ジュエル・マスター


 1999年、地球を大災害が襲った。
 地震に洪水、噴火に大火災…、学者の言葉で言うと地軸が変わったと言うらしい。
 それによって北,南アメリカの西部が沈み、ユーラシア大陸とつながった。アフリカ大陸が沈み、オーストラリアとインドがつながる。
 ソ連の大半が水没し、日本が大陸に取り込まれるなど世界の様相は一変した。
 大災害と呼ばれるそれにより人口は十分の一以下と減少し、一切の現代的道具は使用不能となった。
 数百年前の生活環境にまで戻った人々は苦悩しながらも生きて行くことになる。
 追い討ちを掛けるように、爬虫類の突然変異した知識体,リーザルという種族が生まれた。
 彼らは人間よりも遥かに適応性があり、頑丈である。言わざるや、人間とリーザルとの間では激しい対立が生じた。
 肉体的に劣る人間は次第にその勢力を削られてゆく。自分達よりも高いレベルの生物…,自然は生物体を苦境から乗り越える力を与えるのであろう、一部の人間は進化した。
 進化した人間…彼らをサイコソルジャーという。


 2003年,7月7日,元中国中西部…
 その先に見えるのは果てしない砂漠だった。太陽は旅行く人々を嘲笑うかのように容赦なく乾いた砂を照りつけている。
 一人、薄汚れた茶色のフードに身を包んだ男がその砂漠に影を落としていた。
 彼の名は古樹 荘。今年で20になる純粋なヤマト民族であり、数少ないサイコソルジャーの一人でもある。
 彼は今、オアシス・アクアマリンへと向かっていた。廃都ペキンを出て1週間、予定では今日の朝方にはたどり着くはずであったが影すら見えない。
 しかし旅慣れた荘にとってはいつものことであった。
 「ん? 何だあれは?」かげろうが揺らめくはるか先に黒いものが見える。蜃気楼ではないようだ。
 「人間じゃねぇか!」近づいていく毎に形がしっかりしたものになっていく。荘は小走りに近づいて行った。
 半ば砂に埋もれた黒髪の少女である。歳は17・8といったところか。倒れてから少なくとも3時間以上は経っているようだ。
 「いや、まだ息はあるか…おい、しっかりしろ!」荘は残り少なくなった水の入った皮袋を彼女の唇に浸す。
 「う…水…」うっすらと目を開ける。黒い瞳,荘は彼女が同じ日本人であることを直観した。
 「気が付いたか、そら、水だ」荘の手渡す皮袋の中身を彼女は震える手で飲み干す。
 「ありがとうございました…はぅ」
 「気絶すな!」
 この後、荘は目を覚まさない少女を背負って5時間余り砂漠をさまようことになったという。


 「はァ〜、月の砂漠を〜♪」晴れ渡った夜空の下、荘に背負われながら少女はひどい歌声と背中の寒さに目を覚ました。
 果てしなく黄色い砂の続く砂漠では昼間の気温は50度を越えるにもかかわらず、夜間は零下を軽く割る。
 「よぅ、やっと目が覚めたかい?」歌声の主が声を掛ける。
 「あ…あなたは…誰?」
 「だ、誰と言われても…通りがかりの人間とでも言いましょうか」
 「どうして私を助けてくれたんです?」
 「まるで助けちゃいけなかったような言い草だな、それ」
 「ごめんなさい、そういう意味じゃないんです」
 「はいはい,まだ息のある人間を、それも美人をほっとく訳にはいかんでしょうが。なにも下心があってのことじゃないよ、安心しな」
 「…いい人なんですね」
 「そうでもない、この世の中だ。いつ君の敵になるか分かったものじゃない。ま、しばらくは君の味方だがね。俺の名は古樹 荘。君は?」
 「緑 冷香です。これでも日系二世なんですよ。あ、もう一人で歩けますから」
 「そう?」荘は静かに冷香を下ろす。
 「あ、あれ?」彼女は頭を押さえてうずくまる。
 「あれだけ太陽に打たれたんだ。無理するな」
 「…すいません」しばらくの後、彼女は再び荘の背にいた。
 「で、どうして砂漠のど真ん中で荷物すら持たずに倒れてたんだ?」
 「…見限られたんです。仲間四人でアクアマリンに向かっていたんですが、私だけ体力が続かなくて」少しためらった後、彼女は事の次第を打ち明けた。
 「ふ〜ん、よくあることだ。だが、あんたも悪いぜ。砂漠をなめちゃいけねぇ。しっかりとした装備品と信用できる仲間がいて、始めて砂漠の旅に挑戦する権利が得られるんだ。生半可な気持ちじゃあな」
 「でもあなたは1人じゃないですか」
 「俺の場合は信用できる仲間がいなかっただけのこと。一人の方が気楽で良い。今までは何度かこの砂漠を横断してるんだぜ」
 「へぇ〜」
 「しかし今回はまずった。もう水も食料もない。由々しき事態だ」
 「も、もしかして水は私が全部飲んじゃったとか…」
 「まぁ、しょうがないわな」
 「ごめんなさい!!」
 「謝ったところで水が出てくる訳もない。無駄な体力は使うな」
 「アクアマリンはここからどれくらいのところに?」不安気に彼女は尋ねる。
 「さぁな、道にまよっちまって。俺の感はよく当たるんだ」
 「…私、あなたの迷惑になるようでしたら置いて行って下さい。助かるものも助からなくなってしまう…」
 「なに馬鹿言ってんだい。それじゃあ、助けた意味がないだろ。ほら、あの砂丘を越えればアクアマリンの街が見えるかもしれん」
 「…あったかい…」
 「何か言ったか? 生きていれば必ず良いことがある。無闇にあきらめるな…ほら、どうだ! 見えたぞ、アクアマリンが…なんだ、寝てるのか」荘は眼下に見て取れる総厳な白い都を目指して、早足になっていた。


