魔・人・剣


 荒んだ空気が充満していた。
 よりにもよって、天気もどんよりとした曇り空。
 冬を間近に控えていることもあって、田畑には緑はなく、沿道の雑草も枯れ果てていた。
 その灰色に近しい世界に浮かび上がるように赤い極彩色が歩いている。
 「これはまた、えらく住みやすそうなお国だこと」
 燃え上がる炎のような長い髪をかきあげ、旅人であろうか、少女は一人ごちた。
 年の頃は16,7であろうか,髪の色の通り、活発そうな赤い瞳の少女だ。
 そんな彼女は背に大人ですら振るうのは躊躇う大剣を背負っていた。
 余りにも似合わない、無粋な姿ではある。
 「毎回毎回、よくもまぁアナタの探査能力には感心するわ」
 虚空に向って再び彼女は言う。無論独り言なのだろう、返事はない。
 自分に呆れたのか、彼女はわずかに肩を竦めて足を速める。
 彼女の視線の先には寂れた街が見え始めていた。
 この国の首都・ハイネケンである。



 遥かなる昔、ハイネケンは優れた魔法都市であったと伝えられている。
 優れた都市には優れた人間が集う。
 その頃は一人で一騎当千の力を持った魔術師が100はこの街に集っていたらしい。
 だが一夜にして都市は灰燼に帰した。圧倒的な破壊力がこの都市を襲ったのだ。
 今や無き魔法都市ハイネケン。
 それは一人の『魔人』によって滅ぼされたと伝えられる………
 現在ではハイネケンはごく普通の都市として機能しているのではあるが。
 「酔狂よね、たかだか魔術師相手に喧嘩ふっかける魔人だなんて。もっともそいつももうこの世にはいないけどね」
 寂れた街並みを歩きながら彼女は相変わらず一人で空に向って話し掛けている。
 「でもこの寂れ方はなんというか、こぅ、魔族が好みそうだわ」
 ほとんど閉まっている市場にまばらな人通りのこの通りを眺めながら彼女。
 都市の建物が石造りというのもあるが、全体が灰色という感がある。
 魔人,それは人を超えたヒト。
 魔族を食らい、魔族以上の力を得たヒト。
 人の意志という力と、魔族の魔力という力を併せ持った、不死なる存在。
 そしてそれは先文明とともに滅び、今では伝説上の存在であった。
 「まぁ、どこかで宿でもとりますか」
 呟く彼女は視線を一件の酒場に向けた。と、窓を通してそこの中の客と目が合う。
 ギィ
 扉を開けて数人の男達が現われた。
 彼等は彼女に向って歩を進めている。
 「あらら。美って罪よね?」
 ”…果たしてそうかな?”
 呟きに対する思考が彼女の頭の中に流れ込んでくる。若い男の声だった。
 やがて5人の男達が彼女を取り囲む。巻き込まれるのを恐れてか、通りには人一人いなくなる。
 「よぉ、嬢ちゃん」楊枝を吐き、中年の男がガンを飛ばす。
 「ああ、アタシが美女であるが故にこんな異国で男達に弄ばれるなんて…なんてことなのぉ」演技がかった彼女のオーバーアクションに男達はたじろぐ。
 ”この者達、この国の正規兵だ”冷静な声の思考が彼女に届いた。
 そんな彼女にガンを飛ばしていた中年がおずおずと言う。
 「いや、通行料を置いていけと言いたいだけなのだが」
 「つるぺたに用はないしな」
 「「げはははは!」」
 爆笑の男達。
 その中で彼女はふるふると拳を震わせる。
 「好き好んでこんな姿してんじゃないわよ,このクサレ軍人どもが」
 ピタリ,男達の笑いが止まる。
 「言ってくれるな,嬢ちゃん。世渡りの仕方を知らないと見える」
 「なんなら特定の趣味を持った貴族にうっぱらってやっても良いんだぜ」
 ジリ,包囲網が狭まった。しかし少女に脅えの色はない。
 「クロス,こいつら殺っちゃっていい?」
 ”お前が狩って良いのは魔人だけだ”
 「ここまでこのアタシが愚弄されて、黙っていられると思って?」
 瞬間、彼女の周囲の空気が高密度になる。それは戦いに秀でた者ならば気付いただろう。
 限りなく逃れることのできない死の空気であることに。
 だが、
 「痛てててて,痛って〜!!」いきなり左胸を押さえて彼女はうずくまる。死の空気は霧散した。
 「「「????」」」男達は困った顔でお互い顔を合わせる。
 「分かった、分かったよ,半殺しで我慢するからさ!!」
 ”…ほどほどにな”
 途端、胸の痛みは治まった。
 「クソッ,むかつくわね!」
 顔を上げ、彼女はギッっと目の前の男を見上げる。
 直後、彼女の蹴りを腹に受けて10mほど後方へとノンバウンドで飛んだ。
 いきなりの行動に残る4人は口から何だか良く分からないモノを吐き出して気を失った同僚をぼんやりと見つめていた。
 「アッパーカット!」
 その内の一人の顎に彼女の拳が炸裂! 男は声を上げる顎を砕かれ酒場に向って飛んでいった。
 「んな!」
 「馬鹿力女め!」
 「舐めるな!」
 我に返った残る三人が同じ末路を辿るのに、10を数える時間も要しなかったそうな。



