サンタの帽子(呪われています)


 街は活気に満ちていた。
 全ての人々は今この時を謳歌しているように見える。
 12月24日、クリスマスイブ。
 そんな街中を、スーツにコートをまとった一人の男が肩の力を落として歩いている。
 彼は無気力感に苛まれていた。
 彼の名は河合 安志。当年28歳のサラリーマンだ。
 高校・大学ととんとん拍子に進んだ彼は就職氷河期を乗り越え、なんとか企業に就職。
 故郷を遠く離れた地へ赴任となり、早6年。そうして今に至るどこにでもいる男である。
 「はぁ」
 彼は一つ溜息。
 溜息の数だけ幸せは逃げていくというが、なんとなく彼からはこれ以上そういったものが逃げ出す余裕すらなさそうである。
 「明日はクリスマス、か」
 どことなく絶望に満ちた声だった。
 いや違う、絶望に満ちた声だ。
 「何やってるんだろうな、オレは」
 呟く彼は、つい先程ディナーをとったばかりだ。
 彼の今日水曜日の献立は、決まって吉野家の牛丼の並み盛りにサラダをつけるという、気持ちだけ健康に配慮している意思を示したものなのだが、今日は違った。
 せっかくのクリスマスイブ,ちょっと贅沢をして駅前の有名ラーメン店でちょっと高めの特製塩ラーメンと焼き豚丼をプラスするという、彼にしては豪華なメニューであったのだ。
 夕飯時の有名ラーメン店にしては人が少なかったことを思い出して、不意に彼はやるせない気持ちに陥ったりもしたものだが。
 「なんでラーメンなんだろう。せめてステーキとかそういうのを食べればよかったな」
 声を漏らして、しかし「いやいや」と否定した。
 そんなメニューがある店に今日この日、一人で行ったとしたならば、いつもはそう数が多くはない他の客層の姿を見て切なさが炸裂することだろう。
 すなわ普段は人気があるが今日この日は人が少ないラーメン店に行ったのは動物としての自己防衛本能だったのだ。そうに違いない、そう思うことにした。
 「さっさと帰って早寝するとするか…」
 明かりのついていない1DKであるところの自宅への帰路につく彼の目に、一軒のケーキ屋が入った。
 ちょっと大きめのサンタ帽をかぶった可愛らしい女の子が「ケーキいかがですかー」と声を張り上げている。
 「ケーキか」
 彼は思うが、
 「一人で食べてもなぁ」
 苦笑い。
 そのまま彼は商店街を通り過ぎ、閑静な公園へと出た。
 時間は夕方だがこの時期は日が沈むのが早い。
 普段入るであろう子供たちも早々に帰宅しているようだ、誰もいない公園だ。
 「ん?」
 彼は公園の真ん中に何かが落ちているのに気付いた。
 思わず足を運んでみると、それは。
 「サンタ帽?」
 サンタクロースのかぶる帽子だ。
 先程のケーキ屋のお姉さんがかぶっていたものよりも大きく、そして生地も厚そうだ。
 「誰かの忘れ物か?」
 彼は手に取ってみる。
 手触りはいい。フェルトの手触りは飾り物にはない実用性をも感じられた。
 そこに一陣の冬の風が駆け抜ける。
 「…寒っ」
 吹きぬけた風の冷たさに、思わず彼はその帽子をかぶる。
 暖かかった。
 「心の寒さを暖めるほどじゃ、ないけどな」
 自らの自虐的なセリフに苦笑い。
 「自分の心には自分で防寒具を着せるものだぜ、ボーイ」
 唐突に聞こえた野太い声に、彼は硬直する。
 「だ、だれだ?」
 誰何。
 「ここだよ、ここ」
 声は頭上から。
 上を見上げる。
 誰もいない。あるのは曇っているのか晴れているのか分からない都会の夜空だけ。
 「どこだ?!」
 「ここだっての!」
 やはり声は頭上から。
 って頭上?
 彼はサンタ帽を脱ぐ!
