「離珠はいいなぁ」
 「??」
 夜、蒲団の上で。
 七梨家の、そこは今はシャオの自室となっている部屋でのこと。
 首を傾げる離珠に、寝巻き姿のシャオはこう続けた。
 「いつも太助様と一緒にいられて」
 伝心の力を持つ離珠は、主と守護月天との間の意思疎通の手段として常に主の傍にある。
 ”シャオしゃま??”
 「今日も朝と、学校からの帰りと、夜のご挨拶しかできなかったの」
 ぼそりと呟く寂しげなシャオに、離珠もまたまるで彼女の鏡のように寂しそうに呟いた。
 ”シャオしゃま……”
 「私が離珠だったらなぁ…」
 ”シャオしゃまと代わってあげられたらいいのに…”
 そんな想いを抱きながら、守護月天と伝心の星神の夜は更けていく。


いいなぁ


 軒先からスズメの遊ぶ声が聞こえてくる。
 シャオの朝は七梨家で一番早い。
 それは主に暖かい朝食を用意するためであり……。
 ”……っん”
 自然と目を覚ますシャオの、その日一番の視界に飛び込んできたのはいつも見ている木目の天井だったのだが。
 ”…天井が遠い?”
 そして彼女の脇には何か大きなものが横たわっている。
 それは彼女の着慣れた寝巻きの……。
 シャオは立ち上がり、それを見上げた。
 ”あらあら、離珠。いつの間にそんなに大きく育っちゃったの??”
 シャオの傍らで眠ったいたのは離珠である。
 それもシャオの何倍もの大きさのある、巨大離珠だ。
 「…んっ?」
 シャオの思念に応じて離珠もまた目を覚ました。
 「シャオしゃま??」
 ”キリュウさんのいたずらかしらね?”
 「シャオしゃま、どうして小さくなってるでしか?」
 眠たげに目をこすりながら問う巨大離珠。
 ”あ、離珠。あなたしゃべれるようになったの??”
 「へ?」
 小さく首を傾げ、離珠は「あー」とか「うー」とか言いながら辺りを見回した。
 つられるようにしてシャオもまた自室を見回す。
 巨大な鏡台、巨大な机。巨大な蒲団にビックサイズな学校の制服が見える。
 それらが導き出すのは―――
 ”全部が大きくなってますね、キリュウさんのいたずらもほどほどにしてもらわないと”
 「全部が小さくなってるでしーー?!?!」
 まるで正反対の意見がぶつかり合って、守護月天と伝心の星神はサイズの違う視線を合わせて、
 「「え??」」
 再び周りを見渡したのだった。

 
 部屋の鏡台には制服姿のシャオと、肩に乗る離珠が映っている。
 しかし顔を見合わせる2人には互いが入れ替わって映っている。
 すなわち、制服姿の巨大な離珠の肩に、伝心の星神の姿をしたシャオの姿、としてだ。
 外見はそのままだけれども、当人同士にだけ本来の姿が見えるようだ。
 これでは太助や他の精霊に相談しようとしても、まるっきり信じてもらえないだろう。
 もっとも主に余計な心配はかけたくないし、他の精霊に対しても同じだった。
 「どうしてこんなことになったでしか?」
 ”……どうしてかなぁ”
 ほとほと困った顔で2人。
 ”南極寿星に聞いてみましょうか”
 「一昨日から持病のリウマチで寝込んでいるでしよ?」
 ”あらまぁ、大変”
 むしろ今の2人の方が大変ではあるが。
 「その前に支天輪から星神を呼び出せるかどうかが」
 ”やってみましょう”
 離珠サイズのシャオは彼女の肩から飛び降り、鏡台の上に置かれた支天輪に手をかける。
 大きい。
 彼女と同じくらいのサイズだ。当然、
 ”お、重い…”
 持ち上げようとしてもびくともしなかった。
 「離珠がやってみるでし」
 ”お願いね、離珠”
 伝心の星神は支天輪を手に、いつも主がやっているように構えて、
 「来々、虎噴しゃん!」
 星神召喚。
 しかし何も起こらなかった。
 ”だめね”
 「だめでしね」
 ちりりりり……
 目覚ましが、鳴る。
 そろそろ皆が起き出す時間だ。
 ”仕方ありません、ひとまずいつも通りにいきましょう”
 「はいでし」
 2人は部屋を出て、今はまだ無人のリビングルームへを向かっていった。

