ごぅごぅごぅごぅ………
風が唸る、まるで恐怖に駆られたかのように
カカッ! ごごん!!
暗雲立ち込める空に光が走り、草原に唯一立ち竦む松の木に炸裂。
ゴゥ!
薄闇の中、まるで灯篭のように弱々しい光を辺りに撒き散らし始めた。
風が湿り気を帯び、雨の予感を彼等に伝える。
「最後の闘い…だな、道満よ」
「フン! 冥府へと叩き落としてくれるわ、晴明!」
燃える灯り代わりの木を背景に、挟む様にして草原に対峙する二人の男達。
一人はまるで熊のような体躯に、白い物の混じった顎鬚を伸ばした中年の男。爛々と輝くその瞳にはまるで獣の如き雄々しさと生気が溢れている。
もう一人は少年。幼い顔立ちにはしかし、不思議と人を超越した理性と威厳が漂っている。
目の前の男とはまるで対称的な、中年が「動」ならば少年は「静」と受け取られるだろう。
二人は共に清められた白い礼服を身に纏い、高い烏帽子をかぶっている。
陰陽博士。
かつてこの日の本を治める王に仕えし、万物の理を知り、星を見て未来を予見する賢者。
ときの王、天武天皇が陰陽寮と呼ばれる秘術の専門職を有する役所を配置し、生れた役職である。
元々は吉兆を占う占い師―――対馬の卜部氏や渡来の秦・蘆屋一族に代表される――――の一派が、怨霊やたたりなど信心深い貴族に取り入ったことが生れとされるこの役職。やがてそこに仕える者の呼び名を取って、秘術を用いる者達を人は陰陽師と呼ぶようになった。
さて、対峙するこの二人ははたして陰陽師である。
礼服に編まれた奇怪な模様,手にする札、そして彼等それぞれの傍らに控える瑞獣…それらが明らかに彼等が貴族でも、武士でも、言うまでもなく到底庶民でもないことを物語っている。
と、中年の方がたぎる怒りを込めた瞳をギラリ,少年に向けて地の底から響くような声で言い放った。
「村上帝の時代よりわしら蘆屋一族を追い落とし、よもや今度は藤原の犬をも使うとは…出世欲の塊じゃのぅ、晴明!」
「おや、土御門神道が世の中に認められたのがそんなに憎いのですか? 道満」
涼やかに少年・晴明は言う。
晴明は現在、京の有名人・藤原道長に仕える陰陽師である。
先日、京の街を流行り病が襲い、晴明が己が開設した陰陽学術団「土御門神道」の弟子を率いて庶民の手当てに当たったことは有名である。
それも「この病は村上帝の頃よりの災厄,怨霊と化しているかつての陰陽師・蘆屋道満の仕業である!」などと風諜してまわったのだ。
「やり方が汚いんじゃ! 貴様は!!」
「げろげ〜ろ!」
相槌を打つように彼の隣に控える大きなガマガエルが鳴いた。
「学徒時代から貴様はずっとそうじゃ! わしの見出した発見は横からかっさらう,ようやくわしに振り向いてくれた女子をあっさりと横取り、挙げ句の果ては夜食用にと、せっかく残しておいた飯さえも食らいおる!!」
「あなたがのろまなだけじゃないですか」
「きゅう!」
澄ました声の晴明に、こちらは銀狐が相槌を打った。
「ともあれ、あなたはもう邪魔です。私の華やかな陰陽師物語の悪役に十分貢献してくれたお礼に、この鬼込めの小太刀に永久にその魂を封印して差し上げましょう」
にっこり笑って懐から短刀を取り出す晴明。
黒塗りの小太刀は燃え盛る松の木の炎の赤に怪しい光を照り返す。
「笑止笑止笑止!!」
ずっはぁ!
道満は両手を懐に突っ込み、何かを掴んで引き出す。
片手に三枚、両手に六枚の札が握られている。
「タイマンでわしが負けると思ったか?! いくら貴様が妖狐の血をひいていようと、大陸にて純粋な導師であったこの蘆屋の血に勝てると思うてか?!」
両手の札を、投げ放つ!
