愚か者達の狂想曲



 晴れた昼下がりのことであった。
 街道に面した街からやや離れた場所に、森に囲まれた広大な美しい湖が広がっている。その湖を一望できるやや高めの湖岸に五つの人影があった。
 「しっかりとお勤めを果たすのだぞ」
 「…」白い髭を豊富にその顎に蓄えた老人の言葉に若い女性は頷く。それを合図に二人を遠巻きにしていた三人の青年が女性に猿ぐつわを噛ませ、すでに地中深く打ちつけられている杭に彼女を縛りつけた。
 「神よ、怒りを鎮めたまえ…」老身と青年達は湖に向かってそう祈りを捧げると、振り返らず駆け足で再び森の中へと姿を消していく。
 ひとり残された娘は日の光を受けてキラキラと光る湖面をただ、悲しげに見つめているしかなかった。



 森,そこは人間が生活するには厳しい自然の規則が成り立っている。だからか、滅多に人間が森で生活を営むということはない。その為に森には、人目に付いたことのない動物や魔獣,妖精や亜人などの生物が息づいているという。
 一般に大森林と言われ、旅行く商人ですら迂回するそこに三つの賑やかな影がある。昼下がりの木漏れ日を受けた三つの影にはそれぞれ疲労の影が映っていた。
 「ふぅ、どうしたものかしら…」
 「どうしたものかしらだとぉ〜」
 「はっはっは〜」乾いた笑いをあげる中年男に、大剣を背負い板金の鎧に身を包んだ黒髪の青年は怒りの視線を向ける。
 しかしすぐにそれを、隣を行く深紅のトンガリ帽子をかぶった,どこかしら変わった娘に戻した。
 「エルフのくせに森で迷うたぁ、どういう了見だ? きっちりと説明してもらおうか?」青年は娘に詰め寄る。しかし青年の怒りの視線を、娘は平然を受け流すどころか突き返してくる。
 「ほっほ〜、どこのどいつがエルフなら森で迷わないって言ったのよ!そもそも近道したいって言ったのはあんたでしょ! 私の後を金魚の糞みたいにくっついてくるだけの分際で、偉そうなこと言わないでくれる?」
 「ぬわんだとぉ〜!」青年が怒りに腰の長剣の柄に手を掛けたときである。
 それを咎めるためか、はたまた自分の存在を忘れてもらっては困る為か,中年男が青年にスライディングタックルをかけた。
 「ぶべ!」
 「シレーン,強い水の匂いがします。三日ぶりの水分にたどり着けそうですよ」地面にしたたか額を打ち付けた青年を無視して、中年男はシレーンと呼んだ娘に嬉しそうに告げる。
 「本当! 早くそこに行きましょ!」
 「ま、待て…おまいら…」早足で行く二人を追い、額を押さえて若者はよろめきながら付いて行った。