 「スゲェよ、姉ちゃん!」
 そう声を掛けられたのは最後の一人を倒してからだった。
 酒場の陰から飛び出してきたのは9,10歳くらいの少年だ。この街の子なのだろう,どこにでもいる普通の子供が纏う雰囲気を持っていた。
 「クソ兵隊をあっさり片づけるなんて、カッコ良すぎだぜ!」
 憧れの目で彼女を見つめる少年に、いきなりデコピンをお見舞いする。
 「ぬぐぁぁぁ!!」この世の痛みとは思えない激痛が少年を襲った。
 「力なき女の子を命に代えて護るのが、男の子の役目でなくて?」
 「うう〜」目に涙を溜めて彼は彼女を見上げる。
 と、
 「え?」
 少年は彼女の手を掴み、走り出した!
 「ちょ、ちょっと!」引き摺られ、彼女も駆け出す。
 「ここにいたら役所にしょっ引かれちゃうよ,こっちこっち!」
 「へぇ」少女は少年に少し感心して、彼の案内に従った。
 やがて二人が辿り着いたのは一件の宿屋。
 「ここ、僕のウチなんだ。宿取るつもりなんでしょ?」
 少女は一瞬唖然とし、そして豪快に笑う。
 「商売上手だね、名前は?」
 「ケビン」
 「アタシはアセザル,ケビン、アンタは将来いい商人になるよ。アタシが保証する!」
 クシャと彼女はケビンの頭を撫でた。



 「ここの領主が酷い奴でさ」
 ケビンの話を聞きながら、アセザルは宿の一階に設けられた大衆食堂でケーキなんぞを頬張っていた。
 「税率80%にしようとしたんだぜ!」身振り手振りで説明する少年に笑みを浮かべて、彼女は問う。
 「よく暴動起きなかったな?」
 「お姫様が説得して70%にしてくれたんだ」
 「お姫様?」
 「うん! アリサ様っていうんだ。スゲェ美人だよ」
 「アタシより?」
 「………お姉ちゃんの方が美人だよ」目を背けて彼は言う。
 「もうちょっとお世辞を勉強しような、ケビン」
 苦笑してアセザルは傍らに立てかけた己の剣を見る。
 「どう思う? クロス。お前の示す方向は領主の城だけどさ」
 ”私に間違いなど存在しない”
 「まぁねぇ…」
 そんなやり取りを見ていたケビンは不思議そうに尋ねる。
 「お姉ちゃん,なにやってんの?」
 「ん? ああ、この剣と話してんのさ」
 「??」合点いかない少年。当然である。
 アセザルは剣を少年に見せて笑う。
 「コイツは聖剣ラミエル」
 「うっそだぁ!」少年は笑って返した。
 聖剣とは先文明において唯一、魔人に傷をつけることができた武器。
 聖騎士の中の聖騎士のみが持つことを許されたとされる圧倒的な破壊力を持った剣だ。
 だが今となっては魔人と同じく現存する聖剣は無に等しい。
 僅か2本だけが、どこぞの王家の宝剣として扱われてはいるが本物かどうかは定かではないのだ。
 また聖剣に「話す」なんて機能は聞いたこともないのだが。
 「ちょっと領主って奴に会ってみたいな」
 ボソリ,アセザルは呟いた。
 「へ?」
 「アタシが探している奴…そうコイツが言うからさ」笑ってコツンと刀身を突付いて彼女は言った。
 「止めた方が…いいよ。さっき兵隊もぶっ倒しちゃったし、それに最近の領主は前からおかしかったけど最近はもぅ、無茶苦茶なんだから!」
 「だがな…」
 アセザルは最後のケーキのひとかけらを摘まみ、飲み込む。
 ”采は振られているな”
 扉を開けて入ってくる軍人達に、アセザルは殺意を込めた楽しそうな笑みを浮かべていた。



