ウソの中のホントウ
物静かな女学院の外れに、威厳漂う平屋の武道館が佇んでいる。
かぁかぁ
鴉も鳴いて帰る、日も沈みかけた薄闇の中で武道館から部活動が終わったのであろうか、袴に胴着を纏ったポニーテールの女性が現れた。その右手には木刀を肩に担いでいる。
かなりの長身だ。アスファルトに伸びる彼女の影は、夕日の作用だけではない。
一陣の秋風が稽古に火照った彼女を包み、武道館の影へ幾ばくかの熱を奪って飛び去って行く。
ざざぁ
風が揺らす木立の赤く染まった葉々が、耳に心地良い音を奏でていた。
『涼』
彼女を囲む環境も、そして彼女の精神自体も、今はそれ一言で表せる様な気がする。
と思いきや、突として彼女に駆け寄る人影一つ、二つ、三つ…
「先輩! これを受け取ってください!」
「素子先輩,次の大会も頑張ってくださいね!」
「青山センパイ,好きです!!」
数重の人の輪にあっという間に囲まれ、彼女は恒例となりつつある大きな溜め息を吐いた。
手渡される手紙やら、ケーキやら、花束やら…
「…ありがとう」
困ったような、迷惑そうな表情ながらも、きちんと一つ一つ受け取り礼を言ってしまうのは彼女の人柄そのものなのだろう。
数分後
ようやく同性のみで構成された包囲網を脱出した彼女は、逃げ出す様にして帰路へと就いていた。
青山素子 16歳・高校二年生
京都の実家を修行の為に離れここ、ひなた市へやって来た。
修行とは?
それは剣士として、退魔師として、そしてこれは本人には知らされていないようではあるが、精神面の成長を期待してのものである。
彼女が身を置く女子寮『ひなた荘』の管理人の持つ情報によれば、彼女は京の深山に秘して伝わる神鳴る剣,魔を討つ為に生まれたとされる神鳴流を若くして免許皆伝した剣豪であるという。
いや、この言い方は適当ではない。
剣豪である,管理人は断言するはずである。
何故なら…
「浦島ぁぁ!」
夜叉と化した素子は真剣を抜いて彼に迫る。
「ご、誤解だぁぁ!」
彼こと、ここひなた荘の管理人・浦島 景太郎は必死の形相で首をふるふると横に振る。
素子が前に出た分、景太郎は後ろへと下がる。
前へ前へ
後ろへ後ろへ
二人の距離は縮まらない。
ぶわぁ,素子の後ろへ流した長い黒髪が怒りのオーラに一瞬、舞いあがったかのように見えた。刀を大きく振りかぶる。
「誤解もクソもあるか! 秘剣・斬空閃!」
「ひ、ひえぇぇぇ!!」
ど・ど・ど・ど・ど!
とうとう背を向けて逃げ出した景太郎に、不可視の衝撃波が迫る・迫る・炸裂した!
