last kiss


 唐突ではあるが、遠藤 晶と北見 葵は幼馴染みだ。
 それも今時、まるでドラマの中でしか見られない長い付き合いだったりする。
 生まれた病院も同じ,幼稚園から小学校、中学校,そして現在の、高校すら同じと言う、まさに『浩之ちゃ〜ん/何だよ、あかり!』ってな関係が予測され得る、そんな二人。
 世間の目はそう見る、絶対に見る,何気にも二人とも見た目だけは悪るかぁないからね。
 折りしも多感(?)な高校生の私達。そんな想像はあの二人をみれば誰しも思うさね。
 しかぁし! そう言う訳でもないんだな。
 近すぎるってのは、そんな感覚すら抱けないみたい。
 だから私はきっぱり言うよ。あの二人は付き合ってない。
 っていうか、親兄弟と話しているのと同じようなものなのさ。

自称(?)北見 葵の親友・緒方 睦の手記より抜粋 




 キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪
 下校を促すチャイムが一帯に鳴り響く。
 私立・慶京高校,一級河川・天竜川を間近に望むその高校はありふれた共学高校だ。
 「ふぅ」
 校門からおよそ100mばかりの所に巳空橋と呼ばれる総木製の橋がかかっている。
 真下には川幅30mばかりの清流が緩やかに流れ行く。
 そんな橋の上で深い群青に染まった空を見上げる少女が一人。
 彼女の脇を、同じ下校中の生徒が数人駆け抜けて行った。
 真冬日の今日は、夕方のこんな時間まで残っているのは運動部か、余程熱心な文化部くらいのものだ。どうやら彼女は後者に属するらしい,制服であるブレザーの肩に食い込むナップサックの他に大きなスケッチブックを抱えていた。
 「はぁ…26日まであと10日。終わるのかなぁ」
 独り言と白い息が凍てつく風に散る。僅かに憂いを含んだ瞳に、夜空の一番星が瞬いた。
 と、
 「お〜がちょ! 何たそがれてんだよぉ!」景気の良い掛け声は背後から。
 どげしぃぃ!
 「ふえぇぇ?!」襲い来る衝撃と驚きに間の抜けた声を上げるスケッチブックの少女。
 大きなスポーツバックが彼女の後頭部を直撃,なにか堅いものが入っていたらしく彼女はそのまま頭を押さえてその場にうずくまってしまった。
 「北見さん、やりすぎ…」
 「う、うん。そうみたい…ごめん、おがちょ」
 うずくまる彼女を申し分けなさそうに見下ろすは、同じ制服の2人。
 一人はショルダーバックを肩から下げた、長い髪の物静かな少女。目の前の頭を抱えた同級生を前に、しかし眼鏡の奥の瞳には冷めたものも感じる。
 対称的にもう一人はバカでかいスポーツバックと、空いたもう片手には長い棒、いや…和弓を担いだショートカットのよく似合う女の子だ。
 どうやら弓を持ったこの娘が黄昏る同級生を強襲したらしい。
 「生きてる? おがちょ?」つんつん、弓の先で突っつく彼女。
 「何すんのよ,葵ぃ!」
 うずくまる少女は目にいっぱいの涙をためて恨めしそうに抗議する。
 「いや、なんか元気なさげだったからさ。気合入れてあげたっしょや」
 ぽんぽん、彼女,緒方の肩を叩いて葵は笑ってごまかす。額に一筋の汗。
 緒方は大きくため息をつくと、隣の少女に目を向けた。
 「橘…さん。なんか珍しいツーショットね〜」
 「そう?」
 緒方のそんな感想に、眼鏡の彼女、橘 秀美は小さく首を傾げた。
 3人は慶京高校3−Bの同級生である。
 この橘はクラスで文を、そして葵,北見 葵は武を担っていると言って良い。
 対称的な性質を持った2人が一緒に下校しているのは、緒方には不思議に映っていた。
 「帰り道一緒だしね」笑って北見が答える。
 「遠藤君が先に帰ってしまって、相手にする人が私しかいなかったから…」
 同時に、橘は小さく呟いていた。
 ………沈黙………
 「で、おがちょは何を黄昏てるん? 花の土曜日だってのに」
 気を取り直した北見が緒方を立たせながら尋ねた。
 「コミケの原稿が、じゃなくて,もう卒業だなぁって思ってさ」苦笑いしながら答える。
 「そ〜だね〜。あ、秀美のアネさんはどうするんだっけ? 卒業後は??」
 思い出したように北見は隣の橘に問う。
 「…進学」
 「そか、私と一緒だね〜。でも私はスポーツ推薦だからちょっち違うか」
 「そうね」ばっさりと切って彼女は〆た。
 ………沈黙………
 「ええと、おがちょは確か」再び気を取り直した北見は未だに足元がおぼつかない緒方を支えながら尋ねる。
