12月とふたり
12月の早朝の風は冷たく、そして容赦がない。
万人に等しく吹きすさび、例えば凍えながら登校するこの高校生達の肌にも突き刺さるのだ。
「おはようございます、白川先輩」
「あら、北上さん。ごきげんよう」
朝の登校シーン。それはどこにでも非常にありがちな絵だった。
北上が見つめる先にいる敬愛すべき先輩は、いつもながらに可憐だ。
生徒手帳に描かれているそのものの見本のように制服を着こなしつつ、細い首を黒色のマフラーで覆い隠している。
同様に冬の冷機に晒された両手には……
「あれ、先輩。手袋はされないんですか?」
「しません」
にっこり微笑み、白川は告げる。
「あ、じゃ、じゃあ! 私、クリスマスプレゼントに先輩に手織りの手袋を…!」
「遠慮しますわ、北上さん。さ、いつまでも話していては遅刻しますよ」
言って早々に背を向ける白川を、北上は慌てて追ったのだった。
12月1日。
実はこの日は白川の誕生日なのであるが、アピール能力皆無&個人情報を漏洩させない彼女のこと、気づく者は誰もいないのが常であった。
の、だが……
その日の放課後のことである。
本日は晴天ではあったが、まったく気温が上がらない。
早くも日が落ちてしまった現在、朝よりも冷たい北風が我が物顔で世界を渡っている。
そんな凍えた世界で、能天気な声が響く。
「お誕生日、おめでとう。白川くん」
帰路だ。
唐突に彼女の隣を歩く男がそう言い放った。
「……部長。ご存知だったのですか?」
「部下の心を掴まずして部長は名乗れぬよ、白川くん」
あっはっはと笑いながら、彼は白川に30cmほどの平たい箱を手渡した。
きれいに包装され、赤いリボンがかかっている。
「これは?」
「誕生日プレゼントに決まっておるだろう」
「……開けてよろしいですか?」
「ああ、存分に開けたまえ」
開け方に存分も何もないのだが、白川は立ち止まり封を解いた。
包装紙を破らずにたたんでしまうところが割と几帳面である。
「あら、これは」
中には一組の手袋。
黒い絹地でできたそれは、手の甲から腕にかけては薄い皮で仕立てられている。
普段はあまり趣味はよろしくないと思われがちな相馬にしては、なかなかに上品な代物だ。
「君はいつも手を寒そうにしておるからな。どうかね?」
手袋を見つめる白川は、嬉しいような困ったような複雑な表情だ。
「しっかり見ていることは見ているのですね」
「はっはっは! 当然だろう。着眼点は常に鋭くあるべきなのだよ」
「でも特定分野においての考察能力は低いんですのね」
「何か言ったかね?」
「いえ、何も。あ」
白川は手袋を落としてしまう。
慌てて拾おうとする彼女は、しかし先に相馬に拾われてしまった。
「? どうしたのかね」
首を傾げ、彼は彼女の手を取る。
「!」
「ふむ、かじかんでしまっているではないか」
言って相馬は白川の両手を己の手で包み込むようにして握り直した。
彼女の手に、相馬の体温が染み渡って行く。
「たまにはハンドインポケットというのも良いものだと思うが?」
「そうですね」
白川は薄く笑って続ける。
「けれど部長から手袋いただきましたから。明日から使わせていただきますわ」
「ふむ、そうすると良い。しかし君の手は冷たいな、よくコレで我慢できたものだ」
「ええ、我慢していました」
「合理主義な君が我慢とは。なにか手袋に心的外傷でもあるのかね?」
「そうですわね。あるかもしれません」
「……そうか、それは気付かず申し訳ないことをした。変なものをプレゼントしてしまったな」
「まったくです。でもせっかくですから使わせていただきます、相馬さんのいないところで」
「私のいないところで、かね?」
「はい」
「そのような場面は、あまりない様に思われるが」
日々の行動を思い起こしながら、相馬は首をひねる。
「君は我慢を続けると言うのかね?」
「いえ」
白川は首を小さく横に振った。
「『こうしていれば』、手袋は必要ありませんもの」
相馬に握られた両手を目の高さまで上げて、彼女は表情に微かな笑みを浮かべる。
「なるほど、それは君にしては大胆かつ積極的な意見であるね」
頷いた相馬は改めて、白川の手を取った。
「さて、帰りますか、淑女?」
「はい、紳士」
「ところで相馬さんはクリスマスは、どうすごされるんです?」
「気が早いことだね、白川くん。未来のことなど考えておらんよ」
「無計画なのですね」
「心外だ、心外だね、白川くん。この私がなにも考えていないとでも思うのかね?」
「相馬さん、2行↑のセリフとすでに矛盾していますわ」
「人とは矛盾を身の内に抱える生き物なのだよ」
「そうなんですの? でも矛盾だらけもいけないと思いますわ」
いつもの通り、2人は言い合いながら校舎を後にした。
いつもの通りに時を過ごす2人は、そのままの時の流れでクリスマス・イブを迎えることとなる。
だが世界はいつもの通りには動かない。
いつも通りを望む白川は、その転機を迎えざる得なくなるのだった。
長いと思われていた時間は案外あっさりと流れ、今日は12月24日―――クリスマス・イブである。
街にはクリスマス・ソングが流れ、飾る彩りは赤と白。
残念ながら夜更け過ぎに雪へと変わる雨すらも降ることなく、空は清々しい混じりけのない青だ。