 三人の視界が急に開け、風に揺らめく真っ青で広大な水面が現れた。
 「水よ!」飛び込む娘,シレーンに続き、青年も水面に飛び込む。
 「あ、サウル,この湖はいきなり…」中年男が咎める。
 「がぼごべが…」サウルと呼ばれた青年は、その鎧と剣の重みに沈んだ。
 「深いですよ。でもそんなに喉が乾いていたんですか? 不便ですね,人間というのは」両手で水をすくい、泡立つ湖面を眺めながら中年男はしみじみと呟いた。
 数分後,
 「たっぷりと三日ぶりの水を堪能したぜ…うぇ」中年男のおこした焚き火にあたりながら、サウルは肩で意気を切らして呟く。彼のまわりには水に濡れた板金の鎧と大剣,長剣が無造作に投げ捨てられていた。
 「ここはリーフィエラ湖って言われてる場所よ。近くに小さいけど街があるわ、寄って行きましょうか?」シレーンが帽子と薄い緑色のマントを木に掛けて乾かしながら二人に尋ねる。
 彼女の長い銀色の髪の間からは人間のものではない,長い耳が見て取れた。今や数少なくなったエルフ族であることを示している。
 「グレイム,西の都まではあとどれくらいだ?」サウルはタオルで髪を乾かしながら中年男に尋ねた。グレイムという中年は身に纏う紺色のマントの胸元を開けて、地図と眼鏡を取り出してまじまじと見つめる。
 「頑張れば今日の夜半にたどり着けますね。ここまで無意味ながらも無休で来たからには最後まで通したいとも思いますが」彫りの深い顔に白いものが混じった長い髭を震わせて、グレイムは提案した。
 彼の容貌は旅人や冒険者といったものには見えない,品の良さそうな、ただのおじさんである。歳の頃は五十代前半,白髪混じりの七三に分けた髪に顎髭,マントの下には質の良いマントと同色である紺の服を纏っている。
 それに対してサウルはどこをどう見ても戦士であった。使い慣れて銀色に光る板金の鎧にそれと対になる長剣,そして並みの筋力では振り回せない大剣を背負っている。
 歳は二十代前半,容貌は無精髭を生やし髪もぼさぼさではあるが、身だしなみを整えて街中を歩けば、様々なトラブルに巻き込まれることをグレイムとシレーンは嫌と言う程知っている。
 そしてエルフであるシレーンはエルフでなくとも目立っていた。マントと同系色であるローブを着ているが、30cmはある深紅の帽子が彼女の耳と容貌を隠すどころか周囲から変わり者を見る視線を向けられている。
 彼女の容貌は人間から見れば美女の域には達するではあろうが、一人の人間が老衰して死ぬのを少なくとも三回は見ることができる程のババアであるとサウルによくからかわれているという。
 「ふむ、ここまで本当に無意味に根つめてきたからなぁ。シレーン,近くにあるっていう街には何か名物でもあるのか?」板金の鎧をタオルで拭きながらサウルは、髪に櫛を入れるエルフに尋ねる。
 「無いわ,でも、この湖には人間達の言うところの湖の主がいるって噂があるわ。何でも昔はその主が街を襲っていたそうよ,あ、枝毛」
 「ほぅ,で、どっかの誰かがその主とやらをぶちのめして今では町外れかなんかにそいつの石像なんかが立ってるって訳か。おまけにおみやげかなんかに勇者せんべいなんてもんがありそうだな」
 「私はまんじゅうの方が好きですが」グレイムの額に拳大の石が飛ぶ。
 「ええい、そこまで話を作るな! 結局、湖の主に毎年生け贄を出すことで怒りを沈めたそうよ。今ではもう主とやらは寿命がきていないけどね」
 「ふ〜ん、大変だったんだな,しかしやっぱり生け贄って言うと奇麗な娘さんだったんだろ?」サウルの振りにシレーンは取り合えず首を縦に振る。
 「どうして無茶苦茶ブスな生け贄とかいないんだろうな、それとかばあさんとかさ」
 「いけませんよ,サウル。どうして女性ばかりなのですか? それは男女差別と言うものです。筋肉ムキムキの生きの良いマッチョマンでも良いじゃないですか」グレイムの言葉にサウルはポンと手を打つ。
 「エルフとしてこの答えはどうでしょうか? 解説のシレーンさん」
 「あんた達、生け贄にされた筋肉ムキムキの生きの良いマッチョマンとやらを見たい?」シレーンは冷めて答えた。
 「…そ、それもそうですね。生け贄と言ったらやっぱりああですし」グレイムが笑いながら指さす方向には、遠くではあるが白い巫女の服を着たそこそこの美女が縛られて湖面に向かう姿が見て取れた。
 「…おい、グレイム。いつから知ってた?」板金の鎧を身に付けながらサウルは呑気な老紳士に問う。
 「ここに来たときから知ってましたよ。まぁ、変わったことをしているなぁと。村おこしかなんかですかねぇ」
 「アホか、お前は! どう見ても生け贄そのものじゃねぇか! 行くぞ!」サウルが身仕度を整え終えると同時に、三人は遠く離れた生け贄目掛けて掛けて行った。