それぞれ6つの赤い軌跡となって、燃え盛る炎が晴明を襲った。
「私も強くなったんですよ、道満。だから直接出てきたんです。あちこちから秘術を盗んで、今はもう貴方は敵ではありません、そうそう貴方からも結構技術を盗ませていただきましたよ」
迫り来る炎にニコリと笑って、彼もまた懐に手を,6枚の札が握られている。
それぞれに記号のような漢字と、そして五芒星。
「ハッ!」
短い気合いを込めて投げ放つ。
青白い、冷気を纏って札の矢が炎を迎撃した,お互い対消滅する!
「絶対泣かしちゃる! 晴明!!」
「私の英雄伝説の肥やしとなりなさい! 道満!!」
「げろげ〜ろ!」
「ふーー!」
二人の陰陽師と瑞獣は駆け寄り、交錯し…
カチン
そして
鬼込めの小太刀が鞘に収まる。
Unsavory Ties
1000 Years later …
「はて、これは?」
荷物の詰め込まれたダンボールが所狭しと詰め込まれたテナントビルの一室。
20代後半であろうか,どこかぽけっとした風な青年は木箱を前に首を捻っていた。
古い、古い木箱だった。表面には墨で何やら文字が書かれているが古い文字なので彼には読めない。
紙札のようなもので封がされていた。
「なんでしょうね?」
ぴりり
あっさりと開ける。中には古いものであろうか? やはり御札のようなもので柄と鞘が離れない様、封がされた小太刀が一振り。
彼は手に取り、紙ごと小太刀を鞘から抜き放った。
キラリ
窓から入る真昼の光を受けて青白く輝く。錆び一つ見られない、無銘の逸品だ。
「? 実家の檀家からの荷物が紛れたんでしょうかね?」
さほど感慨も抱かずに、彼は鞘に戻して木箱に放り込んだ。
ぴー!
甲高い音が、この大部屋の向こう側にある台所から響いてきた。
「沸きましたか」
彼は散乱する荷物をひょいひょいと避けつつ、奥へと向って行く。
音を立てるヤカンに、蕎麦,油揚げ,ねぎ、そしてどんぶり2つ。
男はちらりと腕時計を見やる。針は13:30を指していた。
「そろそろ来る時間ですね。ある程度片づけたかったですが…やっぱり私一人じゃ無理ですか」
一人、笑いながら蕎麦を茹でる。さっとお湯に通し、だしの入ったどんぶりに。
油揚げとねぎを盛り付け…
「ひっこし蕎麦、完成っと」
ピンポ〜ン
「開いてますよ〜!」
インターホンの音に彼は地声で応えつつ大広間に戻る。
「結構広いですわね、蘆屋先生」
男と同じような、のほほんとした笑みを浮かべるのは来訪者である女性。
年の頃は20代前半か,男の長い髪とは対称的に、肩まで切り揃えた髪の間に縁なしメガネがキラリ、光る。
「待ってたよ、安倍君」
ほっとしたような男・蘆屋に安倍と呼ばれた女性は困った笑みを浮かべた。
「…先生一人じゃ引越しの整理はなかなか進まないと思ってましたが…予想以上ですね」
辺りに散らかるダンボール、飛び出た荷物の中身、ひっくり返った机などなど…見渡しながら安倍は言った。
「朝からずっとやってはいるんですけどねぇ。ついつい古いアルバムなんかが出てくると見てしまったり…」
「荷物を詰め込む時もそれ、してませんでしたっけ?」
「そうでしたねぇ」
「本や雑誌なんかも読んでしまうのですよね」
「ええ。さっきもついつい三国志を読破してしまいましたよ」
笑い合う二人。安倍の方は特に皮肉で行ったつもりでもない様だ。
何も考えていないような,いや、実際に何も考えていないのかもしれないが、二人のこの雰囲気、天然なのかもしれない。
「そうですわ、先生。私、ケーキ買ってきまして…」
足を一歩踏み出した安倍。その手には小さな箱が握り締められている。
こつん
彼女の足が、ダンボールに引っ掛かった。
「あらら?」
前傾姿勢になり、手の中にあった箱が蘆屋に向って飛び出した。
それも中身が箱から飛び出して…
「むぐ?」
ぐしゃ
蘆屋の顔面に一つ、頭上に一つ。
ケーキがどべしと炸裂した。
「あ、ごめんなさい。先生。大丈夫ですか?」
「美味しいね」
顔についたケーキを舐めながら、蘆屋は笑って言った。
「そうだ、安倍さん。ひっこしそば作ったんだけど」
「食べますわ」
「ちょっと待っててね」
蘆屋は顔をふきふき,台所に戻りどんぶりを両手に1つづつ。
少し冷めてしまっている。
「適当に座る場所、作っちゃって」
「はい!」
ダンボールをどけようと安倍がかがみ、物干し竿のようなものを除けようと引っ張った時である。
どきっ!