 
 「おはよう、シャオ」
 ”おはようございます、太助様”
 「おはようでし、太助しゃま」
 「……でし? しゃま??」
 眠そうな顔に??マークを浮かべて、太助。
 慌てて自ら口を覆うシャオ(離珠)はごまかすように彼のついたテーブルの前に一枚の皿を置いた。
 「今日はスクランブルエッグかぁ」
 コクコク頷くのはシャオと離珠の2人。本当は目玉焼きだったのだが、慣れない離珠は上手く卵が割れなかったために形に問題のないスクランブルエッグとなったのだ。
 他にテーブルの上には市販のグレープフルーツジュースと、トースターと食パンが置かれている。
 どれも料理の腕を問わないものばかり。
 朝はとりあえず誤魔化せそうだ。
 やがてルーアン、キリュウも半分眠った顔で現れる。そのころには太助もシャオも家を出る用意ができており、
 「じゃ、行ってきます」
 ”行ってきます”
 「行ってくるでし」
 「「でし??」」
 ツッコミを無視しつつ、シャオ(離珠)は太助の腕を掴んで慌てて家を出たのだった。

 
 ”離珠、あんまりしゃべっちゃダメよ”
 「分かったでし」
 シャオは肩に乗った離珠(中身は逆)に小さな声で答える、が。
 「あのさ、シャオ?」
 「なんでしか?」
 「でし?」
 「あ、しまったでし…ぐむぅ」
 肩の離珠が慌ててシャオの口をふさぎ、そして足場がなく落ちる。
 「っと! なに、やってるんだよ、離珠??」
 慌てて途中で受け止めた太助は、人差し指で軽く彼女の額を小突き、自らの肩に乗せた。
 ”あー、びっくりした”
 太助の肩でほっと息をつく離珠なシャオ。
 ふと視線を上げれば、いつもよりほんの僅かに高い視線だ。
 その視線のまま、僅かに後ろを行くシャオな離珠に目を向ける。
 「?」
 小さく首を傾げる彼女自身。
 ”そっか。太助様からは私ってこう見えてるんだ”
 それが良いのか悪いのか。
 太助のことがいつもよりも少し分かったような気がして、嬉しい気持ちになる離珠なシャオだった。


 結局、シャオと離珠は元に戻ることが出来ないまま、なし崩し的に学校まで来てしまった訳で。
 ”離珠、お願いしますね”
 ”ま、まかせてでしっ!”
 かなり心配かつ具体的にはどうするか指示のないお願いを投げつける上司と、根拠のない自信に満ちた部下の姿がここにあった。
 そんな心の会話がやり取りされる朝の教室。
 「なぁ、シャオ?」
 「?」
 カバンを机に置いたシャオ(中は離珠)に、太助は尋ねる。
 「どこか調子が悪いのか?」
 「よっ、シャオ。おはよ♪」
 ぶんぶん
 無言のまま、しかし思い切り首を横に振るシャオ。とてつもなく元気そうだ。
 が。
 「ぶはっ!」
 長い髪が後ろから駆けてきた山野辺の顔面にジャストヒット!
 「!?!?」
 「あ、いや、だいじょぶだいじょぶ」
 あたふたと慌てるシャオに、山野辺は苦笑い。
 キーンコーンカーンコーン♪
 朝のHRの始まりを示すチャイムが鳴り響き、
 ガラリ
 「おっはよー♪」
 教室の扉の向こうから担任であるルーアンが登場。
 その姿を見て太助もまた席につく。
 そして肩に乗った離珠(中身はシャオ)に
 「なぁ、離珠」
 「?」
 「なんか今日のシャオ、変じゃないか?」
 ぶんぶん
 こちらも元気良く首を横に振ったのだった。


