RE:CREATION
2002年1月1日−−
大学受験を間近に控えた僕はこの日、机に向うのをしばし止めて、ある神社に赴いていた。
普段は来訪者なんて一桁も無いであろう、そんな地元の,申し訳無いが何を祭ってあるのやらとんと見当の付かないそこは、年に一度の大イベントにそこそこ活気付いていた。
「ねぇ、たけちー」
くぃ,と僕のコートの袖を引っ張る彼女。
「ねぇってば、たけちー」
僕は足を止め、クルリ,彼女に振りかえる。
そこには、紅い素地に白い鳥の刺繍が入った晴れ着を纏った『美』少女一人。
やや冷たさを放つ日の光の下、彼女は僅かに上を見上げる格好で僕を見つめている。
長い髪をポニーテールでまとめた赤いリボンが風に揺れる。
ほっそりとした造りの面に見開かれた瞳は、光の加減で茶色にも烏色にも見えた。
ただ共通して言えるのは、僕の顔が大きく映っているということだ。
僕は溜息一つ。
ぽん,彼女の肩に、手を置いて言う。
「瑞希,頼むから『たけちー』は止めてくれって、ずっと言ってるだろう?」
「ずっと言われても、こうして直らないって知ってるでしょう?」
ああ言えばこう言う。
「お返しに私のコト、昔みたいに『みーちゃん』って呼んでくれて良いわよ」
「言えるかぁぁ!! ったく、新年にかこつけて直そうと思わないのか?」
瑞希はふむ,と顎に指を当てて思案顔。
彼女――佐藤 瑞希は隣に家に住む同い年の女の子である。
生まれた病院から幼稚園、小学校、中学校、高校と、ずっと同じ道を伴に歩んできた仲だ。
だからといってそこは男女,昔からの態度が続くとは思い辛い。
というか高校生くらいになったら、普通は理由も無く目を背けてしまったり、ちょっと話し難くなったりとかしたりしなかったりするもんだとは思っていたけど…
「やっぱり今年も『たけちー』で行くわ」
「あのなぁ」
昔から変わりゃしない。そんなだから、こっちが恥ずかしくなる場面が多いのが事実である。
「何よ、じゃあ『たけしくん』とか『こんどうくん』とか呼ぶ?」
「だからそうしてくれって、昔っから言ってるだろう?」
「そぅ…じゃあ」
瑞希は不意に僕の前に回り込み、立ち止まる。
さらりとした髪を冬の凍てつく風に流し、先程と同様に今では背丈が遥かに高くなってしまった僕を見上げた。
彼女の頬に、着物と同じ僅かな朱が差す。
そしておずおずと、その小さな唇を躊躇いながら動かした。
「たけし…くん?」
うっ…
唐突に、心拍数がとてつもなく上昇したのを実感。
見慣れているとは言え、自他ともに認める美少女,普段と違うこの表情には戸惑わざるを得ない。
「あの、たけし…くん」
「ん?」
答える自分の声が、他人のモノの様に聞こえる。
何だコレは?! 瑞希に抱く初めてのこの感情,これはもしかして……
次の言葉が、彼女の唇から放たれる。
「この方が……萌える?」
ニタリと微笑む瑞希,凍りつく僕。
一際、境内の雑踏が僕の耳に届いた一瞬が妙に長く感じたりする。
「…僕が悪かったです,今まで通りで良いです」
「それでよろしい」
結局、今年も僕等の関係は変化は無いと確信しつつ、そこそこ参拝客のいる神社の賽銭箱の前に立った。
ポケットから縁を担いで五円玉を取り出し、投げ入れる。
ぱんぱん
拍手,そして、
「大学が受かります様に」
すぱこ〜ん!
後ろ頭を殴られた。
「何すんだ〜〜!」
思わず殴りやがった瑞希を怒鳴る僕。
彼女は不敵に微笑み、ビッシィ,神社の賽銭箱の向こう、御神体らしきモノを指差して言う。
「何よ、たけちー。こんな神様なんかに願いを託すの? アンタの願いはどこぞのもんか分からん、縁もゆかりも義理も血縁もない神様なんかに託して叶うような簡単なもんなの? そんなに軽いもんなの?」
「うぐぅ!」
そうか、願いを叶えるのは神頼みなんかじゃなくて、自分の力で叶えろ,そう言いたいんだね、瑞希。
お前にしては案外、普通で良いこと言うじゃないか!
