見つけた!
 お昼前のこの時間、誰もいない田舎のプラットホームに佇む学生服の彼。
 間違いない、この3ヶ月見慣れた後姿だ。
 私は額の汗をぬぐう。学校から駅までのダッシュで心臓はオーバーヒート気味。
 12月の冬の風が僅かに冷却してくれるものの、湧き上がる私の感情が助剤となりさらにそれは高鳴った。
 どうして。
 「どうして突然転校なんて!」
 叫ぶ。
 彼に向かって。
 声を受けた彼は、不審げにきょろきょろと辺りを見回して。
 私を見た。
 「え?」
 困った顔だった。
 「あの」
 彼は、こう問うた。
 純粋に、心底困惑した顔で。
 「どちらさま、でしょう??」
 「あ」
 彼に向かって一歩踏み出した私の足が、竦んで止まる。
 近くから列車の汽笛の音が聞こえてくる。
 『一番線に新都行きの列車がまいります。白線の内側にお下がりください』
 校内放送のナレーションが響いた。
 それを聞いて彼はすまなそうに私に告げる。
 「急いでいるもので、失礼します」
 その言葉を放った後にはすでに、彼の瞳は私を映していなかった。
 そうか、これが。
 「これが彼にとっての代償…」
 私は一人、唇を噛む。
 世界から一人、放り出されたような孤独感が襲い掛かってくる。
 それは彼と出会う3ヶ月前までは、どうってことなかった。むしろ望んでいた感覚なのに。
 一人でないことを知ってしまった今の私には、これ以上のない苦痛に思える。
 私は彼を見る。
 彼には私がつけた火傷の痕はどこにもない。
 それどころか彼の心にすら、私のという傷痕はない。
 でも。
 でも、私の心にはしっかりと彼の痕が残っているわけで。
 行き場のない怒りで体が震えた。
 心が、燃える。
 体中の熱が上がっていく。その熱は胸を突きあがり、喉元に達し、口から言葉となって吐き出された!
 「ふざけるな!!!」
 駆けだした私は、無防備な電車を待つ無防備な彼に飛び掛り。
 「ぇ?」
 突き出した拳は、突然の出来事に唖然とする彼の右頬に炸裂。
 そして、文字通り劫火を伴って彼を焼き尽くしたのだった。

Starter


 夏休みが終わり、しかし残夏の熱気が残る時期。
 2学期の始業式であるその日。
 そのクラスへ転校生がやってきた。
 黒板に白墨で大きく書かれたその名は『甲賀 琢磨』。
 「よろしくっ」
 そう笑って挨拶した彼は、中背でしっかりした体格の青年だ。
 一見して快活、陽気といった印象を受ける彼の雰囲気はこの片田舎の公立高校に瞬時に溶け込めそうだった。
 「席だが、後ろの空いているところに座ってくれ」
 「はい」
 白髪の目立つ初老の教師の指示に従い、彼は一番後ろ。前から6番目の空いた席に腰を下ろす。
 「とりあえず今日のところは教科書などは隣に見せてもらえ」
 「分かりました」
 答え、彼は隣の席に腰掛けるクラスメートとなった生徒に視線を向けた。
 肩まで黒髪を伸ばした、セーラー服をまとう女子だ。透き通るほど白い肌の顔には不機嫌な表情が浮いている。
 「というわけで、よろしくな」
 「………」
 彼の挨拶には無言、僅かに教科書を彼の方へ寄せることで返事とする。
 「なんだ、愛想悪いやつだな」
 思わず出た呟きに、彼女の不機嫌がさらに増したようだった。
 そんな初対面の中で、必然であるように彼は次の休み時間にはクラスに馴染んでいた。
 まるで入学の時からここに存在していたかのような彼は昼休み、何気なくクラスの男子に隣の席の女子について問う。
 それまで学校の女子の誰が人気があるだとか、そんな話題で妙に盛り上がっていた中でだ。
 「あ…、うん、ちょっとな」
 「清水 涼子のことはな」
 誰もが煮え切らない答えを寄越す。
 「清水、か」
 先程までの盛り上がりが嘘のようにきれいさっぱり消えてしまった中で、彼はとりあえず彼女の名前だけを知る。
 同時に同級生に冷水をぶちかけるほどのタブー的な扱いに、興味を持ったようだった。


