「う〜、あったまいった〜」
 俺は二日酔いにズキズキ響く頭を押さえて上体を起こす。
 昨晩はゼミの先輩,教授連に4次会まで引きまわされた覚えがあるが…その先の記憶はない。
 けれど、ちゃんと独身寮の自分の部屋で布団に入って寝ている。
 ”人間にもキチンと帰巣本能があるんだな〜”
 なんて思ってみたりもする。
 まぁ、今日は祝日。ゆっくり寝ているとしようかな。
 「はい、二日酔いの薬と整腸薬です」
 「ああ、ありがとう」
 俺は彼女に差し出されたお盆の上の薬包紙の中身を飲み干し、そしてお茶を一杯。
 新茶の心地好い香りと程よい暖かさが、いがいがした喉を通過して行く。
 「ふぅ」
 ほっと一息。
 一息
 一息?
 ギギギ,俺は視線を頭ごと真横に向ける。
 「はい?」
 同じ視線の高さに、笑顔を向けるメイド服の少女が一人。
 「…誰?」
 急速に乾いていく喉を感じながら、俺はかすれた声でそう言葉を放っていた。


Machine Maiden


 「千尋と申します」
 ペコリ、軽く頭を下げる彼女。赤いリボンで括られたポニーテールが揺れる。
 「いや、そ〜でなくて…」
 混乱3歩手前の俺の目を、彼女は不思議そうにじっと見詰めていた。
 年の頃は俺と同じ20代前半,もしくは10代後半であろうか? 俺の困惑顔が映るスカイブルーの大きな2つの瞳を除けば、どこにでもいる美人の一人だ,ってあんまり見ないがな。
 「そ〜でなくて?」俺の言葉をそのまま真似して、彼女は小さく首を傾げる。
 ”まいった。俺のタイプだ”
 じゃない! 俺は毅然と告げる。
 「何で君はここにいるんですか?」
 「恭弥様のお世話をする為に派遣されたのですが…」当然の質問に困ったように彼女。
 ”誰だ? 誰の差し金だ?!”
 俺は鉛色の脳みそを即時起動,ありとあらゆる発端を検索。
 「…俺の親の差し金か?」
 そういや、ちゃんと野菜食べろとか電話で言ってたらかなぁ,心配してくれて…
 「違います」即答の彼女。そんな金は俺の実家にはないか。
 「では…21年間彼女いない暦の俺を哀れんだ教授と先輩の心遣いか?」
 「違いますが…21年間いないんですか?」
 そりゃ、違うわな。ああ、そんな目で俺を見るなぁぁ!
 「じゃあ、ええと…そう、良くチラシとかで見る出張なんたらとかいう…」
 「? 何です? それ?」
 ううむ、違うか…
 心当たりないなぁ、依頼人間違えてるんじゃないのか?
 いや、でも俺の名前,鈴見恭弥って知ってるし…
 「もしかして、未来の俺が過去の自分に危険が迫っているのを察知して、メイド型警備ロボットを送り込んだとか,なんてな」言ってて何だか悲しくなってきた。映画ターミネーターじゃあるまいし。
 苦笑して彼女の煎れてくれたお茶を一口。
 「…どうして分かったんですか?!」
 ぶ〜
 「って何ぃ!?」
 驚きの彼女に俺は思わずお茶を吹いてしまったじゃないか。
 …っと、からかってんじゃないか,この娘。
 俺は硬直している彼女に襟を正して告げる。
 「…ええと、俺には君を雇うお金もないし権利もない。だから出てってくれない?」
 それに、はっと我に返るメイドさん。
 「それはできません」頑として言い放つ。
 「私は貴方を護る様に言い遣っておりますから」
 「誰に?」
 「貴方です」
 ジッと俺を見つめるメイドさん。
 「俺が? 俺はそんな事を一度も…」
 「正確には60年後の恭弥様ですが」彼女はそう付け加える。
 ”…………”
 何処か回線切れてるんじゃないか? この娘。
 「ええと、君の家の住所は? 送るからさ」
 「信じて頂けないのですか?」
 ”潤んだ目で俺を見るなぁぁ!”
 俺が悪いのか? おい!