 「うん、私はね、葵とは違って…」
 「あ!」北見は不意に橋の下に視線を向け、何を見つけたのか柵に身を乗り出した。
 「「??」」二人は首を傾げる。
 北見は橋の上から真下に向かって大きく手をぶんぶん、振った。
 「師匠、何やってるんですかぁ?」
 声を張り上げる。
 「おお、葵ちゃん。学校の帰りかの?」しわがれた声が、返る。
 橋の下。河原の所にその人はいた。
 白い着物に赤い袴,神主なのか、白ひげが胸のところまである70代位の老人だ。
 「師匠?」緒方は怪訝に柵から降りた北見に尋ねる。
 「うん、弓の先生なんだ。北野天神の神主さんで、寺社の裏に弓道場があるの」
 「へぇ」三人は河原を見下ろす。
 老人のまわりでは、7,8人の中年から初老の男達が、こちらは動きやすい作業着で両岸にロープやらネットやらを張っている。
 「明日の祭りの準備をしておるのじゃよ」好々爺の老人は上を見上げてそう答えた。
 「祭り?」こちらは北見。
 「ああ。俊泳祭じゃ」
 「「俊泳祭?」」
 名称をリピートする北見と緒方に、橘がまるで資料を読むかのように説明を加える。
 「ここの北野天神社に古くから伝わっているお祭りよ。男子の成長を祈願する祭事で、三途の川を一度渡って神の領域に足を踏み込むの」
 「ど、どうやって?」一度死ぬのか? 表情にそれを映した緒方。
 「三途の川をこの天竜川に見立てるのじゃ」答えは下と、フォローは隣から。
 「天竜川を泳いで渡って、対岸に用意された神の魂を表わす生たまごを食した後、再び泳いで戻ってくる…」
 「寒くて死ぬがね」北見は正直な感想。要は寒中水泳ということだ。
 「寒さで手足が硬直して、溺れるのを避けるためにこうしてロープやネットをはっとるのだよ」
 「そっか」作業着姿の男達を眺めながら緒方は納得。
 よくよく見れば作業着の中年達は町内会の人達だった。
 「しかし困ったことがあってのぅ」
 「「「??」」」心底困った風の神主。
 「若い衆が集まらなくての」あきらめたかのような明るめの苦笑を深い皺に浮かべた。
 「わしの門下生は強制参加させるとしてものぅ」
 「ええと…4人くらいでしたっけ?」指を折りながら北見は通いの道場の人数を思い出す。
 「そうじゃ、葵ちゃんの同級生で参加してくれるような子はおらんかの?」
 「そうね〜。晶は強制的に連れてくるとして」
 「鬼ね」五本目の指を折った北見に緒方はジト目。
 「良いのよ、私が泳ぐんじゃないんだから。そだ、おがちょにお兄さん、いたんじゃなかったっけ?」彼女の言葉にしかし緒方は首を横に振った。
 「おとといから風邪で寝込んでるわ。それこそ死んじゃうわ」
 「そか、秀美の姉さんには確か一っこ下の弟が…京太郎だっけ?」
 「京介のこと?」話をふられて橘。
 「そ。あの子はどう?」
 「ダメ」一瞬のためらいもなく即答する。
 「風邪か何かひいてるの?」
 「風邪ひかれたら困るもの」
 反論を許さない橘の発言に、北見と緒方は返す言葉もない。
 「さいですか…ごめん、師匠。とりあえず明日一匹、アタシの知り合い連れてくるわ」
 「ああ、助かる。すまないね」老人は皺の中に笑みを浮かべて頭を下げた。
 「いいのよ,師匠にはお世話になっているもの。それに…」
 北見は空を見上げる。
 二番目の星が、雲一つない群青色の高い空に冷たい光を投げかけていた。
 「新しいものはアタシ達が作るとして、古いものを残していきたいじゃない? それって大切なことだと思うし。きっとこの気持ちは晶も分かってくれると思うんだ」


 「ぶはっくしょん!」
 一戸建て、2Fにある部屋にそんな声が響き渡る。
 「あ〜、誰かが噂してんのか、それとも風邪引いたかな?」
 17,8歳位の青年が一人、自室であろう,コタツに入りながら、何気なくTVを眺めていた。
 画面の中ではこんな真冬にもかかわらずにビキニ姿の女子アナウンサーが、マイク片手にリゾート施設を紹介している。
 『広さ25万平方メートル,五代公園から歩いて5分で、背筋の凍るこんな冬でも常夏気分! 完全温水プール・アトラスビーチ,本日オープンです。早速私も楽しませて…』
 「へぇ、なんか工事してると思ったらこんなん作ってたのか」
 学校からの帰り道、何やら去年の暮れから視界の隅で工事していたことを彼はふと思い出す。帰り際にも部活の後輩の橘がそんなことをチラリと言っていたような気が…
 そこまで思い出した時、彼は一個しかない窓に人の気配を感じ、とっさに振り替える!
