夜風が程よい涼しさをはらんでくる季節。
 どこにでもある駅前のちょっとした繁華街の、安さだけが売りな居酒屋で。
 これもまたどこにでもいる若い男女2人がテーブルを挟んで呑み交わしていた。
 歳の頃は20代になったばかりだろう、交わす口調はどちらも異性をあまり意識しないものだ。
 話の内容と雰囲気からして地元の幼馴染みか、近所同士の間柄らしい。
 最初のうちは談笑だったそれは、酒が進むにつれてやがて口論と化す。
 そしてとうとう、女の繰り出した平手打ちが男の携帯電話を握った右手に炸裂!
 「あ」
 手から落ちた男の携帯は、彼の前に置かれていた生ビール中ビンの中に落ちてしまう。
 「うぁぁ! なんてことすんだ、このバカ女!」
 慌ててビールに漬かった携帯を箸を使って取りあげる男。
 「誰がバカよ、うっさい、死ね!」
 目を怒らせて女は悪びれるところはない。
 「どーしてくれんだ、コレ?」
 おしぼりでとりあえず拭いた携帯を男は女の目の前に突きつけた。
 「直してやるわよっ」
 彼女は一瞬のためらいもなく、男の手から奪いとるとおもむろに立ち上がった。
 そして振り返ることなく大股で店を後にしたのだった。
 残された男は唖然としながらそれを見送り、
 「ここの支払い、俺か??」
 テーブルに置かれたままの請求書には12000円の数字が見える。呑みすぎだ。
 男は「はぁ」と大きくため息をついて後悔。
 後悔内容はしかし、
 「アイツ、また変なことやらかすかもしれねぇ」
 この後に間違いなく発生しうる珍事への悔いであった。