どこにでもあるような駅前の大通り。
流れ行く人ごみの中に、2人の姿はあった。
一人はいつもの白衣姿とは異なるが、しかし限りなく近い属性を持つ真っ白なトレンチコートを羽織った男。
もう一人は男とは対照的に、烏色のハーフコートを着込んだ女である。
「しかし毎年のことだが、基督教でもないのにこんなにはしゃぐ人間が多いのだろうね? 白川くん」
男の問いに、女は無表情のままに答えた。
「相馬さん、それが日本人の良いところとは言えませんか? どのような文化でも自らに良いように取り込み、独自のものにしてしまう。このようなお祭りならば、私も賛成ですが?」
その言葉に驚いたかのような男に、彼女は続ける。
「もしもそれが許せないとおっしゃるのなら、私は今この時点で基督に帰依することにしましょう」
「ほほぅ、これは興味深いことだね。そして翌日には神道に改宗し、正月を迎えると」
「よくご存知で」
「君の決意は良く分かった。だから無駄な宗教に身を置くのはやめたまえ。もっともダイエットの際にラマダン直前に回教に帰依するのは良いかもしれんな」
「……何気に宗教関係者に見つかったら、後ろから問答無用で刺されそうな発言ですわね」
「そうだね。それだけ自身の言葉には責任を置かねばならないということだよ、白川くん」
「私は大丈夫ですわ。目の前に反面教師がいますもの」
「なるほどなるほど、立派な教師を持って誇らしいことだね」
取り止めのない無駄な会話を交わしながら、2人はやがて公園に至る。
すでに日は傾きかけ、冬は短い日照時間と北から吹き寄せる風の持つ寒さを以って己の存在をアピールし始める。
「ところで相馬さんは大学は何処を受けるのですか?」
「ふむ、白川くんは何処を受けるのかね?」
「某有名女子大学です。推薦を頂いていますから、よっぽどのことがない限りは落ちることはないでしょうね」
「例えば試験会場でジャイアン・ソングを歌い上げたとしたら落ちるかもしれないということだね?」
「代わりに鉄格子付きの病院に、個室単位で合格すると思いますわ。そんなことより、相馬さんは何処の大学に行かれるのです?」
トレンチコートの袖を掴み、足を止める白川。
彼女はじっと相馬を見上げる。
「困ったね」
彼には珍しい、困惑の表情が生まれた。
それに呼応するように白川にも表情が生まれる。
不安の色だ。
「何故、私の行き先を訊きたいのかね?」
問いに白川は、袖を摘む指に力を込めて、答えた。
「朝は電車が通勤ラッシュですから、もしも方向が同じであれば相馬さんを人の壁にしようかと」
「はっはっは、ラッシュは我慢したまえ。何より今の時代は女性専用車両もでき始めているらしいではないか」
「そうですね。あともしも夜が遅くなってしまった場合、迎えに来てもらおうと」
「はっはっは、遅くならないように気をつけたまえ」
「そうですね。あと……あと…」
白川は眉間にしわを寄せ、三度問うた。
「相馬さんは大学は何処を受けるのですか?」
その問いに、相馬はようやく口を開く。
「米国へ留学するよ。ちょうど私の能力を買ってくれる大学があってね」
抑揚なく答えたその声に、白川から表情は完全に消える。
袖を掴んでいた指が、離れる。
「そうですか。食生活にお気をつけください」
「安心したまえ、私に好き嫌いはない」
「それは好きなものもなければ嫌いなものもない、ということではないですか?」
「そうだね、そうとも言うね」
答える相馬は「だが」と付け加えた。
「もっとも君と知り合ってからは、そういうこともないのだよ」
「?」
「全く以って身勝手な話ではあるが」
言って相馬は空を見上げる。
東の空は藍色に染まり、西に向かうにつれて日の色を加えたグラデーションを描きあげていた。
それを一望した相馬は、白川の両手を取る。
手袋のない白いその手は、すっかり冷え込んでいた。
「4年ほど待っていてはくれないか?」
無だった白川の表情は一瞬、驚が広がり、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。
しかしそこには嬉しいような悲しいような、複雑なそれが見て取れる。
「まったく」
白川は溜息一つ。
「相馬さんの身勝手は、この3年間でしっかり分かってますから」
答える彼女の頬には涙が伝っていた。
コツン
額が相馬の胸に当たる。
「分かりました、お待ちしてますわ。何年でも」
涙をコートに残し、白川は小さく微笑む。
「代わりに、今日はずっと一緒にいてくださいね」
「了承した」
頷く相馬の首に、マフラーがかけられる。
「これが私からのクリスマスプレゼントですわ」
「ほほぅ、手編みかね?」
「さぁ、どうでしょう?」
ぎゅっと、彼の首元で一度きつく締める。
まるで彼の存在を確認し、紐をかけたかのように。
白川はその態勢のまま、少し背の高い相馬を見上げる。
いつもと変わらない彼の表情を確認すると、彼女は満足げに彼の右手を己の左手で握り締めた。
「さ、行きましょう」
「そうだね、晩飯時に丁度良い時間だ」
2人は公園を抜け、街へと戻る。
人ごみの中、その後ろ姿は2つからやがて1つになり、喧騒の中へと消えていった。
了