部長と白川さん
校舎のいたるところで片付けがなされている。
ある教室では「喫茶 カトちゃん」と書かれたベニアを取り外し、校庭の一角では屋台を取り崩しが進んでいた。
聖ヘルメス高校で行われた文化祭。その翌日の光景だ。
祭りの後はどことなく寂しく、そして乾燥した雰囲気があるかと思いきや、それは一部だけのことだった。
片づけを行う生徒達のおよそ半分ほどに、うきうきした表情が浮かんでいた。
その表情を浮かべている者は男女対になっている。
そんな片付け状況を眺めながら廊下を進む1組の男女があった。
男の方は中肉中背、きっちりとブレザーを纏い、シャツの第一ボタンまではめてネクタイを締めている。
女の方もまたガイドブックに載っているかのように、隙なく制服を着込んでいた。
腰まである長く黒い髪を後ろで簡単に縛っている。
両者とも薄いめがねをかけ、冷ややかな視線で周囲を見つめながら迷いなく歩を進めていた。
やがて二人は無言のまま、大掛かりなごみ片付けをする階段の踊り場にさしかかった。
「しかし、アレだね、白川君」
男の方が、多人数で巨大な鬼の張りぼてを取り壊す様子を見つめながら静かな声で口を開いた。
「何でしょう、部長」
それを受けて女の方はややハスキーのかかった声を返す。
「楽しかった祭りは必ず終わるものだ、そうだろう?」
「そうですね」
「その楽しさを終わらせたくないという想いがこういった状況を作り出すと思わんかね?」
「どういった状況でしょう?」
「こういった状況だよ」
踊り場を抜け、再び廊下を進みながら彼はそこかしこに存在する男女のペアに視線を投げる。
「即席カップルというやつだな」
一瞬、周りの視線が二人に集中する。視線にこめられる感情は決して良いものではない。
「部長、睨まれてますよ」
しかし平然と、全く表情を変えずに白川と呼ばれた女の方は男に返した。
「他人の目を気にするようなカップルならまだ安心だ。重症な奴らは半径1mの世界の住人だからな」
「部長はオンリーワンな世界の住人ですね」
「白川君、それはどういう意味だろうか? 褒め言葉として受け取って良いのだろうかね?」
「常識の観点から判断していただきたいですわ」
「なるほど。なかなか貴重な意見ではある」
腕を組んで深く頷く男。
そんな彼を横から白川はまじまじと見つめ、問うた。
「部長は羨ましいのですか?」
「何がだね?」
「部長のおっしゃる即席カップルがです」
「ほほぅ、どうしてそう思うのかな?」
「部長が他人に興味を持つのは初めてではありませんか?」
「私はそんなにも自己中心的な人間だと君には映っていたのかね?」
「違うのですか?」
「私も人である以上、他人にもちゃんと気を配るのだよ」
「今の言葉、しっかりと記録しておきました」
白川は懐からペン状のサウンドレコーダーを見せて言う。
「なかなか用意周到だね、白川君」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めてはいないのだがね、まぁいい」
ふん、と鼻で笑って彼は続ける。
「私は確かに羨ましいのかもしれない」
「カップルがですか?」
「いや、違う」
即答、そして否定。
「白川君。我々は文化祭の時、一体何をやっていたか覚えているかね?」
「おかしなことをお聞きになりますね。我々電脳部は電脳占いを出展していたではありませんか」
「ああ。そしてとてつもなく盛況であったな」
「小休止すら取る時間もなく開場から閉会までパソコンと対面した3日間でしたね」
「楽しかったかね?」
「いつも通りでしたね。ただそこに他者が介入しているかいないかだけのことです」
「そう、そういうことだよ、白川君」
ぽんと手を鳴らして彼は頷いた。
「我々二人しかいない電脳部がだ。総入場者数の3分の2の来客を得た」
「その割には何も特典がないのですね」
「分かっているではないか、白川君」
「?」
「我々が無償で3日間という時間、ひたすらに労働している時に、このカップルたちはそれはもぅ、文化祭を楽しく堪能していたわけだよ」
「我々の占いは恋愛占いも含んでいましたわね。そのエッセンスに一役買っていますわ」
「そういうことだよ、白川君。我々は文化祭を楽しむ時間すらなかったわけだ。それが口惜しくかつ、楽しんだ者が羨ましいと私は思うのだ」
「なるほど」
小首を傾げ、彼女は「では」と続けた。
「部長は市井の民と同じく、異性とたこ焼きを突きあったり、お化け屋敷でしがみつかれたり、最期のキャンプファイヤーを眺めながら愛を語らったりしたかったというわけですか?」
「いや、そういうことではないぞ、白川君。しかし具体的だな」
怪訝な視線を白川に一瞥。彼は続ける。
「せめて一学生として文化祭を一般的な視点で楽しみたかったというだけだ」
「学生経営の喫茶店でだらだらしたかったということですね」
「やや語弊があるが、大体そんなところだ。そもそも白川君は文化祭を楽しんだかね?」
「さて、どうでしょう?」
「なぜそこで疑問形になるのだい?」
「まだ一学年の私は今回の文化祭以外を知らないもので比較できませんわ」
「なるほど。しかし楽しかったか辛かったかは判別つくだろう?」
「部長、今の選択は普通、楽しかったかつまらなかったか、という2つとなると思うのですが」