 翌日。
 「まだ教科書を揃えていないの?」
 「俺の家、引越しが多くてしょっちゅう転校しててな。揃えた途端にまた引越しとかありそうで」
 清水の冷たい視線に突き刺された甲賀はしかし、あっけらかんと笑ってそう答える。
 「買う前に引越しが決まるといいな」
 トゲが生えた言葉で返すが、
 「だからしばらく見せてくれ」
 「………」
 言われて無言を返す。
 翌日。
 また翌日も。
 「そろそろ買うか引っ越すかしてくれないかな?」
 「つれないなぁ」
 「………授業も終わったし、片付けるぞ」
 「あ、ちょっと待った」
 数学の教科書をしまおうとする清水の左手首を、まだノートをとっていた甲賀の右手が掴んで止める。
 「へ?」
 「ん?」
 気の抜けた声が聞こえて、甲賀は清水の顔を見る。
 いつもは白い顔が、真っ赤に染まっていて。
 「あつっ!」
 彼女の手を掴む右手が、まるで焼けた鉄の棒を握っているかのような熱さを感じて思わず手を離した。
 驚く顔の甲賀を見て、清水の顔色は赤から青に変わる。
 「あ…」
 席を立つ清水。彼女は教室を駆けて出て行った。
 「こら、ちょっと待て!」
 その後姿を甲賀は手のひらの痛みを忘れて追いかける。
 女子にしては早い彼女は、階段を駆け上がっていく。見失わないよう追いかける甲賀はやがて屋上への階段へとたどり着く。
 駆け上がり、外へと続く半開きの扉を開け放つと、眩しいくらいの日の光が照りつけた。
 熱せられたコンクリートの上、生ぬるい風が肌を舐めていく普段は無人の屋上には今は2人の男女が向かい合っていた。
 「しつこい…」
 掠れた声で言う清水。
 「そりゃ、女の子を泣かせたらどこまでも追いかけるだろう?」
 甲賀の答えに、彼女は慌てて袖で両目をぬぐった。
 「なんだよ、何があった??」
 彼女に一歩一歩近づく甲賀は、その一歩ごとに後ろへ一歩下がる清水に問いかける。
 「火傷」
 一言、彼と一定の距離を保つ彼女は言う。
 「あ? 火傷??」
 彼女の手を掴んだ時、感じた熱。
 彼は自ら確認することなく、右手のひらを彼女に向けて言った。
 「そんなもん、どうってことはない」
 近づく甲賀と、足を止める清水。よって2人の距離は縮まるに至る。
 「そんな。治ってる??」
 まじまじと彼女は甲賀の手のひらを見つめた。
 それはどこにでもある、普通の手のひらだ。『火傷』の痕などない、傷一つない手だった。
 清水はそれを確認して、怪訝そうに、しかしほっとした表情で一息つく。
 「でも一体どうして??」
 「少し熱いくらいのもんだよ、俺にとっちゃ。そんなことよりお前がそんななのは『それ』が原因なのか?」
 指示語ばかりだが、清水には伝わっているようだ。
 安堵した表情はすぐに消え、憮然としたものに戻る。
 「私の勝手だ」
 「隣でそんな暗い顔されてると、俺も暗くなるんだよなぁ」
 「知ったことか」
 「もうちょっとな、少し笑ってみろよ」
 甲賀はそう言うと、いきなり清水に両手を伸ばしてその両の頬を摘んで引っ張った。
 「うわちゃ!」
 「っ!」
 声を上げたのは甲賀の方。
 一瞬、彼の両手が炎に包まれたのだ。
 だがそれも次の瞬間には消え去り、火傷しているはずの彼の両手は、
 「高速治癒?」
 驚く清水の目の前で、ビデオを逆再生するかのように甲賀の火傷が再生し、傷跡すら残らず消えてしまった。
 「感情の起伏を犠牲にして発火能力を発現する。そんなところか、お前のその能力は」
 困ったように頭をかいて告げる甲賀に、清水は今起こった目の前の現象を問う。
 「お、お前は?」
 問いはしかし、答えられることはない。
 「そんなことより、感情の起伏をなくすんじゃなくてさ。コントロールすればいいじゃないか、何も自分の周りに壁を作ることはない」
 言いながら清水の肩を叩く甲賀。その手が三度炎に包まれる。
 「お前に何が分かる!」
 叫ぶ彼女に、彼は燃え上がる手をしかし彼女の肩から離さない。
 「今まで何度希望を持って、何度友達に怪我をさせて、何度大切なものを喪ったことか! それでもお前は私にその苦しみを続けろと言うの!?」
 流れる涙は熱によって瞬時に気化し、泣くことも許されない。
 そんな彼女に甲賀は告げる。
 「なぁに」
 そう、笑ってこう言ったのだ。
 「俺相手に試せばいいさ」


