今になっては何がきっかけかは定かではなかった。
 無理に思い出すとするならば……そう、一枚のせんべいの取り合いが発端だったんじゃないかと思う。
 ”余分に買っておけばよかったなぁ、せんべいくらい”
 太助は目の前で繰り広げられている取り返しの付かない状況を無視した――すなわち逃避した思考を発動させようとするがそれはやはり無理だった。
 守護月天、慶光日天、万難地天の三精霊同主という異常事態はこういう結果をもたらすことを、彼はある程度予測はしていたのだ。今のこの状況は考えたくなかっただけであり、起こらないであろうと楽観視していただけだった。
 今の状況―――それはシャオリン、ルーアン、キリュウの3人がお互いを睨み合い、渾身の力をぶつけ合っていた。
 拮抗した力は互いに距離をとった3人の中心で凝集し、七梨家の平和だったリビングルームの中央にはどす黒いブラックホールのようなエネルギーの球塊が渦巻いている。
 黒いエネルギーの塊がどんなものであるかなど、太助には確かめようとも思わない。
 「あ、あのー、みなさん? 落ち着いてお茶でもいかがでしょう?」
 太助は震える声で睨みあう3人に声をかけた。
 「太助様は下がっていてください!」
 「邪魔よ、たー様!」
 「主殿には引っ込んでいてもらおう」
 異口同音の言葉に、太助はしかし主として引き下がるわけにはいかない。
 「ああ、もぅ! やめろよ、3人とも! せんべいくらいすぐ買って来てやるから!」
 「そういう問題ではありません」
 「そうよ、たー様。これは精霊としてのメンツの問題よっ」
 「これは自らに対しての試練だ、主殿」
 3人の気迫に、中心に膨らんだエネルギー塊はさらに大きくなった。
 ”ま、まずい…このままじゃ”
 太助は近い未来を予想する。
 真ん中の怪しい塊は、なにやら爆発しそうな感じだ。
 七梨家が消し飛ぶくらいの威力を秘めていそうである。
 ”なんとかしないと”
 太助は周りを見回した。
 と、『それ』が目に入った。
 ”これだ!”
 太助はそれを掴み、3人の真ん中に向かって投げる。
 『それ』とは、一つ残ったおまんじゅうだった。
 「「「あ!」」」
 3人の声が重なり、
 力の拮抗上で成り立っていたエネルギー塊が弾け、強烈な衝撃が吹き荒れたのだった!


くるりん パッ♪


 まず初めに目が覚めたのは太助だった。
 リビングルームの天井には巨大な穴が開き、真上にあった太助の部屋にも大きな穴を空けて夜空を覗かせている。
 「…危ないところだった」
 いつものを通り自室でくつろいでいたらあの世に行っていたかもしれない。
 「そんなことより!」
 太助は部屋の隅に倒れているシャオを慌てて抱き起こした。
 「シャオ、大丈夫か、シャオ!」
 「う……」
 うっすらと目を開けたシャオは、
 「たー様♪」
 太助の首筋にしがみついた。
 「シャ、シャオ?!」
 しがみついてくる柔らかな感触に太助の思考が止まる。
 「主殿、役得だな」
 「太助様……その人は?!」
 背後からかけられた声に太助は我に返った。
 ルーアンとキリュウだ。
 「いや、違うん…あ、あれ?」
 太助はなんとなく2人の言葉に違和感を感じた。
 そしてこちらを見るキリュウが目を見開いて、太助にしがみつくシャオを見つめていることにさらに違和感を強くする。
 太助はぎゅっとしがみついているシャオにこう、声をかけた。
 「シャオ?」
 「はい?」
 答えは背後のキリュウから。
 慌てて太助はキリュウに振り返って問う。
 「キリュウ、だよな?」
 「私はこちらだぞ、主殿」
 答えたのはキリュウの隣に立っていたルーアン。
 ルーアンは小さく首をかしげ、隣のキリュウを見て、
 「????」
 さらに大きく首をかしげた。
 太助はつばを飲み込み、最後にシャオに向かってこう言葉を放った。
 「ルーアン?」
 「なぁに、たー様?」
 にっこりとシャオはそう答えたのだった。


