夏も夕暮れ。
3人の男女がムーンリバーのほとりから少し外れた、豊かな草むらの上で向かい合って座っていた。
3人の真ん中の蒼い草の上に置かれるは一冊の書物。古びた革製の豪華な装丁の分厚いそれは中ほどで開かれ、黄色みを帯びた羊皮紙のページがそよ風に揺れている。
「エリス・レム・アレント…」
「我は望む・心の具現を…」
「マナよマナよ・フィルナノーグより紡ぎいでし・万能の変化よ…」
目を瞑り、3者3様,小声で呪を紡いでいる。
一人は気の強そうな女の子。金色の髪からお日様の香りの漂う、活気そのものをその小さな身に詰め込んだような少女。
一人は大き目の服に身を包む少年。前者の少女とは対称的に、気の弱そうな雰囲気が漂う。やはり大きめの眼鏡が、その鼻から少しズレ落ちそうになってはいるものの真剣な表情で呪文を唱えていた。
そして最後の一人は3人の中では一番年上に見える、髪を丁寧に三つ編みした少女。年長者の威厳からか一番落ちついては見えるがいかんせん、少年と同じく気が弱そうなところから考えると金髪の女の子が主導権を握っている様に思われる。
金髪の女の子をマリア・ショート,男の子をクリストファー・クロス,最後の少女をシェリル・クリスティアという。
そして見るものが見れば分かるだろう,3人はエンフィールド学園の生徒であった。
やがて3人の異なる呪はいつしか寄り添う様に1つとなり、力ある音となって空間を震わせる。
3人は同時に、空を見上げる。
黒を含んだ蒼に、夏の星座・おおとり座が大きくその黒いキャンパスに両の翼を広げていた。
”私の魔力で、この魔法を完成させてやるわ! ふふふふ、うふふふふ…”マリアは思う。
”大きいなぁ、いいなぁ”クリスは星座を見ながら思う。
”星の王子様はあのお星様に触れたのよね”シェリルは空を見上げて、とある絵本を思い出す。
声は一つ、心は三つ。そして儀式の最後、魔力は高まり最後の呪が完成した!
「「「我が望み・叶えたまえ・我を空に!」」」
ギィン
そんな金属を擦るような音を立てて3人の目の前、開いた本の上に青白いサッカーボール大の光の球が突如として出現した!
「「「!!!」」」
不安と期待,喜びと驚愕の入り混じった3人の表情。
ふわふわふわふわふわふわふわふわふわふわ…
ふわふわふわふわふわふわふわふわ…
ふわふわふわふわふわ…
「ねぇ、マリア?」
「何よ、クリス」
少年は目の前の球体を見つめ続けながら、金髪の彼女に不安げに声をかけた。
「これで僕達…空飛べるんだったんじゃ?」
「…そうよ」
ふわふわふわ…
緊張感なしの目の前の魔力の球体に、マリアは一抹の怒りを覚える。
「ここから、どうしたら良いのかな?」
「どうしましょう?」
シェリルの本気で困ったような声とともに、3人の間に秋を含んだ寂しい風が吹き抜けた。
その風に乗って、ここエンフィールドの街の人々の期待に混じった息遣いが届いてくる。
ローズレイクに望む様にして、人々がムーンリバーのほとりに集っているのだ。
そんな人々とは関係なしと言わんばかりに、三人はそこから少し離れた場所にここでこうしている。
そもそもの起こりは、この日のお昼の事だった………
「クリスクリス〜!!」
そう声を上げながら走ってくるのはマリア。クリスはクルリと彼女に振り返る。
ここはエンフィールド学園。丁度、お昼ごはんを済ませたクリスは教室に戻って一息つこうというところだった。
「はぁはぁ、ふぅ」
マリアはクリスに追いつくと、息を切らせて膝に手をつく。
そしてクリスが首を横に傾げる頃、彼女は手にしていた書物を彼に手渡した。
「な、なに、これ?」
手渡された意外な重さのあるそれに、クリスは情けないながらも危うく転びそうになる。
古びてはいるが、立派な装丁の書物,おそらくは魔法書、であった。
「幻の魔法書・ガルデンリゲイルよ!」ビッ、Vサインを出しながらマリア。
しかしクリスは一部マニアウケしていそうな『幻の魔法書』なんぞ知る由もない。ただ一言。
「すごいね」
苦笑しながら言うしかなかった。
彼の心の内なぞ考える事もないマリアは嬉しそうに頷いて続ける。
「でねでね、この中に書いてある魔法を試そうと思うの!」
「さよなら」
「待てぃ!」背を向けるクリスの首筋を、マリアはグィと引っつかむ。
途端、クリスのもともと白い顔がさらに白くなった。
「やだやだやだ、死にたくない〜」
「なぁに言ってんの! 私が今まで魔法に失敗した事あると思ってんの?」
”失敗する度に記憶をなくしてるのか?”そんな勇気ある言葉を危うく吐きそうになるクリス。
「あれ、どうしたの?」
二人の騒ぎに気付いたか、図書館の帰りなのであろう,シェリルが笑いながら声を掛けた。
「あら、シェリル。今晩暇?」
「はい?」
いきなりアレフのようなセリフを吐くマリアに、シェリルの目が点になった。
「ほら、今夜は水神祭じゃない? それ、一緒に見に行かない?」
「え、ええ。いいわよ」額に汗しながらシェリル。
水神祭とは文字通り水の神を祭る年に一回のお祭だ。
この日はローズレイクで花火が打ち上げられ、一年の間、水難事故が起こらない様に水神を楽しませるという趣向だ。
そしてこの花火がまた多発・豪華で他の街からの見物客も多い。
「それで花火見るのに特等席があるんだけど」マリアは薄い笑みを浮かべて、片手にクリスを捕まえたままシェリルに切り出した。
「「特等席?」」
訊き返すシェリルとクリス。
毎年、花火は綺麗なのだがいかんせん,良い席・場所は徹夜した大人や他の町の見物客に取られてしまう為に、花見並みかそれ以上の準備をしないと地元の彼等であっても十分には見れないのだ。
話に乗ってきた二人に、マリアは我が意を得たりとばかり話を続けた。
「この魔法書にね…」
つまりこうである。
彼女の持つ魔法書の中に数人で行う儀式魔法があるのを見つけた。
それは人の『想像力』を糧にした魔力抽出法に従っており、簡単な願いなら大抵の事は叶うのだと言う。
そしてマリアの言う願いとは…空を飛んでそこから花火を見ようというものだった。
ドンドンドン!
