近くて遠く、遠くて近く



 「この百合娘っ!」
 「黙れ、腐れオタクっ!」
 「あー、そうだよ、俺はオタクだけどなにか?!」
 「えー、そうよ。私は百合だーいすきだけど何か文句あるの?!」
 惜しげもなく、放課後の廊下にて大声で言い争うのは2人の男女。
 それを2人の少女達がやや遠い目で眺めていた。
 やがて言い争う女の方が暴力で物を訴え始めようとした、そんな時。
 観戦していた2人の少女の内の一人が溜息混じりに2人の男女の間に割って入る。
 「北上センパイ、この辺にしておかないと文芸部の打ち合せに遅れちゃいますよ」
 「放しなさい、恵美。今日こそはこの人類の害悪を叩き伏せねばっ!」
 「恵美ちゃん、裕子なんぞに触ったら君まで百合になっちゃうぞ」
 「あー、それは嫌ですねー。さ、行きますよ、北上センパイ」
 「覚えておきなさい、祐二。絶対に死なす!」
 「懲役何年かな? ん?」
 「首を洗って待ってなさいよっ!!」
 そう言葉を残し、北上と相馬の2人は廊下の向こうへを去って行った。
 「まったく」
 溜息1つ、残された彼――今井 祐二に、残る一人の少女が声をかける。
 「お二人とも仲、良いですね」
 「なかなか目がおかしい様だね、雪音ちゃん」
 苦笑いの今井は雪音をまじまじと見つめながら続ける。
 「お兄さんはメガネをかけた方が良いと思うな。あ、ちゃんと縁のあるやつだよ? つるの部分も萌え要素だか…」
 言葉の羅列は少女の地味なボディーブローによって停止した。
 「ほら、言うじゃないですか。喧嘩をするほど仲が良いって」
 「憎しみと愛情は表裏一体、とか?」
 「そうそう」
 「それは裕子には当てはまらないものだよ、うん」
 腹を押さえながら、今井はしみじみと頷いた。
 「でもでも、お二人はお隣さん同士で幼馴染みなんですよね?」
 「ああ、そうだけど。どうして知ってるんだい?」
 「恵美ちゃんから聞いたので」
 「そっか……」
 「昔から仲、悪かったんですか?」
 雪音の素朴な質問に、今井は両腕を組んで「うーん」と唸る。
 「まぁ、そうでも……なかったし、今でも昔でもそんなに変わっちゃいないんだけどね」
 答えた今井はどこか苦い笑みを浮かべていた。


 「ったく、あのバカはっ」
 廊下を歩きながらぶつぶつ呟くのは北上 裕子。その隣には困った顔の相馬 恵美の姿がある。
 「北上センパイはどうしてそんなに今井センパイと仲が悪いんですか?」
 「どうしてって……当たり前じゃない!」
 「?? 当たり前なんですか? 家もお隣同士だし、幼馴染みじゃないですか」
 「何よ、幼馴染みだと仲が良くなくちゃいけない訳?」
 「いえ、そういう訳じゃ。でもこの間、北上センパイのご両親が風邪ひかれたんで、お風呂屋さんを手伝わされた時」
 「ぁ?」
 「あ、いえ、お手伝いさせていただいたとき」
 慌てて言い直す恵美。機嫌が悪い時の北上は鬼なのである。
 「今井センパイがお風呂に入りに来まして、言ってくれれば手伝うのに、とか言ってましたよ?」
 「それはアイツは番頭になって女湯覗きたいからに決まってるじゃない」
 「それはそれでデフォルトだと思うんですけど、でも……」
 困った顔の恵美に、北上は肩の力を抜いてようやく優しく微笑んだ。
 「まぁね。アイツとはただの幼馴染みってだけ。それだけの関係だから、さ」
 恵美の言葉を封じ、北上は軽く彼女の肩を叩こうとして。
 スススっと後ろへと身を引く恵美。
 「?? 恵美ちゃん?」
 「私は百合には興味ありませんので」
 「裕二、ゼッタイ殺ス!」


