「はぁ……」
ふかふかのソファに身を預けて、溜息をつくのはセーラー服姿の少女。
手にした書物を胸にそっと抱き、大きく嘆息していた。
「どうしました、秋葉様?」
穏やかな背後からの声に、秋葉と呼ばれる彼女はやや驚きつつ背後に振りかえる。
そこにはいつもの割烹着を着こんだ女性が一人。
「…いつからそこにいたの、琥珀?」
「たった今ですが? 紅茶をお煎れ致しましたよ」
誰もがほっとする微笑を湛え、琥珀は秋葉の前のテーブルにカップを,そしてポットからお茶を注ぐ。
「そ、そう」
明らかに安心した吐息を一つ,秋葉はカップを手に取り口に運ぶ。
「ええ。ところで秋葉様も読まれるんですねぇ,その、なんですか。『しすたーぷりんせす』とかいう御本を」
ぷーーー
豪快に秋葉は紅茶を吹き出した。
「あらあら、お行儀の悪い」
「な、な、な……」
秋葉は慌てて手にした本を背中に隠す。
「琥珀……貴女」
頬を真っ赤に染めて上目使いで彼女を睨む秋葉。
対する琥珀は受け流すようなのほほんとした微笑を浮かべているだけだった。
「……ひ、秘密よ、このことは」
「はいはい」
答えて琥珀もまたソファの端に腰掛けた。自分の分の紅茶を入れて小休止。
ほんのしばらく、沈黙の時間が流れる。
それを破るのは秋葉の方だった。
「私だって……私だってこの娘達みたいに兄さんに甘えたいわよっ,でも、でも出来るわけないじゃない!!」
バシン,背中に隠した本――マンガ本をテーブルに叩き付け、秋葉は目に涙を貯めて激白。
「私は誇りある遠野家の当主なのだから,しっかりしてなきゃいけないんだから!」
一気にまくし立て、中腰で肩で息をする秋葉に琥珀は軽く目を向け、一言。
「良いじゃないですか,甘えちゃえば」
「?!」
秋葉、硬直。
「別に誰も甘えるな、とか言ってませんし。それに妹が兄に甘えるっていうのはなんの問題もありませんよ。モーマンターイ♪」
なんだか最後の方はえらく無責任っぽく吐くが、琥珀のその言葉は秋葉にとってはえらく魅力的に思えたようだ。
「ど、どうやったらいいかしらね?」
目を天井へと背けながら、秋葉は『興味は無いけど聞いてみてあげる』といったような態度で琥珀の言葉を促した。
琥珀はそんな秋葉に笑いを堪える。
「では伝授致しましょう。良いですか? 決して照れてはいけませんよ」
「え、ええ」
ずずいと迫り、人差し指を主人の唇にそっと触れて琥珀は告げる。
必殺(?)の兄の落とし方を。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ」
志貴はいつものとおり、翡翠の出迎えを受けて屋敷へと戻った。
いつもと変わらぬ大きな玄関口,そしていつもと変わらぬ表情の翡翠がそこにあるはずだった。
が。
「あ、ただいま。秋葉」
翡翠の隣にたたずむ妹の存在に軽く微笑む彼は、彼女のキッとした視線に僅かにたじろぐ。
「どうした? 秋葉??」
「お、お……」
「お?」
秋葉は震える己の身を気力で押しこみ、琥珀直伝の必殺技を繰り出したっ!
両手を口に,下から覗きこむように志貴の顔を見上げて、
「おかえりなさ〜い,お兄しゃま〜〜ん♪」
―――――――時間が、凍結した。
「翡翠」
志貴が真っ白に燃え尽きた顔であいかわらず無表情な少女を呼ぶ。
「はい」
「救急車の準備を」
そして秋葉の髪の色が真紅に染まる――――
この日、志貴・琥珀・翡翠の三人が不思議なことに病院で一斉に緊急輸血を受けたのは余談である。