 静かだった水面が泡立ち、巨大な水柱が立つ。十m余りに及ぶそれは水藻に覆われた緑色の鱗を持つ巨大な蛇であった。
 蛇は目の前の愚かな人間共が勝手に捧げた供物を見て満足気に頷く。恐怖で震える供物を貪ろうと首を延ばしたその時、視界の隅に何か光るものを感じ取る。
 「チッ、なかなか素早い野郎だな!」首を引くことで白刃を交わした化け蛇と生け贄の間に人間の戦士が割りこみ、言い放つ。それに続いてさらに2人が駆けてきた。
 「何ダ、オ前達ハ。私ノ食事ノ邪魔ヲシテタダデハスマンゾ!」
 「てめえが湖の主とかぬかしてる野郎か! 村人に生け贄を強制するとは言語道断、天にかわって成敗してくれるわ!」言ってサウルは腰の長剣を化け蛇に向ける。
 「面白イ、オ前ノ言ウ天ノ力ガドレホドノモノカ見セテモラオウ!」カタコトの人語を話す化け蛇の青い瞳が赤く変わり牙を出した。
 「典型的な英雄劇ね。やってて恥ずかしくないのかしら」
 「いいじゃないですか。本人達が満足しているのですから」
 「でもこっちまで恥ずかしくて赤くなッちゃうわよ」
 「お、お前ら…」生け贄の後ろでスナック菓子を食べながら見物する二人をサウルは睨つける。しかしその表情は心なしか赤くなっていた。
 「わーったわよ。手伝えばいいんでしょ」
 「やれやれ」二人は重い腰をあげる。
 「という訳で準備はいいか?」サウルはすまなそうに化け蛇に向き直る。
 「ア、アア。コウイウしゅちゅえーしょんハ数百年ブリダッデノデ嬉シカッタノダガ…。トニカク私ニ逆ラッタコトヲアノ世デ悔ヤムガイイ!」化け蛇は言い放ち、三人のいる場所に飛び掛かる。
 三人はばらばらに散り、化け蛇はその場所の土を噛み砕いただけだった。
 シレーンは舞い上がる土埃から離れながら、精霊を操る呪文を口づさむ。
 「ちょいとそこ行く水の精霊ウンディーネさん。あんたのよく切れる刃で、そこの三流悪役の化け蛇野郎を切り刻んでちょうだいな」
 シレーンの召喚に応じ、化け蛇の周りの水面から水でできた刃が幾つも蛇に襲い掛かる。刃は厚い蛇の鱗をも切り刻み、青い血を撒き散らした。
 「グオオオオオ!」化け蛇は雄叫びをあげる。それに伴い水の刃は全て四散した。
 「あらま。私より魔力が強いのね。おじさん,吐息をお願いね」シレーンはいつやら彼女の後ろに立っていた老紳士にそう声を掛ける。グレイムはシレーンの前に出て大きく息を吸い込んだ。
 「タカガ人間ゴトキガ私ニ傷ヲ負ワセルトハ…許サンゾ!」化け蛇は剣を構えるサウルに飛び掛かる。
 ゴォ!
 突如、炎の嵐が蛇を飲み込んだ。グレイムが吐き出す炎の中で湖水ごと化け蛇は焦がされる。炎の息が収まった後には焦げた蛇の姿があった。
 そしてグレイムが膝を付く。シレーンが驚いて駆け寄った。
 「久しぶりなので立ち眩みがしてしまいました」
 「…それでもあなた龍なの?」呆れてシレーンはグレイムをスリッパで殴り付ける。
 「グ、龍族ガ…何故人間ナドニ…セメテ一人デモ道ズレニ!」ほぼ炭と化した化け蛇は、渾身の力を振り絞って生け贄を目指して牙を剥く。しかし化け蛇の首は、生け贄の前で止まった。
 「俺のことを忘れちゃいないか? たかが人間と思って舐めて掛かったのがあんたの敗因さ」サウルは長剣を鞘に戻して切り落とした首に言い放つ。その後ろで首を失った胴体がゆっくりと水の中へ沈んで行った。
 「サウルって英雄劇の見すぎじゃない? よくあんな言葉がぽこぽこ出てくるわねぇ」
 「寝る前によく練習していますよ。でもあんな人が何人かいないと、吟遊詩人さん達は生きていけませんから良いんじゃないんですか?」
 「隅の方でこそこそ話をするんじゃない!」振り返るサウルの表情はやはり、心なしか赤かった。