 「つまりはこういうことね」
 羽林軍に家を修理させながら、シャオはソファに腰掛けて足を組んで言う。
 「アタシはシャオに、シャオはキリュウの体に、キリュウはアタシの体に入ってしまっているのね」
 「そんなことがありうるのでしょうか?」
 唖然と呟くのはキリュウの中のシャオ。
 「我々の拮抗した力が暴走して、こういった事態になってしまったのではないだろうか?」
 冷静に分析するのはルーアンの中のキリュウだ。
 「で、どうやって元に戻るんだ?」
 太助の質問に3人は無言。
 「でもまぁ」
 シャオの中のルーアン(今後シャオるー)は沈黙を打ち破って、無理にであろう明るい声で立ち上がった。
 「そのうち戻るでしょ。中身が変わってもアタシは星神が使えるし、アンタらもそれぞれ能力は使えるんだから。戻るまで周りにはバレないように気をつけること、いいわね」
 「分かりました」
 しぶしぶと言った感じでキリュウの中のシャオ(以後キリュしゃお)。
 「致し方ない。シャオ殿、主殿への試練はしっかり頼むぞ」
 キリュしゃおに、そう念を押すのはルーアンの中のキリュウだ(以後ルーきりゅ)。
 「ややこしいなぁ」
 眉間にしわを寄せる太助だが、彼に襲い掛かる試練はそんな生易しいものではないことを、今の彼は知らない。


 翌朝。
 「さ、太助様。早くしないと遅刻しちゃいますよ」
 太助はシャオに手を取られて2人、家を飛び出した。
 いつもの通学路、手を握ったシャオは自然な動きで太助に腕を絡めていた。
 「シャ、シャオ?」
 「はい?」
 腕から伝わる彼女の大きいとはいえないが柔らかく暖かな感触と、彼を見上げる満面の笑みに太助は思わず頬を赤く染める。
 「い、いや、えっと…ぐふっ!」
 突如彼を襲うのは頭部の衝撃。
 目から火花が飛び、思わず傍らのシャオを塀に押し付ける格好になってしまう。
 「まぁ、太助さまったら、朝からだ・い・た・ん♪」
 頬を赤く染めてシャオ。
 太助は全てを思い出した。頭を襲った植木鉢の一撃と、シャオのありえないセリフと行動とに。
 太助に腕を絡めるのはシャオの体を持ったルーアン。
 そして太助におそらくは試練であろう、植木鉢を落としたのはキリュウの姿をしたシャオなのだ。
 「シャオ、じゃない、キリュウ。これは一歩間違えたら死ぬよ」
 太助は頭上の植木鉢(チューリップ一輪挿し)を地面において頭上を見上げる。
 電信柱の先端に彼女はいた。
 キリュしゃおは何となく起こっているようにも見える。
 「試練ですもの」
 そっけなく言うキリュしゃお。
 そんな彼女にシャオるーは眉尻を上げて抗議する。
 「キリュウ、そもそもアンタ、朝は弱くていつもこの時間は寝てるはずでしょ…あああ!」
 シャオるーは途中で叫び、七梨家を見た。
 いうまでもなくルーきりゅが家を出た形跡などない。
 「今日は朝から職員会議があるのにーーーー! あのバカーーー!!」
 慌てて家に駆け戻るシャオるー。
 その後姿を眺めつつ、太助は今後に抱く不安をさらに大きいものにしたのだった。


 ぼうっとした目で、教壇に立つルーきりゅは教科書を開く。
 「ではP87からを……遠藤殿、読んでもらえるか」
 「は、はい!」
 ルーきりゅに当てられた遠藤は指定されたページの教科書を開き、読む。
 クラス一同、異変に気付いていた。
 ルーアンの様子がおかしいことに。
 そう、普段のルーアンとは違うのだ。
 どう違うかと言えば……
 ””ちゃんとした授業になってる……””
 声には出さないものの、全員が全員そう思っていた。
 「な、なぁ、七梨」
 「ん? なんだ山野辺?」
 小声で声をかけられ、太助は隣の席の彼女に振り返る。
 「ルーアン先生、なんかおかしくねぇか?」
 「そ、そうか?」
 「いつもなら『たー様がローマ帝国を滅ぼして世界を統一したー』とか『素因数分解の結果に出てくる解はたー様』とか、無茶苦茶なのによ。今日に限ってどうして普通の授業なんだ?」
 「は、ははは」
 太助は笑ってごまかした。
 山野辺のさらに隣に座るシャオるーにも聞こえたのか、憮然とした表情だ。
 「いつもこうならいいのにな…ってシャオ、なんでシャーペンでつっつくんだよ?!」
 そんな2人を眺めながらルーきりゅに視線を戻す太助。
 「これはこれで気疲れするけどなぁ」


