白川さんエンカウント
外は、しとしとと線の細い雨が降り続いている。
夕方のとある学校の昇降口。
厚ぼったい曇で覆われた灰色の空を見上げながら、一人の少女が小さくため息一つ。
紺色のセーラー服を纏い、背中まで伸びた長く黒い髪を一つに編み上げておさげにしている。
薄いレンズの向こうの瞳は、僅かな困惑の色が浮かんでいた。
「困りましたね」
小さく一言を漏らし、彼女は背後を一瞥する。
そこには傘立てがズラリと並び、幾本もの傘をその役割に準じて抱いている。
「全く以って、困りました」
再び小さくため息。
どうやら間違って彼女の傘は持っていかれたのか、もしくは心ない者によって拝借されてしまったのか。
視線を曇天から再び傘立てへ。
「さて、降り止みそうもありませんし。かといって私と同じような者を生み出すことはイケナイことですし」
形の良い頤に細い人差し指を当てながら熟考。
そんな彼女の視界に一人の男子生徒が入る。
彼は傘立ての前に立ち竦み………何やら考え出す。
「ふむ」
そう一言漏らし、表情は何も浮かべぬままに傘立ての前で熟考し始めた。
彼女と同様に、傘がないのであろうか?
そのような雰囲気を察し彼女は一人、僅かな親近感を得た気がした。
やがて彼は視線をようやく傘立てから昇降口の外――雨振る大地へと移し、そして視界に彼女を入れた。
おや?とでもいうように彼は小首を傾げ、
「傘を忘れたのかね?」
唐突に彼女にそう声をかけた。
「そのようなものですね」
特に気負うこともなく、彼女はそう返す。
「ふむ、そうかね、それは困ったことだね、うん」
彼は小さく頷きながら再度傘立てに視線を移し、そしておもむろに右手を傘の一本に伸ばした。
それは仔豚のイラストが薄青色の生地に満遍なく散りばめられた、なかなかにファンシーな傘である。
「君にはこれが似合いそうだ。使い給え」
彼の差し出す傘を、しかし彼女は受け取れない。
「……どなたの傘ですか?」
僅かに額に皺を寄せ、訝しげな視線を彼と傘に向ける少女。
問いに彼は即答する。
「無論、私のだが?」
「……貴方は傘がなくて困っていらっしゃったのでは?」
「ほぅ、君はそう思っていたのかね。これはなかなか興味深いことだ、うん」
彼は満足げに頷きながら、しかし否定する。
「私は『どの傘をさしていこうか』迷っていたのだよ。傘一つを取ってもセンスが問われるからね」
「迷うくらいに傘をお持ちなので?」
「うむ。このスペースの傘は全て私の物だが?」
彼は指差すのは傘立ての1ブロック。そこにはテプラで『相馬スペース』と書かれたシールが貼られている。
そしてそのスペースにはぎっしりと傘が詰まっていた。
「………そうですか」
少女は表情は変えずとも、呆れの風をその身に纏いつつ返事。
「ですが」
言って彼女は彼が差し出した傘を優雅に払った。
「もう少しセンスの良い物を選ばせていただきたく思います」
「ほぅ、この『仔豚と空』の傘がご不満と?」
「はい」
遠慮なく返事を送る彼女に、彼は「いやはや」と寂しそうな、それでいて嬉しそうな言葉を贈る。
「ではお好きな物を選び給え」
「ご好意に感謝しますわ」
彼女は『相馬スペース』から傘を選び始める。
やがてそう時間を置くこともなく、その手が止まることとなる。
「どうしたのかね? 気に入った物が多すぎて困るのかね? ん?」
彼の言葉に彼女は無表情のままに傘を探す手を止めた。
「このスペースの傘が無断拝借されない理由がとても分かりましたわ」
「それはそれはご理解嬉しいことだ」
「とてもセンスがよろしくて、皆さんお借りするのがもったいないのでしょうね」
「うむ、良く言われるよ」
「やはり先ほどの豚さんの傘をお借りしますわ。まだまともですから」
「おや、私と君のセンスは合うようだね、うん」
傘を手渡しながら、彼は白い傘を手にした。
「相馬さん、ですわね。後ほど傘をお返しに伺いますわ」
「いや。別に使ったら傘立てに置いてもらってかまわない。えー」
「白川です」
「うむ、白川君」
「そうですか、ではそうさせていただきます」
言葉を交わしながら2人は傘を開く。
雨降る大地に2つの花が咲く。
一つは青空に仔豚が多数散ったもの。
もう一つは―――白地に赤字でこう荒々しく書かれたものだ。
『天下一のカブキもの♪』
雨は止む気配がなく、町にその存在をいつまでも主張するかのように煙っていく。
灰色の町の中、2つの鮮やかな色をした花はいつまでも並んで行き、そして消えていった。
了