「ぷろぁ!」
そして彼はひなた荘の窓を突き破り、星となる。
このように管理人はその身を以って彼女が剣の達人、というより、もはや剣道の域に収まっていないことを知っていた。
もっとも退魔師を目指す彼女の技を食らって死なない景太郎は、魔物以上の生命力を秘めているのかもしれないが…まぁ、その考察は脇に置いておくとしよう。
管理人・浦島 景太郎がこのひなた荘へ来て二度目の秋がやってきていた。
さすがに一年ちょっともすれば、何故か男性が苦手な素子でも、この景太郎くらいに対しては普通に接することができ…
「貴様など死んでしまえ!」
星になった彼に向かって、夜空に叫ぶ素子。
どうやら、そうもいかない様である。
「モトコ? 玄関の荷物はなんや?」
「え…ああ、浦島を成敗していたので部屋に運ぶのを忘れていました」
素子はひとしきり夜空に向かって普段の不平不満を叫んだ後、廊下でキツネ目の女性に問い掛けられた。
紺野 みつね,通称・キツネ、このひなた荘の住人である。現在、管理人と同じ20歳にしてフリーター。
彼女の片手には栓の開いた缶ビールが握られていた。
クシャと片手で彼女は握りつぶす。
「そうでなくて。「らぶれたー」とかあったやないか?」
「み、見たんですか?!」
慌てて素子はキツネに詰め寄った。彼女は笑って否定する。
「あんな可愛らしい封筒見たら、誰だってそう思うわな。見られとうなかったらカバンに隠しときや」
「あ…そうですね」
そんな彼女に、キツネは意地の悪い笑みを浮かべた。
「しっかし、モトコはモテるんやなぁ。ウチ、羨ましいわぁ」
「…本気で言ってます?」ジト目の素子。
「なんや、嬉しくないんか?」
「当たり前でしょう!! どうして私が…」
言いかける彼女に、キツネは言葉で割り込んだ。
「だって、この間の剣道大会で言い寄ってきた兄ちゃんなんかはイイセン行っとったやん? 平気でフリよったから、ウチはてっきりモトコはそういう趣味やと」
「軟派な奴が嫌いなだけです!」
先月に行われた、他校数校の剣道部との交流試合を思い出して素子はきっぱりと断言した。
大会では当然、男子女子関係なしに素子が圧倒的な力の差を見せつけて優勝したのだが、試合後に決勝戦の相手と一悶着を起こしたのである。
その際、キツネは酒のツマミに観戦していたのであった。
「男なんてみんな、何処か軟派やで?」
「それはキツネさんの偏った考え方です!」
どちらも偏っていそうではあるが…ふと、素子は我に返る。
「そうだ、キツネさん」
「なんや?」
「同性から私にその気がないことを知ってもらうには、どうしたら良いものでしょうか?」
キラリ,キツネの目がまさにその通り名の如き、獣の狐の様に光ったことを素子ですら気付く事はなかった。
「…そんなに大変なんか?」
「ええ、日に日に人数は多くなるし、常に何処かで見られている様な気はするし…」
ほとほと困った顔で素子は言う。
気配を感じ取るのが元々鋭いだけに、ひなた荘へ着くまで下手に気を抜けないのである。
それだけなら良い。その内に修行の邪魔になるかもしれないし、何よりこの寮の住人に迷惑をかけるかもしれないのが一番恐かった。
「そんなん、簡単やん」
あっさりと言い放つキツネに、素子は期待に満ちた眼差しを向ける。
「どんな方法が?!」
「カレシ、見せつければ良いやないの?」
白く燃え尽きる素子。
「そろそろ晩御飯の時間ですね」
「いきなり話題変えんといてや,ウチは何もモノホンのカレシを見つけろなんて言うてないやん?」
キツネの言葉に、素子は訝しげな視線を送った。
「どういうことです?」
「代役立てりゃ、良いやないの。それに来週はホラ、モトコのガッコ,文化祭やろ?」
「…なるほど!」
ポン、手を打って素子。
「キツネさん,その役引き受けて…」