「のぺら!」
蘆屋の脛に、竿の先端が直撃!
よろけた途端、両手のどんぶりが滑り落ちた。
落下先には安倍の姿。
「あち、あちちちちちち!!」
「いてててててて!!」
荷物の中を跳ね回る2人。
ごちん!
盛大な音を立てて、二人は額をぶつけ合う。
「「くぅぅぅ〜〜〜」」頭を押さえ、うずくまる。
ぐらり
何かが傾く雰囲気。
ごぃ〜〜ん!
「ぷ!」
「はま?!」
どこから落ちてきたのか、大きな金だらいが二人の頭を直撃し…
ぱたり
そのまま二人は荷物の中で折り重なる様にして倒れ、動かなくなった。
唐突だがこの世には人には見えないものがある。
いや、一部の人間には見えたり、烏や猫といった霊獣の血を引くもの達には見えるそうだがね。
人に見えざる,人と同じ精神を持つ存在。
霊や怨霊,幽霊,妖怪といった怪異の類である。
実は世の中の犯罪のおよそ3分の1はコイツらの内、タチの悪いのが憑依して起っているのである、ここだけの話。
それを退け、滅し得るのが、かつてこの国にも存在した陰陽師といった秘術を操る術師達だったのだが、今では存在すら見受けることができない。
まぁ、同じ人間達を誘導し、迫害して表舞台から退けたのは人に憑依した我々、怪異達なのだけれども。むやみやたらに我々も滅ぼされたくないんでね。
そんなこんなで今の時代、我々怪異はしごく平和に時を過すことができていた。
時々、純真無垢な少年に憑依してとんでもない事件を起こす騒動好きな怪異がいたりするが、そんなのは大昔に疫病によって人間達を虐殺した太宰府藤原公に比べりゃ、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものさ。
それはまぁ置いておいて、人間はそのほとんどが我々、怪異の影響を受け得る。
夜の墓場を歩いたことはないかい? ちょっと背筋がぞっとしないかな?
殺人現場後を見かけると、同じ感覚を受けまいか?
それは近くに我々がいるからだ。人間は感覚的に我々を捕らえているのさ。
だから昔の連中は我々に常に敬意を払っていた。
金持ちに限っては陰陽師を使って退けていたりしたんだが。
今でも、我々を怖がる人間達は多い。恐くないフリをしている奴は多いがな。
その「恐い」なんていう感情を糧に、我々は生きているのである。そしてそう思う奴ほど、我々は憑きやすいのだ。
だが、世の中にはとんでもなく鈍感な奴がいる。
我々の雰囲気に全く気付かない、霊感0な奴等だ。
そんな奴には気付いてもらえぬから憑くこともできぬし、逆に運が悪ければそいつの存在に飲み込まれてしまいかねん。
守護霊とか、背後霊なんてのは存在に飲み込まれてしまい離れられなくなった同族のなれの果てが多いのである。まぁ、一部の物好きは子孫を見守るとか言って憑いている奴もいるがな。
さて、これからお話するのは、史上最凶な霊感0達に取り憑いた、二人の偉大な陰陽師の霊の世にも滑稽な物語である。
ん? 滑稽では喜劇だ? 悲劇だろ? だって??
