アルクのアレ

お題:『月姫』


 「?」
 疑問符を背に3つほど浮かべた翡翠は、大広間にあるダイニングテーブルの上に無造作に置かれていた『それ』を手に取った。
 金色の長さは30cmほどの長さの糸状物質が数万本密集隊形を取ったモノだ。
 「カツラ?」
 翡翠は手にした『それ』と似たものを身近な存在に感じ取った。
 「…あのアーパー吸血鬼の髪にそっくり」
 酷い想われようだが、彼女の目にはそう映っているらしい。
 と、普段ならばそんなカツラなどゴミとして処分するか、それともこの屋敷の主人の指示を仰ぐかをする彼女なのだが。
 今日は違った。
 それは足音が聞こえ始めた春のそよ風に惑わされたのか、それともただのだろうk。気まぐれ
 翡翠は『それ』を、おもむろに頭にかぶったのだった。


 「アールークェーイードォォォォ!」
 地獄からの怨嗟の声が翡翠の背後から襲いかかった。
 「人前でよくも恥をかかせてくれましたね,その身に死を以って償ってもらいます!」
 金色の髪を振り乱して、彼女はそのただ事ならぬ殺気に振りかえる!
 そこには瞳の色を緋色に変色させて怒りに猛るメガネ娘が一人。
 片手に4本、両手にすると8本の聖水祝福された短剣を器用に構えて戦闘態勢。
 「……誰がアホでバカで無神経な吸血鬼娘なのですか?」
 翡翠は無遠慮な訪問者を半眼で出向かえた。
 ある意味異なる殺気にメガネ娘――シエルは水をかけられた様に怒りを静めた。
 「あ、えっと…そこまで言ってませんけど。って、どうして貴女がそんな格好を?」
 シエルの問いに翡翠は無言でカツラを脱いでテーブルの上に戻した。
 そして何事も無かったかのように掃除を続行。
 「あの、もしもし?」
 「志貴様ならまだおかえりになられてはおりませんが」
 テーブルを拭く手を動かしながら、シエルに目を合わせずに答える翡翠の頬は僅かに赤かった。
 一応察して、シエルはそれ以上の追及は避ける。
 ……はずもない。
 「ところで『これ』は一体なんですか?」
 カツラを指差してシエル。
 「さぁ?」
 「さぁって…貴女はこの家のメイドでしょう?」
 「当家のメイドに何か問題でも? シエルさん?」
 棘の込められた冷たい声はシエルの隣。
 制服姿の秋葉だ。
 「アルクェイドさんといい、貴女といい、当家に来訪される時はちゃんと玄関から入って頂けないものでしょうかね?」
 ズビッと人差し指をシエルの鼻先に突き付けて、秋葉は迫る。
 しかしシエルも負けてはいない。
 「玄関から入れてもらえるのでしょうか?」
 むしろ開き直りだった。
 「…警察に不法侵入で突き出しますわよ?」
 「私は遠野くんを吸血鬼とか妹とかメイドとかの魔の手から守らなくてはなりません」
 「あら、偶然ですわ。私も狂信者のコスプレシスターから兄を守らなくてはいけませんので」
 そしてお互い鼻と鼻がくっつきそうになるまで睨み合い、
 「「ほーっほっほっほっ!」」
 どちらからでもなく互いに高笑い。
 「秋葉様、このカツラはいかが致しましょう?」
 現状を咎める為か、翡翠がテーブルの上の『それ』を差して主人の指示を仰いだ。
 「ああ、それは……」
 「そうそう、もしかしてアルクェイドはヅラだったのではないでしょうか?」
 秋葉の言葉を遮り、シエルは重大発言。
 「ヅラ、ですか?」
 「ええ、ヅラです」
 翡翠の信じられないものを見るような視線に、シエルは大仰に頷いた。
 「私が思うに、アルクェイドは実はスキンヘッドなのではないかと」
 「マルコメ?!」
 驚愕に目を見開く翡翠。
 その後ろで頭を抱える秋葉。
 さらにシエルの仮定(妄想)は続く。
 以下は月姫本編の各シーンを思い出してください。

 「アタシを殺した責任取ってもらうわよ」(実はヅラ)

 「ネロ!」(実はヅラ)

 「さようなら、志貴」(やっぱりヅラ)

 「く、くはっ、くははっ、くはっっ」
 体をくの字に折り曲げて、呼吸困難を起こしかけるほどの爆笑に襲われるシエル。
 強敵に出会って嬉しさのあまりに笑い出す、どこぞの本家吸血鬼のような笑いだ。
 対する翡翠はテーブルに両手をつき、何かに堪える様に俯いている。
 良く見ればその両手は小さく震えていた。
 ……笑っている様だ。
 そこへ、
 「あら、皆さんお揃いで。どうされました?」
 のほほんと琥珀がいつもと変わらぬ笑みを浮かべてやってきた。
 彼女は秋葉の顔を見るや否や、
 「頼まれていたものを買っておきましたけど」
 「あ、琥珀! 今は…」
 「そこの机の上の、そう、翡翠ちゃんの前においてあるそれです」
 ヅラだった。
 「「え?」」
 シエルと琥珀は秋葉を見つめる。
 秋葉は顔を真っ赤にして俯いていた。
 「どうして……」
 翡翠の問いにならない小さな言葉に、琥珀もまた「そういえば何に使われるんですか?」と追い討ちをかけて悪意なく尋ねてくる。
 「それは……実は」
 「実は?」
 秋葉は顔を上げる。
 その瞳にはうっすらと涙が溜まっていた。
 「羨ましかったんです、アルクェイドさんがっ!」
 彼女は叫ぶ様にして告白した。
 「兄さんにいつもいつもいつもベタベタくっついて! 私もそうしたいのにできるわけないし、でもしたいから、一度で良いからそうしてみたいから、だから、だから……」
 消え行く言葉をシエルが続ける。
 「だからアルクェイドのようなカツラをかぶって変装しようとおもったんですね」
 「髪と目の色を変えれば、みんな似たような顔立ちですし」
 「翡翠ちゃん、その発言は敵しか作りませんよっ!」
 珍しく焦った顔で琥珀。何かに警戒してキョロキョロ辺りを見まわしている。
 「コホン」
 シエルが咳払い1つ。
 「ともあれ、良く分かりました、ただ一言言えるのは」
 ピシッ、とシエルは秋葉を指差して、
 「「馬鹿ですね/お馬鹿さんね/馬鹿です」」
 琥珀と翡翠の言葉も重なる。
 「うぁ!」
 さらに涙目になる秋葉、だがシエルの言葉はまだ終わっていなかった。
 「その一途さが武器ですよ」
 にっこり微笑むシエル。
 「え?!」
 驚いた顔で秋葉は琥珀と翡翠にも視線を向けた。
 「真似をする必要、ないと思いますが?」
 翡翠もまた暖かな表情に笑みを見せている。
 「志貴さんはそのままの秋葉様の姿で甘えられても、全く全然困るどころか萌え萌えだと思いますよー」
 と、こちらは琥珀。
 秋葉の目から涙が零れた。
 「みんな……ありがとう、ありがとうっ!」
 感涙に咽ぶ秋葉の隣で、話の主役である金色のヅラは何事も無かったかのように、窓から拭き抜けるそよ風にゆらゆらと揺れていた。


 なおその頃の志貴は、帰り道に出会ったアルクェイドと楽しい時間を過ごしていたとか。
 そんなお話。


おわり