「願いはね、こんな神様なんかに頼んじゃ叶わないわ!」
「うん」
そうだね。
「大体ねー、実際見たこともない、いるかいないか分からない神様なんか信じないでよね」
「はぃ?」
「いたとしても、神様もこの時期は忙しいんだから、たけちーのお願いなんて聞く訳ないじゃないのさ」
おぃおぃ…
「キリスト? アッラー? 奈良の大仏? いたらアタシの前に出てきてみろってのよ」
「奈良の大仏は多分違う…」
「だからね、たけちー。神様は自分で作っちゃえば良いのよ」
「は???」
彼女の言っていることが、まぁ、良くある事だがさっぱり分からなくて頭の中が真っ白になった。
「し、新興シューキョーですか?」
かろうじて出た言葉。
「あんなエセ精神論者ども、かえって信じちゃヤバイじゃない。私はね、目に見えない神様信じるよりも、自分で作った神様信じて、ソイツに願いを託せば良いって言ってんのよ」
「無茶言うなーー!!」
カップメンか、お前の言う神は?!
しかし、
「無茶じゃないわよ。今日はこんな事もあろうかと、たけちーに神様の子供を作ってきてあげたわ」
得意満面に瑞希は、あまりない胸を張って言った。
「神様の子供……作って??」
「そ,普段頑張ってるたけちーにアタシからのお年玉♪」
ごそごそ,瑞希は手にした小さな巾着袋の中から何かを取り出した。
それは…
「うぃ!」
僕に差し出された瑞希の手のひらの上に乗るは、体長10cmほどの……
「小人???」
「まったく、ダメねー、たけちーは一人じゃ。そんなんじゃ叶うものも叶わないわよ。まぁ、アタシがちゃんと見ていてあげるから安心して良いけどねっ!」
すでに瑞希の声は僕の耳に入っていなかった。
注意力は98%、瑞希の手の上で僕に挨拶する男の子だか女の子だか分からない、瑞希が呼ぶには『神様の子供』に注がれていた。
生物特有な滑らかな動きは、これがロボットの類ではない事の証…だと思う。
「あの〜、瑞希さん?」
「なぁに?」
「これ……生きてるの?」
震える指でその生物を指差す僕に、彼女はあっさりと、
「当たり前じゃないの」
ついにナマモノに手を出しやがったーー、コイツ!!
佐藤 瑞希――彼女はこれまでシャレにならない発見、発明の数々を成し遂げている科学者でもある。すなわち世に言う天才。
大学受験に際しても、某国の最高学府から特待生としての条件を出されたくらいだ。
だが関心のない彼女は、僕と同じ大学を普通に受験する道を選んでいる。
そんな彼女、今までの発明や発見でもそうだが、大抵こうして人を脅かす事(もしくは困らせる事)に重点が置かれているのが常なのだ。
「ど、ど、ど、どうすんだ!? コレ?!?!」
指差す僕に、小人はこちらに哀しそうな、困った目を向ける。
「どうするって……たけちーが育てて、たけちーだけの神様にしなよ。その為に造ったんだから」
「んなもん、育てられるかーー!!」
「2日で巣立つのよ」
「早っ!」
シーモンキーかい!
「ちゃんと育てれば、結構使える神様になると思うわ」
僕は僕を見つめる困惑顔の小人を見て、
「いらない」
「そう?」
あっさりと彼女は頷き、小人を賽銭箱に向って、
投げ、
「ちょっと待てぃ!」
ぐっと瑞希の小人を握る右腕を掴む。
「何をしてる,何を?!」
「何って、要らないなら賽銭代わりに入れとこうかと」
「命を粗末に扱うなぁ!!」
「っうか、神様のトコに返そうかと思っただけだけど?」
「返らないっての,無茶言うなよ」
僕は瑞希から小人を奪い取る。
「そもそもどうやって造ったんだ? 遺伝子工学か??」
「気合いと根性と、メルクリウス・プリティやった事あれば誰だって造れるわ」
「造れるかっ!」
大きく溜息一つ。僕は手の中の小人を改めて見る。
「これって、男なの、女なの?」
「神様に男も女もないわよ」
「そか」
手の中には怯えた小動物の瞳があった。
人の言葉を…理解している??
