セピア色に染まった空の下、彼は口元についた血を学生服の袖で乱暴に拭い取る。
後ろにはたった今、のされたばかりの同じ年くらいの男の子達。
ここは学校からちょっと足を伸ばしたところ――雑草しげる河川敷だ。
そんな中で、彼は地面に尻餅をついた一般人の私に右手を伸ばし、おそらく彼のできる精一杯の笑顔を向けて一言。
「えーと、お嬢ちゃん、大丈夫か? 小学生が怖いお兄さんにのこのこ付いて行っちゃいけないぞ」
ムカッときた。
「お嬢ちゃんじゃない。私は中学3年生だ」
”何だ、同じ中学じゃないか。それも同学年”
校章を見て分かった。
私は顔を背け、吐き捨てるように言いつつも彼の手を取る。
「そ、そうか、同い年かよ…あんまりちっちゃいから小学生かと思った」
「…助けてもらってなんだが、失礼だな、お前」
彼に腕を引っ張られて立ち上がる私。
「あ…」
しかし、よろめいた。
「っと、大丈夫じゃないじゃないか」
彼に腰を掬われ、倒れるのは防がれた。
彼の学生服を近くに感じ、気づく。
「お前もタバコ、吸ってるのか?」
「さぁ、どうかね?」
私から体を離して彼は笑う。
「心配しなくても、注意されても襲ったりしねぇよ」
倒れた男の子の頭を1つ、コツンと軽く蹴って彼は告げた。
「でもまぁ、お前さんがコイツらに言ったことは正論だが、無茶はいかんと思うぞ」
ぽふぽふと私の頭を子供に言い聞かすように撫でながら彼は言う。
「子供扱いするなっ!」
彼の手を頭の上から振り払い、私はこの場に背を向けた。
そのすぐ後ろを彼がついてくる。
私は立ち止まる。
彼も立ち止まった。
後ろを振り返る。
「ついてくるな!」
「帰り道が一緒なんだよ」
おどけて言う彼に、
「ふん!」
私は再び足を進める。
背後の気配も動き始めた。
背中に受ける斜陽の光は、私の影を目の前に作る。
人通りのない土手の遊歩道。
伸びる2つの影を眺めながら、私は安堵と寂寥を感じた。
安堵は影の世界では2人仲良く並んで歩いていることに。
寂寥は、現実の世界での私は彼の言う通りに子供のように背が低く、並んで歩いても釣り合わないことにだ。
私が彼の半分。
きっと子供を連れて歩くお兄さんにしか見えないんだと思う。
大きくなったら
「恵理、起きなよぉ。そろそろ時間だよぉ」
そんな言葉とともに私は体を揺さぶられ、午睡から意識を現実に引き戻した。
「あ、ああ」
机からゆっくりと身を起こし、私は隣の席でパック入りのジュースを呑気にすすっている彼女――桑島晴香に笑みを一つ。
「おはよう、晴香」
懐かしい夢を見ていたような気がする。
それが何だったのか…今では割れた泡の残骸を眺めている状態だ,七色の泡は思い出せない。
私はふと顔を上げる。
目の前の彼女は潤んだ瞳でそんな私をじっと見つめていた。
”しまった”
後悔先に立たず
「可愛いぃぃ!!」
「ふわぶ!」
ぎゅっと晴香に抱きしめられる。
「やめへ〜〜〜」
彼女のふくよかな胸に呼吸困難に陥りながら私は叫ぶが案の定、効果はない。
「もー、恵理、寝起きのその顔、可愛すぎよっ!! その言葉使いも今時の女子高生っぽくなくてサイコー!!」
背の高い晴香は、私をまるで人形のように抱きしめて振り回す。
”ヤバイ、死ぬかも…”
「おいおい、またお前らレズってんのか?」
呆れた男の声が背後から。
いつもは憎たらしいそいつの言葉は今日に限っては私の命を救ったといっても過言ではないだろう。
ようやく晴香の腕は私を解放してくれた。
「はぁはぁはぁ」
「わ、私たちの愛はもっと高尚なものよっ」
「レズでもなければ高尚でもないしっ!」
私は晴香に一言叱り付けた。
話は変わるが、私は自慢になるけれど成績は優秀だ。
家は良家でお金には困ったことなどついぞない。
それに謙虚に見ても顔立ちもなかなか可愛い方だと思うし、胸も大きい。
自惚れではない、いや…そうとってもらっても構わないけれども。
ともあれ、ある一点を除いて私は女性として完璧だと思っている。
ある一点―――それは
「まぁいいや。市谷ぁ〜、元気してるか?」
ぐにぐに
馬鹿男は私の頭をわしわしと撫でた。
「子供扱いするなっ!」
