アナタがワタシにくれた物



 ”まったく主殿ときたら……”
 キリュウは屋根の上で1人、考えていた。
 久しぶりに西の空は赤い夕焼けに染まっている。
 真冬な昨今、冷たい風に吹かれて屋根の上で思慮にふけるのはどうかとも思われるが、彼女には暑い寒いはあまり関係ないらしい。
 ”親父殿がせっかく送ってくれた物をゴミと言いおって。物の大切さが分かっておらぬ”
 「くしゅ」
 可愛いくしゃみを1つ。
 「しかし寒いな」
 いや、精霊といえど寒かったようだ。
 万難地天キリュウ――彼女はこの島国ニッポンの者ではない。
 海を越えた中国に伝わる、太古より存在する精霊である。
 彼女は主と認めた者に様々な試練を下す。
 その主が目的に達するために、そこへ辿りつけるだけの力を主自身に育むために試練を与えるのだ。
 そんな彼女が怒っているのは、先程この七梨家に送られてきた荷物についてだ。
 年末ということもあり、彼女の主である七梨太助宛てに中国を探検中の父親からお年玉が届いたのである。
 中身は古い仏像が7体。
 結構古いもので骨董的価値があるありがたいものだそうだが、それを彼女の主は
 「こんなのいらない!」
 の一言で物置に放り込んでしまったのだ。
 ”そもそもこの国は簡単に物が手に入りすぎるのだ。物のありがたさが分かっておらぬ”
 「くしゅ!」
 考えつつ、もう一度くしゃみ。
 ”主殿には物の大切さと、手に入れる苦労を知ってもらわなくてはいかんな。さて、何は方法はないものか”
 小さなあごに細い指を当てて、彼女は立ち上がる。
 さすがに寒さに耐え切れなくなったか、ひらりと庭に舞い降りて家の中へと戻っていく。
 さてそんな彼女が今、主と認めている人間は屋根の下で夕食前のニュース番組などを見入っていた。


 『12月28日の本日、東京の有明にて……
 TVからの女性リポーターの声をBGMに、七梨太助はキッチンで晩御飯の用意をしているシャオを眺めていた。
 ”はぁ、なんか幸せだ…”
 ほくほくと一人、何とも言えない幸せを噛みしめていたその時だ。
 「これだ!」
 「??」
 頭上からの声に太助は怪訝そうに顔を上げる。
 キリュウがTV画面をジッと見つめていた。
 「何が?」
 太助はTVの方へを視線を移す。
 そこには単にお天気コーナーがやっているだけだ、明日は雪か雹が降るらしいことを言っている。
 キリュウは太助に視線を移す。
 「主殿、試練だ」
 「何の試練??」
 キリュウから瞬時に距離をとって、太助はおっかなびっくりに問うた。
 彼女はそんな太助を見つめ、ニタリと微笑む。
 「シャオ殿の為だ、主殿」
 「シャオの?」
 「ああそうだ。主殿はシャオにお年玉をあげたいとは思わないか?」
 「お年玉?」
 太助は先程の父親からの石像を思い出したのか、一瞬嫌な顔をするが、
 「可愛らしい帽子だとか手袋だとか、買ってあげると喜ぶと思う。その為の資金作りを兼ねた試練だ」
 「やろう、いやむしろやらせてください、キリュウ様」
 嬉々として平伏する太助。
 「あら、太助様、どうしたんですか?」
 唐突に背後から問われ、太助は慌てて身を起こす。
 「いや、ぜんぜん何でもないよ、シャオ」
 ぶんぶん首を豪快に横に振る太助。
 ”いかなる時も平常心がなくてはな。次回の試練はこちらを鍛えるとするか”
 キリュウは溜息一つ。
 「では主殿。明日は朝3時に玄関前に」
 「あ、朝3時ぃぃ??」
 「まぁ、早起きさんですねぇ」
 驚きに目を見開く太助と、のほほんと微笑むシャオ。
 そんな2人に背を向けながら、キリュウは自室に戻って明日の作戦立案に入るのだった。


 翌朝。
 「一体どこに行くって言うんだ、キリュウ」
 「むしろ『逝く』かもしれないが」
 「は?」
 「いや、何でもない」
 これからやることに疑念一杯の太助を引き連れ、キリュウは当然まだ日の昇らない街の中を行く。
 やがて始発の電車に乗り、揺られること1時間ばかり。
 「主殿には買い物をしてきてもらいたい」
 「買い物ぉ?」
 電車に揺られながら、キリュウは一枚の地図の書かれた紙を太助に手渡す。
 「これは?」
 彼はそれを見つめる。
 大きな講堂の内部地図のようだった。
 「主殿にはこれから東京ビックサイトに行ってもらう」
 「東京ビックサイト??」
 ますます分からない。
 「その地図を見てほしい」
 キリュウに言われた通りに太助は手渡された紙を見る。
 地図の至るところにびっしりと四角い区切りがあり、そのいくつかが黒く塗りつぶされていた。
 「その黒く塗りつぶしてある場所に売っている書物を必ず手に入れてくるのだ」
 「書物??」
 「そう。これはいままでのどの試練よりも厳しく辛く、そして忍耐と根性の必要なものかもしれない」
 「まさか。ただの買い物…だろ?」
 太助はごくりと唾を呑んだ。
 そう、このキリュウがそんな普通の買い物を試練なんかにするわけがない。
 「必ずなんとしても買うのだぞ、主殿。時間は10時から3時までだ。しかし12時で売り切れると思ったほうが良い、どのルートを通ればすべて買うことができるのか、しっかり考えるのだ」
 「10時?」
 太助は呆れて言った。
 「今何時だと思ってるんだ? 5時には着くじゃないか」
 「いや、それでも遅いくらいだ」
 「遅いって……??」
 「それは行ってみれば分かる」
 それっきりキリュウは黙ってしまった。
 太助は仕方なしに地図を懐にしまって、そっと溜息。
 だが彼は目的地に到着する以前に気づくこととなる。