 「あ、あれ?」
 脱げなかった。
 「無駄無駄無駄ぁ」
 やはり声は頭上から。
 彼は周囲を見回し、そして公園の隅にある便所へと駆け込んだ。
 目的は手洗い場にある鏡。
 「げぇ?!」
 薄く曇った鏡に映るのは、28年間見慣れた己の顔と、そして頭上のサンタ帽。
 異変はサンタ帽だ。
 白いもこもこした縁取りと、赤い生地の間には大きな口が開いている。
 裂けた様な口には鋭い牙がびっしりと並び、その口のちょっと上には濁った黄色い瞳が一対見開いていた。
 「な、なんだ、お前は??」
 彼は鏡の向こうのサンタ帽に問う。
 「見ての通りだよ」
 ニタリと微笑む(?)帽子。
 「オレはサンタの素さ。オレをかぶったアンタにはサンタになってもらうぜ」
 「はぃ?!」
 サンタ帽がウィンク一つ。
 それを合図に彼の姿は一変した。
 スーツとコートは赤と白のふかふかしたコートとなり、髭一つない彼の顔にはもっさりと白い髭が胸まで生え揃う。
 「なんじゃこりゃーーーーー!!」
 「だからサンタだよ」
 呆れた口調で帽子。
 「どうせ暇だろ、お前。もっともだからこそオレ様はお前を選んだんだがな。さっさと『良い子にプレゼントを配る』ぞ」
 「サ、サンタ? ボクがか?!」
 「他に誰がいるってんだよ」
 彼は周囲を見回す。
 落書きもある便所はこの数年掃除すらされていないような印象を受けた。
 こんなところに好んでいるものなど彼しかいない。
 「ボクか……ちょっと待て、子供にプレゼントなんて配れないぞ!」
 「何でだよ、このクリスマスイブに何の予定もない奴をオレはチョイスしたんだぜ。それも予定を入れることもできないで、うじうじしている小心者ってオプションでな」
 「だ、だれがうじうじしている小心者だ!」
 「うるせぇなぁ、配るって言ったら配るぜ」
 帽子の声に、彼の体は反転。便所から出る。
 「か、体が勝手に?!」
 「そりゃ、今はオレ様が動かしているからな。明確な意思のない奴は動かしやすいぜ」
 ケケケと笑う帽子。
 「安心しな、配り終わったら解放してやるからよ」
 「その配り終わるのはいつだよ! 子供なんてこの世に何人いると思ってるんだ?!」
 悲痛な彼の声に、帽子からの言葉が止まる。
 しかしそれは数瞬、帽子から「ギャハハ!」と爆笑が漏れた。
 「お前、もしかしてこの世の子供全員にオレ様がプレゼントをやると思ってるのか?」
 「違うのか?」
 「そんな訳ねぇだろ。バーカ」
 心底バカにしたような声で帽子は告げた。
 「オレ様が配るのは敬虔なカトリック教徒だけだ。それも将来有望な、な」
 「…選んでるのか」
 唖然と彼は問う。
 「当然だろ。異教徒や無神論者に配ってどうすんだよ。カトリック教徒であっても貧乏人にも配らねぇぜ、やつらは主に寄付しねぇからな」
 「お前…」
 彼は絶句する。と同時に一つの疑問が沸きあがった。
 「お前は、何なんだ?」
 「見て分かるだろ?」
 「分からないから聞いてるんだ」
 「痴呆か、お前は」
 帽子は汚く言い捨て、そして告げた。
 「サンタクロースだって最初に言ったろ。サンタクロースくらい知ってるよな、お前。将来有望なカトリック信徒の子供に主の祝福を与える者さ」
 彼の心の中に「青田刈り」という単語が浮かんだ。
 「その通り。よく分かってんじゃねぇか、小さい頃に奇跡を見せてやって将来に還元するのがオレ様、サンタの仕事さ」
 違うだろう、そんなのはサンタじゃない。サンタっていうのは、
 「この世に差別のない無償の施しなんて存在すると思っているのか、お前」
 帽子の言葉に彼はビクリと震えた。
 「そんなに甘い世界じゃないぜ、この世は。分かってるだろう」
 「甘…甘くはない、だけど!」
 「お前が晩飯に何を食べようか迷っている頃、世界の裏側では木の根すらしゃぶりつくして土すらをも食らうくらいに飢餓に陥っている奴らもいるんだ。差別がないだと、笑かしてくれるな」
 帽子は邪悪な笑みに口を歪めた。
 「差別してこそありがたみが増すってもんよ。ありがたみも増せば、その分オレ達の勢力に還元されるんだ。お前は営業の仕事、やってるんだろう。それくらいの原理は分かってんじゃねぇのかよ」
 「分かって、分かっているさ」
 「ホント分かってるのかねぇ。分かってねぇからこの間の昇格試験、落とされたんじゃないのかね?」
 彼の顔が強張った。
 「何故そんなことを」
 「知ってるさ。何せ今日のオレ様のパートナーだからな。何でも知ってるさ」
 帽子は笑う。
