その高校でのお話
【兄妹関係?】
「じゃ、お家でね」
「ああ、分かった」
彼は彼女にそう僅かな笑顔で答える。
彼女は満足したのか、軽くスキップしながらその場を後にした。
と。
彼の後ろで存在をアピールしながらも結局は無視されていた青年が彼に問う。
「センパイセンパイ、今の娘、誰ですか??」
「? 妹だが?」
「えぇ?! 相馬センパイに妹さん、いたんですかっ」
「何をそんなに驚いておるのかね、今井くん?」
涼やかな顔で青年は、隣で詰め寄る後輩に首を傾げた。
問われている方の彼は襟章からこの高校の3年、詰め寄る方は2年であることが伺える。
2年の男は、すでに廊下の向こうへ去ってしまった1年の女子の背中を探すように見つめている。
「ムチャクチャ可愛い娘じゃないですか」
「そうかね? 毎日見ていると分からんもんだな」
「毎日の生活がバラ色っスね!」
「手のかかる猫みたいなものだと思うが?」
「猫って……夜中に寝床に入ってくるわけじゃないんですから」
「時々あるが?」
「ぬぁ!? マジっすか、マジッスカ?!?!」
「そんなに驚くことかね? まぁ両親が旅行に出て、雨が降っている夜なんかは怖いのだろうな」
「くはぁぁ! 萌え萌えじゃないですかっ」
「萌え??」
「もしかしてパジャマ姿の妹さんが『お兄ちゃん、一緒に寝ていい?』って言いながら部屋に入ってくるんですか、くはぁ、羨ましいぜっ」
「いや、違うな」
「? 違いますか?」
「パジャマはあまり好きではないようでな。寝るときは私の着古したYシャツを好んで着ているぞ」
「ゲフッ!」
「ど、どうした今井くん。血を吐くなんて……」
「い、いえ、あまりにも羨ましいシチュエーションに、体がついて行けないようでした」
「そういうものか?」
「そういうもんです。ってか、相馬センパイ、それってヤベーっスよ。マジに萌えっスよ」
「ヤバい、か」
「ヤバいです」
「そうだな。アイツもいい歳頃だ。未だに兄と一緒にお風呂というのはどうにかしている」
「ちょーっと待ったぁぁ!! センパイ、今なんて言いましたか?!」
「いい歳頃だと」
「その後!」
「私と一緒にお風呂というのはどうかしている?」
「そう、そこ!」
「そろそろ兄離れしてもらわんと」
「もー、犯罪っスよ、ああ、もうこんチクショウ! これで血がつながってなかったら、即18禁っすよ?」
「よく分かったな」
「は?」
「妹は再婚した父の相手の連れ子でね」
「どーなってんだよ、この世の中!! オレにセンパイの幸せのホンの一匙でいいから別けてもらいたいっすよ! あ、白川先輩こんにちわ」
「おや、白川くん。ご機嫌ななめだね」
相馬と今井の後ろには、いつのまにか3年の女子が立っていた。
無表情な彼女の顔を見て、しかし相馬はどこから感情を読み取ったのかそう問うた。
白川嬢は無言のまま右手を振り上げ、
ごす
「? 白川くん?」
相馬の額にチョップ。
ごすごす
「やめたまえ、白川くん」
ごすごすごす
特に避ける風でもない相馬の額に、白川の無言のチョップが続いたのだった。
「やってらんねーよ」
とは、今井くんの談。
【懐ゲー?】
気が付くと、彼には『影』がなかった。
「影というものは物体が光に当たった際に、光の放出方向に対して物体を挟んで反対側に生じる光が及ばない部分を言う」
「そうですね。それがないっていうのはどういうことでしょう、相馬先輩?」
「良い質問だ、今井くん。原因としては物体が『ない』というケースがあげられる。または物体が光を遮らないというケースも考えられるな」
「ホラー話なんかでは、影が抜け出して人のように振舞って、いつしか本人と入れ替わる…ってのがありますけど」
「それはあまりにも科学的ではないな。オカルトの領域であり、それは理系の私には通じない事象だ」
「でも先輩のおっしゃったケースも、今この事体に当てはまるとは思えませんけど?」
「当てはまるどうこうは良いのだよ、今井くん。大切なのは『何が起きているか』であり、『その理由は何なのか』だ」
「はぁ、とりあえずヤバいんじゃありませんか?」