 三人は龍の背骨と呼ばれる街道を夕日を眺めながら、ひたすらに西へと歩いていた。
 「でも良かったの? 生け贄の娘さん,街の隅に置いてきちゃって。名乗り出ればお金も食事も貰えたのに」シレーンは不満そうにサウルに言う。
 「すまない」ただ一言だけ言って彼は足を早める。
 「ちょっと、どういう…」シレーンをグレイムが引き止めた。グレイムの訳ありの表情にシレーンは不満ながらも追求するのを止める。
 西の都を目指す三人の影は次第に長くなっていった。



 「ひょー」
 「こら、シレーン,ぽけっとしてんじゃない」サウルは人込みに飲まれそうになる彼女の腕を掴む。
 「さすがは五大都市の一つだけありますね。こんなに多くの人間を見たのは久しぶりですよ」人込みをかき分け、グレイムは呟いた。
 西の都イリーアル,千年王国アルガスの西を担う大都市である。訪れる旅人などを合わせると人口はおよそ百万。
 中央に領主であるカリマー卿の居城を戴き、その周りおよそ5kmに渡って商店や家の立ち並ぶ円形の都市である。
 そんな大都市の東門付近に三人の姿があった。中央へと続く大通りには露店商が立ち並び、買い物客や訪問者などでごった返していた。
 「サウル,まずは宿を取っておいた方が良いと思いますが」グレイムの言葉にサウルは申し訳なさそうに答える。
 「実はな、金が全然ないんだ。取り合えず今夜は野宿だな」
 「街の中で野宿する奴がどこにいる!」シレーンのフックがあざやかに決まった。
 「じゃあ、どうすんだよ。また踏み倒しか?」何気なく’また’を強調しているところにサウルの僅かながらの抵抗がある。
 「大事の前の小事って言うでしょ。さ、宿を取りましょ」
 「私達に大事何てありましたっけ」
 「…言うな」シレーンはグレイムの頭をスリッパで叩き付け、目の前の宿屋へと足を踏み込んだ。