「アホかぃ! ウチに男装しろちゅうんかいな? 絶対バレるがな」
キツネは素っ頓狂な声を上げて否定し、続ける。
「いるやろが、適役が」
「適役?」
「ケータロや」
にっこり笑ってキツネ。
「この話、なかったことに」
背を向ける素子に、キツネはしみじみと呟き始めた。
「このまま放っておくと、最近の流行りというか話題に良く出るというか,ストーカーとかいうんが出てくるかもしれへんなぁ」
ピクリ
素子の足が止まる。
「そないなったら、スゥやしのぶにも危険出てくるやもしれん。拉致されてモトコ呼び出す材料にしたりとか…」
ちらり、キツネは素子に視線を走らせた。
ぷるぷると肩が小さく震えている。己の中で何かと戦っている、そんな感じにも見える。
やがて…
「くぅ!」
無念,キツネにはその想いが彼女の背にくっきりと見えたような気がした。
とんとん
襖を叩く。
「はい、どうぞ?」
中からそんな声が聞こえ、彼女は意を決して足を踏み込んだ。
部屋の中心、ちゃぶ台の上の参考書から目を上げたのは管理人・浦島 景太郎。
根を詰めて勉強に励んでいたのだろうか、はたまた、やたらめたらに本を広げまくっていただけだろうか,様々な種類の参考書、過去問題集などなどが散乱していた。
「どうしたの、モトコちゃん?」
珍しい来訪客に、景太郎は首を傾げつつも微笑した。
「う、うむ。一つ頼みたいことがあってな」
「はい?」
小さくなる彼女の声に、景太郎は本格的に首を傾げる。
素子はちゃぶ台を挟んで彼の正面に腰を下ろした。懐から一枚のチケットらしき物を取りだし、台の上に叩き付けるように置く。
「…これだ」
「? 文化祭の入場券…モトコちゃんの学校の?」
意図が読めずに景太郎は素子を見る。素子はというと視線を彼から外して宙を泳がせていた。
「ええと、遊びに行けば良いのかな?」
恐る恐る尋ねる景太郎に、素子はジロリと視線を向けた。条件反射か、思わず景太郎は身構える。
「…浦島、お前は管理人だな?」
「? そうだけど?」
「管理人は住人の安全を護る義務があるな?」
「ええ、あると思うよ」
「では管理人の義務を全うしてもらおう」
言い放ち、素子はスックと立ち上がり彼に背を向けた。
「えと…あの、モトコちゃん? どういうこと…かな??」
戸惑いまくった景太郎の言葉に、素子の動きが止まる。
ギギィ
そんな軋んだ音がしたような、幻聴すら覚えた。
「モトコちゃん?」
「う…、あの…」
振り返った素子の目が宙を泳ぐ。頬は風邪でもひいたかの様に真っ赤に染まり、口元が震えている。
「武士の一生の頼みだ、きいてくれ」
「武士かどうかは定かじゃないけど、分かったよ」
苦笑いで景太郎。覚悟してはいるのか、やや余裕が感じられる。
「あのな…」
「ん?」
素子の視線が景太郎のそれと交わる。途端、素子は逃げ出す様に目を閉じ、口早にこう叫んだ。
「私のカレシのフリをしてくれ!」
静まり返る景太郎と素子の距離。張り詰めた緊迫感が形となって感じられるほどだ。
そんな中、先に動いたのは景太郎の方だった。
「分かった,オレで良ければ引き受けるよ」小さく笑って答える。
緊迫感が途端に崩れ去った。
ほぅ
素子は大きく息を吐く。そして…
「理由は訊かんのか?」眉を寄せて尋ねる。
「教えてくれるのならね」
「ふむ、実はな………」
素子は身を翻し、再びちゃぶ台の前に座って経緯を力説する。
そんな彼女に景太郎は終始、微笑みを浮かべて聞いているだけだった。
素子の学校の文化祭は、チケット持参者のみの入場とされている,実は『超』が付くほどのお嬢様学校だったりするのだ。
「そういや、灰谷がチケットを高額で売り払ってたなぁ」
景太郎は一人、校内をふらふら歩きながら去年の今頃を思い出していた。確か、一枚3000円くらいで予備校仲間に売り捌いていたような…それ以前にどこから彼が手に入れてきたのかが謎ではあったが。