 「…俺を護るってどう言う事だよ」憮然として俺は湯飲みを畳の上に置いて、彼女に尋ねる。
 「はい、明日,恭弥様は命を狙われますので」あっさりと彼女。
 「さらりと言うなぁぁ! って誰にだよ」
 詰め寄る俺に、彼女は人差し指で口を塞ぐ。
 「それは、言えません。貴方までタイムパラドクスに巻き込むわけには行きませんから」
 寂しげに苦笑の彼女。
 ”あ…”
 なんかその表情を見ただけで、俺はこんな滑稽な作り話を半分は信じて良いかな,なんて思ってしまった。
 しかし…
 「でもさ、護るって言っても俺は女の子に護られるほど弱くはないぞ」
 俺にも男としての意地がある。こんな女の子,それも結構理想のタイプの娘に護ってもらうなんて。
 「? 私、護衛アンドロイドですから」不思議そうに首を傾げて彼女。
 「はい?」
 「ですから戦闘用にチューンされていますの」言って微笑む。
 「ロボットってこと?」
 「アンドロイドです」
 ”ちがうのか?”
 そうだ、ならば…
 「んじゃ、証拠を見せてよ。首が取れたりする?」
 「アラレちゃんですか? 私は??」
 「それじゃあ、そのエプロンのポケットから4次元な道具が次々飛び出してくるとか?」
 「私をあんなダンゴロボットと一緒にしないで下さい」
 「…3つに分割して合体したりできるの?」
 「ゲッターロボでもありません!」
 「何だよ,ロボットじゃないじゃん」
 「アンドロイドです!」
 「どう見ても普通の女の子なんだけど」上から下まで眺めまわして俺は呟く。なんだかオヤジくさいな、俺…
 「人間と変わらない程人間的というのが私達のモットーです。何より私を組んだ未来の恭弥様は私のCPU・ペンティアム2000MHZを4.5倍に違法クロックアップしてますから、より複雑な処理をスムーズにこなす事が出来ますし」
 ”俺が組んだんかい!”
 違法クロックアップというのが実に俺らしいぞ。
 「グラフィクボードには最新のRIVATNT5を,サウンドボードもSOUNDBLASTERはVALUE5.0を乗せてますし、ジョイステックも使えます」
 「何に使うねん!」ゲームでもするのか、未来の俺…
 「っていうことは、別に君がまるっきり嘘を並べていてもそれを証明する手段はないわけだ」俺は冷たい目で彼女を見つめた。
 「…信じてくださらないのですか?」悲しそうに彼女。
 カササッ
 そんな音に、俺達は振り返る。
 壁にゴキブリ一匹。
 「あら、ゴキブリ」
 瞬間、
 彼女の目から赤い光線が走り…
 ジュ!
 ゴキブリは微塵となって消失した。
 「う〜ん、アンドロイドだという証拠ですか…」何事もなかったように考え込む彼女。
 俺は遠い目で彼女の肩をポンポンと、叩く。
 「信じるよ、うん」
 「? ありがとうございます。御主人様」腕を目の前で組んで嬉しそうに彼女。
 「ぐっはぁ!」吐血の俺。
 「ど、どうしたんですか?」慌てて千尋さん。
 「ご、御主人様はヤメテ」
 「では今まで通り恭弥様と?」千尋さんは困った顔で首を傾げた。
 「いやそれも何だか…」
 「それではお友達がお呼びしていた様に鈴ちゃん様と?」ポン、千尋さんは手を叩いて言う。
 「何でちゃんに様付けるかな…って何だって?! 友達?!」俺は慌てて彼女に詰め寄る。
 「ええ、昨夜、恭弥様をここまで運んでくださった御方が」あっけらかんと彼女はとてつもなく重大な事を応えた。
 「ど、どんな奴だった?」
 「御丁寧に自己紹介もされて行きました。恭弥様の先輩に当たる方とご教授なさっている御方の二人でしたわ」思い出す様に、掌を合わせて上目遣いに答える。
 「…で、君は何と答えたの?」
 「恭弥お仕えするメイドと…」
 「ぐあぁぁぁ!!」頭を抱えて俺は転げまわる。
 ”絶対に勘違い,いや、間違っちゃいないが、おかしなベクトルに自体が一人歩きしているに違いない!”
 「恭弥様?」
 ”あの先輩のことだ,俺がこの千尋さんにあんなことやこんなことを…いやいや、してないんだから堂々としていれば…だがあの人は絶対に言いふらしてるだろうし…”
 「あの…」
 ”それに教授だよ、HPに近況報告なんて書いてアップしている可能性が非常に高いな,いや、しているに違いない、くぅぅ! どうする、どうする恭弥!”
 「えい!」
 ガン!