夜空を、炎の花が咲いた。もっとも彼等のいるここからでは花火の見える方向に木が生えている為に炎の粉しかみることは出来ない。
しかしマリアの焦りを募らせるには音だけで十分であった。
「もぅ、始まっちゃったじゃない!」
「そんなこと言われても…」
「ねぇ…」
困った顔を見合わせるクリスとシェリル。
「そもそもよ、二人ともちゃんと『空を飛びたい』って思いながら呪文を唱えたの?」
「「うっ」」非難がましいマリアの指摘に、二人は動きが止まる。
「そ、そういうマリアちゃんはちゃんと空を飛びたいって思った?」
「う」
シェリルの同じ問い掛けに、やはり声の詰まるマリア。
なるほど、三人とも違う事を考えていれば飛べるわけがない。
「…なによ、こんなの!」
「「ああ!!」」
マリアは能天気に浮かぶ光の球にげんこつを繰り出す!
マリアのすっきりした表情と、クリスとシェリルの驚きに満ちた顔が弾けた光にまるで写真の様に固まった。
ボン!
そんな音を三人はそれぞれ訊いた様な気がする。
ふと気がつけば、彼らは夜空の中を漂っていた。
「あ…」
「あれ?」
「あら?」
呆然と三人。
やがてマリアの勝利に満ちた表情、そして…
「やったわ! 私は幻の魔法をここに復活させたのよぉ!!」
歓喜のガッツポーズ in 夜空。
「クリス君,クリス君、こっち!」
「え…」
シェリルはそんなマリアを微笑を浮かべて見守りながら、未だにこの状況に驚くクリスの手を引っ張って夜空を上へと移動。
やがておおとり座へと辿りついた。
「わぁ!」喜びと驚きのクリス。
おおとり座は星座として、星と星が線で結ばれこの夜空一面に広がっていたのであった。
そう、今彼らは夜空のてっぺんにいるのだ。
「まるで夢みたい」
シェリルは目を輝かせながら、おおとり座の右の翼に腰掛ける。
「ほんと。おおとり座って大きいね!」
その隣に腰掛けながら、クリスもまた夜空を仰いで叫ぶ様にして言った。
「もぅ、早いよ、二人とも!」マリアがようやく追いつき、二人に並んで星座にぶら下がった。
ドンドンドン!
破裂音に、三人は初めて音のした下を見下ろす。
「「「わぁ!」」」感嘆の声が漏れた。
まるで箱庭のようなエンフィールドの街。
足元で花開く炎の花。
その大輪の花は儚くも咲いては消え、そしてすぐに新しい花が咲いては枯れて行く。
「花火って上から見ても丸いのね〜」マリアが感心したかのように呟いた。
「花火は球体なのよ。だから横から下から見ても、何処から見ても丸いんだって」
「ふぅん」シェリルの説明にクリスは感心。
ドン、ドン、ドン!
エンフィールド名物,水神祭の花火を三人はその後は声もなく、存分に星座の上から楽しんだ。
ドン!
一際大きな花が咲き、水神祭は終了。
「「「ふぅ〜」」」
誰ともなく、そう大きく息を吐いた。
「帰りましょうか」
「そうね」
「そうだね」
シェリルの言葉に、三人は顔を見合わせて微笑み合う。
そして同時にここに来た感覚でその身を夜空に投げようとして…慌てて踏みとどまる。
「…ねぇ?」
「…あのさ」
「…あの」
同時にそんな問い掛け。三人とも顔色が青かった。
三人に、先程まであったはずの感覚がなくなっていた。どんな感覚か,それが思い出せない。普段はない感覚だが、今はそれが一番大事なものだった。
三人は恐る恐る、己の絶望を口にする。
「「「飛べなくなっちゃってるんだけど…」」」
その頃、地上では…
「なぁ、リサ? あれ、なんだ?」
「あ?」
花火を見ながら一杯やっていたのだろう、千鳥足のアレフはその隣をやや顔を赤らめるリサに、草むらの上で寝転がる三人の知人を指差した。
二人は彼らに近寄る。
古びた本を中心にマリア,クリス,シェリルの三人が、目の前でなにか粉の入った袋が爆発したのを食らったように、全身白い粉で真っ白になって目をまわしている。
「…マリアの魔法じゃないのか?」
リサは酔いながらも冷静に、真ん中で開いている本の中身を眺めてぶっきらぼうにそう言い放った。
「そか,じゃ、ほっときゃいいな,死にゃしないだろ」
「さくら亭に戻って飲みなおそうぜ,アレフ」
「お〜!」
酔っ払い二人は何事もなかったかのようにその場を後にした。
翌朝、三人は首を傾げて目を覚ますことになったそうな。