「ここがモトコちゃんの通ってる学校かぁ,なんというか、似合ってるな」
校舎の造りが妙に古風だ。大正時代の建築物をどことなく彷彿とさせている。
行きかうのはこの学校の生徒と、父兄らしき壮年層,そして同学年くらいの若年層の男子。
校風だろうか,大騒ぎするお祭といった感はないが、しかしどこか華やかだったりする。
景太郎は待ち合わせ場所の武道館入り口へと向かう。
文化祭の範囲外なのか、近づくにつれ生徒の影すら見えなくなって行く。空気がひんやりと冷たい…そんな錯覚すら感じられた。
景太郎は向かう先に瓦敷きの平屋の大きな建物を見付け、やや早足で目指す。人々の喧騒はここでは遥か遠くに聞こえていた。
ざざぁ…
タイル敷きの小道の両脇に茂る木々の葉が風に鳴る。
舞い落ちる落ち葉の間に、彼女は立っていた。
セーラー服から伸びる白く長い手足,目を覚ますような烏色の長い髪が風に揺れる。
「モトコちゃん!」
景太郎の声に、伏せていた彼女の鋭い瞳が前を向く。
「遅いぞ、浦島」
「ごめん、結構広いから迷っちゃったよ」
とは言っても、待ち合わせ30分前なのだが…
「古い学校だからな,敷地だけは広いんだ。それはそうと…」
素子はそこで口篭もる。
「ん?」
「忙しい所、すまないな」
困ったような、照れたような顔で、景太郎から視線を外して呟いた。
「いや、ちょうどいい気分転換だよ」
そんな素子に小さく笑って景太郎。
「そうか…では行こうか」
「あ、その前に」彼は待ったをかける。
「何だ?」
「カレシのフリっていうけど、具体的にオレはどうしたら良いのかな?」
真面目な顔で景太郎は素子に尋ねた。彼女イナイ歴20年の男に頼むから、こういうことになる。
素子もまた、形の良い眉を寄せてうめいた。
と、何を思い付いたのか、ぱっと明るい顔になる。
「そうだ!」
「なに?」
「普段、なる先輩と話してるような感じ,じゃないのか?」
「え?! オレ、成瀬川と付き合ってる訳じゃ…」
慌てて、だが否定はしたくないような曖昧さで景太郎は語尾が尻すごみになった。
そんな景太郎に素子は冷たく微笑む。
「それはそうだ,なる先輩が貴様となど釣り合うものか。ただ、あんな感じじゃないかなと」
「? どんな感じだろ?」また一歩ツッコんで景太郎。
「むぅ」
改めて考えると具体的にどうとか、思い付かない。
ちなみに素子はキツネから『禁断の手引き書』なるものを作ってもらったのだが、昨晩それを自室で読んで、恥ずかしさと怒りのあまりに燃やしてしまったのは余談である。
「浦島」
「はい?」
「ちょっと前を向いていろ」
「??」
言われた通りに素子に背を向け景太郎は前を向く。
「こっちを見るなよ」
「あ、ああ」
首を前に固定したままの景太郎の左腕に、柔らかな感触が伝わる。思わず彼は左腕に視線を移した。
素子の胸が当たっている。視線を目の位置よりも上にあげると、怒りと恥ずかしさで顔が茹でたタコの様に真っ赤になった彼女の顔がある。
腕を組んだだけであった,が、素子にとってはどうにも恥ずかしいことこの上ないうえに、どうして景太郎しかいなかったのか? という理不尽な怒りでいっぱいだった。
「こっちを見るなと言っただろう?!」
「ご、ごめん!」慌てて視線を前に向ける景太郎。
ちなみに景太郎の方が素子よりも4cmほど背は低い。
「あまり説得力がないかもしれんな」
武道館のくぐもった硝子に映った己と景太郎を眺めて、素子は愕然と呟いた。
「呼んでおいて、それはないでしょうが?」
「…すまん」さすがに悪いと思ったのか素子は素直に謝る。
やがて何処か不器用な二人は腕を組んだまま、出店が並ぶ中庭へと姿を現した。