 ガラリ! それ同時に、
 「はっろ〜♪」陽気な声と
 ドゲシィィ!
 「のべらぁぁぼぁ!」
 振り向きざまの青年の額に豪快な蹴り、炸裂。一瞬白い靴下とパンツが見えたような錯覚アリ。
 窓から跳び込んできたのは一人の少女。先程、弓を片手にしていた北見 葵である。
 「これくらい避けろよ、晶〜 生きてるか〜」
 つんつん、彼女はひっくりかえったコタツの中で痙攣する彼を足の指でつつく。
 青年はガバリと起きあがり、怒りの剣幕で彼女に詰め寄った。
 「何すんじゃ、葵ぃぃ! 俺を殺す気か,この天真甘栗娘が!」
 ?? はて?
 「天真爛漫じゃ…それにそれ、誉め言葉だよ」あっけに取られ、葵。
 「そうなの?」
 「そうだよ」
 「そうかなぁ」
 「うん、そうだよ」
 「…」
 「…」
 見つめ合う二人。と、晶は我に返って小さく頭を横に振った。まるで今の会話を逸早く忘れるように。
 「で、毎度ながら窓から入ってくるんじゃねぇ! 玄関は何のために付いてんだ?!」
 「いいじゃん。近いんだしさ」のほほん、笑って葵はそう切り返した。
 彼、遠藤 晶とこの北見 葵はお幼馴染みのお隣同士だ。
 そしてベタな設定よろしく、屋根づたいに行き来できたりする。もっとも晶の方から彼女の部屋に行くことはここ数年なくなったが。
 「そもそも鍵をかけておいたはずだが」苦い顔で晶。
 「あんな鍵、アタシのヘアピンにかかれば」手にした赤い色の針金を見せびらかして葵は自慢気に微笑む。
 「…そんな手間が合ったら玄関から入った方が早いじゃねぇか」ごもっとも。
 「何よ、窓から入られたらマズイわけ? 部屋でイカガワシイことでもしているのかしら?」
 「そう思うんならなおさら玄関から入れって」
 「そう思うからなおさら窓から入るんじゃない」
 「…も、いい。で、何の用?」説得をあきらめたか、晶は姿勢を正して彼女に問う。
 が、葵はすでに興味対象が移ったのだろう,TVのバラエティ番組を眺めていた。
 「へぇ、駅前にこんなのできたんだ」
 彼女はTVを見ながら呟く。ちゃっかりコタツに入りながらみかんまでむき始めていたりする。
 「聞けよな、人の話。ま、いつものことか。それはアトラスビーチとかいうんだとさ」
 女子アナが客にインタビューしている、その画面を見ながら晶はご丁寧にも解説付き。
 「ふぅん…おもしろそうね。ねぇ、晶?」
 「ん?」
 「…明日、泳ぎに行かない?」少し上目使いに、ためらいがちに葵は尋ねた。
 「泳ぎにぃ?」対する晶は怪訝な顔。
 アイツ、昔っから新しいもの好きだからなぁ、と心の中で大きくため息の晶。
 「面倒くさいなぁ」正直な感想を漏らす。
 「根性ないわね」ボソリ彼女はミカンを頬ばりながら言った。
 「なんでたかだかプールが根性なんだ? それに俺、なんか風邪気味だし」
 「何よ、せっかく、私が乱一世が100%鼻血吹いて逃げ出すくらいのスゴイ水着を用意してあげたのに」非難がましく葵は額に皺を寄せた。
 「お前の見てもつまらんわ」ぷい、顔を背けて晶即答。
 「なによぉ,むっかつくわね! 自称・ミス慶京の私のダイナマイトばで〜を見た事もないくせに!」コタツをはねのけ、その場に立ちあがって葵は何やらポーズを決める。
 多分、色っぽいポーズをしているつもりなのだろうが、どう見てもギャ●ンの変身ポーズにしか見えない。
 「自称かい! それに見てる見てないって、小さい頃から見てるじゃないか」ブーイングの晶。ぴくり、今の言葉に葵のこめかみが引きつった。
 「今でも覗いてるの!? このチカン!」アッパーブローが晶のボディに劇画チックに食い込んだ!