 今日も朝から暑かった。荘は部屋の外に用意された洗面器一杯の水で顔を洗い、口をゆすぎ、体を拭く。このアクアマリンでは言うまでもなく水は有料である。無駄遣いはもってのほかだ。
 「う、うん」隣のベットで冷香が目を覚ます。
 「ここは?」眠気眼で彼女は起き上がる。容赦ない日差しが窓から彼女を照りつけた。
 「アクアマリンの街のとある宿だ。死なずに済んだぞ」
 「…よかった」
 「じゃ、先に下の食堂にいるから降りてきな。朝飯くらい奢ってやるよ」荘は言って部屋を出た。
 「…来てしまったのね、アクアマリンに。私は一体どうすれば…」冷香は一人呟き、もう一つの洗面器に手を延ばした。


 酒場をも兼ねる食堂は混み合っていた。
 「朝から酒かい、不良少年!」
 「なんでぇ、サラサか。何の用だ?」赤茶けた肌の長身の遊牧民がカウンターに座る荘の肩を叩く。お互い長い仲のようだ。
 「龍泉侯からの依頼だ。お前の力を借りたい」表情を厳しくして言う。
 「アクアマリン王が?」
 「レベルはおよそ7。斧使いと槍使いだ。おまけに鋼のサポーターまで付けている。こいつはレベル5といったとこか」
 「何が目的だ?」
 「王にランド=メーカーなる者への服従と忠誠を迫っている。脅しとしてかは知らんが兵士の3分の1が一瞬でやられた」
 「ランド=メーカー、なんでも大災害以前からサイコソルジャーの覚醒に心血注いでいたって奴か」
 「ああ、軍隊なんて目じゃない奴等だ」
 「強敵だな。俺一人じゃ無理だ。おまけにサポーター付きじゃ手も足も出ない」無表情で答える荘。サラサはエールを注文し、彼の隣に座った。
 「確かにお前はレベル4にすぎんが、戦い慣れしている。奴等の油断を突けば勝てなくはない。ああ、言い忘れたが龍泉姫が捕らわれた」
 「…行くしかないってことか。分かったよ、サラサ」
 「時間は午後一時、王城の門の前だ。奴等はその時間に返事を聞きにやってくる」サラサはエールを一気に飲み干した。
 「健闘を祈る」席を離れるサラサを荘は振り返ることはなかった。
 「荘、どうしたの?」入れ代わるように冷香がやってくる。
 「仕事が入った、ここでお別れだ。これで旅支度を整えると良い」言って荘は財布を渡す。
 「お金、全部渡してどうするの。あなたはこれから…」
 「死人に金は要らない、ただそれだけだ。じゃあな」荘は静かに店を出て行く。
 「ちょっとまって! あれ?」冷香が追いかけようと後を追うがすでに彼の姿はなかった。


 薄暗い地下室に3人の男と1人の椅子に縛られた少女が思い思いに動いていた。1つしかない扉がノックされる。
 「ここ、ね」姿を現したのは冷香であった。彼女を見る3人の男達の表情には軽蔑か、あるいは無関心のどちらかである。
 「生きていたとはな。まぁ、いてもいなくても変わらんが」巨漢の白人の男が呟く。
 「この娘は?」答える者はいない。3人の男達はまるで冷香が見えないようであった。
 「私は龍泉姫。このアクアマリンの領主の娘よ。父はあなた達なんかに屈しないわ。どこの馬の骨かも知らないランド=メー…」龍泉姫の言葉は途中で途切れる。長髪の金髪男性に平手打ちを食らったのだ。
 「ランド=メーカー様の高貴なお考えを理解できない下司が! 黙っていろ!」
 「そろそろ時間だぜ、冷香、その女を連れてこい」身長が140に満たない小柄で醜い男が言い放った。