 「ん…あれ?」気が付くとそこは、月の光すら差し込まない石畳の狭い部屋だった。
 シレーンは辺りに目を走らせる。部屋にある唯一の戸には鉄格子が嵌まり、外には歩哨の気配がした。
 そして同じようにシレーンの周りには少女から熟女まで六人の女達が自分の置かれた状況に、悲嘆に暮れていた。
 「あれ?」シレーンは記憶の糸を辿る。何故自分はこんな所にいるのだろう? 宿屋の料金を踏み倒そうとして捕まったのか,いや違う。
 何故か記憶があやふやだった。それに頭がずきずきと痛む。
 「頭?」そう言えば宿屋の一階は酒場になっていた。料金は後払いということで、三人で飲み食いをやっていた。
 そして何かくだらないことでサウルと喧嘩になったのだ。酔っていたからだろう、内容は忘れたが、頭にきて宿屋を出た。そして…
 「突然頭を誰かに殴られて…結局、サウルが悪いんじゃないの! 戻ったらぶん殴ってやらねば」
 「あの〜」
 「殴るだけじゃ気が済まないわ、邪霊をけしかけてやろう」
 「もしもし」
 「それと火蜥蜴で消し炭に変えてやるのもいいわね」
 「おーい」
 「それにグレイムもグレイムよ。止めてくれたっていいじゃない,で、何、さっきから」彼女は現実に戻る。シレーンに声を掛けたのは、二十代前半の人間の女性だった。
 美人の範囲にはいるであろう、ブラウンの長い巻き毛を無造作に後ろで束ねている。
 「いえ、突然騒ぎだしたので発狂でもしたのかと…多いんですよ、そういう人」
 「どう言うこと? それ。それにここは何処なの?」殴られて未だに痛む頭をさすりながら、シレーンは尋ねる。
 「ここは奴隷商人の館です」
 「奴隷…いけないんじゃないの? そういうのって」シレーンはサウルに聞いたことがあった。
 かつて千年王国アルガスが乱れ、大戦争と呼ばれた時代、奴隷制が至る所で見られたという。しかし再びアルガスが統一し、奴隷制は完全に廃止されたのだ。
 「裏では未だに残っているんです。私達のように旅人で、特に女性を狙うんだそうです」
 「へぇ、どおりで旅装束の娘さんが多いと思ったら…それによく見るとみんな美人だし,良からぬ目的での奴隷のようね」
 「え…あなたこの暗闇の中見えるの?」
 「あ、あなた人間だものね」この部屋は一筋の光も入ってきていない。人間の目は暗闇を見通す暗視の能力はない。
 「私、エルフだから,とにかくこんな所からはさっさと抜け出しましょう」シレーンは胸の前で員を組む。
 「私の友達、大気の精霊シルフちゃん,貴方の怪力でこのドアをぶち破ってちょうだいなっと」
 大気が軋み、扉に強力な破壊に力が働き、歩哨ごと派手な音を立てて破壊する…,
 「ど、どうして何も起きないの!」
 「私達、みんな魔力を封じられていますから」シレーンは彼女を見返す。よく見ると彼女の首には何かの神のシンボルが掛けられていた。
 おそらく何かの神の神官のなのであろう,ということは神の力を使った魔法を使えるのだろう。
 「女性の旅人を奴隷にするのは、腕力が弱いからでしょうね。魔法を使えたとしても封じてしまえば、唯の弱い女性ですから」
 「弱い?…フフフッ、どうやら奴隷商人もエルフの細腕じゃ魔法しか使えないと思ったらしいわね」開き直ったのか、シレーンは不敵な笑みを浮かべる。
 「武器も何も、取り上げられてますよ。何か隠してあるんですか?」
 「何も,私自身が武器なのよ、見てらっしゃい,って暗くて見えないわね」シレーンはドアと向き直り、構える。
 「セリャ!」
 バキ!
 シレーンの放った廻し蹴りでドアは真二つに割れ、倒れる。弱いが光が入り、中にいた女性達は眩しさに目を細める。
 「何事…!」飛び出し様、シレーンの鉄拳を受けて倒れる歩哨。
 「どうやら地下室のようね,さ、脱出したい人、行きましょ」
 しかしその声に従ったのはわずかに二人だった。一人は先程シレーンと話していた神官、そしてもう一人は軽革の鎧を身に纏った,普通の旅人風の女性である。
 「皆さん、一緒に行きましょ!」
 「捨てて置きましょ、彼女達にはここを出る力と勇気はないわ」シレーンは神官に言うと、上へと通じる階段を上って行った。



 カラン、氷が解ける。
 「良いんですか? いっちゃいましたよ」カウンターに移ったサウルに片目のバーテンがグラスを磨きながら言った。
 「良いんだよ、すぐ戻ってくるって」
 「しかし、近頃,若い旅人の娘さんが消えるって事件が多いんですよ。それも美人のね。あの娘も変な格好してたけど美人だからねぇ」
 「誘拐かい、それくらいされるような奴だったら可愛いんだけどね」グラスを一気に飲み干す。
 「隣、良いですか?」後ろからの声にサウルは振り向く。そこには身なりの良い黒髪の青年が立っていた。彼は返事を待たずに隣に就き、ウォッカを注文する。
 「冒険者ですね、仕事を頼みたいのですが」
 「言ってみな」
 「引き受けるという保証がなければ言えません」微笑したまま、青年は言った。
 「前金に千だ。それなら引き受けよう」
 「分かりました、千ですね」青年はサウルの前に腰に下げていた小さな袋を置く。ちなみに千もあれば一ヶ月は豪遊して暮らせる,相場の約十倍である。
 「中は宝石です。うまく裁けば千五百位にはなるはずです」
 「…貴族か,冗談で言ったつもりが引っ込みがつかなくなったな。いいぜ、引き受けてやる」