数は多くないながらも等間隔に、クラスごとの出し物であるのか呼び込みの声があちらこちらで響いている。
「へぇ、改めて見ると結構、人は来てるんだね」
すれ違う人と肩がぶつかるくらいの盛況ぶりだ。
「我が校の文化祭は伝統があるからな。バカ騒ぎせんでも人は来る」
中庭を一望し、素子は誇らしげに呟いた。
「ふぅん…あ、モトコちゃん,もう昼は食べた?」
「いや」
返事を聞くや聞くまいや,景太郎はたまたま前を通りかかった出店にひょいと頭を突っ込んだ。
「あ、浦島?」
彼がのれんをくぐったのは『たこ焼き』屋。
鉄板を前にちゃかちゃかと、とてもカタギの女子高生とは思えない慣れた手つきで球状の塊を仕上げて行く学生に声をかける。
「これとこれ,お願いね」
「まいど!」
景太郎は柱に貼られたお品書きを指差した。
「380円です」
「はい、ありがと」
木船に盛られた丸い物体を手に、彼は素子に振り返る。
「おい、浦島…お前、よもや…」
わなわなと震える指先で船の上の物体を指して素子。
景太郎は二つ並んだ楊枝の一つを取り、メリケン粉の塊を一つ,口に放り込む。
「ん、美味しいよ」
笑って彼は木船を彼女に差し出した。
「これは何だ? 浦島…」かすれた声で彼女は尋ねる。
「何って…チーズたこ焼きに、ブルーベリージャムたこ焼きだけど?」
それを聞いた途端、素子の怒りが頂点に達した。
「否否否ァァ!! そんなもの、たこ焼きとは言わん!!!」
「あの、モトコちゃん??」
「邪道だ,たこ焼きにタコが入ってなくて、どうしてたこ焼きと呼べる?! 何より、とろりと濃くもまろやかなソースと湯気に踊る削りぶし! これがなければたこ焼きとは呼べんではないか!!」
はぁはぁと、肩で息をするほどまでに主張する素子。京都人のこだわりか??
「食べてみるとなかなか美味いと思うけどな」
再び一口、景太郎はそんな素子をあやすかのように優しく笑って続けた。
「じゃ、隣のヤキソバにしようか」
向かい側の出店を指差す彼に、素子は逡巡。
珍しく困った表情を浮かべ、景太郎の持つ木船に手を伸ばした。
「いや、頂こう」
楊枝を取って一口。
むぐむぐと口を動かし、難しい顔をする。
「悪くはないな」
そう言って、バツの悪そうに笑った。
「そうだ、モトコちゃんのクラスは何の出し物してるんだい?」
そう景太郎が尋ねる頃には、彼の手には射的の景品が,素子の手には二匹の金魚が入った小さなビニール袋が提げられていた。
「ん。今年の夏休みの課題の展示と、さっき通りすぎた駄菓子屋だ」
「通りすぎた?」
景太郎は後ろを振り返る。
一瞬、凍った。
真っ直ぐに向けられた幾つもの瞳の力に。
それは決して、好意のあるものではない。どちらかと言うとその逆の作用を持っている意識が感じられる。
一人二人三人…数は増えて行く,いつしか学生達に二人は囲まれていた。言うまでもないが、全員女性だ。
「青山先輩!」
「何だ?」
瞳の一つ,襟元の校章から学年は一年であろう、おさげの少女が鋭い視線を景太郎に向けたまま、素子に尋ねる。
「そちらの方はどなたですか?」
彼女の問いが、集まった女生徒達全員の疑問だった。答え様によっては隣の男の方を亡き者に…そんな雰囲気すら感じられたと、後にひなた荘管理人は冗談混じりに語ったという。
「何者だろうが、関係あるまい」
「モトコちゃん?」
静かに答える素子に景太郎は呼びかける。彼女の今の答えでは景太郎がここに来た意味がない。
素子は眉をしかめ、しかし意を決したように顔を上げた。
「コイツは私の…」
「「私の?」」ズィとそれぞれ一歩足を踏み出して次の一言に耳を傾ける。
「か…か…か…」
「「か?」」
「介錯人だ!」
―――― 介錯人:切腹する人の首を刎ねる人のこと
「違うだろーー!」
唖然とする女生徒達の中、景太郎はツッコミ。