 朝の始発だというのに、目的地に近くなればなるほど人が増えてゆく。
 それも尋常の多さではない。
 乗車率200%はあるのではなかろうか?
 『次は国際展示場』
 車内アナウンスが流れる。
 そして電車は到着。
 「なぁ、キリュウ。一体東京ビックサイトで何が…うぉぉ??」
 人が流れた。
 満員だった電車からすべての人が降りていく。
 しかしここは終点ではない。
 もっとも太助にしてもここで降りる予定なのではあるが。
 人の濁流に流されるまま、彼は駅を出て遠くビックサイトが見える場所で『並んで』いた・
 「あ…おぃ、キリュウ??」
 ハッと我に返る太助。
 人ごみの中、彼はキリュウとはぐれていた。
 「そんな馬鹿な。なんでこんなことに??」
 キョロキョロと辺りを見回す。
 彼は並んでいた。
 遠く見えるビックサイト。
 そこから伸びる列に。
 ”列?”
 「ええぇぇ〜〜〜〜!!!」
 人、人、人、人……
 朝の5時だというのに、この寒空の下で何百、何千…いや何万という人間が整然と、それも文句の1つも言わずに並んでいるではないかっ!
 ”一体これは……”
 寒い。
 しかし太助は感じていた。
 ”暑い”
 気温とは異なる、全ての人々から言葉にし難い『暑い』いや『熱い』としか形容できないオーラが立ち上っていた。
 「そうか」
 太助は一人、声に漏らしてしまった。
 ”すでに試練は始まっているんだ”
 と。
 そうして彼はここで知ることとなった。
 目的の物を手に入れるために何時間も並ぶことのできる人間の精神を。
 寒くとも、暑くとも手に入れる為には何にでも耐える気持ちを。
 いかに効率よく目的の物を手に入れるために順路を決めておくかの狡猾さと他者との協力を。
 そう、12月29日の東京ビックサイト
 行われる催し物はコミックマーケット――通称コミケ。
 熱い魂をぶつけ合う、オタクの祭典である。


 「おかえりなさい、太助様」
 「ただいま…シャオ」
 フラフラな足取りで、太助は玄関を上がった。
 両手に提げた手提げ袋にはずっしりと冊子が詰まっていた。
 「太助様…大丈夫ですか?」
 「ああ、大丈夫さ」
 太助はシャオにやり遂げた男の顔で微笑みながらリビングルームへ。
 荷物を床におき、ソファに身を沈めた。
 「何を買いに行ってらしたんです」
 「本だよ」
 「へぇ」
 シャオは柔らかな微笑を浮かべつつ、手提げ袋の中から冊子を一冊。
 「買い物というか、戦いだったよ。でも俺は全力を出し切ってきたよ」
 誇らしく言う太助。
 しかし彼は気づいていない。
 冊子に目を通しているシャオの両手が小さく震えていることに。
 「太助様」
 「ん、何?」
 「命懸け…だったのですか?」
 「ああ。命懸けといって良いね、あれは」
 思い出しながら彼は答える。
 シャオが音もなく立ち上がった。
 「命懸け…ですか。私は太助様が分かりません」
 「??」
 シャオは言いながら手にした冊子を太助に突きつけた。
 「ん?」
 太助は手に取り、それを見る。
 マンガだった。
 『まもって守護月天』と呼ばれる作品の…そう、これは二次作品である。
 「なになに…」
 中身には全く目を通していなかった太助はそのページに目を通していった。
 シャオに良く似た女の子と、太助自身に良く似た少年が出ている。
 『シャオ、こんなに濡らして』
 『やだ、太助様ったら…』
 少女が少年の前であられもない姿を披露していた。
 「………」
 太助の顔色が赤く、そして青へと変わっていく。
 ページから目を放して、ゆっくりと顔を上げた。
 そこには支天輪を彼に向けて構えたシャオの姿。
 表情は無表情、そう、これは。
 ”臨戦態勢?!”
 「太助様…」
 「はいぃ!」
 地の底から湧き上がるような恨めしいシャオの声に、太助は古参兵に怒鳴られた新兵のように直立不動。
 「えっちなのはいけないと思います! 来々、北斗七星!!」
 「うぎゃーーーーー!!!!」
 シャレにならない星神たちが太助を襲う。
 「た、助けてくれぇぇ!」
 逃げ出す太助の視線に、固まって現状を見ていたキリュウが映る。
 「キ、キリュウ、何とか言ってくれ。俺は何にも知らなかったんだぞ!!」
 「主殿」
 キリュウはポン、太助の方に手を置き、
 「試練だ、耐えられよ」
 「無茶言うなーーー!!」
 「将来、浮気がばれた夫というシチュエーションもあるだろう。その時の為の試練だ」
 「死ぬわーー!」
 「エッチなのはいけないと思います!」
 「試練だ」
 「助けてくれーー!!!」
 その日、七梨家は東京ビックサイトよりも熱かったという。


 深夜。
 出雲はモニターを眺めていた。
 映し出されているのはヤフーオークション。
 「もぅ新刊が出回っていますね…おや?」
 それら同人誌の出展者の名前に、彼の知る女の子の名前があったりしたが悩んだのは一瞬。
 ”キリュウなんてハンドルネーム、結構ありますからねぇ”
 遠く、除夜の鐘が鳴っていた。

おわり


これはふぉうりんさんにお贈りしたものです。