戦場のマジシャン


 彼はマジシャンだった。
 破れたお札を自在に元に戻したり、増やしたり。
 大人達は彼を手品師と言うけれど。
 僕達には、間違いなく彼は魔法を操るマジシャンだったんだ。
 僕は彼に問うた。僕にもできるかな、と。
 そうしたら彼は、ちょっと困った顔で。
 でも少し嬉しそうにこう言った。
 「どうしてやってみたいんだい? 観るだけじゃダメかな?」
 僕はそれにこう応えたんだ。
 「だってもしも僕ができれば、いつだってみんなが観れるじゃないか」
 そしてマジシャンは笑って僕に『それ』を手渡した。
 「きっと出来るよ、君なら間違いなく、ね―――


 ――起きてください、そろそろ時間ですよ」
 「ああ、分かっているよ」
 今日も席は満員らしい。
 慣れているとはいえ、未だにステージ前は緊張する。
 僕は古びたカードをいつもの通りに握り締める。それはこの手品師という生き方を目指すきっかけとなった品。
 手品師。
 それこそが今の僕の職業だ。
 手品師の中でも、今の僕はこの五大陸で片手の指に入る実力を持っている。
 僕を人は本物の魔術師だと言ってくれる。
 ありがたいことだ。
 けれど………


 「おつかれさま」
 ステージが終わり、マネージャーが駆け寄ってくる。
 「今日も最高だったな」
 「そうだな」
 僕はそう返事をするが、とてもそうは思わない。
 いつの頃からだったろう?
 人々を驚かせるマジックを披露し続けて、この地位を築いた頃だろうか??
 なにかが、違う。
 「どうした、どこか調子が悪いのか?」
 「いや、そんなことはないよ」
 観客はいつもの通り、驚いている。
 けれど。
 「今日のマジックは相変わらずタネが分からないよなぁ。さすがとしか言い様がない」
 満足げに頷くマネージャー。
 あぁ、そうか。
 「そういうことか」
 「ん?」
 驚かせて当たり前。
 マジックだから、タネがあって当たり前。
 そして。
 「所詮は、手品だ」
 「え? そりゃそうだろ」
 首を傾げるマネージャーに小さく笑みを浮かべつつ。
 翌日、僕は誰にも言わずに故郷へと帰った。


 僕の故郷は10年前から内戦が続いている。
 内戦の勃発は、手品師として国を出てから2年後のことだった。
 それ以来、帰っていなかった。
 戦時下の空港に降り立って、僕は息を呑む。
 荒れ果てた市街。
 実りのない田畑。
 そしてなによりも、荒んだ人々の顔。
 「お、君は…?」
 そんな言葉と共に肩を叩かれたのはかつて実家のあった街に着いた頃。
 「久しぶり、だな」
 「帰った来たんだな」
 嬉しそうに笑う彼は、かつての幼馴染み。
 今ではがっちりとした体躯の、兵士だった。
 「どうしたんだ、君みたいな有名人がこんな危険なところで…」
 彼の言葉が終わらぬうち。
 僕は彼に突き飛ばされた!
 途端、響く轟音は背後。
 吹き飛ぶトラック、逃げ惑う人々。
 まるでこれを合図にしたかのように、道の向こうから軍隊がやってきた。
 「逃げろ、ここは俺達が食い止める!」
 兵士の彼は、あちこちから姿をあらわした同じ服装をした兵士達と共に、侵略者達を迎撃する。
 「あぁ」
 それを僕は、何も出来ずに見つめている。
 「所詮は僕は……」
 「こら、アンタ! 何やってるんだい!!」
 「戦うことも何も出来ない、手品師…か」
 「いいからこっちにきな、死にたいのかい!!」
 僕は近所のおばさんに手を引かれて、避難所へ連れて行かれた様だった―――


 ―――あ」
 懐から握り慣れた古いカードの束が落ちたところで我に返る。
 ここは教会のようだ。
 薄暗いここで、人々は肩を寄せ合って外の戦いが収まるのを震えながら待っている。
 子供の泣き声すら、親が慌てて口を塞いでいた。
 嫌な、とてもとても嫌な沈黙が建物内で膨らんでいた。
 「ねぇ、おじさん」
 声が、聞こえる。
 「おじさんってば」
 「あ、え?」
 それはすぐ傍。
 僕の目の前に子供がしゃがんでいた。
 彼は僕の手にあるカードを見つめている。
 「それ、何?」
 「これ?」
 カードを指差し、少年。
 「これはトランプだよ」
 「トランプ??」
 そうか。
 この長く続く戦乱で、トランプのような玩具は全く入ってこなかったのだろう。
 「何に使うの?」
 問う彼に、僕は簡単な手品を見せた―――


 ―――すごいすごい!!」
 少年は満面の笑みを浮かべて並べられたカードを見つめている。
 彼だけではない。
 いつしかこの避難所の少年少女達が僕の周りに集まり、手品を見つめていた。
 そしてそんな彼らを遠巻きにして、大人達が同じ様に見つめている。
 その誰の目にも共通の物が宿っていた。
 それは『好奇』。
 そしてなにより……
 「ねぇねぇ、他にはどんなことが出来るの??」
 「そうだね」
 ステージにはなかったものが合った。
 いや、違う。
 ステージに立ち、公演を重ねるごとに僕からも、観客からも次第に消えてしまった大切な物がここにはあった。
 それは、
 「僕にも出来るかな?」
 少年は僕に問う。
 「どうしてやってみたいんだい? 観るだけじゃ、ダメ?」
 切り返した僕の問いに、少年は周りを見渡しつつ、こう笑って答えた。
 「だってもしも僕ができれば、いつだってみんなが観て、そして楽しくなれるじゃない!」
 つられて僕は笑い、彼に『それ』を同じように手渡した。
 僕がかつて受け取った、手品師の証を。
 「いいの?」
 「ああ」
 僕は頷く。
 「良いんだよ。僕はこれ以上のものに気づかされたから。きっとまたステージに立てると思う」
 「え?」
 「それにね」
 僕は先ほど彼がしたのと同じように、周りを見渡した。
 僕の手品を見て、楽しそうな人々の顔が見える。
 それはこの国に降り立ち、始めて見た人々の顔とは異なる表情。
 「手品師にも出来ることがあるんだってことも、分かったからね」
 そう。
 戦う力のない僕にも、出来ることはあるんだ。


 その偉大な魔術師は世界中で公演を行っている。
 ある時は銃弾の飛び交う戦場で。
 またある時は災害で荒んだ避難所で。
 彼は彼のマジックで状況を変えることは出来ない。
 けれど、彼の通った後には人々の何かが変わっているという―――

おわり