 「いってぇ!」
 「どうかなさったんですか?」
 お盆で叩かれた様だ。
 「戻ってこられました?」
 「あ、ああ…」
 ”ま、いいか”
 彼女の笑顔を見て諦めがついてしまった。
 「そう言えばさ、君は未来の俺が作ったの?」
 「ええ。パーツを組み合わせる事によって個人でカスタムメイドできますの」
 「ふぅん…」今、俺のやっている自作パソコンのようなものか。
 この千尋さんが俺のタイプだというのは作ったのが未来の俺なのだから当然といえば当然の事なんだろう。
 「さ、お掃除しますからそろそろ起きてくださいね」そう言う彼女に、俺は布団から叩き出されてしまった。


 掃除とは言っても六畳一間のこのアパート,俺自身もそんなに汚くは扱っていないのですぐに終わってしまう。
 「ところで千尋さん,俺を守るってどういうこと?」
 掃除の後のお茶を二人で啜りながら、俺は尋ねた。
 BGM代わりのTVからはタモリだかイモリだかいう黒いサングラスのタレントが気だるい午前特有の時間と雰囲気を振り撒いている。
 千尋さんはお茶を一口。
 「明日の恭弥様の学校へ行くまでの道程をお守りするのが、私の仕事です」
 「何で?」何があるんだ?
 「危険ですから。特に明日は時を歪められた危険に満ちていますの」
 「? それってどういう…」
 しかし俺の言葉は彼女に届いていなかった様だ。
 「どうしたの? 千尋さん?」
 「あ…あれは何ですか?」彼女は指差す。それはTVのブラウン管。
 映るのは海だった。
 「伊豆かそこらの海じゃないかな?」
 「伊豆?」
 「いや、海」訂正。
 「海…大きな池ですね」やっぱりズレてるよ、この娘。
 「千尋さん…海って知らないの?」
 「まだ作られて一週間経っていませんもので…第5標準辞書も未だに習得中なんですよ」
 その第5なんたらがなにか分からんが、知識不足ということか。
 「へぇ…なら、あさっての日曜日、見に行こうか?」
 「え…」驚く彼女。
 「電車で一時間も揺られりゃ着くからさ。海くらい直に見ておいた方が良いよ」
 「……はい、ありがとうございます」
 その時、彼女がどうして寂しそうに笑ったのか,この時の俺には分からなかった。
 「んじゃ、近所を案内するよ」俺は湯飲みをテーブルに置いて、立ちあがる。
 「?」意味が分からないのか、首を傾げる千尋さん。
 俺は外を指さす。青空と白い雲が一つ二つ,絶好の散歩日和だ。
 「行かないのなら一人で行くけど…」
 「行きます!」慌てて彼女もまた立ち上がった。


 落ち葉も落ち切って、歩道にたっぷりとたまっていた。
 俺は千尋さんを伴ってこれといった目的なしに散歩を開始。
 「恭弥様、あれは何でしょう?」彼女は俺の腕を掴んで、どこぞの家の塀の上に止まった
 小鳥を指差す。
 「スズメだよ」
 「鳥類の一種と思われますが」
 「メジャーな鳥だね」
 「はぁ…あ、あれは?」今度は横を通り抜けた車を指差す。
 赤い車体のワゴン車らしいもの…
 「イプサムとかいう種類の車だよ。アレは乗り物」
 「排出される気体から察するに化石燃料を使っている様ですね」
 「すごい鼻だな…」
 20世紀が珍しいのか、はたまたプログラムが知識習得に働いているのか,しばらく質問攻めが続いていた。
 途中でそれが終わったのは彼女が俺にもしかしたら気を使ったからかもしれない,構わないのだけれどね。
 しかし問題はある。千尋さんは「私はメイド」と言わんばかりの格好をしている為に目立つようで、道行く人が大抵は振返っていた。着替えてもらえば良かったと、反省。
 繁華街に出る頃、丁度お昼時になっていた。
 「あら、これは何でしょう?」千尋さんは小さく鼻を動かす。
 空気の間を流れてくるのは甘い香り。近くにあるクレープショップからの香りだった。
 「そろそろお昼だし、軽く買い食いして帰ろうか?」
 そこまで言って考える。千尋さんは機械,食べ物を食べる事は…
 「はい!」嬉しそうに彼女は応えた。そして、
 「有機物を摂取してエネルギーにする事も出来るんですよ。ただ全工程を終えるのに2日ばかりかかってしまいますけどね」苦笑。牛の様ですな,とは言えない。
 俺達はクレープショップへ。メニューを見る。
 「へぇ…」千尋さんは店頭でクレープの皮をさっと広げて焼くアルバイトらしき若者の技を見て素直に感心。
 「何に致しましょう?」
 「ええと、俺はブルーベリーで。千尋さんは?」俺は店員に応えて彼女に振り返る。
 「あの、えと…同じもので」あたふたと千尋さんは店員に答えた。
 そか、メニュー見ても何が何だか分からなかったのかな。
 「はい、おまち!」
 店員にできたてのクレープを手渡され、千尋さんは不思議そうにそれを眺めていた。
 そしてその不思議なものを見る視線はそのまま俺へ。
 「どしたの?」クレープを一口、食べて俺は彼女に問う。
 「そうやって食べるのですか」ホッとした顔に変わり、彼女はクレープを頬張る。
 パッと、その顔が輝いた。
 「おいしい!」
 ”甘いもの、好きなのかな?”