鍛えられた彼の太い腕を、私は乱暴に頭の上から叩き落した。
私は憎々しげにコイツを見上げる。
宮木信也――クラスメイトであり、私を昔から子供扱いするムカつく奴だ。
そう、ご察しの通り私、市谷恵理の唯一の欠点。
それは、
「相変わらずちっちゃくてかわいいなぁ」
「ば、馬鹿にするなっ!」
私は宮木に蹴りを一発入れて、何故か赤くなってしまった顔を背けた。
同時、昼からの授業の始業ベルが校内に響く。
私の唯一の欠点。
それは背が低いことである。
お風呂上り。
私は腰に手を添えて牛乳を一気に飲みほした。
いつもの日課だ。
しかしそれに伴う成果は皆無。
高校2年生で140cmの私はこれからの成長がありうるのか、非常に心配なところだ。
「ジャックハンマーみたいに骨延長手術でもしようか」
ボソリと呟いてみる。
「なんだ、恵理。まだ背の高さで悩んでいるのか?」
新聞を読んでいた父に聞こえたようだった。
「悩むのは当たり前。絶対に大きくなる」
コップを片手に私は宣誓。
「まったく…お前は母さんに似て頑固だな」
言いつつ父は懐から何かを取り出すと私に向かって放り投げた。
キャッチ
「何、これ?」
私の手の中に納まっているのは小さな小瓶。
中には小指よりも小さな人形らしいものが一つ入っていた。
ラベルが張ってある。
「どんな願いでもかなう小瓶?」
「帰りに道を教えてあげたおばあさんに貰ってね」
新聞の向こうから答える父。
”怪しいなぁ”
私は苦笑。
「ありがと。貰っておくよ」
父は顔を見せることなく、新聞の向こうで片手を上げて答えたのだった。
寝巻きに着替えた私は机のライトの明かりを灯す。
期末試験まで日にちが近い。
今のまま試験に臨んでも問題ない点数が取れるだろうが、私は今回も全教科満点を目指すつもりだ。
「さて、はじめよう」
こつん
肘に何かが当たった。
少し遅れて
かちゃん
足元のフローリングの上に小さな割れる音。
”しまった!”
床の上には僅かなガラス片。
先ほど父に貰ったあの小瓶を落としてしまったのだ。
「片付けないと」
ガラスの破片を集めようと屈んだ時だ!
「ボクを呼んだのは君かぃ?」
少年らしい声が聞こえた。
「??」
「こっちだよ」
「?」
私は声の元を探して左右を見回し、そして下を……
「え?!」
「そう、ボクだよ」
私の手元、割れたガラス片の間にちっちゃな男の子が立っていた。
「な、何、アナタ??」
「ボクは瓶の小人。君のどんな願いでも叶えてあげよう!」
深々と頭を下げて小人はとんでもないことを言う。
父の冗談は本物だったの?!
「ほんとか?」
「うん。でも引き換えに君の身長を半分貰うよ」
「ふざけんなーー!」
危うく小人をつぶしそうになる右手を押さえた。
私の願いも何も、そんな交換条件じゃ叶わないじゃないか。
「身長を伸ばして欲しいだって?」
訝しげに小人は私の言葉を反芻する。
「何でも叶えてくれるんだろ?」
「そんなん、ボクが叶えて欲しいわ!」
叫ぶ小人。
私達はお互い顔を見合わせ、
「「はぁ」」
溜息を吐く。
「背以外で何かないの? 大金持ちになりたいとか、頭良くなりたいとか、モテモテになりたいとか。世界征服も叶えることができるよ、ボクは」
「背が伸びるだけで良い」
「…無茶言わないでよ」
寂しく言う小人。
「背を伸ばすくらい、叶えてよ」
「ボクが伸びたいくらいだよー」
「何でも願いを叶えてくれるって言ったでしょ、嘘なの?」
小人に詰め寄る。
「ケースバイケースって言う言葉があるでしょ」
「嘘なの?」
「だから…」
「嘘なんだ?」
小人はあわあわと唸り、そして。
「ううっ、分かったよ。明日一日だけ身長を伸ばしてあげよう、大出血サービス!」
観念したように決断した。
「ってたった1日だけ?」
「身長以外だったらこんなことにはならないんだよっ!」
「でもそんな一日だけのために私は身長を半分もあげないよ」
本末転倒だろ、それじゃ。
「この場合は仕方ないから身長1cmと引き換えだけで勘弁してあげるよ。サービスみたいなものかな」
「1センチ……」
もともと低い私にとっては1センチでも大きな数字だ。
「どうする?」
小人は問う。
”どうしよう?”