本人達から非難があがっておるな。
だが、わしには喜劇にしか見えないのだが…
ともあれ、とくと御覧あれ!
世の怪異達より恐れられた、希代の陰陽師達の末路の喜劇を!!
時はやや溯り、視点には特殊なフィルターがかけられる。
都心の一等地に立つ、日当たり良好・最寄り駅より歩いて3分な絶好なテナントビル。
禍禍しい、殺伐とした雰囲気漂うそこは全てが空き家であった。
壁には人の魂を齧ると言われる死虫が駆けずり回り、辺りには苦悶のうめきをあげる借金苦に自殺した中年の怨霊や、己の体を食べては吐いて、また食べる餓鬼の姿やらが蠢いていた。
前言撤回。
その悪しき雰囲気の中心、テナントビルの一室には鼻歌を歌いながらダンボールの梱包を解く青年の姿が一つ。本日より格安でこのテナントを借りたようである。
と、青年の背後より忍び寄る影…それは顎まで口の裂けた羅刹女!
彼女は頭から男を丸噛り!!
すかっ!
通り抜ける。
青年はこのビルの、普通の人間ならば足を踏み込むことさえ躊躇する邪な雰囲気にはまったく、さっぱり、ぜんぜん気付いていない様だ。
このテナントビルは2年前に立てられ以来、自殺、倒産、強盗、火事、殺人、テロ、万引き、違法駐車(?)などなど、ありとあらゆる犯罪や不幸が起っている、いわくつきの物件である。
だがこの霊感0の男には、0故にほとんどその影響は受けない。
まぁ、こんなビルに店や事務所を構えても、客が来るかどうかははなはだ疑問であるが。
青年はまるでじゃれつくような羅刹女に気付くこともなく、やがてダンボールの中から木箱を見つけ出した。
ふと首を傾げると、おもむろにそれを開く。
中には一振の小太刀。
厳重でいて、強力な封魔の封印がなされていた。
ギャー!
札の影響であろう,羅刹女が唐突に砂と化し、滅びた。
ざざぁ…
死虫達が、潮を引いたように部屋の隅に隠れる。恐ろしいほど強力な霊力が込められている封印である。この太刀の中にはとんでもない魔物が封じられているのであろう。
「なんでしょうね?」
カチリ
青年はやはりおもむろに札を引き千切りながら太刀を抜いた。
操られている訳ではない、単に好奇心のようである。
途端、小太刀の中から邪悪な塊が沸いて出た! 憎しみ、恨み、全ての負の感情を凝縮したような、そんな禍禍しい怨霊である!!
そいつはニヤリ、目の前の青年を見やる。
「丁度良いところに。貴様の体、頂くぞ!」
襲いかかる怨霊! その姿は太古の陰陽師。かつては邪を払う職であった彼は、今や払われるべき邪と成り果てている。
「? 実家の檀家からの荷物が紛れたんでしょうかね?」
青年はさほど感慨も抱かずに、彼は鞘に戻して木箱に放り込んだ。
ばっちん!
怨霊と青年の体が触れた途端、怨霊の耳にそんな音が聞こえたような気がする。
まるでねずみ取りにねずみが掛かったような、そんな音。
「?? な、何じゃ?!」
怨霊は体を乗っ取ったはずの青年の背後で左右を見渡していた。
青年に触れないのだ。いや、それだけならまだ良い。
「…こ、この蘆屋道満が、こんな小僧に飲み込まれただとぉぉぉ!!」
絶叫。彼は身を右に、左に動かすが、青年から離れられない。
「1000年、1000年も晴明に復讐する時を待ったと言うのに! いきなりこれはないじゃろうがぁぁ!!」
誰に非難を上げているのか分からないが、彼はとかく喚いた。
ぴー!
甲高い音が、この大部屋の向こう側にある台所から響いてくる。
「沸きましたか」
彼は散乱する荷物をひょいひょいと避けつつ、奥へと向って行く。
「のわわわ!」
げこげこ
怨霊・蘆屋道満は後頭部を荷物にぶつけ、青年に引き摺られる。
彼は台所に立つ青年を後ろから眺めながら、思い切り彼の頭を叩いてみた。
すかっ!