 私は発火能力者(Fire Starter)。
 この能力の為に何度も病院や研究所で解明や治療を受けたが、結局そこからは何も分からなかった。
 ただ分かったのは、私の感情の高ぶりによって現象が発現するということ。
 それが分かるまで、私は何度他人に傷を負わせたことだろう。そして分かったときには遅かった。
 私の周りにはすでに人は寄ってこなくなっていた。けれどそれは好都合だと思う。
 このまま私が感情をなくして、他人との交流がなければ誰も傷つけることはない。
 だから私は耐えてきた。
 耐えてきたのに。
 ある日、何度傷ついても何も変わらない『バカ』が私の前に現れたのだ。
 何も変わらない彼は、確実に私を変えていった。
 それが幸か不幸かは分からない。
 だがそれを幸としたいと思わせるほどに、少なくとも私は変わってしまったようだった。
 「ねぇ、知ってる?」
 それは11月も終わる頃。朝起きるのが寒くてなかなか起き上がれない季節となったころのこと。
 最近ではあのバカのおかげもあって、私に話しかけてくれる女子も少なからず増えていた。
 この子もそんな一人。好奇心旺盛なところが長所でもあり短所でもある子だ。
 お昼休みも終わりに差し掛かり、次の時間の準備をしている時。
 「知ってるって、何を?」
 「甲賀くんの前の学校でのこと」
 思わず私は隣の席を見る。幸い、彼はまだ食堂から戻ってきていない。
 「いいえ、知らない」
 彼は自身のことを話したがらない。彼の能力についても、前の学校やその前の学校でのことも、家族についても。
 特に能力については何かを代償として得られる効力だ。彼の強力な治癒能力は何を犠牲にして得ているものなのか?
 知りたい。けれど話を振ってもはぐらかされたり別の話題に変えられたりしてしまう。
 だから私は聞けずにいた。
 「聞きたい? ねぇ、聞きたい?」
 話したがらないということは知られたくないということなんだと思う。
 それを知ってもいいのか? そう思うが。
 けれど、どうしても興味がひかれる。
 だから私は。
 「あー、うん」
 と、頷いてしまっていた。
 「甲賀くんはね、前の学校は岡山の方にいたの」
 「どうしてそれを?」
 「私のいとこが岡山にいるのよ。でねでね、3ヶ月しか学校にいなかったらしいよ」
 「へぇ」
 転校が多いと初日に聞いた記憶がある。その通りらしい。
 「でもどうしてそれが甲賀だって分かったの?」
 「今の甲賀くん見てても分かるでしょ? インパクトが強くてみんな知ってるって。今思うとまるで自分がそこにいたことを残してるみたいだったって言っててね」
 「そう」
 確かに彼は目立つ。誰にも気さくだし、何かイベントがあったとしたら必ず中心に紛れ込んでいる。
 「それでね、これからが本題なんだけど」
 彼女はもったいぶりながらこう告げた。
 「そのまた前の学校でも3ヶ月だけいたらしいよ。おかしいと思わない? 3ヶ月って」
 「そう、かな?」
 「もしかしたらこの学校も3ヶ月で辞めちゃうかもって思ったりしない?」
 3ヶ月。
 偶然としても、どこか私の心にこのキーワードが引っかかる。
 「でも親の仕事の関係で引越しが多いと言っていたし」
 「いいの?」
 「え?」
 彼女はつめよってくる。
 「いいの、それで? 3ヶ月は別としても、甲賀くんが引っ越して会えなくなっても清水さんはいいの?」
 「いいのって言われても…」
 キーンコーンカーンコーン♪
 そこで昼休み終了のチャイムが鳴る。
 同時に甲賀達も教室に戻ってきた。
 「ちゃんと考えないとだめだよ」
 彼女に一言、そう言われて私は何も答えられなかったのだった。
 そしてその日の放課後。
 私は思い切って甲賀に問いかけることにした。
 「なぁ、甲賀」
 「ん?」
 「お前のその能力は…」
 「清水、これから暇か?」
 「あ、うん」
 話題は変えられ、そして思わず頷いてしまう。
 それは彼の表情がいつにもなく真面目なそれだったから。
 「ならちょっと付き合ってくれ」
 「いいけど」
 この時は、おいおい訊いていけばいいやと高をくくっていた。
 もうすでにリミットは過ぎていたことも知らずに。