背が高くなりたい。
でもこのままならないかもしれない。
一度だけでも良い、高くなって
高くなって夢を叶えてみたい!
だから私は次の瞬間、言葉が自然と口から出ていた。
「分かったわ、やって」
”一日だけでもいい、大きくなりたい!”
「その願い、かなえましょう♪」
小人は踊る。
フローリングの床の上をクルクルと踊る。
それを見つめているうちに、私を急激な眠気が襲う!
『明日の朝には大きくなってるよ』
小人の声が直に頭の中に響いた気がした。
大きくなったら世界がきっと変わって見えるだろう。
あの馬鹿男に子供扱いされることもなくなるに違いない。
そう確信しながら、私は眠りの世界に落ち込んでいった。
「行ってきます」
「??」
母と父が何故か唖然とした顔で私を見つめていた。
何があったんだろうか?
私は今更ながら、通学路を小走りに進みながら考えていた。
T字路に差し掛かったときだ。
「わんわん!」
いつものこの時間に行き会う散歩中の犬。
「あれ?」
出くわしたその犬と、飼い主のおばさんを見て私は首を傾げた。
なんか、小さいのだ。
いや、いやいやいや!
”私の視線が高いんだ”
「あれあれあれ?」
私は自らの足元を見つめる。
”た、高い!”
怖いくらいに高い。
電柱を同じ視線で見つめた。そこから今の身長を大体で算出してみる。
「170あるかないか…どうして…」
そこまで言って思い出す。
昨夜の願いをかなえる小人との約束。
今日一日、私の背を伸ばしてくれるっていう約束を。
”やった”
「やった!」
心が躍る。
私はいつの間にか走っていた。
いつもよりも走るスピードも、視線の高さも違う。
世界が変わっていた。
それがとてもとても新鮮で。
私はその勢いのまま、学校へ到着したのだった。
教室に入り次第、視線を感じる。
初めに驚愕、そしてそのすぐ後に来るのは羨望。
それはとてもとても…
”気持ちいいな”
教室に入る前、学校へ来る途中でもそうだった。
みんな、私に振り返る。
それは今までなかった体験だ。
「おはよぉ、恵理…」
「おはよう、晴香」
友人は硬直していた。
私を見つめた姿勢のままで。
「ど、どうしたの?! 背が伸びちゃってる…あれ、あれれ??」
「えへへ」
混乱する友人に私はとぼけた笑みを浮かべるしかない。
「かっこいいねぇ、一体何をどうしたの?」
「さ、さぁ。私にも分からなくて…それよりも」
私は教室を見回す。
男子達が私から慌てて視線をそらすのを感じつつ、肝心の目標が見つからずに落胆。
「アイツ、休み?」
「アイツ?」
晴香は首を傾げる。
「宮木のバカよ」
「宮木くん? さぁ…今日はまだ着てないみたいね」
「そぅ」
アイツに今の私を見せたらなんと言うだろう?
今度はこちらがアイツの頭を撫でて子供扱いしてやろうか。
「あ、あのさ、恵理は宮木くんと仲良いのね?」
躊躇いがちに晴香が私に問う。
「別に仲は良くないけど。あとアイツに『くん』なんて付けることない、もったいない」
「だ、だって…」
晴香は困った顔で続ける。
「あの人、怖いんだもの」
「怖い?」
一体どこが??