 「ぐふぅ! 今のは効いたぜ…さすがは力石徹と言われるだけはある…」苦痛に顔を歪めながら晶は不敵に笑う。
 「誰が言ってるのよ」
 「俺。ちなみに顔がね」
 「………」無言でワン・ツー・パンチの葵。
 それをやはり無言で巧みに避ける晶。
 やがて打ち疲れたのか、葵はその場に腰を下ろす。
 「もぅ,いいじゃん、一日くらい付き合ってくれてもさ!」スネたように言い放ち、コタツに潜り込んだ。頭だけを外に出して、晶を怨めしげに見上げている。
 「はぁ」青年は大きなため息。
 「ったく。仕方ないな、付き合ってやるよ」ぶっきらぼうに言い放った。
 「だから出てこい」
 「ほんとに付き合う?」いぶかしげな葵 IN コタツ。
 「ほんとに」
 「男に二言はない?」
 「ありません」
 「絶対絶対絶対に?」
 「絶対絶対絶対に」
 「ほんとの…」
 「ええい、くどい!! 付き合ってやるって言ってんだよ」コタツに向かって晶は叫ぶ。
 ようやく納得したか、葵はポンとコタツから抜け出し、窓枠へ。
 「さんきゅ、晶。じゃ、明日7時ね」
 「えらく早いな!」
 葵は満足気な笑みで晶に手を振ると、来たときと同じく唐突に去っていった。
 『この番組は橘コーポレーションと、ご覧のスポンサーの提供でお送りいたしました』
 TVのバラエティー番組は終わりを告げていた。


 翌朝。
 厚ぼったい白い空から零れ落ちるものがある。玄関先で待ち合わせた二人は白く薄化粧した道に二種類の足跡を付ける。
 「雪降ってるね〜」
 「ああ。ところで行き先が反対じゃないのか?」
 晶の思っているアトラスビーチとは反対の方向へと二人は向かって歩いていた。
 「? 天竜川に行くんだけど?」不思議そうな顔で葵は言う。
 「何しに?」顔一杯に疑問を浮かべて晶。
 「泳ぎに」対して、当然といった顔の葵。
 晶はさらに疑問に額に皺を寄せた。そんな彼に彼女は思い出したように背のナップサックから赤い何かを彼に手渡した。
 「これが昨日言ってた乱一世が100%鼻血吹いて逃げ出すくらいのスゴイ水着ね。ちゃんと着るのよ」
 晶の手に握られるは赤い紐??
 「あ、赤フン?! っつうか、俺が着るのか?!?!」驚愕の晶。
 「あら、もうみんな来てる,お〜い!!」
 彼が理由を問う間もなく、二人は母校の見える河川敷に辿りついてしまった。
 葵は砂利の多い河川敷に設けられた簡易テントに集う男達に、笑顔で大きく手を振る。
 「よぉ、来たの」
 最年長の老人,唯一白い上着に赤い袴と、神事用の礼服に身を包んだ老人が二人を笑顔で迎えた。
 問題は残る男達だ。
 20名近い屈強な中高年の男達,3名の晶と同じくらいの青年。彼らは皆、赤フン一枚で冬空の下で立っている。全員が全員、青いを通り越して白い顔をしていた。
 近くでドラム缶の焚き火が置かれているがあまり効果がないように見える。
 異様だ、不気味である。そんな悪い夢のような光景に晶は呆気にとられる。
 そんな彼らをおかまいなしに、唯一着衣のある神主は品定めするかのように晶を上から下まで眺め回す。そして納得したように一つ大きく肯いた。
 「葵ちゃん,そいつかい? 自慢の彼氏っていうのは」
 「ちちち、違わよ,家族みたいなもんよ!」慌てて否定する葵。
 と、そこにようやく我に返った晶が割って入る。
 「? いや、そんなことよりもさ…」未だ状況飲み込めず、おずおずと口を出した晶のその背を、老人は嬉しそうに笑ってバシバシ叩いた。
 「若いもんが奨んできてくれるたぁ、嬉しいねぇ! この寒中水泳によぉ」
 「か、寒中水泳!?!?」晶は絶句。
 「おうよ、この天竜川を泳いで渡って、対岸で生たまごを飲む,んで戻ってくるっていう、この街の伝統行事じゃ…知らんのか?」不思議そうに神主。
 「何の伝統だぁぁ!!」
 「古くは鎌倉時代に藤原鎌足が…」
 「も、いいです」葵のフォローに晶は大きなため息と肩を落とす。
 そしてジト目で葵をにらみ付けた。
 「騙したな,葵」
 「何のこと? 泳ぎに行こうよって誘っただけでしょう?」素知らぬ顔で彼女。
 確かに間違ってはいない、だが。
 「…確かにそうだが。いや待てよ,お前は泳ぐのか?」
 「女子禁制じゃ」神主の老人ははっきりと告げた。
 「大丈夫です,葵は実は男だから…」老人に言って、晶は葵に無言に拳で黙らされる。
 そんな二人を見て、神主は苦笑。晶の肩を叩き、巳空橋の上を指差した。