僕は彼だか彼女だか分からない、その小人に微笑んだ。
「大丈夫、瑞希のトコには戻さない。僕が守ってあげるから」
「うぃ!」
返事と伴に、ニコっと安心した笑みが手の中に広がる。
その時、隣の瑞希の表情が一瞬厳しいものになった事に、僕は気付いていなかった。
ぱたん
後ろ手に僕は自室の扉を閉める。
「ふぅ」
思わず溜息。
そのまま参考書の広がる平机の前に進み、小学時代から慣れ親しんだ椅子に腰掛ける。
「ほら、もう出てきていいぞ」
ごそごそ
「ん!」
僕のセーターの襟元からひょこりと、そいつは首を出して、そして全身を現す。
年の頃は人間にすると5,6歳。どんなセンスだか分からないが、浴衣のような,どこか古代中国を彷彿とさせる茶色の着物を羽織っている。
そんな、男の子だか女の子だか分からない、手のひらに乗ってしまう身長10cm程の小人。
こんなものを両親に見せたら、きっと夢の世界の住人になってしまうに違いない。
「ま、明後日には成人するって言うし、それまでの辛抱だな」
…成人した後、どうなるのか敢えて想像しない僕は弱虫だろうか?
僕の腕を伝って、頼りない足取りで机の上に降り立つその子を眺めながら、そう思う。
これは瑞希の創り出した神の子。
本当だか嘘だか分からないが、『あの』瑞希の作ったモノだ,フツーのモノのはずがある訳ない。
いや、すでにこの子の存在自体フツーではないのだけれども…。
だからと言って、おいそれと処分できるモノでもない。
「何で瑞希はお前を造ったんだろうな?」
僕の呟きに、机の上のその子は小さく首を傾げた。
佐藤 瑞希――全分野に渡る様々な知識を深くその身に宿す彼女に、幼馴染みの僕から見てもお世辞なしに、手に入らないものはない。
そんな彼女が神頼みという発想を、斜め45度ほど外れてはいるが実行に移すとは。
僕へのお年玉とかなんだとか言ってはいたが、僕の新年の願いなぞ十中八九知っている彼女が本気ならば、僕の頭に手術を施してでも知識を強化させたりするに違いない。
しかし今回は、妙に遠回しだ。
これはいつもの彼女独特の気紛れから発生した研究成果なのか、もしくは奥深い…お年玉なんぞ関係なしに、彼女にすらも手に入れることの出来ないモノを手にする為に行った研究の成果だったのか?
「って、考え過ぎだな」
僕は苦笑い。
参考書の山の上に腰降ろすその子の頭を指先で軽く撫でると、昨年やり残した数学の問題週に取り掛かった。
「っかしいなぁ?」
その時、顔を机の上から上げて初めて気が付いた。
窓の外が暗い。
新年1日目の夜は更けていたのだ。
そして僕の手がとうとう止まる。
どうしてもこの図形の問題が解けない,何か、そう、どこかに何かヒントがあるはずだ!
僕は机の上の問題用紙をジッと…見つめる。
ジッと、ジッと……
ジッと…
「ダメだ〜〜!」
がっくり、肩の力を落す,と、その時。
「うぃ」
小さな影が、棒を持って視界に。
「どうしたの?」
それは今まで飽きもせずに僕とノートと参考書を眺めていた神の子だった。
ぽてぽてと歩きながら、まるで丸太の様に手にした鉛筆で問題の図面に補助線を一本。
「あ!」
僕は驚く。
「うぃ!」
神の子は僕を見上げ、笑って頷いた。
書き込まれたのは解答への決定打。
「なるほどな,スゴイな、お前」僕は人差し指で頭を撫でてやる。
神の子は嬉しそうにニコニコ微笑んでいるだけだ。
僕はそんな子を眺めながら、椅子にもたれて大きく背伸び。
と、ペン差しの中にいいものを発見。
それを手にして、
「ほらほら」
神の子の前で振った。それは…
「ん!」
神の子は短い両手を伸ばしてそれを捕まえようとする。
僕が振るのは、ウチで飼っている猫用のねこじゃらし。
針金の先端にふわふわした物が付いている、あれだ。
「ん!」
ひょい
「うぃ!」
ひょい
「にゃ!」
ぽてぽて
ノートの広がった机の上を、神の子はパタパタと右往左往。
可愛らしいその顔の両目は、真剣に針金の先のふわふわを追っていた。
ぱし!