「恵理も知ってるでしょ? 宮木くんってよく他の学校の生徒とも喧嘩して問題起こしたりしてるし」
「え、そうなのか?!」
「そうだよー、クラスの男子からも怖がられてるじゃない」
「……そぅ」
セピア色の空の下。
私は彼と初めて出会った。
「恵理?」
「あ、ううん、なんでもない、なんでも」
私は笑って晴香に答える。
そうだった。
私があのバカと初めて知り合った時から、アイツは暴力を振るっていたっけ。
ただその暴力のベクトルは決して私ではなかっただけで、そしてそれを私も知っていたから、彼を恐れることはなかった。
でもそれを知らない人からアイツを見たら。
”そりゃ、怖がるな”
思えば損な生き方をしている男ではある。
一日の授業をつつがなく終えた私は、晴香及び男子達からの追求の手から逃れて繁華街に足を伸ばしていた。
「お姉さん、お茶でもどう?」
「結構です」
「カラオケ行かない?」
「嫌です」
5歩進むごとにかけられる異性からの声に、私は顔を向けることなく通過する。
根本的な問題に気づいた。
「私、知らない人に声かけられるの苦手なんだよね」
というか、何で私はこんなところにいるんだろう?
そもそも背が高くなっただけで手のひらを返すようなこの周囲の態度の変化というのが頭にくる。
やっぱり背が低いとダメなのか??
「お姉さん、遊ばない?」
「嫌です」
すでに反射的になった言葉を放ち、私は3人の男達の前を通過…
「偉そうに」
「ムカつくな」
「待てよ」
回り込まれてしまった。
「チッ!」
私は舌打ち一つ。
「何です、アナタ方?」
「お高くとまりやがってよ」
「ちょっと来いや」
腕を掴まれた。
「やめて! うぐ」
私は3人に囲まれるようにして口を塞がれ、路地裏に連れ込まれる。
「最初からこうすりゃ良かったか」
「むーーー」
「やることは最後は一緒だもんな」
「んーーー」
「こんなお高い女は懲らしめなきゃな」
「うむーーーーー!!」
”なんで”
男の一人が私の髪を掴む。
”どうしてこんなことに”
制服に手がかかった。
”嫌!”
「情けないことしてんじゃねぇよ」
聞き覚えのある声が路地裏の向こうから。
「?」
「あ、お前は!」
バキ
ゴス
メキ
突然現れたソイツは3人の男達をいとも簡単に沈黙させる。
「あ…」
思わずホッとしてその場に尻餅をついてしまう。
私をかばう様にして立つソイツの背中は大きかった。
私の背が伸びていようがなかろうが、その大きさは変わらない広さに見えたと思う。
不意に思い出す。
それは過去の記憶。
そして、
私の本能が忘れさせようとしていた記憶を。
セピア色の空の下。
「アナタ達、中学生だろ。タバコなんて吸うなよ!! それに何やってるんだ?!」
帰り道、橋の下に見えたのは同じ学校の男子達数人。
そして明らかに小学生らしい少年2人を囲んで腕を振り上げようとしていたその瞬間だった。
彼らは私を訝しげに見つめると、こちらに歩み寄ってくる。
その隙に少年2人は走って逃げた。
私は今と同じように暗がりで、柄の悪い男達に囲まれた。
「俺達が何しようと、お前には関係ねぇだろ?」
「それより金貸してくれよ」
私の襟首を掴み、男の一人が凄む。
背の低い私の体が宙に浮く形になる。
「なさけねぇことしてんじゃねぇよ」
その時だ。それは男の声。
「ぎゃ」
「ぐえ」
「え…?」
一瞬でのされた少年達。
その彼らと私の間に立つ乱入者たる彼もまた少年だった。
その背中は私にとって、正義の味方に見えたわけで…
「大丈夫かい、お嬢さん」
当時の私はそう言う彼に頭を撫でられた。
そいつは……
暖かな感触にハッと我に返る。
「大丈夫か、お嬢さん?」
頭を撫でられる。
私はそいつを見上げた。
そいつは……
宮木信也。
「子供扱いするなよ!」
「へいへい、怪我ないか、市谷?」
「え…」
”なんで分かるの?”
「どうして私だと?」
宮木は首を傾げつつ、昔と同じように手を差し出す。
「何でって、お前はお前だろ??」
「背が伸びたのに」
「背?」
私は彼の手に掴まり、立ち上がる。
彼には及ばないけれど、前よりも当然高い。
「ありゃ?
