The Message


 軽快な駆動音が部屋に響く。
 「……SHIT!」
 俺はこいつが順調であればあるほど、不快な気分に襲われる。
 まだまだ現役でこいつは動くことが出来る。
 こいつの名は戦艦『長門』。
 かつては我が国のコロラド、メリーランド、ウェスト・ヴァージニアと肩を並べ、世界の海に『ネイバルホリデー』を15年間に渡ってもたらしたビッグ7の1隻である。
 憎く、恐ろしくも、そのフォルムが美しい大日本帝国軍の超々ド級戦艦。
 かつては俺達と、このアメリカ合衆国海軍と対等にやりあうことの出来たヤツ。
 だがそれは時代に取り残された、古びて錆びた力だ。
 今回の戦争では戦闘機乗りが主役だった。
 遥か上空から、追いつけないスピードで爆弾を、銃弾を、魚雷を放ってくる。
 かつての威容を誇っていた戦艦達は、敵にしても味方にしても戦闘機に次々に沈められていった。
 そんなクソッタレな戦争で、戦艦乗りな俺のような古い考えを持った連中は次々と倒れていったんだ。
 主砲におけるロングレンジの有効性について熱く語り合ったジョージにボブ。
 艦の速力こそが命と一歩も譲らなかったスティーブ。
 厳格だが、涙もろかった艦長。
 かつては世界の海に君臨していた俺達は、そのメンツにかけて戦い抜いた。
 時代遅れなのは分かっちゃいる。だが俺達は泣く子も黙る海軍だ。
 敵である日本軍は死を厭わぬ常識外の覚悟でやってくる。
 悲惨な戦いが続いたさ。
 気づけば、死に物狂いなあの戦争は終わりを告げ、俺はいつしか一人になっていた。
 戦いには勝った。
 けれど何も残らない。いや。
 何もかも失い、心にぽっかり穴があいた感じが今でも続いている。
 俺自身は歳は取ったが、まだ走れるし、目も老いちゃいない。
 だが、今の時代についてはいけない。
 この戦艦に乗っているやつらを見てしみじみ思う。
 戦争を隣街のチームとの練習試合程度にか思っちゃいない、ルーキーどもだ。
 B29からテキトーに爆弾落として、勝った気でいられる新兵さ。
 だが、今はそんな戦い方が正しいのだと思う。
 だからこの中では俺なんかは浮いちまっている、厭われるくらいだ。
 そう。
 俺も、そしてこの長門も、死ぬ機会を逸したんだ。
 「SHIT!」
 再度呟く。
 軽快な長門の駆動音。
 かつては…いや今でも俺にとって畏怖と敬意の対象であるこの船は処刑場へと連行されている。
 マーシャル諸島のビキニ環礁。
 そこで行われるのはクロスロード作戦。
 広島と長崎に叩きこんだ原子爆弾という新型爆弾の標的に用いるための長門最後の航海である。


 「SHIT!」
 なにやらメリケンが叫んでいる。
 やつらがこの船に乗り、あまつさえ運行するなど屈辱の極みだった。
 私はこの偉大なる船『長門』の整備を続けてきた。
 大日本帝国海軍の顔とも言うべきこの長門。
 此度の太平洋戦争開戦時には連合艦隊旗艦として活躍し、運良く地獄のようなあの戦争を切り抜けた我が国唯一の戦艦。
 しかし国民が一丸となって当たった戦争には敗れ、東京を始め度重なる空襲で街は灰燼と化した。
 とどめはメリケンの新型爆弾だ。
 広島、長崎を続けざまに焼き尽くし、我々は破れた。
 そして今。
 我々の剣となってくれた長門もまた、蹂躙されようとしている。
 長門が向かうのはマーシャル諸島のビキニ環礁。
 そこで広島と長崎を焼き尽くした爆弾の実験の標的として長門が使用されるというのだ。
 「くそっ」
 呟く。
 廃墟と化した街を見て、私は自らの力のなさを何度悔いたことだろう。
 長門という力がありながら、私達は守るべきものを守れなかった。
 荒れ果てた地を前にして、どうしたら良いか分からずに途方にくれていた私は、長門の航海にあたって臨時の整備員として徴収された。
 そこで聞いた、長門の処分。
 かつて世界の海に平和をもたらしていた、帝国海軍の誇りであるこの長門が。
 同じように焼き尽くされんとしている。
 「くそっ」
 せめて、死に水はとってやりたい。
 その思いで、私はこの航海に参加した。


 1946年7月1日。
 マーシャル諸島のビキニ環礁。
 戦艦ネバダを中心に、長門は400mのところに置かれた。
 第一実験は原子爆弾の空中爆発。
 そこから遥かに離れた場所で、人々はその瞬間を待つ。
 カッと光る強烈な光。
 遅れて来る爆音と強風。
 視界の先にはキノコ雲。
 「「おおおお」」
 一同はその新型爆弾の威力にどよめく。
 だが雲が晴れ、海上に浮かぶ船影を目に、再び彼らは驚くことになる。