「うぃ!」
「お、良くやった」
小さな胸を張って、神の子はふわふわを両手に勝ち誇った笑顔。
ガラリ
「なぁに、やってるのよっ」
そんな少女の声は僕の右手から。
隣の家――すなわち佐藤家の2Fにある瑞希の部屋の窓と、僕の部屋の窓の間との距離は50cmばかり。
鍵は確かにかけているはずなのに、万年暇なのか,彼女は隙あればこうして窓を介して侵入してくる。
「何って、遊んでるんだけど」
「うぃ!」
先程の紅い晴れ着と正反対の,ラフなTシャツ・ジーパン姿の瑞希はやや不機嫌を顔に浮かべて僕の背後にあるベットに腰掛ける。
「あ、そ。で、勉強は進んでるの?」
面倒くさそうに問う瑞希。こういう時の彼女は僕が答えても、その問い自体が特に聞きたいわけでもなく発しているものなので、聞いちゃいないんだ。
思った通り、ベットの下に置いてあった年末に買った週刊誌を見つけると、彼女はベットに寝そべって読み始める。
…仮にも健全な男の子の部屋で、そう無防備になられても困るのだが。
「何しにきたんだ?」
そんな彼女に溜息一つ、僕は問う。
「来るのに理由いるの?」週刊誌から視線を外すことなく瑞希。
「一応、僕は今、受験の追い込み中なんだけど」
「私もそうよ」
「…余裕だな」嫌がらせなのか何なのか、学校、学部、学科まで僕と同じトコロを、それも一般受験で望む彼女の本意は読めない。
もっとも彼女の頭脳ならば寝てても受かるとは思うし、彼女が受かった分、僕の枠が減るなどと幼稚な事は考えないけど。
「余裕、だと思うの?」声に高低なく瑞希は問う。
「そりゃそうだろう? ってか、お前なら海外の最先端の大学に行けるだろうが。何で僕と同じ僻地の三流大学なんて行きたがるんだよ」
「…じゃ、ないわよ」
「は?」
「余裕じゃないって、言ったの!」
唐突に僕を睨んで、瑞希は叫ぶ様に言い放った。
その思いがけない気迫に、思わず僕はたじろぐ。
「たけちーは分かってない、分かってないよっ!」
雑誌を放り投げ、ベットの上で立ちあがって瑞希は続ける。
「瑞希??」
「良い大学に行くことが幸せなの? 人生の目標なの? 何よりも、偉くなって有名になることが幸せなの?」
「え…、必ずしもそうとは言わないが、違うのか?」
「違うよっ! そうでしょう,私は、私はそんなの嫌だもの。ずっとずっと…」
僕に向って一歩、踏み出す瑞希。だが、
「あ」
足場の柔らかいベットの上、彼女は足を踏み外して倒れ来る,慌てて僕は、
「っと、危ないな」
椅子に座ったまま、彼女を抱きとめるのに間に合った。
幼い頃から変わらない香りのする髪が、鼻腔をくすぐる。
思ったよりも軽い彼女の体が、僕の膝の上に乗った。
「ずっと…一緒に」
「え?」
耳元で何かを囁く瑞希に僕は問い返すが、さっと体を翻して窓辺へ。
幼馴染みと付き合いは長いながらも心の読めない彼女は、何故か笑顔。
「たけちー,その子ね、ちゃんと育てないと邪神とかになっちゃうから気をつけてねっ!」
「じゃ、邪神?!」
「んじゃ、勉強ガンバっ♪」
言い残し、部屋へと帰って行った。
…ったく、何だったんだ??
「幸せって…なぁ? いつもながら良く分からん奴」
僕は机の上で猫じゃらしを抱く、天使のような顔をした神の子に向ってそう呟いた。
いきなりそれは夢だということが分かっていた。
”今年の初夢、なんだか良く分からんなぁ…”
夢の中で呟く。
何せ、目の前では女神がにこやかに微笑んでいるからだ。
女神であるという証拠はない。
だが、僕の夢の中、僕がそうだと言えばそうなのだ。
「武史さん、貴方の幸せはどういうものですか?」
女神はストレートでいて、曖昧でもある問いを放つ。
「そんなこと聞かれてもなぁ…」
先程の瑞希の言葉がどこか頭の中に残っていたのだろうか?
「では、貴方は大金持ちになれれば幸せですか?」
また答えづらいことを…
「あって損はないな」
「では大学受験に受かれば幸せですか?」
「落ちたら浪人だからな,まぁ、できれば受かりたいし」
落ちたらまた来年だからねぇ。
「恋人がいると幸福ですか?」
「ん〜、いれば……そうだね、嬉しいだろうね」
「それは瑞希さんですか?」
ぶっ!
「んな、なんで,ど〜して瑞希?!」
予測もしなかった問いに、夢の中で慌てる。
…なんで慌ててるんだろう、僕は?