 橋の中ほどには一台の大き目なワゴン車。
 車体の横っつらには大きくNBSとゴシック体で書かれていた。そしてその周りでは大きなカメラをセッティングする数名の報道人が忙しそうに動いている。
 「TV局も来ておるぞ。もしかしたらアイドルデビューの日も近いかも知れぬなぁ」見上げて老人は髭をさすりながら呟いた。
 「あ〜、それはないでしょう」手を横に振って葵。
 「それもそうじゃな、赤フンだものなぁ」
 「「がはははは!」」顔を合わせて爆笑する師弟。
 「おいおい…」そんな二人に晶は冷汗をぬぐって続ける。
 「こんなんやってらんねぇぞ!」
 「男に二言はないっていうじゃないの,昨日はやるっていったでしょう?」
 挑戦的に、葵は切り返した。
 「それとも、怖じ気づいたワケ? 案外度胸ないのね〜」
 「この…」晶は思わず振り上げた手を気力を以って制する。口ではこの少女に敵わない事はこの17年間で痛いほど思い知らされているのだ。
 晶は大きく深呼吸。
 と、そんな時に巳空橋の上。
 TV局と祭のやじ馬が集まりつつある人だかりの中に見覚えのある人物を発見。
 先方も気が付いたらしい,笑って手を振っている。
 「緒方先輩,お久しぶりです!」晶はマスクをしてコートにマフラーを着込んだ重装備の大学生らしき男に頭を下げる。その声に葵もまた振り替えった。
 「あ、おがちょ、おっはよ〜♪」
 「おはよう、葵」橋の上には緒方兄妹。
 晶の先輩に当たる兄の方が笑って彼に言い放つ。
 「根性あるな,遠藤! 応援してっかんな〜」
 「頑張って、遠藤君♪」こちらは緒方妹。
 勘違い(?)されて硬直する晶に葵はニヤリ、笑って彼の肩を優しく叩いた。
 「期待には応えなきゃ、晶?」
 「チッ!」晶は舌打ち。空を見上げる。
 透き通った青空だ。雲一つなくすがすがしい。
 それ故に何か晶には小憎らしかった。
 「分かったよ、今日はとことん付き合ってやる!」ぶっきらぼうに、彼は彼女の手を振り払って言った。
 「さっすが晶!」
 「くぅぅ,兄さん、男だねェ!」
 「ただしだ!」はやす葵と神主に、晶は釘を刺す。
 「もちろんやるからには報酬はあるんだろうな」
 「へ?」間の抜けた声を上げる葵。
 「無理してやってやるんだ。当然、ギブ&テイクだろ?」そんな彼に彼女はあからさまに苦い顔をする。しばしうんうん唸った後、しぶしぶと絞り出すように言い放った。
 「ぐ…何が望みよ…」
 「そうだな」そんな困った様子の彼女に晶は満足げに微笑む。
 「勝利のキス…なんてのはどうだ?」びっしぃ、指差して宣告。
 「!? んな…晶、アンタ、寒さで頭狂ったの?」驚きのまま葵はかすれた声で呟いた。
 「いや、葵が出来そうで出来ない事といったらこれくらいしか思いつかないし」
 「嫌がらせかい!」ツッコミ。
 「冗談だ。だったらなぁ、ええと…」今度はまともに考え始めたようだ。しかし
 「良いわよ、キスで」あっさりと葵は告げる。
 「は?」面食らう晶。
 「良いわよ、したげるわ」
 「…やっぱり他のが良いな」ボソリと呟きが漏れるが無視された。
 「しかぁし、成功報酬よ」クレ○ラ×ルのCMっぽく『しかぁし』を強調。
 「成功報酬?」
 「途中でやめたとか、引き返してきた場合はナシのナシのメ! だかんね!」
 「ふむ」横で聞いていた神主が葵の言葉を補足する。
 「この祭はあまり生還者はいないのじゃ。途中で皆、あまりの寒さに気絶しちまうんだな,去年は3人くらい心臓麻痺で、天竜川の対岸どころか実際に三途の川の向こうヘトリップしたよ、ガハハハ!」自分の言ったことに自分で受けて爆笑の神主。
 「こんな伝統行事は絶やしてしまえ!」思わず晶は叫ぶ。と、神主と一緒に爆笑していそうな隣の彼女が静かなのに異変を覚えた。
 「ほ、本当に、やる?」何故か、うって変わって心配そうに葵は晶を見つめる。
 「そのために俺を連れてきたんだろうが?」そんな彼女を不審に思いながらも晶は笑って応えた。
 「そうだけど…」後悔の念をありありと浮かべ、葵。そんな彼女の頭を晶は軽く叩く。
 「勝利のキス、嫌になったのか?」
 「そんなんじゃないよ、ばぁか!」葵は晶に蹴りを入れて言い放つ。


 やがて祭りは始まる。神主の執り行う神事たる宣言が、青空の下で震えながら立つ赤フンの勇者達の前で厳かに行われ、いよいよ祭りの見せ場へ。
 その頃には巳空橋のみならず、河の土手にも見物客が並び、出店も出始めていた。
 どん!
