何故かとてもとても寝苦しい夜だった。
 熱帯夜――というわけでもない、ひどく心が落ち着かないだけの、ごくごく普通の夜。
 俺は本日何度目かの寝返りをうって、そして……
 ”何時だろうな?”
 思い、うっすらと目を開ける。
 視界の先にはカーテンの隙間から入り込んだ月明かり。
 その明かりの中にぼんやりとうつる天井が見える『はず』だった。
 「?!」
 キラリと冷たく輝く刃の光?!
 見慣れているはずの天井を背景に、今まさに俺に向かって振り下ろさんとする巨大な湾曲した刃があった!
 「どわぁぁ!!」
 反射的にベットから転がり落ちた。
 どすん、と蒲団に重たいものを叩き付ける音。
 転がる俺は、そして巨大な刃――まるで死神の持つ鎌を振り下ろした張本人の足に向かって思いきりぶつかった。
 「うきゃ?!」
 勢いのあった俺の回転は、そいつの足をすくい,そして転倒。
 あげた声は俺ではない,コイツだ。
 俺は混乱しながらも素早く立ちあがり、部屋の明かりをON。
 「なんだ? お前はっ!」
 慌てて俺は侵入者と距離を取る。
 カーペットの上で尻餅をついている侵入者を睨みつけて。
 そいつは暗紫色のぞろりとしたフード付きのローブを頭からすっぽりとかぶった見るからに怪しい――というか危ない奴。
 首にかかるのはネコか何かの小動物の頭蓋骨を連ねた不気味なネックレス。
 まるでおとぎばなしの死神をイメージしてそのまま現実化したような……
 俺ははっと我に返り、ベットを見る。
 そこには深々と刃が突き刺さった巨大な鎌が一振り。
 「っ!」
 手を伸ばす! しかし誰何の躊躇いが俺の動きを遅らせていた。
 カチャ
 素早く立ち上がった不気味な死神(?)は鎌を掴んで抜き取る。
 立ち上がり己の得物を構えた殺人者は俺に向き直り……鎌先をこちらに据えた。
 ”案外、背は低いな”
 危機的状況故に頭が妙に冴える。
 ”もしかしてコイツ……女か?”
 だからといってどうなるものでもないが、危ないコイツの顔はフードに隠れてギリと噛んだ口元しか見えなかった。
 「なんなんだよ、お前っ!」
 再度、問う。
 ちらりと見えるソイツの口元が僅かに動いた。
 「死んでよ、内藤 昭彦くん」
 大きく鎌を振りかぶり、明らかに女の声で殺人者は告げた。
 冗談じゃない,誰が死ぬものか。
 ――なお、俺はモテたことが無いので女がらみの恨みなどは一切無いことをここに宣言します。
 部屋の明かりにきらめく鎌の刃!
 振り下ろされた先は………
 「っと!!」
 振り下ろしたタイミングを見計らって俺は殺人者の右手へ!
 鎌は俺の背後にあった壁紙を突き破り、さらにその先のコンクリートに達し、
 パキィン!!
 澄んだ音を立てて真中から折れた。
 端っこのワンルームマンションに住んでいて良かったと思ったことは、多分これ以降無いだろう。
 「あーーーー!!」
 刃の半分無い鎌の柄をぎゅっと握り締める殺人者。
 今だ!
 俺は思いきり肩から体当たり。
 「うっ?!」
 倒れた侵入者に馬乗り、そのフードを剥がした!
 下から現れたのは、黒髪の美しい色白の少女。いや、美少女と言っても良いだろう。
 彼女は下から俺をキッと睨みつけた。
 「天下の死神に対して無礼なっ! 退きなさい!!」
 凛と澄んだ声。しかし……
 「えーと、携帯携帯」
 俺は彼女の動きを押さえながら電話を探す。手繰り寄せられるところに見つけ、それを掴む。
 「? あの、何をしてるの?」
 場違いな質問は下の彼女から。
 俺は番号を押しながら、丁寧にも答えてやった。
 「……警察に突き出すに決まってるだろ?」
 「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」
 ”待てと言われても……”
 「私は死神なのよ? 命の期限の来た者に死を与えるのが役目なのよ??」
 「精神病院の方が良いか?」
 110番ではなく119番の方が適切かもしれない。
 「貴方は死ぬの、決まってるの。だから私が死を与えに来た。潔く死になさい!!」
 組み敷かれているにもかかわらず、尊大に言う彼女には頭が痛い。
 「………誰が死ぬか、バカ」
 鼻で笑った、その時だ。
 「ちっ、今日のところは引くわ」
 そう呟いたかと思うと……
 「え?!」
 自称死神の姿はスゥっと消えた。
 「え、ええ?!?!」
 部屋を見まわす、どこにもいない。
 それはまるで夢のよう。
 「いや」
 夢ではない、なぜなら。
 なぜなら壁には折れた鎌の刃が突き刺さっていたからである。