 ガシャン!
 鉄格子が閉まった。
 アセザルは一人暗くじめじめした石畳の個室に閉じ込められる。
 典型的な牢屋だった。
 弱々しい月明かりが小さな窓から差し込んでいる。
 「さて、領主に会うって言っても、どう会うつもりさ?」
 ブチィ!
 後ろ手に縛られたロープをあっさり力ずくで引き千切り、彼女は手首を鳴らす。
 しなやかな指先を持った細い手首を見るからには、とても怪力なようには見えないのだが。
 「行く先々に立ち塞がる罪のない兵隊をばったばったと殺しまくって領主に迫るって手くらいしか、アタシには思い浮かばないんだけどさぁ?」
 ”…仕方あるまい”
 その声にアセザルは己の身が少しだけ軽くなったことを知る。
 「ふふふ…」
 彼女は左胸に手を当てる。するとそこに彼女の大剣の柄が現われ…
 ズゥ!
 まるで手品のように抜き身の剣がその姿を現し、彼女の手に握られていた。
 アセザルは白銀色の刀身を持ったそれを、軽く横になぐ。
 カシャン!
 切る音もなく、鉄格子が切断され石畳に倒れた。
 「ああ、体か軽いわぁ!」
 何処からともなく現われた剣の鞘に聖剣を収め、彼女はそれを「腰」に提げる。
 窓から差し込む月明かりが彼女を照らし出した。
 妙齢の美女が、そこにはいる。
 燃えるような赤い髪を腰まで伸ばし、白磁器のような長い手足が豊満な体から伸びている。
 いつしか纏う服装も変わり、野暮ったい旅人の服装ではなく体のラインを強調する髪と同色のタイトなドレスになっていた。
 「やっぱり領主様に会うんだから、正装しなくちゃね?」
 彼女は怪しげに小さく笑って出口である看守室の扉を開けた。



 ケビンは領主の城を伺っていた。
 不思議なことに警備兵の姿が見えない。
 ”チャンスだ!”
 子供心にそう思った彼は、駆け足で城に忍び込んだ。
 ”力なき女の子を命に代えて護るのが、男の子の役目,なんだろ、お姉ちゃん!”
  



