「あら、鈴ちゃん。どうしたんですの?」
旗艦である星船の中、音無 麗は肩の力を落として歩く鈴の姿を見つけてそう声をかけた。
振り返る鈴は目を赤く腫らせ、額には大きなバンソーコーがぺたりと一枚。
「麗ちゃ〜ん!」
鈴は泣きながら麗に向かって駆け出し、
ズルッ
何故か足が滑って
ごしゃ
「ぶ!」
何かが潰れる音を立てて、顔から堅いリノリウムの廊下に盛大に転んだ。
「り、りんちゃ…ん。生きてます?」
廊下にキスしたまま動かない鈴の後ろ頭をつんつんと突きながら、麗は恐る恐る尋ねる。
「あぅー」
小さな鼻を赤く腫らせて、鈴は涙ながらにそう唸ったのだった。
MODチップ
「子猫を助けようとして車にはねられて、迷子を助けるつもりが自分が迷子になったんですか」
「ぞーなの」
麗の個室で、鼻にティッシュを詰めた鈴はコクリと頷いて肯定する。
薄いブルーに統一された小奇麗な部屋。2人は湯気の立てる紅茶をすすっていた。
「鈴ちゃんらしいですわ」
小さく笑う麗に鈴はプゥっと頬を膨らませた。
「一生懸命やってるんだけど、どうしてこんなに失敗ばっかりなんだろう」
がっくりと肩の力を落とした鈴に、麗はしばし考えて、
「あ、そうですわ」
部屋の隅の鏡台へと進み、その棚から何かを取り出して鈴に手渡した。
「? 麗ちゃん?」
「それを装着すれば、失敗はきっとなくなりますわよ」
「これって…」
鈴は手渡された手のひらに乗るそれを、まじまじと見つめる。
上から下から、右から左から。
それはどこをどう見ても…
「シリコン入りブラ?」
「はい、そうですわ」
ニッコリ微笑んで肯定した麗に、鈴は絶句した。
シリコン入りブラ――それは胸の大きさに悩む女性が胸に装着し、ボリュームを大きくすることができるフェイクアイテムである。
鈴はシリコン入りブラを見つめ、想像する。
胸の大きくなった自分を……と、
「麗ちゃん! ぜーんぜん関係ないじゃない、コレ!」
ずびし! と突き返す鈴。
そんな鈴にニヤリと麗は笑みを浮かべる。
「もしかして『ただのシリコン入りブラ』だと思ってますの?」
「違うの?」
チッチッと麗は人差し指を左右に振ると、鈴の後ろに回りこんでそのブラを服の上から鈴の胸に押し当てる。
「これはね、鈴ちゃん。左右それぞれにMODチップが搭載されているの」
「MODチップ?」
「そう。もっともっとオーバークロックをダメもとでチップです」
「……ダメもと?」
「そう、ダメもと」
「ダメもとかぁ」
「試す価値はあると思いますわ。テイルメッサー監察官から頂いたものですから」
「……監察官って変だね」
「今さらですわ」
その頃。
「ぶはっくしょん!」
テイルッサー鈴木は一人、新聞を眺めながらくしゃみをしていた。
翌朝。
鈴は鏡を前に、手にした麗からのシリコン&MODチップ入りブラを見つめながら小一時間悩んでいた。
「よし!」
結論が出たのか、鈴はパジャマを脱ぐとふくらみの片鱗すら見えない薄い胸にブラを装着。
一瞬、シリコンのひんやりとした触感が胸に走る。
「うわ」
鈴は思わず驚きと恥ずかしさに口を隠してしまう。
鏡に映る鈴は歳と身長に合わない、アンバランスな大きめな胸があった。
ちょっと大人びいているようにも見える。
「むしろ背伸びしているような感じかなぁ」
鈴は素直に感想を口にする。
しかしこの時、すでにMODチップは鈴のパフォーマンスに影響を与えていたのだった。
「なぁ、麗ちゃん」
「なんですの、蘭ちゃん?」
「鈴ちゃん、なんだかおかしくない?」
「むしろ調子が良いように見えますわ」
「うん、そうなんだけどさ」
麗と蘭はバリバリと書類を片付けていく鈴の後姿を眺めていた。
「話によると、今日は星船を観測した某国防省にデータ抹消しに行ったんだよね」
「ええ。それと某大陸国家の神舟の観測したデータも抹消しに行ったらしいですわ」
「一人でか?」
「はい。恐ろしいまでの処理速度ですわね」
今日の鈴は傍目から見ても、明らかに違っていた。
まったくドジのかけらもなしに任務を黙々と、それも正確かつ迅速に完了しているのだ。
かつ、
「あと胸がいつの間に大きくなったんだろう?」
「さぁ」
とぼける麗。
その時だ!
