機械の心


 月に群雲。
 ビルの狭間に響き渡るは連続する金属音。
 気だるい夏の夜風が、ネオンの光がわずかに届く路地裏に吹き抜けた。
 群雲が流れ、月の冷たい光がネオンのそれを打ち消す。
 同時。
 金属音はカランと乾いた音を最後に鳴り止んだ。
 繁華街。
 その華やかさとは裏腹な、ネズミだけが住人に思える路地裏で。
 生ゴミの詰まっていたポリバケツを引っくり返し、ビルの壁を背にゴミにまみれて座り込んだ一人の青年がある。
 彼のありえない方向に曲がった右手付近には、一本の鉄パイプが転がっている。
 彼を見下ろすように黒い革のコートを着た中年男。
 コートの男は手にした凶器の照準を、青年の額に合わせていた。
 着込んだ革のコートよりも黒い、六連式の巨大なリボルバー。
 その1.5cmにも及ぶ口径から放たれる弾は、厚さ3cmの鋼鈑をも貫く劣化ウラン弾頭を搭載する。
 構えた超重量の銃を一瞬たりともブラすことなく、無慈悲に青年の額を狙っている。
 「いったい…」
 青年が呟く。
 「いったい俺が何をしたって言うんだ!」
 倒れた格好から見下ろす中年に噛み付く彼。
 「やりたいことをやって、何が悪い! いったい何が悪いという…」
 彼の言葉は炸裂音によって寸断された。
 コートの男の放った銃弾は青年の額を穿ち、鋼の頭蓋を打ち破って中身の人口脳漿をブチまけたからだ。
 「死に、たく、ない」
 最期の言葉を放ち、青年はその機能を停止した。
 表情を変えることなくコートの内側に銃を収める中年男。
 彼は『モノ』に戻った、鋼と有機物でできた人形にこう言葉を投げ捨てる。
 「そう思うことがすでに罪だ」


 時は西暦2220年。
 世界は人とほぼ同じ性能を持つ機械を作り出す技術を育んでいた。
 それをロボットというかアンドロイドと呼ぶかは人それぞれだ。
 文明の黄金期とも思われるこの時代。
 やがて人を模した機械は、ある致命的な欠陥を生じることとなった。
 それは『心を持つ』こと。
 いくつかの機械は自発的に『人』を目指そうとたくらんだのだ。
 発端は何かわからない。
 自己学習プログラムによるものか、それとも自動更新機能によるものか。
 ともあれ『心を持つ』機械は重大な欠陥品である。
 それは何故か?
 人の意思を抱く鋼鉄の人形は、人に従わない。
 従順な下僕として作成された『モノ』がその機能を果たさないのである。
 やがてこの欠陥は『モノが人を殺す』事態にまで発展することとなった。
 事態を重く見た政府は各地に監視エージェントを設けることとなる。
 『心を持つ』機械人形を探し、破壊する『人形殺し』達を。


 華やかな結婚式だ。
 彼は思う。
 白亜の教会で愛を誓い合うのはまだ若いが社会を知る新郎と新婦。
 それを見守る家族と知人達。
 彼はその家族の一人を見つめていた。
 頬に一筋の涙を走らせる、タイトなスーツに身を包んだ妙齢の女性だ。
 新婦の母となっている彼女こそが、今回匿名で通報されたターゲットに他ならない。
 「信じられんな」
 思わず言葉をこぼす彼は口元に苦笑いを浮かべている。
 信じられないと思えるほど、ターゲットは禁忌に触れていると言えるから。
 匿名の通報――新郎の父であることは分かっているが――から彼女の経歴はすでに割り出してある。
 粛々と式の進む間、彼はデータを脳裏で反芻した。
 新婦は4歳で両親を交通事故で無くしている。そんな幼い彼女を、ターゲットは亡くなった元所有者の実効命令に従い、ここまで育て上げたのだ。
 まず、今の戸籍を得る為に人を一人殺している。殺されたのは今のターゲットその人に他ならない。
 そして幼い新婦を養うために己の体を売ってきた。アンドロイドによる売春は法で禁じられている。
 これらのことを指令されることなく実行してきたのだ。
 『心を持つ』人形と彼は判断する。
 だが。
 彼は思う。
 これらのことは、楽しいことなのか?
 心を持たない方が実行が楽なのではないか?
 明晰な彼の頭脳にわずかなノイズが走った。
 分からない。
 ターゲットの『心』が分からない。


 やがて式は終わり、新たに夫婦となった2人は旅に出る。
 夕日の差し込む教会に残るはコートの男と、そして新婦の母であるターゲット2人だけとなった。
 ターゲットはコートの男に微笑みかける。
 「貴方には感謝しております」
 彼女は彼にそう告げた。
 「あの子が私の元を離れるまで、待っていただけたのですから」
 夕日が傾き、ターゲットを赤い光が包み込む。
 満足げな、そして清々しい笑顔がそこにあった。
 「楽しかったか、お前の生き方は?」
 彼の問いに、彼女は少し驚いた顔をして。
 そして穏やかに微笑んで小さく頷いた。
 「私の意思であの子を育て、そして立派になったあの子を見送ることができたのですから。これ以上、求めるものはありません」
 「そうか」
 彼の手が動いて2つの連続した音が鳴った。
 ターゲットの胸と、頭を貫く二筋の銃弾。
 彼女は夕日の中、その赤い光に負けない赤い人造血液を撒き散らして、白亜の教会に倒れ伏した。
 「願わく、ば」
 『モノ』に戻ろうとする彼女の口から、最期の言葉が漏れる。
 「あの子には、私は、事故で死んだ、と」
 「約束しよう」
 壊れた人形だったモノに言い残し、彼は教会に背を向けた。
 彼の『心』にはノイズが渦巻いている。
 彼は予感していた。
 そう遠く無い未来、銃口は己自身で己の頭に押し当てられるだろうことを。
 「まったく『人間』というものは…」
 沈み行く夕日に、機械仕掛けの人形殺しはよく浮かべる苦笑いを一つ。
 「なんと残酷な生き物だろう」