 ここ、西の都イリーアルは領主カリマー卿の下、二つの勢力がいがみ合っていた。
 名門貴族であるサーン卿,そして商人からの成り上がりであるガラン卿である。ガラン卿はその財政能力を買われ、宰相に任命,サーン卿は若いカリマー卿の后として娘を出して、その勢力を延ばしているという。
 そして権力の争いは、ついに水面下での暴力と発展した。
 今までなかった訳ではないが、暗殺の応酬が繰り広げられ、他の貴族もどちらかの陣営に就いていないと、即暗殺者が送られてくるという始末である。
 そしてこの青年はガラン卿の長男,ルワイセという。ひょんなことで彼は、とある夜会でサーン卿の一人娘と出会った。一目見るなり愛し合い、両親を説得して、どうにか婚約まで漕ぎ着けたという。
 こうして権力争いは終わるかと思われたが、未だに暗殺の応酬が続いている。そしてその原因を調べてみると、どうやらサーン卿側の貴族ワイズ卿の仕業らしいのだ。
 このワイズ卿はガラン卿と同じ商人出だが、内容は悪どく、奴隷商人も兼ねていたという。そしてガラン卿を潰した暁には宰相の位を貰うことを過去に約束していたらしい。
 しかしこれは推測でしかないのではっきりとは言えないと言う。
 「…とにかく、この勢力争いを続けたがっている者がいる事は間違いないのです。今は私どもの婚約ということで以前に比べ静かではありますが、これが両親の気紛れで決裂したとすると、私兵を雇っての戦争になりかねません」
 「…結局のところ、一番偉い奴がいて、二番目に偉い奴が決まってないってことか。それでその二番目に偉いっていうポストを狙って二人の貴族と付録共がグチャグチャとしてるわけだ」
 「ま、まぁ、そういうことですね」ルワイセのこめかみが多少ではあるが引き釣っていたのを、片目のバーテンは逃さなかった。
 「で、俺に何をして欲しいんだ?」グラスを置いて、サウルは呟く。
 「ワイズ卿の調査です。彼は未だに奴隷商売もしていると噂で聞きます。また邪神を信仰し、怪しげな儀式も執り行っているとか…。彼から爵位を剥奪できる証拠を持ってきて欲しいのです」



 青年貴族が出て行った後、サウルの隣にはグレイムの姿があった。
 「やっかいな仕事を引き受けましたね」
 「良いんじゃないか? 反対に良い隠れ蓑になると思うぜ。いざとなったらまた逃げ出せば良いんだし。それにここいらで稼いどかないとな」
 「そうですね。しかしシレーンは遅いですね。もうそろそろ酔いが冷めて帰ってきても良いと思うのですが」しかしグレイムの目には心配という文字は浮かんでいなかった。
 「木の上で寝てるんじゃないか? 俺達ももう寝ようぜ。疲れちまった」欠伸を堪えながら、サウルは席を立つ。
 「何せ、無意味に三日三晩歩き通しですからね」
 「奴等が馬を使ってるなんてな。ま、俺達には金がないから」
 「ほんとに無意味に…」やや恨みがましく呟くグレイムを、サウルは無視して部屋のある二階への階段を上った。



 歩哨の一人を軽戦士の女はハイキックで沈める。
 「これで五人目,広い屋敷だな、こりゃ」地下室でもあったのか、螺旋階段を前にした小さな部屋に三人は到達していた。歩哨達の宿食室兼外への出口らしい。
 「エルフさん、これ,解呪の薬みたいです」神官が薬瓶を何処からか探り当て、シレーンに数錠手渡した。
 「サンキュ,さっさとこんな陰気臭いとこ出ましょ!」それを飲み干し、シレーン達三人は上へ上へと続く螺旋階段を一気に駆け上がった。
 扉を突き破る! そこは赤い絨毯の敷かれた上品なホールだった。豪華なステンドグラスを壁の一面に施し、月の灯りが漏れている。
 辺りは静寂に包まれ、暗闇だけが漂っていた。
 先程とは打って変わった豪華な部屋の造りに軽戦士を除く二人はしばらく茫然と立ち竦む。
 「やはりここはワイズ卿の屋敷,この屋敷を検挙すれば奴は終わりだな」
 「貴方…何者?」軽戦士の呟きにシレーンは訝しげに尋ねた。
 「それに答えるには、こいつらを倒してからだな」その言葉が終わるか終わらないかのうちに、この部屋へと通じるのであろう,扉が一斉に全て開く。そしてそれぞれからランタンを手にした警備兵達が武器を抜いて入ってきた。
 「炎の魔神イフリート君,この屋敷を業火で舐め尽くしてやってくださいな」不敵に笑うシレーンの呟き。
 「え?」展開についていけない神官。
 「いきなりか!」軽戦士は神官を抱いて床に突っ伏した!
 ゴゥ!
 シレーンを中心に愚連の炎の帯が球状に広がる! それはホールの壁だけでなく警備兵ごと包み込み、そしてそれを元にさらに広がって行く。
 「行くわよ!」シレーンは二人に言い残し、ステンドグラスに向かってダッシュ,体当たりをかまして壁一面のそれをおもむろに打ち砕いた!
 ギョワ!
 密閉された空間からの開放によって、バックファイヤーが起こる。さらに勢い付いた炎はホールと言わず、屋敷中を飲み込み夜空を朝日のように赤く染めた。
 「む、無茶しやがって…」床に伏せていた軽戦士は頭に掛かったステンドグラスの粉と化した破片を払いながら、身を起こした。
 「エルフさんは?」その下でやはり身を起こす神官はかつてステンドグラスの壁のあった空間に視線を投げるが、エルフの姿は見えない。
 「バックファイヤーってのを知らなかったらしい,飛ばされたんじゃないのか? とにかくここから出るぞ,焼け死んじまう前にな」軽戦士は言いながら神官の腕を引っ張り、シレーンの作った出口に足を運んだ。