溜息とともに今井は相馬の足元を見た。
リノリウムの廊下には天井の蛍光灯と窓からの日の光によって今井自身の影が伸びている。
しかし相馬の下にはそれがない。
影が、ない。
「いつからですか?」
「さぁな。君に指摘されて始めて気が付いたのだよ」
「……あの、もしかして白川先輩から何か薬とか飲まされませんでしたか?」
「彼女からはお昼に弁当をいただいたが。それだけだな。それが何か?」
「チクショー、手作り弁当かよっ!!」
一人地団駄を踏む今井。それを不思議そうな目で見つめる相馬。
そんな2人の後ろから1人の女性が現れる。
「どうかしましたか、2人してこんなところで」
「おや、白川君。文芸部の方は終わったのかね?」
「ええ。これから化学部の方で今研究中の…あら?」
白川は途中まで言いかけて相馬の足元に視線を落とす。
「部長、お影が見当たらないようですが」
「ああ。そのことで今、今井君と話していたのだよ。いったい何が起こったのかと、ね」
「…あ」
「白川先輩、今の『あ』ってなんすか?」
「しゃっくりの一種よ、今井くん」
涼しい顔で応える白川。
「部長。どうやら私は、今化学部の方で研究している物件については継続が不可能になってしまったようです」
「うむ、どうかしたのかね?」
「はい。途中まで合成した試薬をどうやら誤って使ってしまったようです」
「それはそれは残念なことだね。どこに使ってしまったのかね?」
「部長のお弁当にですわ」
「なるほど。君の研究の苦労は分かるが、今更返してくれといわれても返しようがないな」
「そうですわね、残念です」
「こらこらこら、そーじゃないでしょうがっ!」
今井がどうもスレた二人の会話に割り込んだ。
「相馬先輩の影はどうなってしまったんです、白川先輩?」
問われ、白川は「ふむ」と吐息を一つ。
「バイナリィランドってご存知ですか?」
「懐かしいな。ハドソンから出た2匹のペンギンが主人公のファミコンソフトではないか」
「はい。画面が左右に分かれ、左右正反対に動く2匹のペンギンを同時に画面上のゴール地点に到達させるというパズルゲームです」
「……僕は時代が違うので良く分かりませんが、それがどうしたんですか?」
「部長の『影』は今、部長の動きとは正反対の動きをとって存在しています」
「は?」
今井は首を傾げる。
相馬は「ほほぅ」と楽しげだ。
「部長はお昼以降はこの学校から出ていませんね?」
「ああ。ということは私の影はまだこの学校にいる可能性が高いな」
「はい。元に戻るには影と交差すれば完了です」
「なるほど。では今井くん、私の影を探してきてくれないかな?」
話を振られた今井は「え?」と困った顔をする。
「私がこの場で止まっていれば、影も止まっているはずだ。一旦、影のいる場所を把握してから行動する」
「その後は?」
相馬は軽く笑う。
「簡単なことだ。影のいる場所へ向かえば良い」
「へ?」
「影は私とは反対の動きをするのだろう? すなわち鏡の中の動きと考えれば良い。ということはだ、私が近づけば近づき、遠ざかれば遠ざかるということだ」
「……はぁ」
分かったような分からないような顔で今井は頷き、とりあえず廊下の向こうへと駆けていった。
その背が見えなくなってから、白川は小声で呟く。
「ごめんなさい、相馬さん」
「いや、なかなか楽しめたよ、白川くん。君は私の論理の範囲をいともたやすく超えてくれる」
「褒められている、んでしょうか?」
「最大限の褒め言葉だよ、白川くん」
言って相馬は、穏やかに微笑んだ。
翌日、学校中に『怪しい影が更衣室やロッカーを徘徊する』という怪談じみた噂話が流れたとか。
【ネコミミモード 前編】
「えーっと、コレを付ければ良いの?」
「そうだ、それを頭につけてみてくれ」
彼女は恐る恐る、手にしたヘアバンドで――それも大きな猫のような耳がついた――を己の髪に触れる。
ふっさりしたツインテールが揺れ、その結った二束の髪の前に猫の耳のついたヘアバンド、すなわち通称ネコミミが装着された。
それをまじまじと眺めるのは一人の男。