 「恭弥様はこれ、好きですか?」クレープを頬張って、千尋さんは嬉しそうに尋ねた。
 「キライじゃ、ないよ。千尋さんは?」
 「大好きです!」大輪の笑顔で彼女は言った。
 あ、店員さん、えらく喜んでるな。
 「色々なものがあるんですね」歩きながら彼女は正直な感想を漏らした。
 そうなのかな? 自問する。
 そうかもしれない。
 彼女を見ていると、当たり前のものが新鮮に、別の角度を持って見えてくるような気がする。
 「千尋さん」
 「はい?」
 「千尋さんの時代は、どういう感じなの?」俺は”未来”な彼女に、ふと思ったことを尋ねた。
 「それは…」困った顔で彼女。
 「ごめんなさい、言えないんです」
 「それじゃ、未来の俺はどんな奴?」
 ビクッ、彼女が小さく震えるのが分かった。何だ何だ?!
 「言えないんです、本当に、ごめんなさい」消え入る声で彼女は答える。
 「…そんなに酷い人間なのか?」肩を落として俺は呟いた。
 「そんな事ないです!」叫ぶ様にキッパリと言ってくれた。その後にあっと自分で口を塞ぐ。
 「そか,少なくとも君には、良い人らしいね」どんな人間になっているのか,心配だけど今はこれだけで十分な気がした。俺は軽く彼女の頭を撫でる。
 「…恭弥様、私は不確定なんです」ポソリ、千尋さんは言った。
 「不確定?」
 「未来は流動的なんです。だから今の恭弥様がこの後、私を造るとは限らない。とても不確定なんです。だから未来の事も恭弥様の事も、まだ決まっていないからお話できないんです」
 多分、それは嘘。何か未来で話したくない事があるのだろう。そしてそれは俺にとって都合の悪い事,知らない方が不確定な未来を良い方向へ持って行く出来事なのだと、思う。
 「そっか、でもね…」俺はそんな彼女に笑い掛ける。
 「俺は君を造ると思うな。でなきゃ、俺は君に出会えないもの」
 「恭弥様…」千尋さんは嬉しそうに俺の腕に彼女のそれを絡ませた。


 アパートに着いたのは日も落ちた夕方だった。
 千尋さんは玄関を開け、先に入る。そして振返り…
 「おかえりなさい」
 「あ、えと…ただいま」
 なんか、嬉しい。
 ”と、待てよ…”ふと考える。
 千尋さんはここに泊まるのか?
 というよりここ以外に行くところがない訳だし。六畳一間に男女一緒というのはまずくないか?!
 いや、しかし千尋さんはアンドロイドなわけで、家電製品に近いし。
 いやいや、でもどう見ても人間の女の子だぞ,ヤバイ、ヤバイって!
 「…様?」
 どうする、どうするよ、恭弥?!
 「恭弥様!」
 ガコン!
 「あて!」なんかで殴られた。
 「恭弥様、充電して宜しいでしょうか?」困った様に彼女。
 「充電?」
 「はい、そろそろエンプティーランプが点灯しそうなので」恥ずかしそうに彼女は言った。
 何処が点灯するのか? 見てみたい気もするけど恥ずかしい事のようなので敢えて問うまい。
 「でもさっき…」そか、食べたものは二日ほどエネルギー変換にかかるんだっけか。
 「別に良いけど…どうやって充電を?」
 「はい!」袖口から千尋さんはコンセントの付いたコードを出した。
 それを壁のコンセントに差し込む。
 ブゥン TVを付けた時のような音がした。
 カクンと、唐突に千尋さんの首が下がり、糸の切れた人形の様に壁にもたれかかった。
 「千尋さん?!」
 肩を揺する。体の何処にも力が入っていない様にカクカクと揺れた。
 と、
 『充電中です,しばらく動かさないでください』
 機械的な警告声が彼女の口をついて流れた。
 ”どうやら充電中はスタンバイ状態になるみたいだな”と勝手に納得。
 でも、充電ってどれくらいかかるのだろう?