 そこは化学実験室。
 夕暮れ近くのここには1組の男女がいるだけだった。
 「いつからあんなに仲が悪くなったんです?」
 「雪音ちゃんもなかなかしつこいねー」
 機材を片付けながら、たった一人の電脳部部員である今井は机に腰掛けた雪音に苦笑い。
 「それにさっき、センパイは言いましたよね? 『今でも昔でもそんなに変わっちゃいないんだけど』って」
 今井は最後の機材を片付け終えると、椅子の一つに腰掛ける。
 背もたれを抱くようにして雪音の方を見上げると、やれやれと呟きつつ言った。
 「仕方ないな、教えてあげよう。俺と裕子のちょっと昔の話をね」


 春――
 校舎は学年によって反応は様々だ。
 1年生は新たな高校生活に期待を不安を抱きながら。
 2年生は文系と理系にクラスは分かれ、授業形態も分化することに受験という現実を肌に感じ。
 3年生は高校生活最後の年であることと、来年は進学か就職かという、社会へ足を踏み出す一歩前ということに。
 そんな中。
 昇降口には2年生のクラス分けが書かれた紙が張られ、生徒でごった返している。
 「ねぇ、裕二はどのクラス?」
 「俺はAだよ。裕子は?」
 「私はF」
 「そっか、裕子は文系進んだんだったな」
 「裕二は理系よね」
 「ああ。しっかし、とうとうクラスが分かれたな。進む先が違うんだから当たり前といえば当たり前なんだが」
 「そうね、幼稚園から小学、中学、去年までずっと同じクラスだったものね」
 しみじみとした気分で2人は空を見上げる。
 晴天だ。
 青の中に、白い小片が混じって散っている。
 校門の脇に生えている桜の木の、花びらだ。
 「じゃあな、裕子」
 「あ、う、うん」
 彼女は彼の背中を見送る。
 理系は南校舎、文系は北校舎に分かれているからだ。
 どことなく、なにか足りないもの―――まるで靴を履き忘れて裸足で歩いているような感覚を覚えながらも。
 裕子もまた、新たな教室へと向かう。


 「よぅ、今井。とうとう嫁さんとお別れだな」
 「だれが嫁さんだ、誰が」
 馴染みの顔に言われ、彼は笑って答えた。
 「だって毎日、北上とは行きも帰りも一緒だったじゃねぇか」
 「そりゃ、家が隣同士だしな。帰り道に別のルートはないし」
 「でも心配だろ、北上に言い寄ってくるヤツがいるかもしれねぇぞ?」
 からかって言う馴染みの男子生徒に、今井は、
 「?? いいんじゃないか?」
 不思議そうな顔で首を傾げた。
 「いいんじゃないかって、お前……北上と付き合ってるんだろ」
 「何言ってんだ、付き合ってるわけないじゃないか」
 笑って言う今井に、問うた彼は「え?」とか「あれ?」とか呟きながら再度尋ねた。
 「じゃ、お前ら2人、どんな関係なんだよ?」
 「どんなって……」
 困った顔で今井。それは問われたことにではなく、今更何を、といった風の困り顔だ。
 「ただの幼馴染みに決まってるだろ、今更」


 「ただの幼馴染みよ?」
 同じ頃、北校舎でも同様の問答がなされていた。
 「ただのって……それにしては仲良いじゃない」
 問うのは同じ中学だった女子生徒だ。
 「そう? まぁ、お隣同士だし、ちっちゃい頃からお互い知ってるし。仲は悪いより良い方がいいんじゃないの?」
 不思議そうな顔で北上は同級生に問う。
 「じゃ、じゃあさ」
 同級生は何故か焦りながら、こう問うた。
 「裕子が目を放してる隙に、今井君が女の子と付き合っちゃったら、どうする?」
 「どうこうも」
 首を傾げつつ、今井はキッパリと言う。
 「良いんじゃないの? てか、裕二が誰と付き合おうと、それに私が誰と付き合おうとお互い関係ないと思うけどなぁ」