机の前に置いたノート型PCの電源を入れたまま「うーむ」と唸る。
「そしたら『ネコミミモードでーす』と言ってみてくれ」
「はぃ?」
「『ネコミミモードでーす』だっ!」
「は、はぃぃっ!」
少女は男の迫力に押されて、慌てて叫ぶようにして言った。
「ネ、ネコミミモードでーす!!」
「もう一度っ!」
「ネコミミモードでーす!」
「もう一度!」
「ネコミミモードでーっすぅぅ!!」
「分からん!」
ドン
「ひぃ!」
思いきり机をたたく男に、ネコミミ少女はビクリと体を震わせた。
「オレにはこれのどこが萌えなのか、さっぱり分からん! 編集長のヤツ、オレにこんなの書かせやがってぇぇ!!」
ノートPCの画面にはワープロソフトが起動されている。
書きかけの文章の題名は『巷に蔓延るネコミミ現象とその萌えについて』。
「あ、あのー、亮お兄ちゃん? 帰って良いかな?」
「ダメだ、もう一度っ!」
「ひーん」
―――ってことがあってね。普段は優しいお兄ちゃんなんだけど」
「……雪音ちゃん、その人に変なことされなかった?」
「へ、なんで?」
「あ、いや……大丈夫なら良いんだけどね」
困った顔で呟き、相馬恵美は何気に耳をそばだてている、若桜の隣の席の男に声をかける。
「市松くん、ホッとした? それとも残念?」
「? 何がだ、相馬」
無愛想に顔を向ける男は目つきが鋭い。
それに気を臆することなく、相馬は続ける。
「若桜さんのネコミミモード、見たくなかった?」
「え、見たいの、イチマツ?」
若桜は懐からネコミミのついたヘアバンドを取り出し、おもむろに自分の頭に装着。
「どう、ね、どうよー?」
「……なんか痛々しいな」
興味ない、そう全身で表しながら彼はそっぽを向いた。
「む」
そんな彼の頭に、若桜は自分の頭につけていたネコミミを取り付けた。
「あーっはっはっは! ネ、ネコ、ネコミミイチマツだ、ぶひゃひゃひゃ〜〜」
大爆笑をかます若桜と、困った顔をしながらも笑いをこらえる相馬。
クラスの他の連中も、ニヤニヤと笑いながら成り行きを見守っていた。
そっぽを向きながら、しかしふるふると震える市松。
「いやぁ、萌えるね、うん、萌える」
「ゆ〜き〜ね〜〜ぇぇぇ!!」
ガタン、椅子を蹴って立ち上がる市松。
笑いながら逃げる若桜、それを彼は全力で追いかけていく。
こうして教室を出ていった2人を眺めつつ、相馬の脳裏には一つの歌が流れていたのだった。
お魚くわえたドラネコ、おっかけ〜て♪
裸足で、駆けてく。陽気なサザーエさん♪
「あ、ネコとサザエさんが逆ね」
【ネコミミモード 後編】
目の前を通り過ぎたその上級生は、普段なら彼女にとって「うわぁ、キレイな人だなぁ」と一言で済まされる人物だった。
同時に彼女とは明らかに住む世界の違う―――しいて言うならば上流階級?な場所にいると思われていた女性だ。
しかし。
呆然と見送った雪音の目には、間違いなく彼女の頭にネコミミが付いているのを見逃さない。
あまりにも、あまりにも不自然な光景だ。
だがポーカーフェイスの彼女の様子からは、別にふざけているような感じは受けない。
むしろそのネコミミがごく普通のアクセサリーに見えてくるから不思議だ。
「あ、あれー??」
雪音は首を傾げる。
その横で同じように彼女の同級生であるところの相馬恵美も、こちらは唖然とした表情を浮かべていた。
「白川先輩、どうしちゃったのかな?」
「むしろネコミミが流行ってるとか……時代の最先端とか?」
「………そうなのかな?」
雪音の言葉に恵美は否定をしない。
同じような呟きが、廊下で白川を見送る女子,そして男子の間でも交わされる。
もしかしたら、アレ(ネコミミ)は流行っているんじゃないか、と。
白川はいつにもまして自分に送られる周囲の視線に内心首を傾げていた。
そして階段に差し掛かったときだ。
「白川先輩!!」
馴染みの声に振り返る。
そこには全力疾走をしてきたのか、息も荒く髪の乱れた下級生の姿。
「あら、北上さん。ごきげんよう。廊下を走るのはどうかと思いますよ」
「せ、先輩、それは…それはなんなんですか!!」