 お昼休み。
 「たー様、じゃなかった、太助様、お昼にしましょう♪」
 「わわっ」
 チャイムが鳴り次第、太助に抱きつくシャオるー。
 「シャオちゃん、一体何が?!」
 「シャオ、どうしたんだよ?」
 たかしと山野辺はぎょっとした目で2人を見る。
 「なぁに? いつものことでしょ?」
 言って、シャオるーはますます太助に強くしがみつく。
 ”あああああ……これはルーアンだっ、でも体はシャオなわけで…俺は、俺は一体どうしたら良いんだーー?!”
 柔らかな感触に男としての本能と理性がせめぎ合う太助。
 それを打ち破ったのは、
 ごす!
 「げふ!」
 突如、シャオるーの持つ箸が巨大化、太助のあごにクリーンヒット。
 「試練です。試練なんです」
 いつの間にか太助とシャオるーの後ろには憮然とした顔のキリュしゃおが仁王立ちしている。
 「お昼ごはんくらいゆっくり食べさせなさいよ、キリュウ!」
 シャオるーはくってかかる。その様子にもたかしと山野辺は驚きの色を隠せない。
 「なんだかルーアン先生みたいだな、今日のシャオ」
 「太助に弱みを握られたとか?!」
 各々そう推測を言い合う始末。
 そこへ、
 「七梨せんぱーい、お昼一緒にたべましょー♪」
 「げ、花織ちゃん?!」
 飛び込んできた彼女の前に、しかし突如巨大化した机が阻む。
 「ぶ!」
 ごす
 走る勢いの止まらなかった彼女はそのまま衝突、ずるずると床に倒れ伏す。
 「「………」」
 キリュウを見つめる一同。
 「ち、違うんです…これは…これは試練なんですーーーー!!」
 教室を飛び出すキリュしゃお。
 「ま、待って、シャオ,じゃなかったキリュウ!」
 追いかけて同じく教室を飛び出した太助。その後を
 「たー様ぁ、待ってー」
 追いかけるシャオるー。
 「「えーっと」」
 残されたたかしと山野辺は、床で目を回して倒れる花織を呆然と見つめるしかなかった。


 「はぁ」
 校舎の屋上。
 ルーきりゅはパック入りのコーヒー牛乳を飲みつつ、眠そうな目で眼下に広がる町並みを見つめていた。
 屋上は生徒の立ち入りを禁止しているので彼女以外はいない。
 「ルーアン殿、普段からしっかり仕事はしていただきたいものだ」
 職員室の机の上に山のように詰まれた書類を思い出し、ルーきりゅは僅かに身を震わせた。
 朝から陰気な教頭にぐちぐちとお説教を聞かされたうえに、今日中にたまっていた仕事を終わらせろと言われたのだ。
 「そもそもこれは私の仕事ではないぞ」
 ずずず
 パックの中身を飲み干したルーきりゅ。
 ふつふつと沸いた静かな怒りにパックをぎゅっと握りつぶした。
 がしゃ!
 背後の扉が開く音になんとなく振り返る。
 「……私か?」
 屋上への扉を開いて走ってきたのはキリュしゃおだ。
 その後を追ってきたのだろう、太助とシャオるーも遅れてやってきた。
 ルーきりゅは一言文句を言ってやろうと3人に歩み寄る。
 「待ってくれ、シャオ!」
 「なぁに、たー様」
 「こっちのシャオじゃなくて! キリュウの方だよ」
 「何かな、主殿?」
 「うぉ?! なんでこんなところにルーアンが…じゃなかったキリュウか」
 「試練なんです、試練なんですぅ!」
 「ルーアン殿、そなた普段からやるべき仕事はしっかりと…」
 「たー様ぁ、いつものとおりにしましょうよ」
 「くっつくなっての、ルーアン!」
 「普段は私、そんなことしてません!」
 「聞いているのか、ルーアン殿!」
 「ああ、もぅ訳が分からん!!」
 「なぁに、文句あるわけ? シャオリン?」
 「仕事はしっかりやれと言っているのだ!」
 「ややこしいので引っ込んでいてください、ルーアンさん! じゃなかったキリュウさん」
 「そなたこそ引っ込んでいてもらえないか、私の中のシャオ…殿だったか?」
 「あたしとたー様2人きりにしなさいよー」
 「どさくさに紛れて何言ってるんだ、ルーアン?!」
 「そうですよ、何言ってるんです、ルーアンさん」
 「ともかく何故私が代わりに残業なぞ!」
 「うー」
 「むー」
 「がぅー」
 睨みあう三精霊。
 お互いに距離をとり、警戒しあう。
 そう、これはまるで
 ”昨日と同じ……”
 身の危険を感じた太助は慌てて階下への階段に飛び込んだ!
 直後
 昨夜と同じ爆発が校舎の屋上で炸裂したのだった。


 太助はうつ伏せに倒れたシャオ(と思われる)を抱き起こしてその柔らかい頬を軽く叩いた。
 「ん…」
 「シャオ、大丈夫か??」
 うっすらと目を覚ましたシャオの瞳に太助の心配そうな顔が映る。
 「試練の時間か? 主殿」
 そう発したシャオの言葉に、太助は気が遠くなるのを感じたのだった。

おわり