「お嫌いなのですか?」
「…嫌いな訳、ないだろうが」
僕は顔を背けて、呟く。
不意に想像してしまう。
僕のカノジョとなった瑞希の姿を。
それはきっと……
頭を横に振る。
「今の2人の関係じゃ、無理だよ」
これは自分に対しての呟き。
何故ならお互い知りすぎてしまっているから。
今の、そう,親友という関係は恋人のそれよりも深く、2人の間を満たしてしまっている。
まるで儀式めいた漫才の様に、ああ言えばこう言うという図式が出来てしまっている間柄。
知りすぎてしまっているが故に、それ以上は進めない関係。
「無理と思っているから、無理なのかもしれませんよ」
「え?」
僕は顔を上げて、女神の顔を見る。
逆光で、見えない。彼女の顔はどんな顔だったのか,強くなる光の中で、僕は次第に女神の姿も、そして声も、まるで手の中に収めたシャボン玉の様に弾けて消えて行った。
光の中、掠れ行く女神の声が聞こえてくる。
「貴方の幸せは、なんですか?」
朝日がまぶしい。カーテンを閉め忘れたか?
僕はベットの中、寝返りを打つ。
…?
打てない。
胸のところに何か大きなものがくっついているようだ。
はて?
僕は眠気眼をこすりながら、朝日の差しこむ部屋に目を向けた。
時計の針は8時。
昨晩は確か一時頃に床についたから…7時間睡眠といったところか。
僕は胸の重みを確かめんと、布団をめくる。
「へ?」
我ながら、間抜けな声だと思う。
僕の胸には、6,7歳の見知らぬ女の子がすやすやと穏やかな寝息をついてしがみついていたからである。
「うわぁぁぁぁ!!」
と、思わず叫んで気付いた。
この子…神の子?
「ふに?」
眠たげな瞳を両手でこすり、少女は僕を見上げ、
ばふっ
布団を頭から慌ててかぶせる。
ドタドタドタドタド…
階段を登ってくる足音,そして、
「どうした、武史?」
「何かあったの??」
驚きの表情を浮かべて飛びこんでくるのは、言わずと知れた僕の両親。
「あ、な、なんでもないよ、変な夢見ただけだから」
やや引きつった笑みを無理矢理浮かべて、僕は2人に言う。
「そうか,父さんはてっきりお隣の瑞希ちゃんが夜這いをかけたものかと思ったぞ」
「あら、お父さん,それはそれで良いんじゃないですか?」
「それもそうだが、男だったら夜這いってのはかけられるものじゃなくてかけるもんだぞ、ぶわっはっは!」
「ほっほっほ!」
…バカ親どもめ。
内心舌を出しながら2人を部屋から追い出して、僕は布団を取ってやる。
「おはよう」
「おはよっ」
邪気のない笑みで返事をする神の子。子供は苦手な僕だが、あまりの可愛らしさに思わず頭を撫でてやる。
唐突な成長ではあるが、昨夜との違いを検証してみる。
サイズは人間並みに、また性別が決まって女の子になったようだ。外見年齢も僅かながらだが大きくなった様にも思える。
「しかしびっくりしたぞ。急に大きくなるんだもんなぁ」
「ごめんなさい…」
しゅんとしてしまう神の子,慌てて僕は取り繕う。
「謝ることじゃないって,ちゃんと大きくなってくれて嬉しいんだからさ」
「嬉しい?」
「うん、嬉しいよ」
「よかった!」
言って僕の胸にしがみつく少女。
と、その瞬間、思う。
この神の子が、どこか瑞希に似ていることに。
「幼女に抱きつかれてすんごく嬉しそうね〜、たけち〜」
出たな。
視線を窓辺に。
「おはよ、瑞希」
「おはよっ」
僕と神の子の挨拶に、彼女は窓の向こうで面倒くさそうに右手を振るだけ。
長い髪を無造作に下ろした彼女は、また夜更かしして何か怪しい研究でもやっていたのだろう,どんよりとした瞳をこちらに向けている。
大きめのパジャマの襟が右肩からずり落ちかけ、白い肌が陽光の下に露になっていた。
「おやすみ、瑞希」
「たけちーの声でもぅ目が覚めちゃったわよ。ど〜したのよ?」
起きるのか?
「この子だよ、急に大きくなってたからびっくりしてね」
「ん〜」
瑞希は目を細めて僕の隣の神の子を見つめる。
少女は瑞希に見つめられ、僕の背中に隠れてしまった。
「恐がってるぞ…」
「失礼ね〜、生みの親に対して。ま、いいわ」
瑞希は大きく背伸び。パジャマが右肩から完全にずり落ちた。
花盛りの18歳がはしたない格好を…
「瑞希、仮にも男の前でそんな格好するなよ」
「ん?」
彼女は自分の姿を改めて見まわし、
「たけちーだから良いのよ、ってかもしかして萌え萌え?」
「萌えません」
「むー!」
その時だ。
「瑞希、起きたのか?」
彼女の部屋の扉が開いたのが見えた。開けたのは彼女の親父さんだと思う。
「いやぁぁーーー!!」
ドゲシィ!