 和太鼓が、鳴る。同時におたけびを上げながら、第一陣たる中高年達がいてついた流れの中へ次々に飛び込んでいった。
 「おいおい…」晶の視界の中、河を泳ぐ男達が一人、また一人と動きを止め、下流へと流されて行く。水温は0°に近いのではないだろうか??
 「そうか、だからあのロープって…」晶は、河の下流に張り巡らされたロープや網の存在の意味にようやく気付く。溺れかけた挑戦者達は網にかかり、回収されていた。
 風に乗って、「心臓マッサージだ、早く!」やら「救急車を呼べ!」などなど、きっと幻聴だろうと晶は思う事にした。
 「し、死にたくね〜」
 隣に立つ、おそらく神主の門下生であろう青年の呟きに晶もまた心から頷く。
 結局、第一陣で生還したのは10名中3名。
 そして晶達は河原に降りたった。そっとそれぞれが足の先を河の水に浸してみる。
 「「?!?!?!」」
 皆、声も出ない。
 寒いとゆ〜より、しびれるんだろうな、と内心泣きながら思う。
 ふと巳空橋の方へと目をやると、緒方兄妹の隣で葵がひどく心配そうに見つめていた。
 ”よし、やるか!”
 どん!
 和太鼓が、鳴る。
 晶はビッと空に向けて右手の親指を立てると、群を切ってとうとうと流れる冷水の中にその身を躍らせた―――


 …っは!」
 晶は我に返る。体の底から沸き起こる寒気に、
 「ぶはっくしょい!」盛大なくしゃみ。
 気が付けば全身ずぶ濡れ、河に飛び込む前の場所にたたずんでいた。
 そして周りからは拍手が起こっている。どうやら無意識のうちにしっかり河を往復したようだ。
 「やったぜ,フフフ…はぁっはっはっは!! っくしょい!!」再びクシャミ。
 そんな彼の前に神主の老人が立つ。
 「強き武士よ、己のフォースを大事にするがよい。フォースを信じろ」
 「…本当に伝統行事なのか??」
 晶は神主の持つ神事用の杖で軽く額に触れられると、見物客の歓声と第三陣の飛び込む音を背に、簡易テント脇の焚き火へと走った。
 焚き火脇には晶の見覚えのある人影5つ。
 「お疲れ様。まさかやれるとは思わなかったよ」葵がほっとした微笑みを浮かべてタオルを投げ渡した。
 「寒い…」唇まで真っ青にしながら晶はそれで体をぬぐう。
 と、
 どびしぃ!