通り抜ける。
希代の陰陽師・蘆屋道満の力を以ってしても、触れることすらかなわない。
「この小僧…何者じゃ? いや、わしの力が弱まっておるのか??」
周りを見渡してみる。
彼よりもずっとレベルの低い怨霊・妖怪があちらこちらに這い回っていた。
その内、部屋の隅の死虫の群れに向って彼は視線を投げてみる。
ごぅん!
赤い炎が上がり、あっさりとその区画が浄化された。
「…かつてよりも恨みの念で力は上昇しておる、となると…」
再び青年に向き直る道満。そばを茹でる青年の頭の中を凝視した。
うっすらと、彼の名前が見えてくる。
蘆屋和雄
「わしの血族か…なるほど、わしの力が効かぬのもわからんでもない」
青年は道満の子孫らしい。それも先祖顔負けの霊力を持ちながらも使い方を知らない…
長く黒い髪、大き目な瞳、やや浅黒い肌に整った面。道満の若い頃似てていなくもない。
だが発する気配は、どこかのほほんとしていて捕らえ所がない。常に注意を辺りに払っていた道満とはそこが根本的に異なる。
「そろそろ来る時間ですね。ある程度片づけたかったですが…やっぱり私一人じゃ無理ですか」
そんな青年の独り言に道満は我に返る。
「ひっこし蕎麦、完成っと」
青年が2杯のそばを仕上げると同時に、
ピンポ〜ン
そんな音が鳴る。
「開いてますよ〜!」
青年は地声で応えつつ大広間に戻る。慌てて道満はこんどは引き摺られない様、彼の後に続く。
「結構広いですわね、蘆屋先生」
そこには青年と同じような、のほほんとした笑みを浮かべた女性が一人。
美人の部類に入るだろう,ややつり上がり気味の瞳は狐を思い出させる。
そんなことはどうでも良いかもしれない。
今の道満には…
「んな! 貴様はぁぁ!!」
「あれ、道満じゃありませんか?」
女の背後には、道満と同じ陰陽の礼服を纏った少年の守護霊一人。
「待ってたよ、安倍君」
ほっとしたような蘆屋青年に安倍と呼ばれた女性は困った笑みを浮かべている。
「…先生一人じゃ引越しの整理はなかなか進まないと思ってましたが…予想以上ですね」
「安倍晴明! ここであったが1000年目,この恨み、晴らさでおくべきかぁぁ!」
「お久しぶりですねぇ、相変わらずアレっぽいですよ、貴方」
「朝からずっとやってはいるんですけどねぇ。ついつい古いアルバムなんかが出てくると見てしまったり…」
「荷物を詰め込む時もそれ、してませんでしたっけ?」
「そうでしたねぇ」
「よくも転生すらままならない、鬼込めの小太刀なんぞに封じてくれたものよのぅ、晴明」
「あんなに簡単に封印できるとは思ってもみませんでした。瑞獣のカエルのほうが強かったですね」
「き、気にしていることを!!」
「本や雑誌なんかも読んでしまうのですよね」
「ええ。さっきもついつい三国志を読破してしまいましたよ」
「とにもかくにも,災え、晴明!!」
印を切る道満。晴明はしかし、困った顔で印を切り返す。
「そうですわ、先生。私、ケーキ買ってきまして…」
安倍嬢が一歩踏み出した瞬間、何かにぶつかったのか上体が大きく揺らめく。
「あらら?」
「呪詛返し!」晴明は喝を入れた。
安倍嬢の手の中にあった箱が蘆屋に向って飛び出す。中身が箱から飛び出し…
「むぐ?」
ぐしゃ
蘆屋の顔面に一つ、頭上に一つづつケーキがどべしと炸裂した。
「糞! 返しおったなぁ」
「あ、ごめんなさい。先生。大丈夫ですか?」
「美味しいね」
顔についたケーキを舐めながら、蘆屋は笑って言う。
「そうだ、安倍さん。ひっこしそば作ったんだけど」
「食べますわ」
「ちょっと待っててね」
「こら、これから術をかけようと言う時に逃げるでない!!」
道満は背を向ける蘆屋青年を引っ張るが、彼は台所の方へと向っていった。もちろん引き摺られる。
蘆屋は顔をふきふき,台所に戻りどんぶりを両手に1つづつ。
少し冷めてしまっていた。
「適当に座る場所、作っちゃって」
「はい!」
「わしの渾身の呪詛、受けるがいいぞ、晴明!!!」
「フン,仕方ありませんね」
呪印は晴明が先に完成!