「時として日本語とはフランクなのだよ、白川君。覚えておきたまえ」
「はい、部長」
彼は回答を得ていないことには気付かなかったようである。
それに気付く前にという念があるのかないのか、白川は問うた。
「部長、教えていただきたいのですが、一般的に「付き合う」というのはどういった行動をさすのでしょう?」
「それは難しい質問だな、白川君」
額にわずかにしわを寄せる彼。
「例えばだ。Aという♂がBという♀と親しい行動を取っていたとしよう」
「はい」
「そこにCという♀がAに親しい行動をとったとする」
「はい」
「それを見たBはCを怒るのではなく、Aを怒る。これが付き合っているという兆候だ」
「BはCを怒るのではなくAを怒るのですか? 何故でしょう?」
「そこが人間心理の面白いところだ。全くの他人であるCに注意を促すよりもより近い存在であるAをたしなめた方が効果的という説明もつけられるがね。実際のところは当事者になってみればわかることだ」
「当事者ですか?」
「白川君ならば仲の良い異性の1ダースくらいはいるだろう? こういうことはないのかね?」
「残念ながら部長。私は人間関係には申し訳ありませんが奥手なもので」
「それは一般的に言わせるともったいないというものだぞ、白川君。花の命は短いものだよ」
「忠告として受け取っておきますわ」
無表情で頷く白川。
終始表情のない彼女だが、まるでよくできた日本人形のような美しさがある。
対する部長と呼ばれる彼もまた、『黙っていれば』カッコいいと呼ばれる部類に間違いなく入る顔立ちだった。
やがて二人は昇降口から校庭へ。
夕方には満たない、緩やかな日差しが二人とキャンプファイヤーの燃えかすを片付ける生徒会委員を照らしている。
「実際のところ、どうなのでしょうね?」
白川が口を開いた。
「何がかな?」
「付き合っているという行動です」
「珍しく話を引っ張るね」
「人間関係に関しては私はこれまであまり重視していなかったもので」
「ほぅ。では何故今日に限って?」
「部長が珍しく人間関係について語ったからです」
「うむ、それもそうだね」
「部長は結構ご存知なのに、私はこの分野に関してはかなりの部分、無知であることに気付かされたのです」
「なるほど。もっとも私も詳しいわけではないのだけれどね。答えられる範囲は答えるとしよう」
「ではお聞きします」
「なんだね?」
「付き合っている二人は普段、どういったことをしているのでしょう?」
「ふむ」
右手の拳を顎に当て、考える彼。
「ところで部長は異性とお付き合いしたことはおありなんでしょう?」
「ないということはないのだがね」
わずかに苦い笑みを浮かべて彼は彼女に答えた。
「これまで何人も付き合って欲しいと言われてその通りにするのだが、何故か半時間も経たない内に別れを告げられてしまうのだ」
「何故でしょう?」
「私が思うに付き合っている者同士は普段の会話に、相対性理論の矛盾点や電子特異点などの話題は入れないようだ」
「それは困りますわね」
「全く。とても困るのだよ」
本当に困っているのかどうなのか、二人は各々考え込みながらも歩を校門へと進めている。
「話を戻させていただきますね」
「ああ。付き合っている二人は普段、どういったことをしているか、だったね」
彼は顔を上げて言葉を続けた。
「一般的には一緒に買い物したり、映画を見に行ったり、食事に行ったりするものらしいな」
「なるほど」
白川はふと足を止める。
二人はちょうど校門の前でお互いに立ち止まった。
「部長、そうしますと」
「何だね、白川君」
「私と部長は付き合っているということになるのでしょうか?」
「何故そのような結論が導かれるのだね?」
「我々は今、どこへ向かっているのでしょう?」
「プリンター用紙の購入のために街の文具店に向かっているのだな」
「買い物、ですね?」
「うむ、そうだね」
「その後、どうするのでしたっけ?」
「顧問の大槻が新聞屋にもらったが使わないからといって我々に渡した映画のチケットを有効活用するのだね」
「映画、ですね?」
「ターミ◎ーター3だがな」
「映画の後はたしか……」
「電車まで時間があるからね。軽食でも取っていこうと話していたな」
「食事ですね」
「そうだね」
「部長のおっしゃった条件を全て満たしておりませんか?」
「ふむ」
頷き、彼は足を進める。
その後に従うように白川もまた歩き出した。
やがて二人は駐輪場へとたどり着く。
彼はその中の一台のママチャリを引っ張り出して、ポケットから鍵を。
かちん
音がして鍵がはずれる。
そうして思いついたのか、こう口を開いた。
「100年前のハスの種が芽を出したという例がある。それと同じくたまたま、だね」
「関連性があまりなさそうな例ですが、たまたま、ですか」
「うむ、たまたまだ」
彼は自転車にまたがる。
白川は当たり前のように、その荷台へ横座りに腰を下ろした。
自転車は動き出す。
「でも部長」
「何だね、白川君」
落ちないよう、彼の腰に手を回した白川は思い出したように言葉を呟いた。
「文化祭、楽しかったと思いますわ」
「ふむ、それは良かった」
自転車は速度を上げ、白川の髪が風に流れる。
祭りの余韻を残した校舎を背に、二人は己の道へと進んで行った。
了