貫け! 騎士道


 そこは薄暗く、冷たい石の壁に五面を囲まれていた。そして前面には太い鉄格子。
 六畳ほどのなかなか快適な部屋だ。ジメジメとし、それでいて腐臭らしきものがうっすらと辺りに漂う。
 部屋の天井近くには俺の作り出した魔法の明かりの球が頼りない燐光を発していた。
 「腹減ったなぁ」
 「騎士たる者,不満を口に出してはならん!じっと耐えるのだ」
 「誰のせいで、こんな所にいると思ってるんで? それに俺は騎士じゃないす…」破滅的な自己中心の中年騎士に、俺は疲れた声で返事をする。
 そう、これはこの騎士のせいなのだ。
 騎士の名はローエングラン三世という、この国,ロンド王国で結構偉い騎士。
 この男は各地視察という名目で武者修行を行うことが趣味という、机上の計算しかできないヘッピリ騎士とは違った変わり者だ。
 そんな40代を過ぎた中年男に、俺はつい一ヶ月前に従者として雇われた。お役所関係の嫌いな俺だが、日給の高額さと、その一風変わった性格にしばらく付き合うことにしたのだ。
 で、何故こんな牢獄にいるのかと言うと…。
 「だいたい領主が魔物だなんて情報、何処で仕入れたんです? 旦那」
 「真実というのは自然と耳に入ってくるものだ。私のような高潔であり正義を貫き通す紳士には特にな!」
 ここまで聞けば分かるだろう,このおっさんは何処からか、この土地の領主が魔物だなどという情報を仕入れ、領主の住む砦に問答無用で押し入ったのだ。
 「それにしても何という待遇だ! 騎士に対してこのような場所に放り込むだけでなく、我が家宝の剣や盾まで取り上げるとは!」
 ”突然切り掛かってくる奴に待遇もどうもあるか”
 「何か言いたそうだな? 従者のお主の意見も聞いてやろう」むさい顔を近づけて、同意をその言葉の裏に隠すおっさん。
 「…全くその通りですよ。でもどうすんです? もうこれで3日目ですよ。もしかして俺達のこと忘れてるんじゃ?」
 「魔物であろうと、わしの高貴なる姿を一度見れば忘れる訳なかろう! 単にわしと顔を合わせるのが恐ろしいだけよ,ハハハ」
 どこからこんな元気と発想が出てくるのか、頭を割って調べてみたい。
 「ともかくここから脱出せねばなるまい。3日も待ってこの対応では、相手が恐れて不眠症になる前に、わしらが飢えてしまう」
 「もう飢えてます…」
 「ではここから出るとしよう」言っておっさんはスックと立ち上がる。そして俺を睨み、
 「開けろ」とのたまった。
 「…それができたらもうとっくにやってますよ」答えて俺は頭を両手で抱える。ちょっとでも期待した俺が馬鹿だった。
 武芸全般をマスターし、さらに魔術もかじっている俺だが、この牢を出るだけの道具はない。
 「ではおられるであろう,ここの姫君が助けにきてくれるのを待つとしよう」再び腰を下ろすおっさん。何なのだ? 姫君ってのは。
 「領主である父を魔物に殺され、擦り変わっているのに気付く姫。しかしそこに颯爽なる騎士が貧相な従者を連れ、領主に魔物が化けているのを見破り、戦かう」右手を固く握りしめ、力説する騎士一人。
 「貧相って、旦那…」
 「だが多勢に無勢,捕らえられ、牢につながれる。そこに監視の目を逃れた可憐な姫君がわしを解放し、ともに愛の力で…」
 ”良い歳したおっさんが…”
 「良いシナリオだと思わんかね?」再び、ズイと顔を近づけて脅迫する。
 「はいはい、もう勝手にして…」適当に答え、俺はその場に寝転がった。寝ていた方がましだ。
 断わっておくが、俺達はここの領主を遠くからしか見ていない。
 さらに殴り込みは力一杯、反対した。
 ここの砦は南にあるロンド王国の敵対国,サルバ帝国に対しての睨みであるので、この旦那のような者が正面から乗り込んでも、三百は駐屯している兵に、すぐに捕らわれてしまう。
 捕らわれた時は、何の騒ぎか程度に領主(らしき)男が衛兵に守られて何げなしにこちらを見ていたが、それを見る限り、この旦那の言うような魔物独特の邪気は感じられなかった。
 ”まぁ,悪けりゃ、そろって曝し首かな”ふとそんなことを考える。しかし恐ろしくはなかった。こんなおとぼけ騎士と心中はご免だが、旦那はそれなりにツキというものを持っている。
 すなわち、こんなところで死ぬような器ではない。
 今までもこれ以上の状況に直面してきたが、あっと驚くような打開策が降って湧いてきた。
 まぁ、それが面白くて、俺はこの人の従者をやっているのだが。
 そして、打開策は突然やってきた。