「すまん、浦島。頼む」
顔を真っ赤にして、素子は景太郎の背に隠れた。途端、一同の視線が景太郎に集中する。
「う…」
額に汗しながら、景太郎は背中に隠れた素子に視線を移し…溜め息一つ。
覚悟を決めたのか、キッと前に振り返り、
「オレはモトコちゃんと同じ屋根の下で暮らしているだけだよ」
しん
しん
しん
静まり返る,誰かの息を飲む音が聞こえた様な気がした。
「青山先輩のフケツ!」叫び、駆け去る女性数名。
「そんな、そんな!!」
「見損ないました!」
口々に勝手なことを言ながら去って行く。
「…はやまったことをしたような気が…」
「間違ったことは言ってないだろ? それにこれくらい荒療治じゃないとさ」
「ううむ…」
ぼそぼそ話し合う二人。
いつしかそんな二人の包囲網は消え去り、最後に残るは…この学校の生徒ではなかった。
「貴様は…」
素子は残る『彼』を見つめ…
「誰だっけ?」
「こらーー! 僕だよ、僕!」
学生服の青年だった。
どこかのグラビア誌に出てきそうな、そんな整った顔立ちに、我の強そうな瞳が印象的な好青年である。
「先月の交流試合で君と決勝戦を争った!」
「おお」ポン、と素子は手を叩く。同時に厳しい視線で彼を睨んだ。
「何の用だ?」
全身に警戒色を浮かべて素子。彼は不敵に微笑み、彼女に確認するように言った。
「君は僕をフッた時にこう言ったよね,『私より弱い奴と付き合うつもりはない』と」
「ああ、言ったな」
頷く素子から彼は、隣の景太郎に視線を移す。
「君の隣のその男は、君より強いと言うのかい?」
「え…」唖然と素子。
「その男を倒せば、僕に君と付き合える権利があるってことになるよね?」
勝利を確信したかのように彼は口元に笑みを漏らしていた。
「へ?」
「これが竹刀だ。振り方は肩に力を入れずに振り下ろせ」
「あの、モトコちゃん?」
「なぁに,気合いさえあればどうともなる」
静かな無人の武道場…と思いきや、三人の男女がいる。
景太郎は己の立たされた状況が良く掴めずにいた。
「えと…」彼は状況を反芻してみる。
素子は先月の他校との剣道部の交流試合とやらで、目の前で素振りをする青年と決勝を争ったようだ。
その際に彼をあっさり負かした素子は、彼から唐突な告白を受ける。
そんな気がさらさらない彼女は『私より弱い奴と付き合うつもりはない』と一蹴。
青年はこの一ヶ月、血の吐くような思いで修行に打ち込み、文化祭で学校に立ち入ることのできる今日、リベンジにやって来たと言う次第だ。
そこで素子と再会できたと思った所に、景太郎と付き合っている様なことを宣言され、大ショック。
ふと、そこで彼は考えた。
景太郎は素子に勝ったのだろう,だったらその景太郎を負かせば自分がカレシになれるのではないか? と。
そんなところだろうか。
「なるほどー…って、オレ、剣道なんてやったことないよっ」
「だから今教えてやってるだろうが」
「今教わって勝てるものなのか? そもそもアイツ…」
景太郎は頭から被せられた狭い視野の防具から、素振りする青年を見やる。
「強いんだろ?」
「そうでもない。西日本・全国大会男子の部で二度優勝,その他もろもろの大会で好成績を上げている程度だ」あっさりと素子。
「勝てるかーー!!」
「勝て,というか勝ってくれ!」
「無茶だ…よ」
言い放ち、彼はしかし語尾を飲み込んだ。
「そうだな,私の身から出た錆だ。巻き込んで済まない」
諦めの混じった苦笑いを浮かべる彼女の頭を、景太郎は篭手をつけた右手で軽く叩き、髪をクシャっと撫でる。
「浦島?」
「…分かったよ、出来る限り頑張ってみるさ」
「…浦島」
背を向けた景太郎は、素振りを続ける青年に向かって足を踏み出した。
「始め!」素子の鋭い声が、武道館に響き渡る!
ぱこぉぉん!