 「いい男なんていないものねぇ」
 アセザルは唖然とする騎士の頬を軽く撫で、その脇を通り過ぎる。
 城の中ではあらゆる者達が我を失い茫然自失としていた。
 男も女も、その表情には何処か至福の色が浮かんでいる。
 「めっきり人間の対魔効果も落ちたもんね」
 ”情けない”
 「もっともそのお陰でラクできるんだけど」
 「曲者!」
 突如突撃してきた騎士に、アセザルは目を向ける。
 見つめられた者を至福の空間へと誘う甘い視線。
 赤い魔眼にまた一人魅入られ、騎士はその場に硬直した。
 「なんだかなぁ」
 彼女は目の前の大きな扉を開けた。
 そこは住む者の趣味の悪さを現すには十分な部屋。
 所狭しと調度品が置かれ、財を見せ付ける反面、センスと価値を知らない無知を現した領主の部屋だった。
 「何者だ? 貴様は??」
 大きな椅子に腰掛けた、何処か貧相な男が一人、アセザルを見て叫ぶ。
 「誰かおらぬか? 誰か?!」
 返事はない。
 「アンタがここの領主かい?」
 「ひぃぃ!!」
 腰の剣を抜いて男に迫るアセザル。
 ”コイツは違うな”
 「だろ?」
 「!!!!」
 鼻先に剣を突き付けられ、目を白黒させる領主。
 「姉ちゃん,危ない!」背後から聞き覚えのある子供の声!
 「?!」
 アセザルは背後に飛び退く!
 斬!
 丁度彼女のいた位置を、黒身の剣が切り抜いた。
 「ほぅ、切り逃したか」
 黒覆面を被った男が領主の前に立っていた。それが一人、二人、三人と増える。
 要人を守護すると言われる隠密行動のプロフェッショナル・忍者と呼ばれる人間達だ。
 しかし彼等に構わずに、アセザルは後ろを振り返る。
 「ケビン,何やってんのよ!」
 「姉ちゃん…なの?」
 姿を変えた彼女に改めて見て気付き、信じられないものを見る目つきのケビン。
 彼もまた、忍者の一人に剣を突き付けられている。
 「どうしてこんな所にいるの?」
 「…女の子を護るのが男の役目って言ったじゃないか」
 掠れた声で言う彼に、アセザルは優しい微笑みを彼に向ける。
 「もしもヤツに惚れていなければ、きっとアタシはアンタに惚れているな」
 その言葉が終わるや否や、忍者達の刀がアセザルを刺し貫いた!
 「姉ちゃん!」
 紅より赤い血が石畳に広がって行く。
 ガラン,大剣が彼女の手を離れた。
 アセザルは倒れることも叶わず、四本の刀の中で動かなくなっていた。
 そして
 「うっ!」
 少年の首筋に向けられた刃が動く!
 「何事ですか!」
 厳しい女性の声に、その忍者の腕が止まった。
 「あ、アリサ様…」
 王女・アリサはアセザルの下へ向い、そして落ちた大剣を見つめる。
 途端、美しい瞳が見開かれる!
 「これは…」
 「そうさ、『アタシ達』を殺せる聖剣さ」
 「「「んな!」」」
 ペキィ!
 アセザルに突き刺さった刀はそれぞれ粉々に砕け、忍者達は電気が流れたかのように感電,石畳にくず折れた。
 アセザルの傷口は吹き出した血が潮を引くように瞬時に塞がる。
 同時にアセザルはケビンを縛める忍者に振り向く。途端、忍者は呆けて倒れた。
 「ケビン,早く逃げなさい!」
 「でも」
 「邪魔なんだよ!」
 彼女はケビンを赤い瞳で見つめた,同時に少年の心の奥から耐え難い恐怖が走る。
 「くっ!」
 少年は背中を向けて逃げ出して行った。
 ”今までで一番強い魔法だったな”
 「うるさいな」
 剣を拾い、アセザルは領主には見向きもせずに王女を睨んだ。
 「アンタ、魔人だろ?」
 驚きに目を開く王女。
 「アリサ,逃げろ! お前が傷つきでもしたら…」
 領主の言葉に、アリサは目を向けずに代わりに右手を彼に向ける。
 パァン!
 乾いた音を立てて、領主の頭が破裂した。
 「うるさいなぁ,そう思うでしょ?」アリサは頬に一滴、飛んできた父であるはずの男の血を人差し指で拭き取って舐める。
 そこにはすでに驚きの色はなく、不遜な態度があった。
 「領主の娘を食ってその姿を取ってるのね,どうせ領主の無茶な行動もアンタが操作していたんでしょう?」
 「民を生かさず殺さず,その苦しみを食らうのが私達魔人でなくて?」
 「陰険なババアだね」
 言葉に、アリサの美しい顔が歪む。
 その直後、王女はアセザルの胸を見て侮蔑の笑みを浮かべた。
 「何よ、お前は聖剣に飼い慣らされている訳? 情けない魔人もいたもんだわ」
 アセザルは左胸を隠すように剣を構える。
 それはアリサのような魔人や、力ある魔術師にしか見えない。彼女の心臓には聖剣のカケラが刺さっているのだ。
 かつて聖剣ラミエルを駆って魔人アセザルと戦った、聖騎士クロスの捨て身の一撃。
 それは彼の命と引き換えに魔人の心臓に聖剣を叩き込んだのだ。
 聖剣は僅かに及ばず、アセザルの心臓にその切っ先の破片を残すに至った。
 だが魔人の心臓,それこそが不老不死と無限なる力の源。それを押さえられたのである。
 命を失ったクロスは聖剣に取り込まれ、アセザルは憎しみの内に聖剣を手に取った。
 それが、今のアセザルである。
 「飼い慣らされている? 違うわね」不敵に笑ってアセザル。
 「手を組んでいるだけよ」
 剣を振り下ろした! アリサは後ろに一歩,避ける。
 そのモーションで両手を突き出す,氷の矢が1ダース、アセザルに襲い掛かる!
 アセザルは聖剣を振って全て打ち倒す。
 「む!」
 アリサの姿はない,いや…
 「上か!」
 「後ろよ」
 「?!」
 脇腹に灼熱の痛みを感じてアセザルは飛び退いた。
 彼女の腰の辺りが凍り付いている。
 「結構やるじゃない」
 「この国の人間の絶望・悲観、その全てを食らっているのだから当然」
 アリサは怪しい笑みを浮かべて氷の瞳をアセザルに向けた。
 ギシィ!
 空間が軋む。
 次の瞬間には、二人は雪山にいた。
 ”結界だな”
 「…このフィールドはアタシには厳しいな」
 ”…”
 アリサは両手を振り上げる!
 「コールド・バースト!!」力ある声に応じて、雪が奔流となってアセザルに襲い掛かった!!
 「このぉぉ!!」
 対して炎がアセザルを包み、雪に向ってぶつかった、が、
 じゅぅ
 「よ、弱い…」
 ”アセザル!”
 「うぁ!」
 雪に飲み込まれ、彼女は聖剣を手放してしまう。
 ”致し方あるまい!”
 クロスの声を聞きながら、彼女は冷たい雪の中で意識を失いつつあるのを知った。
 手足の感覚がなくなって行く。次第に生まれる前の、母の胎内に入る錯覚へ陥り…
 「って、そんな簡単にやられるかぁ!」
 叫ぶ!
 突如枷が外されたのを感じた彼女は、己の内に生れた力を完全解放!
 「ヒート・ウェイヴ!」力ある言葉に炎が溢れる。
 瞬時に雪が『全て』蒸発し、夏の山となった。
 「な、何ですって?!」
 たじろぐアリサ,彼女の前にアセザルは翼を羽ばたかせ優雅に舞い下りた。
 妖艶な肢体に黒く力強い翼,長く伸びた剣のような爪に端正な口許から僅かに生え出た二本の牙。
 封じられていた魔力を完全に引き出した、聖騎士クロスと戦う以前,いや、それ以上の力を持った魔人がそこにはいた。
 「な、何て魔力なの,何者よ、貴方…」
 アリサはアセザルから立ち昇る魔力の量に慄き、後退する。
 「私は魔人アセザル」右手を軽く振るって彼女。
 「大陸ラーマを『消失』させた魔人…」顔を青くして、アリサはその名から連想した知識を呟き、身構えた。その構えも何処か弱々しさを感じる。
 「そんなこともあったわね」
 トッ
 「え…」
 アリサは胸の違和感に恐る恐る己の胸に視線を移した。
 アセザルの爪が、彼女の心臓を貫いていた。
 「い、いやぁぁぁぁ!!!」
 グシィ,体の中で何かが潰される音を聞きながらアリサは絶叫。
 「教えてやるよ,アリサ」
 魔人にあるまじき恐れと、心臓を潰されたことによる死の感覚に、意識を朦朧とさせるアリサを抱き寄せてアセザルは続けた。
 「私が聖剣と手を組むのは、魔人をより確実に見つけ出す為」
 アリサの耳元に囁きかけるアセザル。
 「人は魔を食らうことで人を超えた。魔人は魔人を食らうことで、更なる力を付けることができるのさ」
 唇を、アリサの首筋へと運ぶ。アリサはもはや身を震わすこともなく、死という快楽に身を委ねていた。
 「私の血となれ,魔人アリサ」