 そこは暗く、高さは屈んで進まなければならなかった。
 「ひぃ」背中に冷たい水が入り込み、彼女はつい声を漏らしてしまう。
 ここは盗賊ギルドの情報で入手した、砦の地下牢への抜け道。
 彼女の任務は砦に単身、乗り込んだという騎士を救出することにあった。
 彼らのいる地下牢の下に爆薬を仕掛け、この抜け道とつなげるという,間違えれば自分も生き埋めになる作業だ。
 しかし武芸全般をマスターし、魔術もちょっとだがかじったことのことのある、冒険者の彼女でもこんな、もぐらのような作業は初めてだ。
 進むのに疲れて足を止めると、静寂と闇が辺りを進む。手に持つランタンの火の揺らめく音が聞こえそうだ。
 妙な孤独感を感じ、女冒険者は再び足を進める。心なしか早く。
 そして所定の場所にたどり着いた。そこはホール状になっており、背の高めな彼女の頭が届くか、届かないかの高さになっている。
 「え〜、聞こえますか? どうぞ?」彼女は天井に向かって、そう語り掛けた。
 待つことしばし,返事はない。場所はここで良いはずだ。ということは、単に聞こえていないだけ…だろう。
 そして彼女は爆薬の準備に取りかかった。



 ガゴッ!
 それほどでもないが、大きな音が下から響く。ここは地下牢,下に部屋などはないはずだが。
 「旦那、今の音は…おお?」おっさんは消えていた。と言うか、今までいたところの石がすっぽりと消えて下へと続く穴となっている。
 「旦那、生きてますか?」穴に向かって言うが、返ってきたのは若い女の声だった。
 「助けにきたわ、下りてきて」
 「下りてきてって…」よくよく除くと、遥か下にうっすらと明かりが見える。遠近感が良く掴めないが、相当深いぞ。
 と、戸惑っている間に、牢の外の方から2・3の人声が近づいてきた。
 「しかし、この騎士も何なんだろうな」
 「さぁ、しかし詮索もさせず王都へ護送だなんて、ちょっと変だよな」
 「そうそう、領主様も近頃ちょいと変じゃないか? 噂じゃ、毎日のように蛇10匹とイモリ20匹,カエル30匹をこの砦に届けさせてるそうじゃねぇか」
 その声は確実に近づいていた。迷っている暇はない。
 俺は穴に飛び込んだ!
 「うげっ」落ちた先は全身鎧を着こんだ、旦那の上だった。
 「貴様、従者の分際でわしをクッションにしおって…」呻いて俺の着地した背中を擦るおっさん。
 そして、頭上で騒ぎ声が聞こえる。逃げただの、抜け道だなど。しかし下りてくる気配はなさそうだ。
 「さぁ、急ぎましょう」ランタンを掲げた女性が言う。どうやら彼女一人のようだ。
 俺と同じ黒い長い髪を持った、色白の女性。20代前半か,腰に細身の剣を指し、胸鎧を着込んでいる。旦那好みの美人の域に達している冒険者だ。
 「いや、しかしわしの剣と盾が…」
 「戻ると、またしばらくは何処かに閉じ込められそうです」戻ろうにも、全身鎧を着込んでこの穴を上れるとは思えない。
 「貴方達の武具は領主の姫君が持ち出してくれてます。心配いません」言いながら狭い通路を進んで行く女冒険者。
 「なぬ、姫君とな。ほれ見ろ、わしの思った通りではないか!」豪快に笑いながら、俺の頭を叩くおっさん。
 「はいはい、じゃ、二人の愛の力で領主を倒してくださいな」もうどうでも良くなって、俺は適当に相づちを打つ。全身に脱力感があるのは空腹の為だけであろうか?
 そして何故か、前を行く女冒険者が笑いを堪えていた。