バタン!
親父さんであろう人影は、彼女の回し蹴りによって廊下に吹き飛ばされ、速攻で鍵がかけられた。
「ったく、花も恥らう娘の部屋にノックもしないなんて、何考えてるのよ。ねぇ、たけちーもそう思わない?」
「あ、ああ…」
なんとも声が出ない。人によって反応違い過ぎだよ、瑞希…
そんな僕を、神の子が冷静に見つめていたことに、この時気付く由もなかった。
「おまたせっ!」
「言い出しっぺが遅刻するなよ〜」
「ごめんごめん」
1/2、この日も昨日以上に空が高かった。
晴天の下、僕らは近所の市立公園に来ていた。
市立公園といっても団地の端っこにちんまりとしているような公園とは違う。
東京ドーム5つ分はある、噴水はもちろんのこと、湖やちょっとした森まである大きな市民の憩いの場だ。
その一角の、時期的にであろう,やや元気のない芝生の茂った広場に座るのは僕と神の子、そしてたった今バスケット片手に駆けてきた瑞希の三人。
受験追い込みのこの時期にこんな場所にいるのもどうかと思われるが、昨年末から詰込みすぎていたのでこんな息抜きも一日くらいは良いだろう。
何より、この神の子を部屋に置いてあるのを両親に見つかった時の説明が面倒くさすぎる。
という、瑞希の提案で僕達はここにいる訳だが…
「準備してたら遅くなっちゃった」
「準備?」
訝しげに問う僕の隣にスカートを広げて腰を下ろした瑞希が、バスケットを開けた。
「そろそろお昼でしょ? サンドイッチ作ってきたのよ」
「なるほど、さんきゅ〜」
「おっ昼ごっはん♪」
唄いながら、ぱたぱたと駆け寄ってくる神の子。
「ちょっと早いけど、もう食べよっか?」
「そうだな」
瑞希はごそごそ、バスケットの中からサンドイッチを取り出して、
「ちゃんと座って食べるのよ」
「はぃ!」
神の子に手渡す。少女はちゃんと従い、きちんと正座して受け取った。
…座りにくくないか?
「はぃ、たけちーも」
「ああ。ありがと」
ハムサンドだった。
「はい、あとお茶ね。紅茶にしてきたわよ」
「ん、おいしいよ」
「おいしー」
「ありがと」
笑って瑞希は神の子の頭を撫でた。
穏やかな陽光の下、緩やかな刻が流れる。
こんなのは久しぶりな時間のような気がする,嫌いな時間じゃ、ない。
「あれ? 近藤に佐藤じゃないか。何やってんだ?」
聞き慣れた声が背後から。
「あ、市村。それに若桜さんも」
振り向いた視線の先には同級生が2人。
市村という男子と、彼と仲の良い若桜という女子だ。
…やっぱり付き合ってたのか。
若桜さんはつぃと、視線を神の子へ。
「2人の子供?」
ぼそり、呟く。
「なかなか良いボケですね、若桜さん」
という僕の言葉なぞ聞きもせず、
「そうなのよ、お母さん似でしょう?」
とこちらは瑞希。
「ええ、目許が特に」
「「おいおい…」」
僕と市村の同時ツッコミ。
ふと、思う。
それは唐突で、些細な雑念だった。
もしかしたら、心の底で思っていることなのかもしれない。
僕と瑞希,そして二人の子供。その間に流れる穏やかな時間。
きっと、それは僕の好きな時間−−
慌てて首を横に振る,何を考えてるんだか。
その間に、市村は若桜さんの右手を取っていた。
「三人の時間をこれ以上邪魔しないよ。さ、行こう,玲」
「ん」
手を振り去り行く二人に、神の子も大きく手を振る。
「たけちー、聞いた?」
「ん? 何を?」
2つ目のサンドイッチをぱくつきながら、僕は瑞希に問う。
「市村くん、若桜さんのこと、『玲』って呼んでたわよ。学校じゃ『若桜さん』なのにね」
「そいや、そう呼んでたなぁ」
「何で男の人って呼び方にこだわるんだろうね?」
言って彼女は紅茶を一杯。
「別にこだわりなんぞないと思うけど?」
「たけちーだってこだわってるじゃない」
「そうか?」
僕もまた紅茶を一杯。
「昨日、言ってたじゃないの」
「んー」
そう言えば、そうだなぁ。
「私、思うんだけどさ」
「ん?」
「男の人って、付き合ってる女の子の事、名前で呼びたがるよね」
「そうか?」
「そうじゃない?」
「んー」
サンドイッチ、三個目。
