お箸の神様



 ボクの目の前。
 白いトレイには赤いニンジンと、緑色のピーマン。
 食べるまで、ボクにはお昼休みが来ない。
 「うー」
 右手に握った箸を、ボクはニンジンの1つに突き刺した。
 伝わってくる、くにゃっとした感触すら嫌だ。
 「うー」
 「こりゃ!」
 ぺし!
 「??」
 突然、ボクの右手を何かが叩いた。
 見れば、小さな雛人形がボクの机の上。
 箸を握った右手の、すぐ横にあった。
 「な、なに?」
 「これ、子供」
 「お人形が、しゃ、しゃべった?!」
 雛人形が僕を見上げて、そう言葉を発したのだ。
 「我は人形ではないわ」
 白い頬をぷぅっと膨らませて、小さな女の子は怒る。
 「…じゃ、なぁに?」
 ボクの問いに彼女は小さな胸をそらして。
 「我は箸の神じゃ」
 「お箸の…神さま?」
 「そうじゃ」
 よくよく見れば彼女、自らの身長よりも長い一膳の箸を抱えている。
 先程ボクの手を叩いたのは、きっとこの箸。
 「それで神様も…ボクにニンジンとピーマンを食べろって言うの?」
 だって神様だもの。偉いんだもの。
 偉い先生と同じことを言うに違いないんだ。
 「? なぜ、我がそんなくだらんことを言わねばならない??」
 心外、とでも言わんばかりに再び小さな頬を膨らませる箸の神様。
 「…じゃ、なんなの?」
 「お主のその箸の持ち方じゃ!」
 神様はお箸を握るボクの右手をピシリ、抱えたお箸で叩く。
 「そんな持ち方、許さん。許せぬ、許すまじ!」
 ぺしぺし
 「いたいいたいっ」
 お箸を振りまわす箸の神様、肩ではぁはぁ息をしながらようやくおとなしくなった。
 「ほれ、ワシが持ち方を教えてやるわ」
 言って神様、ボクの右手によじのぼり、
 「箸はお主の手の延長。行儀正しく持たねば、馳走を作ってくれた者を侮辱することとなろうぞ」
 「そうなの?」
 「あたりまえじゃろうが。例えばお主が作った粘土細工を蹴飛ばされて運ばれたら、嫌じゃろう?」
 「……嫌だね」
 「ならばこそじゃ。ほれ、まずは中指に箸を乗せるようにして…ちがう、小指は動かさんでいい。そうそう、そこに人差し指と親指で挟むようにして」
 ボク、箸の神様に文字通り、体全体でお箸の使い方を教えてもらい。
 「ではまずそこの器にあるものをつまんでみるが良い。ふむ、良い具合じゃ」
 内心慌てながら、赤いニンジンを巧く箸で掴んだボクはそのまま口に運ぶ。
 「続けるぞ、その調子じゃ、うむ。巧い巧い」
 右手からテーブルに降りた神様。
 トレイとボクの口を行き来する箸の動きに満足気に肯いた。
 「その持ち方、しっかり覚えておくのだぞ、子供よ」
 「うん」
 「それではさらばじゃ!」
 言うやいなや箸の神様、その姿はどこにも見えず。
 代わりに、
 「おぅ、ちゃんと食べられるじゃないか」
 後ろから先生がボクのトレイを覗き込んでいた。
 「あ」
 ボクは気付く。
 ボクの嫌いなニンジンとピーマン、箸の神様とお箸の持ち方を練習しているうちに食べちゃったことを。
 ぱち、ぱち、ぱち
 「んー」
 ボクは神様に教えてもらった通りに、お箸を開いたり閉じたりしながら思う。
 ちゃんとして食べれば、ニンジンもピーマンもちゃんと食べられてくれるんだ、って。
 ちなみに箸の神様にはこれっきり、ボクは会っていない。

おわり