『警報警報! バーサーカー機が21機地球を目指して接近中。戦闘機は各員配置につき、迎撃用意!』
「麗ちゃん!」
「蘭ちゃん!」
顔を合わせる2人。
そこに、
「行くわよ、麗ちゃん、蘭ちゃん!」
「「は?!」」
鈴が立ち上がり、ドックへ向かって駆け出していた。
「鈴ちゃんは諜報型でしょ! 出撃なんて、何を考えてるの?!」
「大丈夫よ、蘭ちゃん。今日の私は違うから」
言うやいなや、鈴の背中から機械の翼が生まれた。
「形質変換!?」
麗は驚きに立ち止まる。
「朝倉 鈴、いきまーす!」
「ま、待ってってば、鈴ちゃん!!」
蘭の言葉を背に、鈴は敵の迫り来る宇宙へと飛び出した。
慌てて蘭は追いかけるが、その小さな背に追いつくことができない。
「嘘っ! 秒速20kmを越えてる!?」
「そんなっ?!」
後を追う蘭の言葉に、彼女に追いついた麗は唖然と小さくなる鈴を眺めて呟く。
「これがMODチップの力…案外使えるかもしれませんね」
「何か言った?」
「いいえ、なにも」
「しっかし一体何が鈴ちゃんに起こったんだろう?」
「あ、鈴ちゃんがバーサーカー機団に接触しましたわ」
蘭よりも遠距離の状況確認のできる目を持つ麗は、その目を細めて言った。
「い、急ごう、麗ちゃん!」
しかし麗は静かに首を横に振る。
「どういうこと?!」
「鈴ちゃんが……圧倒的な火力で全機撃墜しましたわ」
「そんなバカなぁぁぁ!!!」
半ば恐怖を含んだ蘭の叫びが、無音の宇宙に木霊したのだった。
その夜。
「でね、超電磁ヨーヨーでズビシっとやっつけたのー」
3人は並んで旗艦の廊下を歩いていた。
「一体何がどうしたったいうの、鈴ちゃん?」
「えへへー、秘密だよっ」
ウィンク一つ,スキップして一歩前に出る鈴。
「それじゃ、おやすみー。麗ちゃん、蘭ちゃん♪」
上機嫌で自室に帰る彼女に、
「おやすみ、鈴ちゃん」
蘭は訝しげな視線を、
「おやすみなさい、鈴ちゃん」
麗は満足げな表情を浮かべていた。
翌朝―――
鈴は目を覚ました。
良い朝だ。
とは言ってもここは宇宙。あくまで船内で作り出された朝だ。
鈴はいつものように元気良く起き上がり………
ぐき
「あぅ!」
動けなかった。
いや、動かなかったのだ。
まるで体中の骨が砕けてしまったように動けない。
そう、これは
「き、きんにくつう??」
身動き一つできない鈴は涙ながらに麗と蘭に通信で助けを求める。
”たすけてー、麗ちゃん、蘭ちゃーん!”
”たすけてー、麗ちゃん、蘭ちゃーん!”
頭に響いてきた通信を聞きつつ、彼女は言葉を続ける。
「やはりMODチップは使用者に多大な負荷を与えるようですわ」
監察官テイルメッサーに、音無 麗はその報告書を提出していた。
それに一通り目を通したテイルメッサーは溜息一つ。
「今回はスズキのPASSにF1のエンジンを積み替えたようなものだな」
「面白い例えですわね。でも不謹慎ですわよ」
「そうかね、しかし君の方がひどいことをしているようにも思えるが」
「そうでしょうか?」
ニッコリと天使の笑みのまま迫る麗。
「い、いや…全く以って友達想いだな」
「そうでしょうそうでしょう、ホホホホ」
「は、ははははは」
乾いた虚ろな笑いが監察官室に響いたのだった。
おわり