 壁にもたれる千尋さんはまるで眠っている様に穏やかな顔をしていた。
 「たしか掛け布団があったな」俺は押入れから引っ張り出し、彼女にそっと掛ける。
 「ん…」彼女から声が、漏れた。起きたわけではないみたいだが。
 「恭弥様…」小さく彼女は呟いている。寝言?
 機械が夢を見るのかな? 千尋さんなら見てもおかしくないか…な。
 「この世界に来て…良かったです」
 「そか」顔にかかった彼女の髪をそっと分けてやる。
 穏やかなその寝顔を見ていると、先程俺自身何を焦っていたのか,馬鹿馬鹿しく思えてきた。
 結局、千尋さんが目を覚ます前に、俺は眠りに就いていたのは余談である。


 朝8時。俺はコートを身に羽織る。
 「あの、千尋さん? 本当に着いてくるの?」
 「今日の恭弥様をお守りするのが私の役目ですから」ニッコリと微笑んで、彼女は応えた。
 ”ううむ、しかしせめて…”
 「せめてそのメイド服を着替えるのはどう?」
 目立つんだ、これがさ…
 「これが私の戦闘用コスチュームです」
 何じゃ,そりゃ?
 と、ふと思った。
 今日の学校に行くまでの俺を護る、千尋さんはそう言った。
 じゃ、今日が終わって明日になったら、彼女はどうするのだろう?
 「あの、千尋さん?」思ったことを尋ね様と玄関先で彼女に振り返る。
 「恭弥様、ハンカチは持ちました?」
 「え、はい」右ポケットを叩く俺。
 「チリ紙は?」
 「あ、ええと…持ちました」手に提げた鞄を見て応える。
 「あら、襟元に毛玉が」言って彼女は爪先立ち,俺の首元に手を添える。
 鼻腔を彼女の柔らかな髪の香りがくすぐる。合わせて首元がくすぐったい。
 ”う〜,なんか新婚さんっぽいぞ、イカンな”
 「どうしたんですか? 恭弥様?」
 不思議そうな顔をした千尋さんの顔が目の前にあった。
 「いや、何でもないよ。いこか?」
 「はい!」良く通る声で千尋さんは頷く。
 徒歩にて10分の大学までの道程。
 何事もなく雑談を重ねながら、そろそろ大学が見え始める頃だった。
 「何も起こらないね」俺は笑いながら隣りを歩く千尋さんに言う。
 その時である!
 「危ない!」鋭い声で千尋さんは俺を右手で制した。
 「え?」驚き共に俺は彼女の視線の先を追う。
 俺の足元に落ちるトラップ,もといそれは黄色いゴミ。
 バナナの皮だった。
 「ふぅ,危ない所でしたわ」額の汗を拭う千尋さん。
 ”ええと…この程度なのかな?”当初は何気にビビッてはいたのだけれど、何か微笑ましいものを感じるな。
 「はっ!」
 「?!」
 千尋さんの発した咄嗟の覇気に、思わず身構えてしまう。
 俺の目の前に千尋さんの右手。その中には軟球が一つ。
 「すいませ〜ん」すぐ右手の公園で子供が手を振っている。
 千尋さんは軽く軟球を投げ返した。
 どきゅるるる!!
 ズバン!
 「?!?!?!」思わぬことに立ち竦むだけの子供。
 次の瞬間には子供のグローブの中に未だ回転して煙を吐く軟球があった。
 「さぁ、急ぎましょう。危険レベルが次第に上がっています」
 「あ、ああ」彼女に手を引かれながら、俺はよろめきながら数歩。
 影?!
 俺達は長細い影に入っていた。思わず上を振り仰ぐ!
 「鉄骨?!」
 公園前の工事中のビルディング,その屋上から一本のH鋼が降り注ぐ!!
 「はっ!」千尋さんは気合い一閃、右腕を頭上に突き上げた。
 ゲィン!
 硬い音とともに鋼の大棒は真ん中でくの字に曲がって上昇,上昇。
 ガラン…
 遠い音を立てて鋼はビルの屋上,元の位置に戻った様だった。
 「れ,千尋さん…」道行く歩行者と同様の、信じられないものを見る瞳で俺は隣の彼女を眺めていた。
 「はい、なんでしょう?」
 ニコリ
 昨日と同じ、柔らかな笑顔。と、その表情はキッと険しくなった。
 「暴れ牛だぁ!」慌てふためく叫び声。
 ドドドドッドドドドドドッドドドドドドド!!