 白く塗られた巨大な城門に5人の人影が現れた。
 「返事はできたか? 龍泉侯!」
 「龍泉姫を放しな、下司が! ランド=メーカー関係の奴等は人質を取らんと何もできないらしいな」門の影から1人の男が現れて言った。
 「荘?!」
 「荘様!」冷香と龍泉姫が同時に声を上げる。しかし荘は一瞥しただけでただゆっくりと前に歩いて行く。
 「お前1人に何ができる? おもしれぇ、レイ、ソロ、手ぇ出すなよ。遊んでやるぜ」巨漢の男が一歩前へ出る。
 「俺の斧の力見せてくれる!」男が叫んだときには、荘の腕に生えた剣が男の左腕を切断していた。
 「ソロ、鋼の力を!」優男が不透明の槍を出し、巨漢の男の援護にはいる。ソロと呼ばれた小男が優男の後ろに付いた。
 途端に不透明だった槍に銀色の光が灯る。それを荘に向かって一振りすると石畳が爆発するように飛び散った。
 「くっ、しくじった!」飛び退く荘。
 「糞! 俺の腕をよくも! こい、冷香!」叫ぶ斧使い。
 「え?」荘は目を疑う。彼女が彼らの元にいるのも変だったが、何故に彼女を使うのか? 次の瞬間、彼はその理由を知る。
 「さっさと力を貸しやがれ!」巨漢の男が彼女の腕を掴む。途端に不透明な斧が緑色を帯び始めた。
 「んな! あの娘,何か力があったのか?!」
 「無数の飛び斧を食らって死ね!」八方から力を帯びた斧が荘を包み込んだ。
 「だめぇ!」冷香の叫びに斧は力を失う。全て彼の剣で叩き落とされる。
 「なっ、貴様!」男は冷香を突き飛ばす。彼女はその勢いで白亜の壁に叩き付けられた。
 「エメラルドの力っていうから連れてきたものを、ちっとも役に立ちやしねぇ」吐き捨てレイとソロにこの場を預ける。荘は手を出せず、唯逃げ回っていた。
 「ケッ、おい、レイ,生かしとけよ。止めは俺が…」と、斧使いの言葉が途中で潰えた。
 「? ジョー!?」叫ぶレイ。斧使いの首筋には一本の矢が生えていた。城門の上からサラサが放った物である。
 「ちっ、たかだか弓矢なんぞにやられやがって。レイ、さっさとやっちまおうぜ」
 「そうだな」2人の使い手はサラサを牽制しつつ、荘を睨む。
 「くそっ、手も足もでねぇ。サポーターの有り無しじゃ、こんなにも違うものか?」荘は呟いていた。そろそろ逃げ場もなくなっている。
 「うわっ!」不意に不幸が襲った。足下の崩れた石床に、荘は足をつまずかせた。
 「止めだ! 荘とやら!」鈍い鉛色の光を伴って槍が振り下ろされる。
 「荘!」割って入った冷香の背に槍が付き刺さった。
 冷香の返り血に荘のローブが赤く染まる。
 「冷香!」荘は彼女を抱き起こす。彼女の顔は血の気を失い、白くなっていった。
 「荘、私のエメラルドの力を…」
 「ちっ、最後まで邪魔ばかり! しかし今度は外さん。二人一諸にあの世に行きな!」再び鋼の力を帯びた槍が振り下ろされる。が、それは緑色の戦士によって止められた。
 「なんだ貴様は?」ソロが言う。荘と冷香の姿はなく、代わりに緑色の剣を持った戦士が1人いるだけ。
 「まさか…まさか融合か!」エメラルドの戦士は信じられぬスピードで切りかかる。一刀の下にソロが切り倒される。
 「勝てる訳がない!」背を向けたレイに容赦なく剣が襲った。


 「あれ、傷が消えてる?」気が付くと冷香は荘に抱き抱えられていた。
 「君がエメラルドのサポーターだったとは。おまけに融合まで」荘は優しい瞳を冷香に向ける。
 「そのおかげで私の怪我も直ったのね。ごめん、あなたの敵になるつもりはなかったの」視線を逸らせて冷香は言った。
 「終わり良ければ全てよし。いいじゃないか」彼女を下ろしながら言う。
 「きっときてくれると思っていたわ、荘」縄を解かれた龍泉姫がすかさず荘に抱きついた。サラサの咳払いで彼女は離れる。
 「じゃあな,サラサ、龍泉姫。またいつか合おう」
 「ちょ,もう行ってしまうの!」龍泉姫が抗議の声を上げる。
 「急ぎの用事があってね。近いうちにまた来るよ」振り向かずにその場を去る荘の右腕に、冷香はその細い腕を絡ませた。
 「偶然ね、私も丁度出発するところだったの!」
 「…は?」
 「旅は道連れ,明日の敵は今日の友っていうでしょ?」
 「?? さっぱり分からないんですけど…」
 これからの旅は、多少賑やかになりそうである。

END