花火と夏


 じっとりと肌を汗が潤していく。
 猫寝荘にはエアコンがないので、扇風機が全力運転をしているが生ぬるい風がきても涼しくも何ともないところが虚しいところだ。
 気だるい午睡。
 「うっ」
 暑さに目を覚ます。窓の外はほんのりと薄暗い。
 よくもまぁ、こんな暑い中を眠れたものだと自分自身を誇りたい。
 「疲れてたのかな」
 僕は新社会人1年生。仕事がまだ全く難しくはないが、終始緊張していると思う。
 せっかくの土日の休みも、きっとこうして浅い眠りに消えていくのだろう。
 無駄な時間の使い方だ。だけれども。
 「早く土日なんか…クソ暑い夏なんか終わってしまえば良いのに」
 一度は起き掛けた意識を再び、部屋の中のどんよりとした空気と同じような底無し沼に預けることにする。
 どん、どんっ!!
 と、すぐ近くで大気を震わす爆発音。
 「あぁ、これのことか」
 駅前に張られていたポスターを思い出す。
 確か今日は………。
 どん、どんっ!
 再度、それは鳴り響く。
 同時、
 「ひゃぁぁぁぁぁぁ?!?!」
 ばたーん!
 唐突に玄関の戸が開かれて、小柄な人影が飛び込んできた。
 「へ?」
 僕は思わず上体を起こして、
 どすっ!
 『それ』に押し倒された。
 どん、どんっ!
 三度、空を震わす大気音。
 その音に合わせるように、僕に抱きついた彼女はびくりと体を震わせる。
 「あ、あのー?」
 僕のかけた声に、彼女ははっと気付いたように僕に顔を合わせ、
 「大変ですゲリラ戦ですヒズボラですよもしくはアルジャジーラかも古い所でオウムというかアレフかもしれないんですよ」
 「おちつけ」
 ごす
 真剣な目で早口に語る彼女の額にチョップ。
 「なんか途中に報道機関の名前も入っていた気がしないでもないけどまぁいいや。どうしたんですか?」
 小さな額を押さえて恨みがましく僕を見るのは、お隣の自称OLさん。
 見た目には中学生くらいにしか見えないけど、それを言うと泣くので言わないことにしている。
 「どうしたもこうしたも」
 どん、どんっ!
 「ひゃ!」
 良く見れば頭にかぶっているのは防災頭巾。懐かしいなぁ。
 「ほら、爆弾が爆発していますよっ!」
 「へ??」
 どん、どん、どん!
 「ほらほらほらっ!」
 不安げと得意げが入り混じった妙な表情で彼女。
 「えーと、な・に・を・言っているのかな?」
 もしかして、彼女は
 どんっ!!
 今までで一番大きな音が一発響いた。
 「大爆発ですよっ!」
 「花火だよっ!」
 大真面目に叫ぶ彼女に、思わず僕も真顔でツッコミを入れてしまう。
 「………花火?」
 どんどんどん
 納涼花火大会は今まだ、始まったばかりである。

 
 お隣の彼女を連れて部屋を出る。
 アパートと隣の家の間の空から、群青のキャンパスに描かれた光の花が僅かに垣間見れた。
 「花火、ですか??」
 驚くべきことにお隣さんは花火を知らなかった。
 何で知らないんだ??
 実際にその目で見せるために、猫寝荘の外に出たのだけれど……。
 「んー、この辺で見晴らしの良いところってあったかな?」
 近くに高校があり、その裏山なら結構見えるかもしれない。
 でも着く頃には終わっていそうだしなぁ。
 「あら、こんばんわ。お出かけですか?」
 アパートを出ようとする僕達と入れ替わるように帰宅してきたのは、2階に住む若桜姉妹のお姉さんの方だった。
 「あちゃ、始まっちまってるな」
 彼女を追いかけるようにして、手には大きめなコンビニの袋を提げた男性。
 こちらも2階に住むコピーライターである高槻さんだ。
 「あ、若桜さん、この近くで花火の良く見える所、知りませんか?」
 僕の問いに彼女は後ろの高槻さんと目を合わせ、
 「丁度良かったわ。一緒に見ましょう」
 「そうだな、ビールも多めに買ってきて良かった」
 「「??」」
 首を傾げる僕達を前に、2人は2階へ上がり、そしてどこから取り出したのか、はしごを使って屋根の上に上っていく。
 「何やってんだ、早く来いよ」
 「あ」
 「はーい」
 あまりにも手際良く登っていく2人を唖然と見つめていた僕達は高槻さんの声で我に返ると、同じようにはしごを伝って屋根の上に。
 古い瓦を壊さないよう、ゆっくりと上まで登り、
 どん、どんどん!!
 間近な音に顔を上げる。
 唐突に開ける視界。
 「「わぁ」」
 屋根の上に並んだ僕とお隣さんは、思わず声を漏らす。
 群青の空が視界一杯に広がり、大輪の花がいくつも咲いては消えていく。
 他の家々は丁度視線から水平線上に。
 見上げればそこには空しかない。
 どんどんどんどん!
 「きれい…」
 彼女は隣で、飾り気のない心からの声でそう呟いた。
 その横顔を見ていると、なんだか僕も嬉しく感じてくるのが不思議だ。
 「ほら」
 声に振りかえる。高槻さんが僕に何かを放った。
 それはキンキンに冷えた缶ビール。
 同じように隣の彼女も、若桜さんに同じように勧められていて。
 どん!
 空いっぱいの花火。
 「たーまやー」
 陽気な若桜さんの声。
 「くぅぅ」
 喉を潤す冷えたビール。
 「かーぎやー、で良いんですか?」
 嬉しそうに掛け声を習うお隣さん。
 そして、
 「夏ですねー」
 ビールを半ばまで空けた僕。
 いつしか肌の汗が乾いたのは、冷えたビールのためだろうか?
 それとも花火の美しさが暑さを忘れさせてくれたのか?
 夏の夜の風に吹かれながら、僕はこの夏らしい時間がまだまだしばらく続いてくれることを心から望んだのだった。

 
 近所の遊園地で今月は毎週土日、花火大会が催されましてね。
 毎年恒例なんですが、これを見ると「夏だなぁ」って心底感じるのです。
 あぁ、ビールが美味しい。