 「いてぇぇ!!!」景気の良い音とともに晶の悲鳴が響き渡る。
 「やるじゃないか、晶!」
 「さすがですね、遠藤先輩」
 まるで紅葉のように手の形に赤くなった背中をまるめてうずくまる晶に笑顔2つ。
 彼は涙目になりながらゆっくりと顔を上げた。
 彼の先輩・緒方と、そして…後輩である橘 京介だ。よく見れば葵の隣には京介の姉である同じクラスの橘 秀美と緒方 睦がもの珍しそうに晶を眺めている。
 「そうだ、京介! お前もやってこい!」晶は京介を見つけ、思い出したように言った。
 それに京介は困った顔で一言。
 「宗教上の理由でちょっと無理なんですよ,あ、モルモン教ではありませんから」
 「「なんじゃいそりゃ!」」
 「遠藤君、風邪ひくよ…」そんな橘 秀美の呟きは晶の耳に運悪く拾われる事はなかった。


 昼過ぎになっていた。
 「じゃ、また明日ね〜」そう言った葵の笑顔が、引きつる。
 おぼつかない足どりで晶はそんな葵をぼんやりと眺めていた。
 「どした?」
 視点定まらず、どこか意識が遙彼方へと飛んでいってしまっているような晶に、葵は慌ててその額に手を重ねる。
 「げ…何よ、スゴイ熱じゃないの!!」
 「はぃ? そか?? そうかもしれないな〜」まるで酔拳のようにフラフラ動く晶を、葵は捕まえて彼の家の玄関まで誘導。
 「おばさんかおじさんはいないの?!」
 「なんか出かけたぁぁぁ〜」電池が切れたように、晶。
 グラリ,靴が脱げると同時に葵は押し倒される。
 「な、なによ、何すんの!!」後ろ頭を廊下の床張りに豪快にぶつけながら、慌てて葵はのしかかる晶を見た。
 顔色は真っ青,荒い息。家に着いたという安心感からか、気力が抜けたようだ。
 「晶、晶ってば! 寝たら死ぬわよ!!」
 雪山では、ない。


 俺は夢を見ていた。
 ひどく、懐かしい子供の頃の思い出し夢だ。
 俺は葵と喧嘩していた。喧嘩と言っても口喧嘩ではなく、殴り合いのそれだった。
 小学3年生の頃だ。原因は何か覚えていない。遊び場の縄張り争いか、出されたお菓子の取り合い,そんな所だろう。
 俺は腕っぷしは弱くはない,しかし葵はそんな俺と互角に渡り合っていた。
 「このやろ!」
 バシィ!
 俺の平手が、葵の右の頬を打つ。しかし彼女は怯むことなく、さらに殺気立ててキッと俺をにらんだ。
 頬がみるみる紅くなる。
 「やったわねぇ!」
 咆哮するが早いか、葵の鉄拳が俺の横っ面を打ち抜いた。
 俺は思ってもいなかったその破壊力にもんどりうって倒れる。
 「てめぇ!」痛む頬を押さえながら、俺は起き上がり彼女に掴み掛かる!
 「私を舐めんじゃないわよ」
 「この男女!!」
 結局、どっちに勝敗があがったかは覚えてはいない。
 たまたま近くを通りかかった緒方(兄)に止められていなければ、気絶するまでお互い殴り合っていたに違いない。
 そう、この時だ。
 この時から、俺は葵を『女の子』として見なくなったんだと思う,それは悪い意味ではない。
 負けたくない相手、対向者,心を分かち合える朋友、クサイ言葉で言えばライバル…というのがもっとも適切ではなかろうか?
 これまで、どちらかと言えば男友達と接しているような感がずっとあった。
 だからだろうか、コイツに対しては気兼ねなく、俺自身をぶつけることができたのは。
 でも最近、なにか違う気持ちが生まれつつあった。
 それが何なのか…まだはっきりと分からない。
 きっと彼女と一緒にいれば、それはそのうち分かるのかもしれないな。


 アタシは夢を見ていた。
 ひどく、懐かしい子供の頃の思い出し夢…思い出したくはなかった,それはきっと時効だけどアタシの心に刺さる負い目だから。
 そう、あれは小学5年あたりの遠足か何か。
 小川の中州にアタシが帽子を風に飛ばしてしまったんだっけ。それとも友達のかな?
 「じゃんけんで負けた方が取ってくるのね」
 「はい??」
 首を傾げる晶に問答無用で勝ったアタシは、見た目浅そうな小川に彼を突き飛ばした。
 どば〜ん!!