死神賛歌


 死にたいと思ったことは残念ながら、ない。
 しかしだ。
 『生きることに執着したことがあるか?』と聞かれると『Yes』と答えられることができるだろうか?
 毎日毎日、同じサイクルの繰り返し。
 それに甘んじているわけではないけれど、そのサイクル以外に居場所は見つかりそうも無い。
 安穏とした日々は果たして『生きている』と言えるのだろうか?
 別にカノジョを探そうとするわけでもなく、大きな野望とかがあるわけでもない。
 無力感に包まれた毎日だ。
 「おい、昭彦。どーした?」
 クラスメートの声ではっと我に返る。
 「ちょっと哲学的なことを、な」
 「………は? 受験勉強もほどほどにした方が良いぜ」
 茶化すそいつに俺は愛想笑い。
 そう、受験勉強だ。
 青春と呼ばれる日々は来年の二月に向けての肥やしみたいなものだった。
 だが、その先の大学で何が待っているのか?
 今度は就職試験。そして就職の先には昇格試験。
 別にゴールがあるわけでもない,あったとしてもまるで老後の為に今を生きている??
 その老後もまた、別に楽しみにするものではない。
 では何故生きている?
 何を求めて生きている?
 ”分からんな、案外無欲だよな、俺”
 心の中で苦笑。
 自称・死神の言う通りに俺は死ぬべき…とは言わないが生きていることを実感していないのかもしれない。
 なお、死神が消えた後は結局眠れなかった。今更ながらに眠気が襲ってくる。
 ”ここで寝たら、また眠れなくなるな”
 そこまで考えた時だった。
 ガラリ
 教室の扉が開き、担任教師がやってくる。
 朝のホームルームだ。と、いつもなら担任が叫ばないと静かにならない教室が一斉に静まった。
 ”はて?”
 俺は視線を窓の外に広がる無人の校庭から、教壇へと変えた。
 ”ぶっ!”
 思わず吹き出してしまいそうなのを慌てて収める。
 高鳴る心臓に、おちつけおちつけと言い聞かせた。
 恐怖もしかり、それ以上について行けない現状に、だ。
 教壇の上には、いつもの担任の仏頂面とそして、一人の女子の姿がある。
 その女子は紛れも無い、俺を殺しに来たあの死神。
 「転校生を紹介する。楠木 舞さんだ、仲良くしなさい」
 「よろしくお願いします」
 礼儀良く、ペコリ,頭を下げる彼女。
 そして顔を上げたその視線はまっすぐ俺に……まるでえぐるような殺意に満ちた視線だった。
 だが瞬間的なソレに気づいた者は俺一人のようだ。
 ”………どうなってるんだ?”
 幸いにも俺とは対角線上に反対側の席に座らされた彼女は愛想笑いを周囲に振り撒いている。
 ”やっぱり人間…じゃないのか??”
 内心戸惑いながら、そして睡魔と戦いながらその日のお昼がやってきた。