 「ウモォォォォォ!!」土佐牛だ,闘牛の王者たる黒い巨体を震わせて俺達に向かって車道から疾走してきやがった!
 「に,逃げるよ、千尋さん!」俺は彼女に振り返る。
 いなかった。
 「はぁぁ!!」
 「?!?!!?」格闘家の吐息を思わせるそれに、俺は改めて猛牛を見据える。
 千尋さんが俺と猛牛の間で、戦車のようなそいつに突っ込んで行くところだった!
 「千尋さぁぁん!」
 ばきぃぃん!!
 一人と一匹は交錯。後にお互い背を向けたまま硬直。
 沈黙が、その対決を見守る一同に訪れた。
 ドドォ!!
 くず折れるは…土佐牛。
 スッと千尋さんは俺に向かって勝利の視線を向け…
 いきなり俺に疾走!
 ブロロロロロ!
 耳元でエンジン音が鳴ったかと思った。
 コマ送りのように、俺に向かって突っ込んでくる車の映像が脳裏に流れていた。
 ”無人のAT車が暴走?!”
 赤いその車には、誰も乗っていなかった。千尋さんは…間に合わない!
 俺は身を右に投げ出す,しかしこれもまた間に合いそうもない。
 コンマ0.001秒が数秒にも感じる刹那の時。
 「うわぁぁ!!」迫り来る無人AT車に俺は横っ飛びのまま、悲鳴を上げていた。
 視界の端で千尋さんがエプロンのポケットから何かを取り出すのが見える。
 それを、秒のモーションもなしに構えて放つ!
 ”ば…バズーカ?!”
 ぼひゅう!
 気の抜けた音がAT車が吹き飛ぶ前に聞こえた。
 ゴゥン!
 AT車が爆発、炎上。俺は爆風にも飛ばされ車道のセンターライン付近でにうつ伏せに。
 「恭弥様ぁ!」バズーカーを放り捨て、俺を抱き起こす千尋さん。
 「あたた…」抱かれながら、俺は額をさする。アスファルトに擦ってしまったようだ。
 「意識はしっかりしておいでですか? 1526+3312を3倍したところに2をかけた答えは? バスコ・ダ・ガマが喜望峰を周ったのは何年何月何日何曜日?!」顔を蒼くして彼女は俺に確認してくるが…
 ”わかんね〜よ!”
 「だ、大丈夫だから…」苦笑で返す。
 彼女は何とか安心したのか小さく溜息、そして俺の顔をジッと見つめる。
 「あの、なにか?」澄んだ彼女の瞳に俺の戸惑う表情が映っていた。
 ぺろり
 額に暖かい感触。俺の顔が瞬時に赤くなるのが分かる。
 「ちゃんと後で消毒しておいてくださいね」小さく微笑む千尋さん。あとでって…
 キキィィィ!
 キキィィ!
 唐突に、左右にそれぞれブレーキ音が鳴り響いた。
 右手には黒いベンツ。
 左手には黒いロールスロイス。
 バタン!
 ベンツの扉が開き、現れるのは強面の黒服達。
 「死ねやぁ! 国死会!」叫ぶ彼らの手には業界用語『チャカ』が握られている。
 対して同時にロールスロイスからも同じような人間達が現れていた。
 「ここで勝負じゃぁ、戌亥会のぉ!」
 パァンパァンパァン!!
 「ひぃぃ!!」
 頭を抱えてその場にうずくまる。
 俺達の頭越しにヤクザ達の銃撃戦が始まってしまった!
 「死ねぇぃ!」
 「長年の恨みじゃけん!」
 「ぐはぁ!」
 「いい加減になさい!」すっくと二陣営の間に立ちあがる千尋さん,怒りの表情が浮かんでいた。初めて見る表情だ。
 「「?!?!?!」」
 手を止めるヤクザ達の間で、彼女はエプロンのポケットからゴツイ何かを取り出す。
 マシンガン?!
 それをヤクザ達に向け…
 バラララララ!!
 連射。
 「うわぁぁ!!」
 「ひぃぃぃ」
 「何処の組のもんだぁぁ?!?!」
 千尋さんは器用にも人に当てることなく、ベンツをロールスロイスを穴だらけにし…
 ズドン!
 ゴォン!!
 燃料に引火したのだろう,二台は爆発。ヤクザ達はただただ呆然をその状況を見守るだけだった。
 「恭弥様!」
 「は、はぃぃ!」思わず身を竦めてしまう俺,情けない…
 マシンガンを捨て置き、彼女は俺の腕を引いた。
 ゴォォォォォ…
 ゴゴゴゴゴゴゴゴォォ
 ゴゴゴゴゴオオォォォ!!