 大飛沫が上がる。
 ……浮いてこなかった。
 後日、
 「晶、晶!」
 「大丈夫よ、葵ちゃん。ただの風邪で寝込んでるだけだから」
 晶が寝苦しそうに唸るベットの横で、アタシはガラにもなく慌てていたっけ。
 晶のお母さんが笑ってアタシの頭を撫でていた。
 「でもアタシが突き落として…」
 結局、晶はずぶ濡れのまま帰宅,高熱を出す羽目になった。
 アタシは帽子をなくした事も忘れて、珍しく責任を感じていた…と思う、うん。
 「男のくせにあんなん避けられなかったばかりか、風邪こじらせるなんてのはコイツが全部悪いんだから」
 「ごめんね、晶、ごめんなさい」
 思い出しても恥ずかしい,泣きながら彼の高熱に火照った手を握る私に、晶は無理に笑ってこう言った。
 「すぐに治るよ、葵…」
 苦しかった,悔しかった。自分が病気になってしまった方がどんなに楽かと思った。
 二度と晶をこんな目に合わせたくない。アタシは小さな胸にそう、誓う。
 それ以来、アタシの無茶な行動は多層控え目になった…ような気がするんだけどなぁ。



 「ん?」
 晶は唐突に目が覚めた。ここはベットの上,薄明かりの中、天井が見えた。
 そして胸に重さ,目だけを動かすと葵の寝顔がある。
 ベットに横付けた椅子に座る葵。倒れ込む様にして彼の胸の上で寝息を立てていた。
 時間は朝の…4時。
 晶は彼女を起こさない様、ゆっくりと半身を起こす。
 パサリ
 額に置かれた濡れタオルが、枕の上に落ちる。
 「…葵、か」彼は彼女に視線を向け…
 「…ん」しかしその動きで葵は目を覚ます。
 「晶? 大丈夫?」
 「起こしちゃったか」晶は苦笑い。
 「俺、倒れて…風邪でもひいてたのか?」困ったように頭を掻いて彼女に尋ねる。
 しかし葵は何も答えずに俯いてしまう。
 「葵?」
 「ゴメン…」小さな声が空気を震わす。
 彼女の様子に晶は戸惑う。
 「ゴメンね…私の無茶をきかせちゃたせいで」涙声を震わせながらの葵に晶は慌てて言った。
 俺の体が弱かっただけだよ。そんなことよりほとんど寝ずに付き添ってくれたんだろ?」
 枕元に落ちた、まだ冷たいタオルを手にする晶。
 「ありがとな」穏やかに、告げる。
 「…もぅ、もっと体鍛えろよ!」俯いたまま、軽く京介の胸に拳を突き付けて葵。
 晶はそんな彼女に苦笑する。と、彼ははっとあることを思い出す。
 「今日は学校だろ、大丈夫かよ?」
 「ん。アタシは大丈夫。晶は? 頭痛くない? 寒くない?」少し赤くなった顔を上げて、葵は尋ねた。
 「ああ。体調は万全…かな」晶は己の腕を軽くまわして確認する。
 「そか。よかった」ほっと溜息をつく葵,が、晶が彼女を見ると同時に困ったように再び俯いてしまう。
 「それと…ゴメンね。風邪気味には無茶だったね。またやっちゃったね、アタシ」
 「葵…」視線は布団の上のままの彼女の頬に、彼は両手で触れる。
 「ん?」葵はその行動に驚き、小さく身を震わせながら視線を彼に。
 冷え切った彼女の頬は火照った彼の手のひらには心地好かった。
 「違うよ。今回のは、ちゃんと渡りきっただろ。また、じゃない」
 「そか…晶の手、あったかくて気持ち良いね」
 頬に添えられた彼の手に己の手を重ねながら葵。
 「俺は冷たくて気持ち良いな」
 クスリ…
 どちらともなく笑う。
 「あ、そうだ,覚えてるか?」
 「な,何?」晶の手のぬくもりを感じながらも、やや警戒気味に葵は尋ねる。
 「約束」
 「え?」
 それだけ言うと、不意に晶は驚きの形で止まった葵の唇に、己の唇を重ねた。
 沈黙と緊張………
 やがて、それはゆっくりと氷解する。
 「…バカ」
 薄明かりの中、照れたような怒ったような,嬉しいような悲しいような、全ての感情が詰まった葵の一言が漂う。
 やがて朝日が窓から差し込み二人を照らす頃には、折り重なる様にして眠っていた。
 その寝顔はきっと、幼い頃と少し変わったと二人は思うだろう。


唐突ではあるけど、遠藤 晶と北見 葵は幼馴染みだ。
 それも今時、まるでドラマの中でしか見られない長い付き合いだったりする。
 生まれた病院も同じ,幼稚園から小学校、中学校,そして現在の、高校すら同じと言う、まさに『浩之ちゃ〜ん/何だよ、あかり!』ってな関係が予測され得る、そんな二人。
 私はでも、そんな関係じゃないって思ってた,二人は近すぎるから。
 近すぎるってのは、親兄弟と話しているのと同じようなもの,そぅ、彼女,葵に聞かされていたもの。
 でも…
 日曜にあった俊泳祭,真冬日に下着一枚で冷たい川を泳ぐバカを通り越して狂ったお祭なんだけど、泳いだ本人の遠藤君が平気で、何故か葵が風邪ひいて次の日休んでるってどういうこと??
 遠藤君に(問い詰めて)訊いてみたら『俺は一晩で治ったから』って。
 風邪はうつせば治るって言うけど…
 葵はうつされたってコトかしら? もしそうなら、『どうやって』うつされたのか気になる今日この頃。
 明日、学校に出てきたら問い詰めてやろう、そう思う。
 逃げ切れると思うなよ、葵〜♪

自称(??)北見 葵の親友・緒方 睦の手記より抜粋 






この作品は緒方 青氏にお贈りしたものです。