神の子もまた、僕の隣で三個目を口に運んでいる。
「たけちー、私の事、瑞希って呼んでるよね」
「ああ」
紅茶に口をつける。
「それって、私と付き合ってるってこと?」
「ぶほっ!」
紅茶が鼻に入った。
「ごほごほっ!」
「照れちゃって…」
きゃはは,心底嬉しそうに笑う瑞希。
「びっくりしただけだよ」
相変わらず、唐突なことを言って人をからかう奴だ。
「でもさー」
新しく紅茶を入れてくれた瑞希は、ぼそりと呟いた。
「知りすぎちゃってると、そんな小さな変化も羨ましいよ」
「は?」
「ううん,なんでもないよ。はい、納豆サンドイッチ」
「納豆は…ちょっと」
「じゃ、塩辛サンドは? 結構イケルよ」
「……ホントかよ?」
「ホントホント」
「んじゃ」
ふと、サンドイッチを差し出す瑞希の手に触れる。
冷たかった。
「たけちーの手、あったかいね」
「寒いか、瑞希?」
「ちょっと、ね」
「カイロあげるよ」
懐から、今使っている使い捨てカイロを取り出そうとした、その時だった!
ぱたり
神の子の持つ紅茶の入った紙コップが倒れ、芝生の上に湯気が昇る。
「あああ…」
「ど、どうした?!」
胸を押さえる神の子に僕は駆け寄る。
どうしたら良いのか分からないが、前屈みにうめく彼女の背中をさすってやった。
「喉に詰まったのか?!?」
徐々に、光が生まれるのに気が付いた。
それは、神の子から。
「光ってる…??」
「大丈夫…」
眉間に皺を寄せつつ、神の子は無理に笑みを作って僕に答えた。
同時だった。
光が瞬間的に爆発したのは。
次の瞬間には神の子は消え、そこに立っていたのは…
「女神?」
異国の衣装を身に纏った、成熟した女性が芝生から5cmほどのところに浮いている。
にっこりと、微笑む彼女はその雰囲気がすでに人間のものではなかったが、間違いなく今まで一緒にいた神の子だった。
「成人したのよ」
冷静に呟く瑞希に僕は我に返った。
そして気付く。
神の子――彼女は瑞希の一部を『持って』いることに。
きっと瑞希は彼女を創り上げる際に己の細胞を転用したのではなかろうか?
若桜さんの言う通りだが、目許が瑞希にそっくりだった。
どこか憂いを帯びた、全てを見通したようなその瞳も。
「さ、たけちー。一応、この子は神様になったんだから、願いを聞いてもらいなさい」
「願い…っていっても」
しかし、女神はつぃと右手を出して僕の言葉を止める。
「私は武史さんの願いを叶えることは出来ません」
「「へ??」」
思わず間抜けな声を上げる僕と瑞希。
「武史さんは願いとは己の力で叶えるものと考えてらっしゃいますので」
「たけちー! 教育間違ってるじゃないの〜〜」
「そ〜言われても」
女神はそんな僕達を微笑みながら眺め、続けた。
「私の使命は決まっています」
「え?」
「何よ?」
「私の使命は、武史さんを幸せにすることです」
「幸せ?」
唐突に今朝の夢が思い出される。
幸せって…僕にとっての幸せは?
今まで流れていた穏やかな時間,幸せかもしれない。
何故幸せだったのか?
それは隣に…
「武史さんを幸せにすること…」
言って、女神は僕に手を伸ばし、
「たけちー!」
瑞希の悲鳴にも似た声が聞こえた。
女神は僕を抱きしめる,ふくよかな胸が頬に当たる。
「武史さんを、『私』がずっと守ってあげます」
頭上から聞こえるその声は、慈愛に満ちていた。
だがしかし、僕はそれと同時にもう一つの感情が含まれているのを感じる。
それは挑発。
と、女神の抱擁が解ける。
女神は瑞希に突き飛ばされていた。僕と彼女の間に瑞希は立ち塞がる。
「たけちーを守るのは私なの! アンタ、横槍入れないでよね! 私はアンタよりもずっとずっとずぅっと前から、たけちーだけを見てきたんだから!」
「え…瑞希、お前…」
「そうよ、好きよっ!」
勢い良く振り返る瑞希の瞳には、一度しか見せたことのない涙が溜まっていた。
彼女の涙は、深い罪悪感に捕らわれる。
一度だけ見たことのある瑞希の涙。それは…
「いけ、邪神!」
瑞希のそんな声を聞いて、はっと我に返る。
イカン,昔を思い出している場合じゃなかった!