 「楠木さん、お昼食べに行こう!」
 そんな女子達の声が聞こえてくる。
 俺は学食へパンを買いに立ち上がり……
 ふと後ろから、腕を取られた。柔らかな感触だ。
 「ごめん、先約入ってるの」
 すぐ、傍らからのその声に硬直。
 「え?? 内藤君と知り合い、なの?」
 「うん、そーなのよー」
 言いながら、彼女――楠木と言えば良いのか、もしくは死神か――は女子の輪が出来る前に俺を引っ張って教室を出る。
 そして早足のままに階段を上り……滅多に人がいることのない屋上へ。
 ばたん
 後ろ手に彼女は屋上への扉を閉めて、俺の手を離す。
 そして俺を背の高さの関係上、やや見上げてこう言い放った。
 「返して!」
 「……は?」
 「鎌よ、私の! 死神の証たる大鎌!!」
 ああ、あの折れたやつか……
 「あー、アレ、ね」
 「そう、アレが無いと上司にぶち殺されかねないわっ!」
 そんなものを放置していくか…お前は。
 「残念ながら、もぅない」
 「ど、どういうことっ!」
 「もしあっても、返すわけ無いだろ。お前、俺の命狙ってるし」
 「貴方は死ぬべきなんだから、良いじゃないの」
 あっさりと言う彼女に俺は一瞬呆然とし、そして怒りがこみ上げる!
 「良い訳ないだろ! 誰が死ぬか!!」
 詰め寄る。
 しかし彼女も俺の剣幕に押されること無く言い返してきた。
 「何よ、ロクにこの世のことも知らないくせに! 良いこと? この世の生命の量は一定なの。生きている価値も知らない人間を生かしておくより、生きる価値を知るであろう人間を誕生させる方がこの世のためでしょ?」
 「だから、生きていることを特に楽しんでいない俺だから、お前は死ねと言っているのか??」
 唖然と俺は問う。あまりにも無茶な、それでいてそれ故にどう言い返したら良いか分からない理由だった。
 「そうよ。そーいうこと」
 「ふざけるな!!」
 今にも鼻と鼻がくっつかんばかりの位置で、俺は叫ぶ。
 「生きてやるさ、楽しんでやるさ、生きる価値を見つけてやるさ,いつまでもこんな安穏としているつもりは無いんだ!!」
 声を張り上げ、そして息を吐く。
 そんな俺に、彼女はふんと鼻で笑った。
 まるでそんな俺の反論は何度も聞いたことがあるかのように。
 「いつよ?」
 「?」
 「いつ、見つけるのよ、いいえ、見つける努力をしているの?」
 「そ、そりゃ」
 「見つけたいと思っている、きっとその時が来る,そんな甘えたこと、言ってるんじゃないわよ!」
 俺の胸倉を掴み、続ける。
 「待ってても何も来やしない,世の中、そんなに甘くないわ。今、この時を知って、動いて、そして精一杯生きていなきゃ、生きているなんて呼べない」
 彼女は掴む拳に力をこめた。
 「自分の欲するものを知り、それを求めて、そして自分の行動を常に見極めて行動する! それがどんな幼稚なことであったとしても、ソイツにとってはそれは自分自信の存在意義。生きているってことよ! ソレが貴方にはあるの??」
 「そうしていないから……」
 俺は、小さく呟く。
 「そうしていないから、お前は俺に死ねと,死んでいるのと同じだと言いたいのか?」
 「そうよ」
 「それは…お前の理論だ」
 「そうかしらね?」
 挑戦的な彼女の瞳は、強い。
 そこに俺が映っていた、どこか打ち捨てられた痩せ犬のような自分が。
 ”情けないな、ホント、情けない”
 自然と沸きあがるは微笑み。
 「? 何よ」
 俺は彼女の手を払いのける。
 「生きてやるよ、お前が何を言おうと。俺は俺が求めるものが何なのか知らない。だがな」
 彼女の肩をぎゅっと掴む。ビクリ、楠木は小さく震えた。
 「俺は自分が何を欲しいのか、それを今この時を賭けて精一杯探して、そしてソイツを叶えて行きたい……いや、いくつもりだ。今決めた、ああ、そうだとも!」
 上を見上げる。
 雲一つ無い、突き抜けたような青空だ。
 「自分で自分を封じることは、ない。毎日が同じと感じていたのは自分自身がそうだと思いこんでいたからだ。世界はこんなにも……広い」
 どこまでも続く空は、果てしなく遠い。そしてとてつもなく広かった。
 そんな無限の一つが目の前にもあっさりあるじゃないか。
 「……あー、まぁ、それはそれで置いておいて」
 死神の声に俺は彼女に向き直った。
 「私の鎌は?」
 「あ……」
 俺は朝を思わず回想した。
 そう、折れた鎌は……
 「今日はさ、不燃物の日でね」
 「??」
 「今頃、他の燃えないゴミと一緒に……」
 「何考えてるのよーーーーー!!!」
 彼女が悲鳴を上げた、と同時だった。
 「3級死神・楠木 舞」
 重たい声に、彼女はまるで壊れ賭けの人形のようにギギィときしんだ音を立てたかのように目を向ける。
 そこには威圧感を持った、ローブ姿の男が一人。
 「鎌をなくし、あまつさえ死すべき運命にあった者に接触し、生きる希望を与えたその不祥事」
 ビシッ、鎌の先端を彼女に向ける。
 「死神、失格」
 「ええーーーー?!?!」
 悲鳴を上げる彼女にはすでに興味をなくしたか、死神は俺に目を向けた。
 「生きること、死ぬこと、それは生命の活動に限ったことではない」
 「分かっているさ」
 「……運が良いな」
 そう言ったフードの向こう側は笑っているような気がした。
 そうして、死神はすぅっと姿を消した。
 目の前の楠木を残して―――


 で、
 「何で俺の部屋にいるわけ?」
 「全ての元凶が貴方でしょうがっ!」
 「訳わかんねーーー!!」
 ワンルームマンションたる俺の部屋。
 そこには死神だった楠木の姿がちょこんとあった。
 「いいでしょ。どうせ貴方、一人暮らしなんだから」
 「良くねーー!」
 叫ぶ、と楠木はがくりとうなだれ、呟いた。
 「だって、だって私、死神首になっちゃったし、帰る所無いし、お金も何にも持ってないし」
 「だからって人に頼るなよっ」
 「……てやる」
 「?」
 小声で何かを彼女は呟いた。
 「クラス中に言いまくってやる、私と貴方がつきあってるって,毎晩のように変態プレイを要求されてるって!!」
 「何じゃ、そりゃーーーー!!!」
 「私も死にたくないのよっ。生きるためには何でもするわよ,ケッ!」
 「あー、もぅ、やめてくれーーーーーー」
 生きること。
 それはとてもとても大変だけれども、その大変さが生きている証なんだと。
 俺はそう思うんだ。


 後日、結局俺達は付き合うことになるのだが、この世は全く何が起こるか分からない。
 可能性は無限に続く空のように、広大である。