 どおぉぉぉぉ…
 「な、何だ? この音は?」
 「爆発音…のようですが。近いですね」サウルはベットから這い出し、一つしかない窓を開ける。彼らの要る部屋は三階であるが、そこから百m程離れた大きめな屋敷が炎に包まれていた。その炎は天に届かんばかりの勢いである。
 「火事? ん…」窓から身を乗り出したサウルの視界の隅にあった月が消えたような気がした。そして…。
 「あ、何か飛んでくる…」上空から黒い何かが彼に向かってやってくるような気がした。
 「鳥ですか?」後ろがグレイム。
 「いや…ん?」それは段々と形を伴ってくる。そしてそれが人であると気が付いたとき…。
 どがらしゃぁぁぁ!
 それ,所々焦げたシレーンがとぼけた顔で理解していないサウルに激突,そのまま後ろに控えていたグレイムをも巻き込み、三人して部屋の扉まで突き飛ばされた!
 「た、たらいま〜」
 「なぁ〜に、やってたんだぁ〜,おまいは…」
 「ご、豪快です…ね」そして扉が壊れた。



 朝日はすでに高く、昼の暖かさを醸し出し始めている。
 「『サーン卿令嬢レーナ様お手柄,ワイズ卿の悪事をぶったぎり』か」朝日イリーアル新聞の一面を歩きながらサウルは読み上げる。その額には大きなバンソウコウが張られている。
 「ま、間接的には貢献したんだから、この前金は良いよな」
 「しかし世間の目で見れば、立派な犯罪ですがね」とグレイム。朝早くに西の都を出たのは前金を返したくない,ただそれだけのためである。
 ちなみに宝石を換金していないため、宿代も踏み倒しだったりする。
 「本当は私の手柄だったのよ」これもまた額にバンソウコウを張ったシレーンは得意気に言い放つ。しかしそれには二人は無言だった。
 「どれどれ…あっ」横からサウルの持つ新聞に視線を移した彼女は、それをひったくった。
 一面に載っている写真,憲兵に連行される黒スミと化したワイズ卿一派と保護される燻製と化した女性達をバックにした、Vサインをかます軽戦士を食い入るように見る。
 「…一人で囮捜査をかましてたのね。でもあの性格で令嬢,ねぇ。貰い手、いるのかしら」
 「お前さんよりましだよ…ったく」疲れたようにサウルは呟いた。
 「何よ、それってどういう意味?」
 「そのままだよ、な,グレイム」それに中年は微笑みを浮かべるだけ。
 「あっ,そもそもその前金どうこうってことは、何か知ってるのね?」 
 「さぁな?」言って逃げるサウルをシレーンは新聞を投げ捨て追いかける。そんな二人を眺めながらグレイムは新聞を拾い、最後の一行に目を走らせた。
 『エルフの方には感謝しております,レーナ嬢の協力者であった神官のメイフル氏の言うそのエルフは、しかし我々の取材ではそれが誰なのかを知ることはできなかった』