「一本!」
壮絶な面が、景太郎に炸裂した。
見事だ。
見事な決まり方だ。
誰も文句を言うことの出来ない素晴らしい面の一本である。
「は、早い…」唖然と景太郎は呟く。素子の号令と同時に頭への衝撃,ど素人の景太郎に対応できるものではない。
「各々、向き合って…」
素子の言葉に我に返り、景太郎は強く竹刀を握りしめる。
向かい合う相手は…同じ防具の向こうに余裕の笑みが浮かんでいた。
ともあれ、次に一本取られたら終わりだ。
「始め!」
景太郎は先程とは異なる、横殴りの胴の一撃を感でかわすと、彼の懐に飛び込んだ。
がしぃ!
竹刀と竹刀の鍔迫り合いでお互いの顔が近づく。
「どうしてモトコちゃんが好きなんだ?」
景太郎は二つの防具の向こうにある青年に、囁くかのようにそう尋ねた。
「強いからさ」即答。
「え?」
「強い僕に釣り合いそうなのは、彼女くらいしかいないだろう?」
当然と言った風に、青年は笑って言った。最初に景太郎が青年に抱いた印象がガラリ、変わった。
「じゃ、強くなかったら?」
「あんな偏屈な子、相手にしないさ」
「な…に?!」
「性格は治していけるからね」
ぷつり
景太郎の中で何かが切れた。
「ふざけるな! お前みたいな奴に、モトコちゃんは渡せん!!」
景太郎は鍔迫り合いする竹刀を思いきり押し…押し戻された!
後ろへと、たたらを踏む景太郎,そこへ青年の面の一撃が…
ぱこぉぉん!!
「一本、それまで!」
素子の、こと試合に関しては冷静な声が飛んだ。
青年は防具を外し、髪を掻き揚げて景太郎から素子へと振り返る。
「どうしてこんな弱い奴が好きになったんだ?」
納得できない,そんな気持ちを顔一杯に表して、青年は彼女に尋ねる。
「オレの方がアイツよりも顔も良いし、それに来年には推薦で慶応も決まってるんだよ。どうしてオレよりもアイツを?」
そこまで言って、青年は素子を見つめる。
彼女は肩を小さく震わし、俯いていた。
「青山さん?」
呼びかけた彼に、バッと素子は顔を上げ…映えるは怒りの色。
いつの間にやら愛刀・止水をその片手に。
「人を好きになるのに、理由なんぞあるかぁぁ!!」
秘剣・斬鉄閃!
「「のぺらぁ!」」
『2つ』の悲鳴が武道館を切り裂き、暮れ始めた赤い空へと消え行く。
この日以降、素子の前にこの青年が現れることはなかったという。
額に冷たい物を、後頭部に柔らかい感触を受けつつ、彼は重い瞼を開いた。
揺らぐ視界に映るのは、長い髪の女の子。彼の瞳が開かれたのを確認して、ほっと安心した表情へと変わったのが分かる。
「痛むか、浦島?」穏やかな声が耳に優しい。
「モトコちゃん? あれ? アイツは??」
景太郎は上体を起こし、途端に襲う頭痛に両手で頭を抱えた。
「まだ寝ていろ」
ぽふ
引き戻され、彼は再び天井を見上げる。天井と自分の間には素子の顔があった。
額に冷たいもの,濡れタオルが当てられる。
「あれ?」
景太郎は気が付いた。
彼が頭を乗せているのは、素子の膝の上…
「あ…」
むぎゅ
「しばらくじっとしてろ」
一方的な宣告と同時に、額のタオルが景太郎の視界をも強引に塞いだ。
ざざぁ…
風が武道館を囲む木々の葉を揺らす。
葉ずれの音を子守唄に、景太郎はやがて眠りに落ちていった。
後日
「なるに見せよか? それともしのぶかな?」
「キツネさん、返してくださいぃぃ!!」
『景太郎に膝まくらをする素子の図』をいつの間にやら写真に収めたキツネが、追いすがる素子をあやしつつ、からかい続けたのは余談である。
了