「黄泉へと帰るが良い,道満!」
晴明の放つ白光が、蘆屋青年を貫いた。
どきっ!
「のぺら!」
蘆屋の脛に、安倍嬢の動かした竿の先端が直撃!
「痛くも痒くもないわぁ! 呪え!!」
道満の放つ橙色の光が安倍嬢を包んだ。
途端、蘆屋青年の両手のどんぶりが滑り落ちた。
落下先には安倍の姿。
「あち、あちちちちちち!!」
「いてててててて!!」
荷物の中を跳ね回る2人。
「痛くも痒くもないぞ、道満」
「なにおぉ!」
「「ふん!!」」
同時に印を切る二人の希代の陰陽師。
ごちん!
盛大な音を立てて、二人の宿主は額をぶつけ合う。
「「くぅぅぅ〜〜〜」」
頭を押さえ、うずくまった。
「晴明、我が最大奥義、食らうがいい!!」
「とどめですよ、道満!」
高々と呪詛を並べる2人。
術は同時に完成した!
ごぃ〜〜ん!
「ぷ!」
「はま?!」
どこから落ちてきたのか、大きな金だらいが二人の男女の頭を直撃!
ぱたり
そのまま二人は荷物の中で折り重なる様にして倒れ、動かなる。
「あ、あれ?」
「…やっぱり」
拍子抜けする道満と額に手を当てる晴明。
「我が秘術が効かぬだとぉ!」
「いえ、道満。効いてますよ」
晴明は目を廻す2人の男女を指差した。
道満は首を傾げる。
「つまり我々守護霊は、受けた呪いが宿主に行くんですよ」
道満絶句。いや、
「意味ないじゃん!!」叫ぶ。
「そうでもありません。呪いが宿主を破壊できれば、後は直接我々に返ってくるのですから」
「…しかしお前の宿主、子孫だろ?」
安倍裕子,晴明の直系の子孫であり高い霊力を有している、がしかし霊感0の困った子であった。
「ということはお主、飲み込まれたクチじゃな?」ニタリ、道満は言った。
「飲み込まれた貴方にそう言われたくありませんね」図星のようだ。
お互い歯ぎしりしながら睨み合う。
晴明や道満ほどの力があれば、どんな人間であろうがとてつもない呪いに陥らせることができる。
しかしお互いに宿主が宿主,霊感0である上に高い能力値を実は有している。
二人の奥義を以ってしても、金だらいを落とすことが精一杯だ。
もっとも2人ともそれくらいのことで気絶しているが…
「ところで晴明よ…」
「なんです? 道満?」
「離れろ」
「無理です」
晴明と道満はお互い、背を合わせていた。
宿主同士が抱き合う様にしてその下で倒れている。宿主の距離が近くなれば、憑いている者同士の距離も近くなる、それは暗黙の決まりであった。
「気色悪い!」
「それは私のセリフです!」
沈黙
「…うがぁぁぁ!!」
「だぁぁぁぁ!!」
2、3秒で耐えられなくなったようだ。だからといって相手に呪詛をかけることは、宿主が目を覚ます時間が遠退くことを意味する。イコール、いつまでもこの状態が続くと言うこと。
自然と二人の八つ当たり対象は、辺りに跋扈する怪異達に向けられた。
「滅せよ!」
「呪え、朽ちろ、消えろぉぉ!!」
数刻後、
呪われたテナントビルはまるで寺社のような神聖さで満ちることとなる。
蘆屋和雄はなかなかに有名な探偵業である。
そして親友・橘良介は刑事である。
蘆屋のアシスタントを務めるのは大学時代の後輩・安倍裕子であった。
なにはともあれ、親友の引っ越し祝い兼仕事の依頼に来た橘はその光景に絶句する。
「さ、殺人事件?!」
散らかった部屋の中で、男女が折り重なる様にして倒れていた。