 放課後。
 学校からの帰路、今井と北上は並んで歩いていた。
 いつもの風景だ。
 しかし。
 「ねぇ、裕二?」
 「ん?」
 「私達、幼馴染みよね」
 「だな」
 「そうよね、うん」
 両腕を組んで、うんうん頷く北上。
 「なんかあったのか?」
 「んー、そうでもないけど、ね」
 「なんかさ、今日聞かれたよ」
 「何を?」
 「俺達、どんな関係かって」
 「あー、それ私も訊かれたわ」
 「なんて答えた?」
 「幼馴染み」
 「だよなぁ」
 並んで歩きながら、2人は困った顔を浮かべている。
 「だけどさ、今日なんとなく分かったことがある」
 「なに?」
 「んー、なんて言うかなぁ」
 頭を掻きながら今井。
 「当たり前に裕子が今まで近くに居たのにそれがないってのは、なんとなく」
 「背中が寒いって感じ?」
 「ああ、そんな感じだな」
 「私もそう思った、なんとなく怖いっていうか、変な感じだよね」
 「でもさ」
 夕日に目を細めながら、今井は呟く。
 「俺達はきっと、これからもっともっと離れて行くんだろうな」
 「裕二は理系、私は文系だしね」
 「そうだな」
 「それってなんとなく、不安かな」
 困った顔で、裕子は呟いた。
 夕日が雲に隠れる。目を開き、裕二は隣の裕子に視線を移して告げた。
 「昔さ、自転車買ってもらったの、覚えてるか?」
 「ええ。私はキャン○ィ○ャンディので、裕二は仮面○イダーのね」
 「補助輪外した時のことは?」
 「あー、競争したっけ。でもいつから外して普通に乗れるようになったのか……覚えてないや」
 「そんな感じで良いんじゃないかな?」
 「え?」
 「きっと、気がつくと俺達は離れていると思う。そして気が付いた時に」
 雲が動き、再び夕日が2人を照らし出した。
 「そんなことがあったな、って思い出せれば、それでいいんじゃないか」
 「……補助輪を外すまでが、それはそれで大変だった記憶があるけど?」
 「なぁに、すぐ慣れるさ、そんなことは。だって俺達はただの幼馴染みなだけだろ」
 「そうね、ただの幼馴染みなだけだものね」
 何とも言えない笑みを浮かべ合う2人は、互いに家の前に着いており、
 「「じゃ」」
 いつものように別れ、そしてそれが一緒に帰る最後の別れの挨拶だった。


 「ただの幼馴染みって関係だけど、あまりにも深すぎる『ただ』の関係っていうのはきっと崩れないし、それ以上の変化もないんだと思う。変化を起こそうとするには何かがおかしくなるものさ」
 そう締めくくりながら椅子から立ち上がり、帰り支度を始める今井。
 「ふーん」
 「俺達は放っておけば良いのに辿りつくはずなのに、その先の変化に急ぎすぎちまったのかもしれないな」
 訊きつつ、雪音もまたカバンを取る。
 「でも今井先輩にしては格好良すぎる話って言うか、ぶっちゃけキャラじゃない?」
 笑って言う雪音に、
 「あ、バレた?」
 「え?」
 「いやぁ、さすが雪音ちゃん。あっさりフィクションと見破るとは。どの辺が怪しいと思った? じゃ、次はとっておきのメガネっ娘のお話でも」
 再び椅子に腰掛けながら、頼んでもいない次の話を始めようとする今井に雪音は目を点にしつつ、はっと我に返る。
 「まったく、案外テレ屋なんですね」
 「はぃ?」
 「そういうことにしておきます。さってと、カラスが鳴くからかーえろっと!」
 「あー、なかなか面白い萌えな話があるのに……訊いて損はないと思うよ、おーい」
 そう言葉を投げてくる今井に、雪音は振り返ることなく片手を軽く振って化学室実験を後にしたのだった。

おわり