イカロスの翼


 上を見上げれば、そこに広がるのは青い空。
 果てなどありはしない。
 神の御言葉によれば、死んだら子の空の先にある世界に行けると言う。
 だが、僕は。
 「この空を飛んでやる」
 幼い頃からの目標だ。
 鳥達がこの大空を自由に舞うことができるのだ。人間であるこの僕が同じことができないはずがない。
 だから僕は翼を願った。
 悠然と空を舞う、鷹のような力強い翼を。
 だが、いくら成長しようとも僕の背に翼が生えることはなかった。
 神にいくら願っても、翼が生まれることはなかったのだ。
 ならば作れば良い。
 僕は古代のイカロスの様に、鳥の羽を編みこんだ翼を背負って場に臨む。
 ここは街を一望できる塔の屋根。
 街の真ん中に居を構える、神の住まいし場所。
 教会の尖塔の一つだ。神に至る道にもっとも近いこの場所からならば、僕も空を舞えるに違いない。
 眼下には街に人々が集まっている。
 口々に僕の行為を止めさせようとする単語が吐かれているが、彼らには僕の目標など分からない。
 ここからは彼らが、見慣れた街が小さく見える。
 穏やかな南風が僕と背の翼を撫でていく。
 心に生まれるのは僅かな恐れ。
 もしも飛べなかったら……
 きっと僕はこの体を伴うことなく、この空を舞い上がり神の御許へと旅立つことになるだろう。
 それは僕の望むところではない。この体のままに空を舞い、そしてこの地に舞い戻ることが僕の目標なのだから。
 これが果たされれば、僕達人間は地を這いまわりつづける必要がなくなるのだ。
 希望と使命感で恐怖を打ち消し、僕は一歩を踏み出す。
 ここで死ぬのなら、僕はそれだけの人間だったと言うことさ―――
 浮遊感が、僕を襲う。
 ざわめきと悲鳴が眼下で沸き起こる。
 風を切る音が僕の耳を通りすぎ、その音の中でバキっという破壊音が混ざる。
 視界の片隅を、折れた翼が風に舞った。
 「あぁ」
 落胆の溜息は中途。
 僕の視界は全身を襲う衝撃に、暗転した。


 目を覚ませば、そこには青い空はなく白い天井がある。
 全身はギブスで巻かれ、身動きが取れない。
 「むぅ」
 唸りは間違いなく僕の耳に届く。
 生きている。
 「神のご加護だよ」
 傍らに腰掛ける神父が告げた。
 「君は境界の傍らのイチョウの木に落ちたんだ。もっとも全身打撲だがな」
 困った顔の彼は、たしなめるように僕に言う。
 「そうか」
 だから僕は確信する。
 「確かに神のご加護だよ。僕は空を飛べるまでは死なない」
 「違う」
 「いや、違わない」
 神父の言葉を否定する。
 「僕は神に生かされた。しかし神は僕に空を飛ぶ力を与えなかった。すなわち」
 僕は断定する。
 「神の力でなく、人間の力で空を飛べと、そういうことなんだ」
 「残念だか」
 神父は心底言葉通りの面持ちで呟く。
 「私には君の言っていることが分からない」
 「だろうね」
 僕は満足に頷いた。
 「だから君は神学者で、僕は科学者なのさ」

おわり