな」
二人はやがてさくら亭の前へ。
どん!
「「いて!」」
ぶつかる二組。
「「うにゃ?」」
「「やばい!」」
振りかえるノラ猫二匹から慌てて隠れる4人。どうやら見つからなかった様だ,2匹は並んで歩いて行く。
「なんでお前が居るんだよ,アル!」
「貴様こそでしゃばり過ぎだぞ,アレフ! 子供はもう寝る時間だ」
「何だとテメェ!」
「やるか!」
「「猫、いっちゃうよ」」呆れ顔のパティとクリス。
二人の青年は顔を見合わせ、フン,お互いそっぽを向く。
四人の追跡劇が、始まる。
ドブ川を乗り越えたり、ゴミ置き場を通り越したり、果てはショート財団の敷地内に無断侵入したりと、長い道程を辿って4人が行き着いたのは、エンフィールドの隅に立つ遥か異国の雰囲気を持った一件の木造の家。
ライシアンである橘 由羅の宅である。
「何だ? どうしてこんなところに…?」
「あ、裏庭に行ったわよ」
二匹を追って4人はそっと物陰から裏庭を覗いた。
瞬間、硬直。
にゃ〜
にゃ〜
にゃ〜
にゃ〜
にゃ〜
広めの庭には、埋め尽くさんばかりの猫達がいた。
「何だ? これは…」
「迫力あるぞ…」
目を点にして、アレフとアルベルトは呟いた。
と、猫達の視線が一点に集まる。
「「?!?!」」
カラリ,障子を開けて縁側から現れたのはこの家の居候,猫娘のメロディであった。
天に輝く月の光を受けて、庭に居並ぶ猫達と同様キラリ,その双眸が光を放っている。
シン,庭は嘘の様に静まり返っている。そう、猫達は彼女の言葉を待っているのだ。
「みなさ〜ん,今日はイイコト、できましたかぁ〜」少し間延びした、しかし夜空にキンと響き渡るような声が広がる。メロディの声である。
「「にゃ〜」」応えるかのように,いや、応えているのだ。猫達の合唱。
「じゃ、まずはパトリオット君,今日はどんなイイコトしましたかぁ?」
名指しされたのは、ちょっと太目の大柄な三毛猫。
「あ、エルシードさんちの…」パティは呟く。
「にゃにゃにゃ〜、にゃにゃにゃん」
「そ〜ですか〜,ねずみさんを5匹も捕まえましたかぁ。それだと一日五善ですね〜、偉いなぁ」
照れた様に、パトリオットと呼ばれた猫は小さく頭を下げる。
「じゃ、次はぁ,クレアさん」目の前の白猫に、今度は問う彼女。
同じような問答が繰り返されて行く。
「はて…あ」不意に、アルベルトは何かを思い出した様に息を止めた。
「どうしたんです? アルベルトさん?」クリスが尋ねる。
「一日一善って言ってたよな…メロディの奴」
「そうね」こちらはパティ。
「それって、オレ達自警団の今週のテーマなんだ」
「「………」」
沈黙の四人。
その間にもメロディ達は楽しげに騒いでいた。と、そろそろお開きになったのであろう,メロディが〆に入った。
「みなさん、おつかれさまでしたぁ〜,今週もあと2日です。それまでお手伝い、お願いしますぅ」
「「にゃ〜!」」
にっこり、メロディは微笑んだ。
と、そんな彼女にパトリオットという三毛猫が何かを話し(?)かける。
「え? どうして自警団さん達のお手伝いをするのかってぇ?」
意外な言葉。
「どういうこった? アル?」
「さっぱり分からん…」
ピクリ,物陰の四人はさらに聞き耳を立てる。
「クレアさんがぁ、お馬さんに跳ねられたのを自警団のアルベルトさんが治してくれたんですぅ」
彼女は言って、一匹の白猫を膝の上に載せた。
「あ…」アルベルトはそれを見て、声が漏れる。
「助けてもらったらお返しするのですぅ。メロディはお姉ちゃんからそう教わったんですよぉ」
「にゃ〜」応えるように白猫のクレア。
「にゃ〜」こちらも分かったとでも言わんばかりのパトリオット。
「じゃ、解散です,また明日ね〜」
ばらばら、散って行く猫たち。
「「やべ!」」
四人は慌ててその場を走り去って行った。
「で、どういうことだ? アルよぉ?」
「アルって呼ぶな!」
アレフに力一杯言い返し、自警団の青年はぶすりと黙り込む。
「でもクレアって、アルベルトさんの妹さんの名前ですよね,今は遠くに留学しちゃってる…」
「何であの猫が同じ名前なのよ」
二人のツッコミを受けて、彼は顔を赤くして俯いてしまう。
「…だよ」
「「ん??」」
「先週だったか,あの白い猫が馬車に跳ねられたのを目の前で見ちまってな。死にかけてたのをトーヤ先生のところに持っていった,それだけだ」
「クレアっていうのは?」
「知らん!」
言い放ち、アルベルトは一人、スタスタと先へ行ってしまう。
と、彼は立ち止まる。
「…あと2日、我慢してくれ」
そう言い残すと、彼は走り去ってしまった。
「ちぇ,なんだかなぁ」肩透かしを食らったような顔で、アレフはぼやく。
「あんまり無茶な事を猫達がやってくれなければ良いけど」こちらは心配そうにクリス。
「しっかし、あのアルベルトが拾った猫に自分の妹の名前付けるなんてねぇ…ああ、喋りたい! せめてリサにでも!」地団駄を踏み、パティ。
「パティさん、可哀想ですよぉ」
「オレ、トリーシャに喋りたいぞ」
「アレフさん…僕も我慢してるんですよ」
そして夜空の下、三人の笑いが木霊した。
翌週月曜日。
アルベルトはビッシィ,黒板に白墨で書いた文字を棒で指す。
『石の上にも三年』
そっけなく書かれた一言。
「これが今週のテーマだ、しっかりやるように!」
「「おう!」」頷くは自警団達。
その様子を、窓から覗く一対の瞳が合った事に、やはり気付くものはいなかった。
後に、石の上に無理して座ろうとする猫達が増えたのは、エンフィールドの数ある噂の海に沈んだそうな…