最終人型携帯電話


 翌朝。
 とはいうものの、世の学生にとっては休日の朝は結構遅い者が多い。
 彼にとってもそれが当てはまっていた。
 普段ならとっくに家を出ている時間。いつもよりも少しシャレた格好で彼は玄関に立っていた。
 「じゃ、行ってきます」
 リビングルームでのんびりTVを観る父と、台所にいる母の返事があるかないか、そんなタイミングだった。
 ピンポーン♪
 インターホンが鳴る。
 「はい?」
 彼はすでに手をかけていた玄関の戸のドアノブを押す。
 が、
 どご!
 「??」
 何かにぶつかってドアは半分しか開かない。
 顔だけ出すと、玄関前に1m四方ほどの巨大なダンボールが置いてあった。
 「なんだ、これは?」
 その半分開いた戸から外に出ると、彼の目にはダンボールの側面に書かれた文字が入った。
 大きく手書きで「携帯電話」と書かれているのだ。
 「……ああ、昨日の晩の」
 思い出して、そして嫌な予感がする。
 このままこれを放置して出かけてしまおうかと思ったが、きっとそんなことをすれば先回りしてまた彼の前に現れるはずだった。
 「ったく」
 カパッ
 男は仕方ないといった風に上からダンボールのふたを開けると、
 「……」
 じっと中で女が見上げていた。
 「……」
 パタン
 彼は黙ってふたを閉じる。
 どの辺が携帯電話なのか??
 このままガムテープかなにかで厳重に梱包した上でゴミ置き場へ投げ込んでやろうと、まずはそのガムテープがどこにしまっておいたかを考え始めたが、
 カパッ
 「トジルナ」
 中から、ぬっと立ち上がる女。何故か言葉はカタコトでフラットだ。
 Tシャツとジーパンというラフな格好の上に、薄いコートを羽織って前を閉じている。
 晴天な本日はやや暑いと思われるコートだが、
 「何やってんだ、お前?」
 「私ハオマエノ携帯電話ダ」
 女は薄い胸を反らして言い放つ。
 「帰れ」
 「私ハオマエノ携帯電話ダ、未来ノ技術力デ改造サレテ戻ッテキタノダ!」
 男は大きく、とかく大きくため息一つ。
 「……じゃ、電話をかけさせろ」
 彼の言葉に、自称携帯は懐から携帯電話を取り出して彼に差し出した。
 それは彼が知る隣の女が使っているものと瓜2つ。
 「これだけ貰っとくわ」
 懐にそれをしまおうとした男の手から、素早く奪い返す女。
 そして、
 「番号ヲ入力シテクダサイ」
 「? 言えば良いのか?」
 男の問いかけに、彼女はコートの前を開いた。
 その下から現れたのは縦4・ヨコ3の計12マスで区切られ、数字と#*が書かれたTシャツだ。
 「番号ヲ押シテクダサイ」
 「いよいよ以ってバカだろ、お前」
 「番号ヲ押シテクダサイ」
 片手に携帯を持って繰り返す彼女に彼は軽く頭を押さえつつ、人指し指を伸ばした。
 「0」
 「ん」
 「9」
 「や」
 「0」
 「ん」
 「4」
 「きゃふ」
 「6」
 「はっ……ん」
 「うるせーーー!」
 そこまでで男は入力を断念。
 4と6が盲点のようだった。何故かはご想像にお任せする。
 「ワタシニハすけじゅーる機能モアル。今日ノすけじゅーるを入力シテクダサイ」
 懲りずに新機能の紹介をする彼女。
 「はぁ? スケジュール??」
 そこまで呟き、彼は右腕の時計を慌てて確認。
 「げ、時間がない」
 男は女の脇を摺りぬけ、慌てて家を飛び出した。
 「ちょ、ちょっと!」
 地に戻り、その後を追いかけてくる自称携帯電話に、
 「ついてくんな!」
 彼は駆けながら、振り向きもせずに叫ぶ。
 が、情けないながらも彼の速度は彼女のそれにかなわない。
 「ワタシハ携帯」
 ぴったりと隣を並走しながら女は告げた。
 男は引き離そうとスピードをあげる。
 女もまた引き離されまいとそれにあわせる。
 そんな文字通りの駆け引きの末に、2人はいつしか昨晩喧嘩をした駅前の繁華街を駆けぬけ、やがて駅前に広がる公園へと出た。
 その奥、大きな噴水のある中心地まできたとき、とうとう男の足は止まった。
 肩で息をする彼に対し、彼女の方は平然とした顔をしている。
 「今ノ運動デノ消費かろりーハ780kc
 lデス」
 「よ、余裕だな、おまえ…」
 「遅いですよ、先輩っ!」
 と、元気な女性の声が彼の横から響いた。
 そこには満面の笑みを浮かべた女の子が立っている。
 髪をポニーテールに結いあげて、膝上のスカートからは白い足が伸びていた。
 そんな彼女の表情は、彼の隣の女性を見い出すなり固まる。
 「な、なんで陸上部が先輩といっしょに??」
 「気にするな」
 男は後輩の指摘をとりあえずスルー。
 「しっかし」
 妙にめかして込んでいる後輩を見て、
 「袴を選ぶのって、そんなに大変なのか?」
 男と、彼の後輩が所属しているのは合気部であった。
 今日はようやく道着着用を許された後輩の買い出しにつき合うということだったのだが、
 「ええ、まぁ」
 「俺には一種類にしか見えないけどなぁ」
 しみじみ呟く男に、後輩は再度問うた。
 「ところで先輩、後ろに陸上部の人がいるんですけど」
 「ああ、コイツは携帯電話らしいから、無視の方向で」
 「………はぃ?」
 「無理だよな、やっぱり」
 大きくため息1つ。
 そんな彼の視線に自動販売機が入った。
 「走ったら喉渇いたな。何か飲む?」
 「いえ、私は」
 「そっか」
 男は小さく微笑むと、自動販売機に歩みよりポケットから小銭を3枚。
 ガタン
 出てきたのは有名スポーツ飲料水の500mlだ。
 それを半ばあたりまで一気に飲み干す。
 「ふぅ、いきかえったよ」
 「お疲れ様です」
 何と言って答えたらいいかわからない風に、後輩は苦笑いで答え、
 「あ」
 次の光景に目を疑った。
 自称携帯電話の女が、男の手からスポーツ飲料を奪ったかと思うと一気に飲み干したからだ。
 「お前、自分で買えよな。それ以前に携帯電話がジュース飲むのか??」
 「コレハ冷却水」
 「……どうしたの?」
 電話を無視し、男は固まって動かない後輩に心配そうな視線を向けた。
 「あ、陸上部の人が、先輩のジュースを…」
 「?? 喉渇いたんだったらおごるけど?」
 「あーうー、そうじゃなくって、そうじゃなくって!」
 「??」
 「なんでもありません! いきましょ、先輩!!」
 彼女は強引に男の腕を掴んで引っ張っていく。
 「ちょ、何を怒ってるんだ?」
 「怒ってません。あー、もぅ、なんでこーなちゃうんだろっ!」
 一人ブツブツと呟く後輩と、引きずられる男。
 その後ろをちょこちょこと携帯女が付いていく。
 やがて3人が訪れたのは、位置的には丁度繁華街の反対側にある、武道系の道具を扱う渋い店舗だった。
 木造2階建て、どこか黴臭い感じのする暗い店造りだ。
 「よ、じいさん久しぶり」
 店舗に踏み込んだ男は、その奥に座る初老の男に声をかけた。
 他に客はいない。奥のカウンターではキセルを蒸かせていた白髪の男がジロリと3人を睨む。
 「ほぅ、両手に花とは随分出世したもんだな、小僧」
 「まぁ、花っちゃ花かもしれないが、ね。女性用の袴見せてもらうよ」
 「ああ、好きにしろ」
 老人はそれっきり興味を無くしたように、手元の新聞に視線を戻す。
 3人は案外広い道着のコーナーへと足を運んだ。
 「まぁ、種類なんてほとんどないから。要はサイズが合えば良いと思うよ」
 「はいっ!」
 男の言葉に、後輩は大きく頷くと棚に置かれている白い上着と赤い袴をいくつかセレクト。
 「試着って、できるんですか?」
 「ん。そこに試着室があるよ」
 男が指差す先には試着室らしきボックスが2つある。
 「じゃ、ちょっと見てくださいませんか?」
 「ああ、分かった」
 軽い足取りで試着室へ向かう後輩。
 同じように、
 「どーして携帯電話が着替える必要がある?」
 「最近流行ッテイル着セ替エ携帯ッテノニモ対応済ミデス」
 「……あー、そうかい」
 こうして自称携帯電話もまた一方の試着室へと消えて行く。
 「あ、着替え終わりました!」
 入れ替わるようにして袴姿の後輩が出てきた。
 「…先輩、おかしくないですか?」
 やや俯き加減で問う彼女に男は歩み寄り、
 「んー」
 彼は彼女の姿を眺め、すぐ傍まで歩み寄る。
 「はぃ?」
 「ちょっとごめんよ」
 袴の腰の部分を掴む。
 「あっ?!」
 ぎゅっと、上へ引き上げた。
 「腰よりもうちょっと上で締め上げた方が良いと思うよ。そうするとこれだとちょっと短いかな」
 「あ、は、はい…」
 彼女の白いくるぶしと足首を視界に入れながら彼は袴の棚へ行き、もう少し長いものを手渡した。
 「ありがとうございます」
 「一応穿いて見た方が良いかもね。上の道着の方は問題ないと思うよ」
 シャ!
 カーテンを開く音と共に、隣の試着室が開いた。
 「「ぶ!」」
 男と後輩は出てきた携帯電話に声を失う。
 「ヤヤさいずガ、合ワナイヨウデス」
 言いながら彼女は、はだけた大きめな胸元を隠そうともしていなかった。
 白い上の道着は袴に収まらずにだらしなくこぼれ、かつ前でちゃんと合わさっていない。
 おまけに、
 「な、なんで下着外してるんですかーー!」
 「袴を最初に穿くな、バカ!」
 男と後輩の意見にも相違はあったようだが。
 「え、だって着物を着るときって下着は外すんじゃないの?」
 素に戻り、彼女は男の後輩に尋ねる。
 「これは着物じゃありません!!」
 「ナルホド、私ニハ学習機能モアル。記憶シタ」
 大きく頷き、そして自称携帯は、
 「フム、ナラバ下モ?」
 袴を捲り上げようとする彼女を、男は試着室へと蹴り戻したのだった。