こぼれたどんぶりからのそばのつゆの温度から察するに、犯行時刻は数分前…
「あ、橘君。おはよ」
「そりゃ、そうだよな」
起き上がった死体に呆れ顔で刑事はのたまった。
「ん…あら、橘さん,こんにちわ」
「ども、安倍ちゃん」
刑事は床に落ちたそば、金だらいから経緯を瞬時に推理した。
普通の人間ならば思いもつかない展開を、この刑事はいともあっさりやってのける。それだけこの2人組との付き合いは長いのだろう。
もっとも推理したところで披露する気もなければ、語るつもりも馬鹿馬鹿しくてないのであるが。
「ど〜でもいいが、ちっとも片付いてないじゃないか。明日から営業だろう? 間に合うのかよ」
「まぁ、それは…」
「橘さんが来てくれましたから」
期待のこもった視線を橘に向ける、のほほん2人組。
「あ〜、悪いが今日は仕事の依頼に来たんだよ」
「残念ですがこの状況です、お断りいたしますよ」にっこり笑ってやんわり拒絶の蘆屋。
「仕事が終わったら手伝ってやるからさ」
はぁぁ、わざとらしい溜め息を吐きながら橘である。
「お仕事とは何でしょう?」
取り敢えず机を出して、安倍は訊ねた。
「うん、実はね…
橘の話はこうである。
2日前から昼夜問わず国道4号線沿いでひき逃げ事件が多発している。
その犯人の追跡を協力してもらいたい。
簡潔に言うとこうだ。
そんなもの、警官を総動員すれば良い,そう思われるのだがまさにその通り。
だが実際、昨日から行っているのだが全く見つからない上に現在進行形で事件は起っているのだ。
さらに不思議なことに、犯行現場を目撃したものは今までたくさんいるのだが、その全てが異なっているのである。車種はしかり、ナンバーは偽物。
いや一つだけ共通点はある。
運転手の姿が見えなかった…と。
ともあれ目撃証言の一致しないこの事件に警察の足並みは揃わず現在に至る。
そんな、何とも不思議な、どこか非現実的な事件であった。
国道4号線沿い。
道沿いには家がまばらに立ち、畑や田んぼが目立つ。
田舎だった。
交通量はさほど多くないが、幹線道路だけあって大型車の通行が目立つ。
「4号線沿いって言っても、40kmに渡って犯行は点在していますね」
蘆屋は事件の発生した場所を印した周辺地図を眺めながら呟く。
その後ろでは同じく辺りを見渡す橘と安倍の姿がある。
「先生,事故発生場所に何らかの法則性があるとか?」
「ないねぇ」
「四号線に反発する団体とかあったりな」
「ないねぇ」
安倍と橘の問いにあっさり答えながら、蘆屋は考える。
普段ぼーっとしている分、仕事のこの時だけは別人のように瞳に生気が宿る。
「共通点は、あるんですよ」
ぽそりと呟く。
「どんなだ?」
「被害者は全員成人です」
橘の問いに彼は応えた。確かにその通りなのだが…
「さらに見てみると、全員運転免許証を持っていますね。それもおそらく、最近車を何らかの形で廃車にした方がたでは?」
疑問ではあるが、明かな確信を持って蘆屋は告げた。
「…ではなんだ? 廃車にされた車の怨念か?」
「そんな非科学的な事、ある訳ないでしょう?」
一蹴する探偵。
「その線で調べてみれば良いのでは、と申しているんですよ」
「廃車業者ですか、先生?」
苦笑いを浮かべる蘆屋。
と、
「危ない!」
唐突に、本当に唐突に蘆屋は後ろの2人に振り返り体当たり!
3人は道路の向こうに広がる畑に飛び込んだ。
ぶぅん!