 離珠は心配そうに後ろの席に座るシャオを振り返る。
 ぎこちなくシャーペンを手に、ノートと教科書を開くシャオの姿があった。
 どことなく楽しそうに見えるのは彼女の気のせいだろうか??
 ”離珠、大丈夫ですか?”
 ”無問題でし!”
 心話での問いかけに、彼女はウィンクも合わせて応答する。
 『困ったなぁ、どうしたら元に戻れるんだろう……』
 小さな彼女は小さなため息。
 「ん? 離珠。何かあったのか?」
 授業中だからだろう、太助が目だけを彼女に小声で問い掛けてくる。
 彼の肩に乗った離珠は小さく首を振って彼に微笑みかけた。
 太助は「そか」と小さく頷くと、授業に戻る。
 離珠となったシャオは、改めて己の体を見返した。
 小さな小さな星神の体だ。とても主である太助を守れる姿ではない。
 『でもでもっ!』
 彼女は――シャオは思い至る。
 『この姿なら、いつでも一緒にいられますね、太助様♪』
 小さな達成感を、彼女は小さな胸に得た。
 守護月天は常に主を守るために傍にいなくてはいけない。
 そう、思っていた。だから今までそうしてきた。
 そうしていても、主を必ず守りきることは難しい。
 けれど、この世界では主の傍にいることすらも難しかった。
 当たり前と思っていたことなのに、難しいなんて。
 彼女は上を見上げる。
 そこには太助の顔がある。
 常に触れる場所に彼がいる。
 『なんでこんなことが、難しかったんだろう?』
 今までの主と同じことをすれば良いだけなのに。
 『どうして太助様だと、何かが違うんだろう??』
 彼の顔を見上げながら小さな彼女は、その自問の答えに気付かない。


 授業の合間の休み時間。
 授業中。
 そしてお昼休み。
 男女別の体育の授業を経て、下校。
 離珠は太助の肩で、頭上で、ポケットの中で、彼とともにいた。
 そして気付く。
 いつもの自分が行っていることと同じことを、太助もまたしていることに。
 『太助様、私のことを見てる?』
 例えば休み時間、たかしや乎一郎と話している合間に。
 体育の授業中、隣のグラウンドから。
 お昼休み、山野辺とともに出雲の売店へ買出しに行くときも。
 そして今。
 前を行くのはシャオを中心に山野辺とたかし、出雲。
 そのすぐ後ろを太助にまとわりつくように花織とルーアン、そして乎一郎。
 気にするような太助の視線を、シャオは気付かない。
 妙に出雲と親しげだった。
 『離珠っ、ああ、もぅ!』
 太助の視線は、シャオが常に彼を見る視線と似ていた。
 だから。
 『こんなに傍にいるのに……』
 太助は花織から昨晩の歌番組の感想を延々と聞かされつつ、適度な答えを返している。
 前を行くシャオは、出雲のお菓子の話に楽しそうに耳を傾けている。
 『…どうしてこんなにも遠く感じるんだろう?』
 小さな彼女は、彼の肩の上で思う。
 強く強く、思う。
 『もしも私が私なら、もっと太助様の近くにいられるのに』
 と。
 ”離珠が羨ましい……”
 ”シャオしゃま??”


 っは!
 右手にカバンの重さを感じた。
 「あら??」
 「どうかしましたか、シャオさん?」
 出雲の声がすぐ左手から。
 「戻ってる……」
 シャオは足を止め、自身の両手を見つめる。
 後ろを振り返る。
 太助と目が合った。
 彼の肩には、同様に首を傾げている離珠の姿。
 「戻れたんだ」
 「? どうしたの、シャオ?」
 問う彼に、
 「あの、太助様?」
 シャオは彼に向かって駆けだし、
 「ん? え!?」
 空いた左手で彼の右手を掴んで人の和から抜け出した。
 「晩御飯のお買い物、お手伝いお願いします」
 「あ、こら、シャオリン!!」
 ルーアンの怒鳴り声が背後から。
 シャオに引っ張られるようにして駆け出した太助は、やがてその表情に笑みを浮かべ、
 「あぁ、どんどん荷物持つよ」
 「よろしくお願いします」
 いつしか2人、手をつないで並んで走っていったのだった。

おわり