 「無傷だと?!」
 俺は慌てて双眼鏡で爆弾の余波が薄れつつある海上を見る。
 そこにはまるで何もなかったかのように泰然とその姿を残す長門の姿。
 「ば、ばかなっ! あの爆発に……我が国の最新鋭の技術を施した新型爆弾が全く効かないだと」
 驚いた。
 そして俺は気づく。
 己が笑っていることに。
 なぜ笑っているのか分からない。
 分からないが……胸にぽっかりと開いた穴から何かが出てきそうな、そんな奇妙な感触がした。


 「沈まない?!」
 私は驚愕に目を見開いた。
 長門以外の船は沈むか、ほぼ大破である海上で、悠然と長門は佇んでいる。
 メリケンの新型爆弾は、瞬間爆発点でセ氏百万度という超高熱となる。
 また膨張した空気は衝撃波を生み、爆心地を中心として音速を上回る時速千三百キロもの勢いで進むのだ。
 それを、それを耐えた。
 それも爆心地方向の装甲表面が溶解したのみで、運行には問題のない無傷の状態で。
 「長門……」
 メリケンの爆弾開発のスタッフ達の声を聞きながら、私はじっと静かに浮かぶ長門を見つめつづけた。


 7月24日。
 第二実験である原子爆弾の水中爆発。
 長門は爆心地から900〜1000mの位置に設置された。
 合図とともに爆弾が起爆。
 巨大な水柱が長門以下、標的艦を呑みこんでいく。
 長門と同じ位置にあった戦艦アーカンソー、ネヴァタは一瞬で轟沈。
 その他の船もほぼ大破レベルの傷を負い、海に呑みこまれていった。
 しかし長門は、僅かに約5度の傾斜を生じただけの損害を受けただけで、依然その姿を海上にさらしていたのだった。


 「耐えやがった……」
 俺は知らずに呟いた。
 「ハ、ハハハ……」
 笑いがこみ上げてくる。
 胸にぽっかり開いていた穴から、すべてを失った虚脱感を払拭する何かが湧いて出てくる。
 そう、ヤツは耐えた。
 時代遅れのポンコツなヤツが。
 かつては世界の海をまたにかけて覇権を競った、強敵のヤツが。
 ヤツが耐えたのなら。
 対等にやりあってきた俺『達』だって耐えられるはずさ。
 「そうか」
 そうかそうか。
 俺は、俺達まだ、ダメじゃない。
 「決心がついたよ、貴様の矜持を見てな」
 俺は長門に背を向け、心の中で告げた。
 ありがとうよ
 そして
 一緒に行こうか。
 俺はまだやれる。だがもぅいいだろう。
 俺達の力は、次は別の場所で使うべきなんだ。
 第一線なんかじゃなく、全然別の場所で……。
 さぁ、老兵は引退の時間だ。


 「あ……あぁ」
 私はわずかに傾いただけの長門に感嘆の息しか出なかった。
 広島・長崎を焼き尽くしたあの爆弾。
 2度もその身に浴びて、なおもその威容を誇る長門。
 「あぁ…そうか、そうですね」
 長門は耐えた、2度も。
 『彼女』に耐えられて、彼女とともに永年あった私が耐えられなくてどうする?
 そうだ。
 私は耐えることもなく心を自ら折ってしまったんだ。
 「ありがとう」
 私は一言、そう呟き、彼女に背を向ける。
 彼女はその身をもって教えてくれた。
 心さえ折れなければ、何度だって立ち上がれることを。
 私達は凄惨な戦いの果てに、大事なものを守れずに失ってしまったけれど。
 私はまだ生きている。
 生きているなら、失ったものは作り直せるんだ。
 長門と過ごした時間の中で得たこの技術で、私は必ずや作り直してみせると彼女に誓う。


 こうして長門は4日後の夜半に、誰に看取られる事もなく一人静かに海の中へと没していったという。
 そして60年後の現在―――


 青い海に青い空。
 ここマーシャル諸島のビキニ環礁は現在、絶好のダイビングスポットとなっている。
 小型船には観光客であろう、ウェットスーツを着込んだダイバー達が和気あいあいと騒いでいた。
 そのうち白い肌を持つ男性と、黄色い肌を持つ女性。
 「今日はバディとしてよろしく」
 「よろしくお願いします」
 互いに英語でそう言葉を交わす。
 ダイビングは必ず2人1組となって潜り、その関係はバディと呼ばれている。
 「うちの爺さんがぜひ見て来いってね、うるさいんだよ」
 「うちもなんですよ。なんでも人生のすべてだったとかって」
 やがて2人は他のダイバー達と同じく、地元の牽引係の指示に従って次々に海へと飛び込んでいく。
 ダイバー達が青い海に飲み込まれて目指すのはその底。
 青の先に、やがて巨大な鉄塊が見えてくる。
 それはこの地に沈んだかつての戦争での主役達。
 そして彼らが目の前にしたのは、かつて世界の海をまたに掛けていたビック7の一隻、戦艦長門である。
 やがて先ほどの2人は藻の生えた艦橋付近にさしかかる。
 「……」
 「……?」
 女性のダイバーが男性の肩を突つく。
 彼女が指差すのは艦橋の一部。
 そこには何か文字が書かれているようだったが、藻に隠されていた。
 男性ダイバーが軽くそこをこすると、藻がはがれて文字が顕にされた。
 古びた傷跡である文字は、こう彫り込まれていた。
 「Old Navy Never Die!」
 すなわち、古の海兵は死なず!である。