虚空から現われたライトバンが、3人のいた場所を通過する!
「な、なんだ?!」
「一体、どこから?」
「分からないですね、気を付けてください!」
蘆屋は畑の中で立ち上がりながら叫ぶ。
ライトバンは次の瞬間には現われた時と同様に虚空へと消え、今度は大型トラックが不意に姿を現し、道を外れて3人に向ってくる!
「先生、なんか危ないですわ」
「そうだね、安倍君」
「呑気だぞ、2人とも! アレが犯人じゃないのか?!」
「何じゃ? コイツは??」
「妖怪・朧車のようだな」
晴明と道満は襲い来るトラックを見やる。
それは2人の目には他の物に映っていた。
数10本の古タイヤと、その中に潜む木製の牛車の車輪。
車輪には入道然とした怒気をはらんだ表情の男の頭が付いている。
付喪神の一種である朧車,うち捨てられた乗り物に撮り憑き、「まだ乗れるのにぃ」と元の持ち主に恨み言をいうとされる。
今の時代、朧車に限らずこういった物の怪はあちこちに出没してはいるが、車という規模が大きい分、与えるダメージも大きそうである。
「陰陽…陰陽師ぃぃぃ!! 死ね死ね死ねぇぇ!!」
暴走していた。捨てられた車が多すぎたのか,もしくは目の前の二人に見覚えがあるのか…
「狙いは私達…のようだな」
「朧車は霊体を食いよると聞くからのぅ。力の強いわしらは大層美味しく見えることじゃろうて」
道満と晴明はお互い顔を見合わせる。
「食う?」
「私達を?」
くるり、同時に迫り来る朧車を睨み付ける。
衝突までおよそ1m…
「「舐めるなよ、小僧!!」」
道満の手から瑞獣・ガマの舌が。
晴明の手から瑞獣・白狐の牙が。
ざくり
どん!
呆然とする3人の前からトラックは消え、古タイヤがごろごろと転がり出した。
その数は…10や20ではない。
「な、なんだったんだ?」
唖然と呟く橘に、返事はない。
蘆屋と安倍は無言の内に出現した古タイヤの山に向う。
その中ほどに、古びた木製の車輪があった。
「先生、あれって…」
「ああ、文化祭の時にゼミで作った牛車の車輪だな」
端の方に彼等の出身校の学名が入っている。
「どうしてこんな所にあるんだ?」
「確か子供が転がして持ってっちゃったんですよねぇ」
「代わりを作るの、結構大変だったよなぁ」
しみじみ思い出す二人。
「おい、晴明」
「なにか?」
「これって。元々はコイツらが原因だったのでは?」
「………」
「何か言えぃ!!」
「何だかさっぱり分かりませんが、捜査を再開しようか?」
背後からの橘の言葉に、二人は振り返る。
「そうですね。まずはこの十字路から…」
「おい、もぅおわっとるぞ」
「この三叉路は妖しくないですか? 先生??」
「いや、こっちのT字路は?」
「おーい」
「無駄ですよ」
晴明の悟りきった声が道満には痛すぎた。
この日、当然犯人など捕まらずに徹夜で三人は引っ越しの片付けをしたのは言うまでもないだろう。
おや、橘刑事が欠伸しながら事務所を出て行きおった。車にエンジンかけ取るが、少し休んでからでないと事故るぞ。警察だろう、お主…
おっと、入れ替わる様にして老紳士風な男がテナントに入っていきおったな、客だろう。
何やら深刻そうな顔をしておるが、どれどれ…これはこれは、大事件の気配だな。
晴明と道満の反応が楽しみじゃて。
さて、今日はここまでだ。
また機会があれば、この鈍感な2人と腐れ縁な陰陽師どもの話をしてやろう。
では、またその時まで…
え? わしは誰かって?
わしは奴等のテナントビルの前に奉られている、古き日の武者じゃよ。
ここは東京は神田のビルの谷間。
機会があれば覗いてやってくれ,首塚と呼ばれる、街の喧燥をくり貫いた静かな場所があるからのぅ。
そう、わしの名は平………
おわり