 「騎士殿、もうすぐ出口です。私の依頼人の姫君もそこで待っておられますよ」長めの通路を行く事数刻,出口の日の光に目を細めて、女冒険者は後ろの二人に言った。
 出口は街外れであろう、荒れ果てた草原にある岩山の一つだった。
 俺は日の光の眩しさに、思わず目を閉じる。だが、眩しいと言っても雲の厚い冬空の昼間の光でである。
 「騎士殿、お待ち申しておりました!」
 「げっ」硬直する旦那に、中年太りのおばさんが抱きついた。
 「セイラ=ハーデンベルクさん、領主のクレイ=ハーデンベルクの四女で35歳,独身の姫君よ」女冒険者は俺にそう耳打ちする。
 そう、世間一般の公式,姫君イコール若くて美人などは必ずしも成り立つ訳ではない。
 領主の娘で、結婚していなければ、確かに幾ら歳を食っていても姫である。さらに美人であるとは限らない。
 逆もまたしかりであるが。
 「そのことで笑っていたのか」
 「そういうこと」女冒険者は言って微笑んだ。
 「騎士様、お願いがあるのです」両手を胸の前に組んで、セイラ姫が旦那に哀願する。
 「…ご,御婦人の願いは…私の願い…断わる訳には…いきません」
 ”おお、言い切った”この時、俺は初めて騎士の辛さと旦那の偉大さを知った。
 「実は…ああ、口に出すのも恐ろしい!」旦那の右の拳が動きかける。
 良い歳したおばさんが、乙女ちっくなポーズを取りながらそんなセリフを吐くなぁ!
 俺が旦那だったら、確実におばさんのボディに右ストレートが決まっていたはずだ。
 まぁ、旦那も旦那で年甲斐もないから、どっちもどっちかもしれん。
 「だ、大丈夫。わしが付いております。だから話してください」右の拳を押し留めて、旦那は話を促す。
 要約するとこうだった。
 彼女の父、すなわちここの領主であり、旦那が魔物が化けている奴だと言った男が、毎晩妙な儀式を執り行っているという。
 昨日、彼女,すなわちこのおばさんが意を決して尋ねると、領主は驚きながらもこう言った。
 「お前の為にやっているのだ」という父のその答えに彼女は恐れを抱き、何とかやめさせようと思ったらしい。
 そこに妙な騎士が捕らえられた。その取り上げられた剣と鎧を見て、彼女はこの方に頼むしかないと決心した。
 ローエングラン三世,彼女が箸が転がっても笑う年頃に恋をした英雄だったのだ。
 そして街に出て、冒険者を雇い、地下牢から救い出したという経緯。彼女の依頼は父に儀式を止めさせること。またその儀式の目的は何なのかであった。
 ここまで聞き出すのに、おばさんが旦那に抱きつくこと9回,旦那が殴る衝動に刈られた回数は数知れない。
 「父上が魔物であるということは?」旦那は身構えながら尋ねた。
 「分かりません。しかし様子が変なことは確かなんです。魔物であるかも…もしそうだったら、私!」抱きつこうとする姫君を紙一重で交わす旦那。何やらこの2人の間に不気味な雰囲気が漂っている。
 「分かりました。何とかしましょう」
 「嬉しい!」今度は抱きつかれた。
 「…・・」姫君は旦那の耳元で何か囁く。何を言ったか分からないが、旦那の顔色が死人のように白くなっていった。
 「では、よろしくお願いします」俺と女冒険者にもそう言い残し、姫君は去って行った。
 「騎士殿、大丈夫かしらね?」
 「良い薬だ。時には現実を見つめてもらわなきゃ」俺は心の底からそう言った。
 「じゃね,私はここまで」女冒険者は言って、立ち去ろうとする。
 「あ、おい。一緒に動かないのか?」
 「私、お役人って苦手なの。じゃあね」俺の問いに答え、彼女もまた去って行った。
 冷たい冬の風が俺と旦那の間に吹き抜け、土ぼこりが舞う。
 後には空腹の俺と、仕事をする前にすでに燃え尽きている、旦那が残された。



 「武士は喰わねど高楊枝」
 「騎士から武士へと転職ですか?」
 遥かに離れた地,俺達はそこにいた。
 そう、全てを放り出したのだ。
 旦那曰く、
 「騎士とは美しくて若い姫君を守るものなのだ,だそうだ」
 というか、なんか理想と現実のギャップにようやく気付いてくれたみたいだし。
 そんな訳で、俺達を見かけたら気軽に声を掛けて欲しい。
 できれば劇的に,ね。

End...