 「なんか今日は色々とすまなかったね」
 「……いいえ、良いんです。また明日学校で」
 「ああ」
 夕日を背に、彼は疲れた背中を見せる後輩と別れ、自宅へと戻る。
 「ただいま」
 いつもの通りに家族と晩御飯を済ませ、自室でのんびりと本を読んでいた頃。
 「ふぅ、良いお湯だった」
 パジャマ姿の自称携帯電話が彼の前を通りすぎ、ベットに寝転がる。
 「あー」
 本を閉じ、彼は難しい顔で彼女を見た。
 何気なくスルーしてきたが、この携帯電話は当たり前のように晩御飯に預かり、さらには風呂にも入って、さらにさらに彼のベットまでも占拠しようとしている。
 「ね、PS2だしてよ、PS2」
 さらにコレだ。
 シャンプーの良い香りのする彼女に何かを言いかけようとし、しかし彼は部屋の扉を開けて外へ向かってこう言い放った。
 「母さん、コイツお隣に返してくれ」
 少し遅れて、しかし父のからかうような声が返ってきた。
 「男だったら責任取りなさい」
 「何の?!」
 「勝手に出しちゃうよ。あ、鬼武者あるじゃん!」
 こうして当たり前のように夜は更けていったのだった。


 翌朝。
 「ん?」
 床で寝ていた男は目を覚ます。彼には毛布がかけられていた。
 ふと視線は己のもののはずだったベットへ。
 そこはもぬけの殻だ。
 女はいつの間にやら帰宅していたらしく、机の上に書き置きがある。
 『家に帰って寝直す』
 「って、携帯じゃないのかよ!」
 一人、彼は誰も聞く者のいないツッコミを空しく入れるのだった。
 なお、彼の携帯電話は、
 「一日乾かしておいたら治ったよ」
 「マジか?!」
 「すごいね、ケ・イ・タ・イ♪」
 「貴様っ、モハメド・アライのつもりかっ!」
 とのこと。

オワリ ... ?