北上はビシッと、白川の頭に揺れるアクセサリーを指差した。
「似合いますか?」
小さく首を傾げて問う彼女に、思わず北上は力強く頷きそうになって、慌てて首を横に振る。
「どこの悪魔が先輩にそんなモノをつけるようにそそのかしたんですかっ!? 天誅です、天誅モノです!」
「似合いませんか?」
「いえ、似合うと言えば似合いすぎて、とゆーか、一般庶民に先輩のネコミミ姿なぞもったいなくて見せられません! むしろ私専用にしたいくらいです」
「?? 相馬部長と今井くんは、とても似合うとおっしゃってくれましたが?」
「まーた、あーいーつーらーかぁぁぁ!!」
北上は敬愛する先輩にまとわりつく2匹のハエを顔を思い出し、背に憤怒の炎を浮かび上がらせる。
「ダメですよ、先輩! アイツらのこと鵜呑みにしちゃ! 特に祐二のアホには耳を貸しちゃいけません」
「祐二?」
「あ、今井のことです」
「まぁ、名前で呼び合う仲なのね」
「ち、違いますっ!」
意外な攻められ方をされ、慌てる北上。
「家が隣で、幼馴染みなだけです」
「あら、幼馴染みだなんて、今井くんが萌えそうなシチュエーションね」
「先輩、お願いですから祐二みたいに『萌え』なんてオタクな単語を使わないでください」
大きく溜息一つ、北上は言う。
「あのバカとはアメリカとキューバ,イギリスとアイルランド並みの関係ですから」
「そう? 残念ね」
「残念じゃありません! それはともかくっ」
北上はネコミミを白川から奪う。
「欲しいの、北上さん?」
「……先輩がこんなのを付けて歩くくらいなら、私が付けます!」
言って彼女は己の頭に装着。
「似合うわよ、北上さん」
「似合いませんっ!」
「きっと今井くんも北上さんを見て萌えるわよ?」
「先輩をそんな目で見られたくないんですっ!」
こうして次の休み時間からはネコミミを付けた北上が構内で確認されることとなる。
「いやぁ、相馬先輩。白川先輩のネコミミは似合っていましたね」
「ふむ、君の言う『ネコミミ萌え』というのが少し分かった気がするよ」
「あれはしかし、白川先輩だから似合うんです。ほら、耳を隠すことができるくらい髪がある方が似合うんですよ」
「なかなか奥の深いものだね。しかしあんな物、どこで調達したんだね?」
「なんと廊下に落ちてたんです」
「不思議な拾い物だね」
「まるで天が我々に与えた様に思えますね」
ごす!
廊下を歩きながら談笑する今井の首が、あらぬ方向へとへし曲がる。
それはジャンピングニーパットを放った北上によるものだ。
「な、何をする、裕子!! って、貴様?!」
おかしな方向に首を曲げつつ、今井は廊下に仁王立ちになる北上の頭を指差した。
「貴様のような穢れた人間が、ネコミミなぞ付けやがって! それは白川先輩にこそ似合うものっ」
「私の白川先輩を汚すなっ! このオタク魔人が」
「フフフ、それは誉め言葉だよ。そんなことより裕子、そろそろそのレズっ気を直したらどうだ?」
「私と白川先輩はそんな関係じゃないわっ!」
言い合う2人を眺めながら相馬は一人、呟いた。
「仲が良いね、2人とも」
「「どこをどう見てそうなるんですか!」」
間髪入れずに2人からツッコミが入る。
「気も合うようだね。まぁ、ごゆっくり」
相馬は2人の背を向ける。
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン♪
絶えることのない言い争いを背に聞きながら、放課後が終わり帰宅を促すチャイムに、彼は帰路へ付いたのだった。
夜半。
2階建ての古いアパートの一室で、ようやく原稿を書き上げた男の前にネコミミをつけた女性が現れた。
「あー、なにやってるんですか、乙音さん?」
「似合うでしょー、亮クン♪ 今、女子高生の間で流行っているそうなんですよ」
「嘘をつけ」
一蹴した彼に、乙音は俄然反論。
「嘘じゃありません! 雪音の高校ではネコミミブームだそうですし」
「どんな学校ですか、それ?」
そもそもの発端である彼は、呆れ顔でそう呟いたのだった。
おわり