ジャックハンマーみたいに骨延長手術したのか?!」
「…してないしてない」
こんな奴と同じ頭だったと思うと頭が痛い。
「まぁ、いいや」
「いいのか?!」
「怪我はないか?」
「ん、大丈夫…」
そこまで言って、追加。
「…だと思う」
「家まで送るよ」
宮木は笑ってそう言った。
夕日に影が伸びる川沿いの土手。
「何で今日は休んだ?」
「寝坊。で、ふけた」
簡潔な答えだ。
「寝坊してもちゃんと来なさい」
「へいへい」
言葉が途切れる。
私は一番聞きたかった件に切り出した。
「なんで私って分かった?」
あの暗がりですぐに私と気付くなんて。
背の高さも昨日と今日とでは全く違うのに。
「変なこと聞くなぁ」
「変じゃない」
彼は苦笑い。
「分からないはずないだろ、市谷は市谷なんだからさ」
当然と言わんばかりに宮木は言う。
それは純粋な言葉で、だからこそ私には、
「…分からないよ」
「分かるよ」
言って彼は背の伸びた私の頭をまた撫でた。
「だから子供だっていうんだ、お前は」
「どういうこと?」
彼は私を見つめる。
笑ってはいない真摯な瞳だった。
息が、止まった。
私は慌てて視線を前に向けて彼の視線から逃げる。
視界には地面に落ちた己の影が見えた。
影は並んで歩いている。
夕日が私達の影を伸ばしていた。
その長さはあまり変わらない。
”ああ、そうかぁ”
過去の光景の中、自ら隠してしまっていた感情を思い出す。
”そうか”
なぜ背が高くなりたいと思っていたのか。
”私は”
完璧を目指すためじゃない。
”彼と並んで歩いても”
もてはやされたいわけでもなく。
”つり合えるようになりたいから背が伸びたかったんだ”
子供とその保護者ではなく、せめて恋人同士に見えるように。
”でも私はそんな自分の感情を認めたくなくて”
けれども背が伸びたいと言う願望が強く強く残ったんだ。
「私、背が高いほうが素敵だろ?」
笑いながら私は隣の宮木に問う。
「んー、どっちでも」
「なんだよ、投げやりだな!」
「高かろうが低かろうが、市谷は変わらずに面白いからな」
笑みを浮かべながら宮木は言う。
「変わらない?」
「中身は変わらないだろうが」
「何だよ、それー」
文句を言いながらも、でも私は嬉しかった。
「じゃあ、じゃあさ、彼女にするならどっちが…いい?」
冷静を装ってはいるつもりだった。
でも、言葉じりがかすれてしまったのは否めない。
「それは誘惑か?」
「ばーか、そんな訳ないだろっ。一応異性だから聞いてみてるだけだよ」
私は慌てて取り繕う。
内心を知られてはいけないけれど…バレていないだろうか?
横目でちらりと彼を見る。
夕日に全てが赤く見えた。バレていないことを祈るしかない。
「俺は」
「俺は?」
コイツの答えだけ、知ることができれば良い。
私はだから、彼の意外な答えに対応しきれなかった。
「そんな市谷が好きだな」
「はぃ??」
「背に悩んだり、時々高慢だったり、後先考えなかったり、俺の気持ちも知らなかったり、そんなトコロがある奴が好きだからさ。背はどうでもいいな」
”なに、最後の?”
彼の表情を再び横目で覗き見る。
土手の先の夕日を見つめたままの彼は特に表情はない。
顔が赤いかどうかも分からなかった。
「じゃ、気をつけてな。アホな事はもぅするなよ」
もっと話したかった。
もっと歩いていたかった。
もっと一緒ににいたかった。
「分かってるわよ!」
けれどもアカンべーをして別れる私。
宮木もまた一言「アホ」と笑って言い残し、去っていく。
彼の背も見えなくなった道の先を見つめたまま、私は言葉を漏らす。
「馬鹿だ、私」
今はすでに背の高さへの固執はない。
もはや無理に高くなる必要は今の私にはなかったから。
何で大きくなりたいって思ったかを知ったから。
たとえ小さくとも、私を私として見ていてくれる人がいる。
そりゃぁ、背が高いにこしたことはない。
だから牛乳は飲むし。
でも今までより、一途に高くなりたいとは思わなくなっている私がここにいた。
「単純かな、私?」
背は一センチ縮んでしまったけれど、
心の身長はぐんと伸びた気がした一日だった。
了