瑞希の背後にはどこから見ても凶悪な、禍禍しい気を放つ邪神が一人。
「何じゃ、こりゃーー!!」
「私も育ててたのよ,邪神になっちゃったけど」
…子育てには向いていない性格なんだな、きっと。
「なにはともあれ、やぁっておしまい!」
「グォ〜〜!」
「だぁー、待て待てぇぇ!!」
どこぞの悪の女幹部のような瑞希のセリフに、僕は止めに入るが間に合わない。
邪神の鋭い爪が、女神に襲いかかり…
邪神の動きが、止まった。
女神の放つ言葉に、邪神は振り上げた腕を下ろす。
「ちょっと、何なのよっ! どうして言うことを聞かないの?」
瑞希の叫びは邪神に届かず、彼(?)は女神の隣に立つ。
「それは貴女の幸せを願っているからですよ」
かけられた女神の言葉に、唖然とする瑞希。
今度は女神は、僕にゆったりとした声で問いかけた。
「武史さん,あなたの幸せは、なんですか?」
僕の幸せ?
それは…きっと。
瑞希を見る。
「? たけちー??」
不安げな表情。
「僕は瑞希を……でも今のこの関係が変わるとは思えない」
「今の関係が続いて、何が悪いのよ?」
苦しげに答えるのは瑞希。何かが、僕の中で崩れた。
そう…だ。
何が悪い?
何がおかしい?
ずっとずっと一緒にいること。
良く知り合った彼女と,気兼ねしない彼女と、ずっと共に歩くこと。
途中、苦しいことも、喧嘩することも何度もあるだろう。
しかし、
それはきっと、間違いなくホントのところは心地好い時間だろう。
僕の幸せとは…?
要は、幸せか、そうでないか…だ。
実にシンプルじゃぁないか!
僕は瑞希が、好きだ。
シンプルに,敢えて修飾するのなら、好きな人達の中で一番好きだ。
そんな彼女と共にあること。
それは――
「そうだね,何も、悪くない」
「え?! あ…」
女神に視線を向けたまま、瑞希を抱き寄せる。
「難しく考えすぎてちゃ、ダメだな」
僕は胸の中の瑞希に微笑む。
戸惑った表情の彼女が、そこにいる。
幸せ、か…
「僕も好きだよ、瑞希」
「たけ…」
何か言おうとする彼女に、唇を寄せる。
肩乗せた僕の手から、瑞希の緊張が抜けて行くのが分かった。
お互い顔を上げた時、
女神も邪神もその姿を消していた。
高い空を、見上げる。
と、声が、聞こえた。そしてその声だけ故に気付く。
夢の中の女神と神の子が成人した女神は、同一だったことを。
”武史さんの願いは聞きましたよ”
願いは叶えないんじゃなかったのか?
”『叶えて』いません、『聞いた』だけですもの”
答える女神の声は笑っている。
”一つ、お願いがあるのですけど”
神様が人間の僕にお願いかい?
”武史さんは私の父親じゃないですか。私は親に甘えてるだけですもの”
親、ねぇ。で、願いって?
”私に、名前を下さい”
そう言えば名前、付けてなかったなぁ。
名前、ねぇ。
うん、そうだ。
ウィル、でどうだ?
”『意志』、ですか。そんなに私って、自我が強いですかね?”
気に入らない?
”ありがたく頂戴致しますわ”
嬉しそうな声が聞こえてきた。
頑張れよ、ウィル。
”さようなら、武史さん。お二人の幸せを、『お祈りして』おりますわ”
そして声は遠くへ。
視線を隣へ戻すと、瑞希もまた何かと話していたのか,丁度僕と同じく視線を戻したところだった。
「行っちゃったわね、武史さん?」
「んなっ! やめろよ、そんな呼び方」
「なによー、私だって考えてるんだからっ。今の私達の関係じゃ…」
ぽん
そこまで言った瑞希の頭を、軽く撫でる。
「お前も言ってただろ。何より、『好き』だったら,それだけ良いんじゃないのか…な?」
「……たけちーにしては良く出来た解答ね」
僕はカイロで火照った右手で、彼女の冷え切った左手を握りしめる。
次第に同じ温度になるのを感じて、気付く。
微笑む瑞希を隣に心地好い時間を噛み締めながら僕はこの日、幸せの一つを知ったことを。
End...