 「カノジョを作ろうともしないくせに、今日みたいな日は落ち込みやがる。友達も作ろうとしないくせに、いないといって落ち込みやがる。何も自分でしないくせに、何も自分にはないと文句を言いやがる。それもその文句すらも諦めていやがる、どうにもならない人間よ」
 「っ…貴様っ!」
 「自己分析くらいやっておけよ、いや、やっていたから他人に言われてむかつくんだろ、そうだろ?」
 彼は帽子を掴み、力任せに引っ張った。
 だが脱げない。
 「無駄無駄。ったく、からかってたら時間なくなっちまったぜ」
 帽子は彼の体を使って右手に袋を出現させた。
 人一人くらいなら入ってしまいそうな白いズタ袋だ。
 「諦めてさっさと配るぜ。今日プレゼントを配る子供の中には今日の奇跡を体験して、将来異教徒であるイスラムの奴らを10万人殺す英雄もいるんだからな」
 んな! と彼は声にならない叫びを上げる。
 「そ、それのどこが英雄だ!」
 「英雄さ。これまで奴らにはオレ達の同胞が何万も、何十万も殺されているんだぜ。奴らを根絶やしにしてこの世に真の平和を迎えることこそ、オレ達の使命だ」
 帽子に操られた彼は歩き出す。
 「どこにいくんだ?!」
 「プレゼントの材料を取りに」
 「材料?」
 やがて彼は公園を出て商店街へと戻っていく。
 「何だよ、材料って?」
 「簡単なことさ」
 帽子は彼の体を通して、右手の袋を掲げて軽くこう言った。
 「異教徒の子をこの袋の中へぶち込むのさ。その命と引き換えに主の加護を受けたおもちゃが出来上がると、こういうことだ」
 「な?!」
 発想が無茶苦茶である。
 たかだかおもちゃのために殺人も辞さないとでも言うのだろうか。
 「お前、分かってないな」
 帽子が呆れ顔で体に言い放つ。
 「この世の全ては犠牲の上に成り立ってるんだぜ。お前が今生きているのは食事をとっているから。その食事は他の動物を殺しての代物だ」
 「それとこれとは」
 「同じさ。なにをするにも我を通すってことさ。生きていくためには、自分を固持する為には他を犠牲にしなきゃならねぇ。他を押しのけていかなきゃならねぇ。お前は他を押しのけるくらいに激しく己の道を切り拓いたか?」
 「ボ、ボクは…」
 「何に遠慮してたんだ? 結局自らの意思で遠慮したくせに、生じた結果を認めない。どうでもいいやと自らをごまかして受け止める、それがお前だ」
 帽子は苦笑。
 「そんなお前だから分からねぇんだろ、オレ達が。命を奪い合うほどに我を通し、自分達のことだけを考える狂信者のオレ達が」
 「分からないよ、そんなのが良いとは思わない」
 「そう思っているお前が、今のお前だぜ」
 彼は帽子を上目遣いに睨む。
 「クリスマスイブに何もないと、お前は自分に諦めていたな。だが諦める以前に何か行動をしたのか? 何も行動せずに、行動すること自体を諦めているお前にオレ様を否定できるのか?」
 「そ、それは」
 「一つ教えてやろう。サンタクロースの衣装が赤いのは、異教徒の血で染まっているからだ。飾りの部分が白いのは、異教徒がオレ達を前に恐怖で白くなった髪を編みこんであるためだ」
 「?!」
 「この世は常に戦いだ、弱者であるお前はオレ様に負けているからこうして体を操られている。戦う前から操れているってことは、お前は戦うことなしにオレ様に負けているってことさ」
 「…ざけるな」
 「あ?」
 サンタ帽は黄色い瞳で彼を睨む。
 「ふざけるな!!」
 彼はもう一度そう叫んだ。
 「負けているだと? ああ、そうさ、ボクは戦っていなかったさ。仕事もそこそこ、仕事仲間とのつきあいもそこそこ、趣味もそこそこ、なにもかもそこそこさ。逃げていたと言われても否定しないさ!」
 叫ぶようにして言うと、右手で頭上の帽子を引っつかんだ。
 「だが分別くらいつく。だからボクはっ!」
 引きつる右手を引き上げた。
 「だからボクは、ボクに勝つためにもお前には負けない!」
 「んな?!」
 次に驚くのは帽子の方だった。
 サンタ帽は、彼の手によってその頭の上から引き剥がされる。
 「お、お前…オレの支配から逃れるだとっ?!」
 騒ぐ帽子を、彼は大きく腕を振りかぶり、
 「お、おい、ちょっと待て!」
 投げた。
 「覚えてやがれーーー!!」
 帽子の悪態は遠く、やがて夜空の中へと消えていった。
 「ああ、覚えておくさ」
 彼は小さく笑い、足をそのまま商店街へと戻す。
 その足でケーキと赤ワインを1本買った。
 間違いなくこの日は、彼にとってもクリスマスイブだった。