 腹の底から響く音が段々と強くなって行く。
 音の発生元は…おい…
 「な、なんだ?!」
 「おい、嘘だろ…」
 「ミサイル??」
 毒気を抜かれたヤクザ,公園の少年,通行人の女性,ビル工事の作業員…
 皆が今までここであったことを忘れたかのように、迫り来る上空のソレを見つめていた。
 US−ARMY
 そう書かれている。遠くに米軍機が焦った様に旋回していた。
 ”米軍機からミサイルが誤射された!?”
 「きゃぁぁぁ!!」
 誰かが、そう悲鳴を上げた。途端に辺りはパニックに陥る。
 逃げ様にも間に合おうはずもない!
 誰かのその悲鳴で我に帰った俺に、千尋さんがそっと耳打ちした。
 「恭弥様、私をしっかりと押さえていてくださいな」
 「え、ああ」見た事もないランチャーを肩に構えた彼女。
 俺は背中から彼女を抱き締める。
 ランチャーから自動的に伸び出たアイマスクが、千尋さんの瞳を覆う。
 「仰角50,進行方向20,速度120,行きます!」
 「おう!」
 じゅばん!!
 千尋さんの身体越しに伝わる反動と電撃がスパークするような、そんな音。
 目が眩むばかりの光。
 そして…
 次の瞬間には上空で爆発することなく散華するミサイルがあった。


 「ありがとう…千尋さんがいなかったら死んでたな,こりゃ」
 学校の校門前。俺達はミサイルの混乱の中、紛れて逃げ出すことに成功した。
 そして無事に学校にこうして辿りついたのだが…
 「まだですわ」
 「へ?」
 千尋さんは厳しい瞳で校門を睨みつける。
 生徒の出入りの少ない、校門の前に一人の女性が立っていた。
 身体のラインに合ったタイトなツナギに肩当て、胸当てを付け、腰にはナイフのようなものまで提げている。
 そして…長い髪の間に覗く彼女の瞳はまるで黒い石が嵌っているような、そんな感覚。
 ”人間じゃない”
 千尋さんも人間ではないが、一見しては下手な人間より人間らしい。
 しかし目の前のコイツは…
 「あれって…千尋さんと同じアンドロイド?」
 返答は、ない。代わりにソイツが一歩前に出た。
 「鈴見恭弥…ターゲット確認。国際犯罪未然防止法の名においてミッションを試行致します」
 ギロリ、黒い機械の瞳に俺は見据えられる。
 ”国際犯罪…何だよ、それって!”俺はソイツの言葉の意味に困惑。その答えを知り得るもう一人のアンドロイドに質問をぶつける。
 「千尋さん、一体アイツは!」
 「大丈夫です」そんな俺とは正反対に、静かに彼女は俺に言った。
 「貴方は、私が護ります」優しさと強さを含んだ彼女の笑顔。
 それは俺の中に生まれた疑念を消し去るには十分過ぎるものだった。


 暗殺者が大きく跳躍,腰のブレードを抜いた。
 対する千尋さんもまた跳躍、拳を振り下ろされるブレードに叩きつける!
 ビシィ!
 ブレードが砕け、そして…
 「クッ!」
 千尋さんの右腕が肩のところから千切れ、飛んだ。
 暗殺者の鋼鉄の拳が、千尋さんのボディに炸裂する。そのまま彼女は校門前のアスファルトに叩きつけられた。
 ズシャ,重苦しい音を立てて暗殺者は止めを刺さんと倒れた千尋さんの額めがけて拳を振り下ろし…
 「とりゃ!」
 ごめす!
 俺の放った投石が暗殺者のこめかみに見事に炸裂!
 ギギィ,暗殺者は俺に視線を移した。効いちゃいないがね…しかしそれで十分だった。
 千尋さんにとっては。
 バクン!