 結界が破れ、アセザルは領主の館に立っていた。
 「ふぅん。領主の死と、王女アリサ失踪,明日の新聞の見出しね」
 唯一の死人である頭のない死体から目を逸らし、彼女は落ちた聖剣を手に取る為に腰をかがめる。
 ”良いのか? アセザル?”
 「何がよ?」手を止めて、魔人は尋ねる。
 ”力の戻った今なら、心臓に刺さった私を取り出すことができるぞ”
 「…そうかもね。でもアナタはアタシがそうしないと思うから、私の力を解放したのでしょう?」
 ”…”
 「悔しいけど、その通りよ」言って彼女は聖剣を再び掴んだ。
 ”自由は己自身の力で掴む,か”
 「それもあるけどね」苦笑いのアセザル。
 彼女の翼は消え、その姿も妖艶な美女ではなく、元の旅人の少女のものに戻った。
 『アナタは私の力だけじゃなく、心も奪ったのよ,クロス』
 ”何か言ったか?”
 「何も言ってないわよ,次の魔人は何処? クロス!」
 倒れ伏した忍者達に軽く記憶操作の術を施し、少女アセザルは領主の城を後にした。



 「よぉ、嬢ちゃん,ここを通りたければ通行料を…」
 「あっちゃ〜」
 アセザルはさすがに呆れた。
 城を出てしばらく歩いた途端、先程とは別の兵隊達が同じことをやっていた。
 酔っているのと、深夜ということもあってかなりハイになっているのか,剣を抜いていたりする。
 「何が「あっちゃ〜」だ? おい」
 アセザルの胸に手を伸ばす男に、突如横殴りの蹴りが飛んだ。
 「お姉ちゃん,こっち!」
 「へ?」
 彼女は何処かで触れたことのある手に捕まれる。
 「ま、待ちやがれ!!」
 「逃がすな!」
 「追え!」
 少年に引っ張られて、アセザルは駆ける。その後を千鳥足気味な兵士達が追い駆けてくる。
 だが追い駆けるのは圧倒的な健康の差か,あっという間に彼等の声は背後に消えた。
 「護れたかな?」
 走りながら問うケビンに、アセザルはとびっきりの笑顔を向ける。
 「男の子だよ、アンタは」
 月下に、少年と少女の笑顔が照らされていた。

END