 軽快な音を立てて暗殺者の頭が四散した。千尋さんの左ストレートが炸裂したのだ。
 首を失ったアンドロイドは一歩二歩、後にたたらを踏んで…
 ゴゥ! 激しい炎を上げる。
 その紅蓮の炎を背に、千尋さんが戻ってくる。
 ちぎれた右腕から見える配線コードがパチっと火花を吹いていた。
 「もう、大丈夫ですよ、恭弥様」
 弱々しい笑みを無理に浮かべて千尋さん。
 駆け寄る俺をしかし、残った左手で何故か彼女は制した。
 「…千尋さん,俺は未来でなにかとんでもないコトしてたんじゃ…」
 「未来なんて、不確定なものなんですよ」即答した千尋さんの姿が、陽炎の様に揺らめいた。
 「誰にも分からない,いえ、今を生きる人の意志一つで決める事が出来るんです。正しいと思う事をしてくださいね、恭弥様」
 愛しみを込めた彼女の瞳。それはまるで別れの挨拶の様にしか聞こえない。
 「千尋さん…どこに」一歩前に出る俺。
 「近寄らないで!」鋭い彼女の声に、足が止まる。
 「…私はタイムパラドクスの狭間に消えます」
 ゴゥ,炎の風が彼女の髪を掻き上げた。
 「それって…」消え入りそうな情けない俺の声が、他人のものの様に聞こえる。
 「これが時を越えるモノの宿命。時間位相は確立されていないの,異なる時間帯の物質はもって2日」
 ”なんだよ…それって何なんだよ!”
 「学校を案内しようと思ったのに,色々なものを教えようと思ったのに,一緒に色んな新しいものを知って行こうと思ったのに………」最後の方は言葉が消えていた。
 「ありがとうございます」
 「…」
 暗殺者の燃えあがる炎を背に、清々しいほどの爽やかな顔で千尋さんはそう、お礼を言った。
 「貴方に作られ、そして貴方に色々なことを教えてもらった時間は私にとってこれ以上のものはないです」
 「千尋さん…」
 陽炎の様に揺らめいて見えるのは、熱のせいではないと思う。
 「欲を言えば、海を見に行きたかったけど…仕方ありませんね」ペロリ、舌を出して冗談を言うように千尋さん。炎と共に、彼女の姿が霞の如く消え始める。
 「俺も、君と会えてとても楽しかったよ…絶対に君のこと、忘れないから」
 ニコリ,千尋さんは嬉しそうに、そして寂しそうに頷いた。
 笑顔の中、彼女の頬に流れ落ちる雫が二つ。ぽろり、零れ落ちた。
 「タイムパラドクスの果てに、もう一度だけでも貴方に会えたら、嬉しいな」
 声を聞いた気がする。
 校門の前で俺は佇んでいた。校門前のアスファルトには二つの水滴の跡が消え様としている。
 それを眺めて、俺は気付いた。
 「あれ、俺は…どうして泣いているんだろう?」
 何か、大切な人をなくした気がする。けれど何も、思い出せない。
 いや、何もないものをどうして『思い出す』なんて思うのだろう?
 背後でパトカーのサイレンが鳴っていた。


 海に来ていた。
 電車に揺られて一時間の小旅行。
 ザザン、ザザン…
 寄せては返す波の音。
 綺麗とは言えない砂浜を湿らせて行く濁った海の水。
 つま先が濡れるか濡れないかのその位置で、俺は水平線の向こうを眺めていた。
 何が見えるわけでもない。
 背中にある日は沈みかけ、群青色に染まった空と海の境目が分からなくなってくる,そんな時間だった。
 ザザン
 パシャ!
 波間に響くその音に、俺は視線を聞こえてきた横に向けた。
 パシャパシャ…
 冷たい海の水に白い裸足を浸して浜辺を歩く女の子一人。
 ゴゥ!
 風が、大きく吹いた。
 大気の流れを縫って、俺とそのこの視線がぶつかる。
 澄んだスカイブルーの瞳だった。
 「あれ?」
 何だか見覚えのある娘だった。年の頃は俺と同じ20代前半,もしくは10代後半であろうか?
 俺の顔が映るスカイブルーの大きな2つの瞳を除けば、どこにでもいる美人の一
 人だ,ってあんまり見ないがな。
 そうか…
 見覚えのあるというのは、この娘が俺のタイプだからじゃないのかな?
 「あれ?」
 対する彼女もまた声を出して、不思議そうに俺を見ていた。
 「…あれ?」
 俺は慌てて己の目を拭う。何故か涙が頬を伝っていた。
 ”どうして?”
 慌てる俺をクスリ,目の前の彼女が微笑む。
 その彼女の頬にもまた、一筋の雫が伝っていた。
 ”未来なんて、不確定なものなんですよ”
 そんな言葉が不意に俺の頭の中に響く。
 ”正しいと思う事をしてくださいね、恭弥様”
 俺は目の前の彼女に向かって一歩、足を踏み出した。
 冬を間近にした冷たい海の水に濡れる事を厭わずに。




これは鈴弥氏のHP『Electric Wave Tower』へお贈りしたものです。
HP閉鎖のため、こちらへ移管しました。