 帰り道。
 西の空は群青色に染まり、沈み行く太陽が眩しい。
 北からの乾いた風が私達の間を縫って吹き抜けていく。
 河原の土手を歩きながら、隣を行く甲賀は唐突にこう告げた。
 「俺はお前のこと、好きだよ」
 「ふぇ?!」
 脈絡のないその告白に、私は頬が熱くなるのを感じる。
 でもきっと彼から見れば、これは夕焼けの赤に見えるはず。
 彼は続ける。
 「クラスの他のやつらもきっと俺と同じだ。お前は自分の能力に縛られていただけさ」
 「へ?」
 思わず声が出てしまう。
 「ん? なんだよ、違う風に捕らえたか?」
 小さく微笑む甲賀。
 「ち、違うわ!」
 「そうか、それならいい」
 「ぇ?」
 「今のお前はすごく自然だ。そのままでいるんだぞ」
 そう言って彼は私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
 確かに私は変わった、それは隣に彼がいたから。
 でもそれを私は口にすることは出来なくて。
 やがて土手は分岐路に差し掛かる。
 「じゃあな」
 彼はこちらに振り向くことなく、右手を上げる。
 「さようなら」
 私の返したその言葉は次の日、文字通りそのままになった。


 翌日。
 甲賀 琢磨は学校へ来なかった。
 その理由は担任からもたらされる。
 「転校?」
 「どういうことですか?!」
 クラスメート達が詰め寄る中、担任は年の功もあり落ち着いて答えようとする。
 「甲賀くんは…」
 「3ヶ月ごとに転校を続けている、違いますか?」
 言葉を遮るその指摘。担任の言葉が詰まった。
 それだけで、彼の何かを知っていることが分かる。
 「どうしてですか、3ヶ月ごとに学校を変える理由って何なんですか?!」
 彼女の問いは他のクラスメートもぶつけたかった質問のようだ。
 担任は困ったような表情からやがて、観念したかのようにこう答えた。
 「これは個人的なことなので本来ならば明かしてはいけないのだが」
 クラス全員が担任の次の言葉を待つ。
 これほどまでに聞く体制の生徒はこれまでにいなかったように思える。
 「甲賀くんは記憶が3ヶ月しかもたないんだ」
 そう。
 それこそが、彼の犠牲。
 3ヶ月ごとの記憶を代償にした治癒の能力だったのだ。
 「こら清水さん、待ちなさい!」
 担任の静止の言葉が背中に聞こえた。そう、私は走り出していた。
 「行って来い、清水」
 「殴ってでも連れて帰ってくるのよ、涼子」
 「しっかりかまして来いよ!」
 クラスメート達の応援が聞こえる。
 昇降口まで駆け抜け、外履きに履き替える暇もないまま私はグラウンドへ飛び出した。
 「清水さん、甲賀くんは駅です!」
 窓越しに教室から放たれる助言は担任のもの。
 「はい、ありがとうございます!」
 振り返る暇すらなく。
 私は駅を目指して駆け出した。


 はぁはぁ
 息が切れる。
 「ふざけないでよ!」
 清水の目の前にはめらめらと炎上する甲賀の姿。
 その炎の中、彼の瞳は彼女を捉えた。
 瞳に映る彼女は、彼の知る清水だ。
 「なにすんだ、清水!」
 「え…??」
 叫んで詰め寄る彼。
 大火傷をなんなく修復していく中で、怒る彼に彼女には唖然と問うた。
 「私の名前、覚えてるの?」
 「何言ってるんだ、お前は…?」
 呆れた顔で彼は言いながら、
 「あれ?」
 首をひねる。
 「なんで俺、覚えてるんだろうな」
 困ったような、嬉しいような。
 そんな笑顔で彼は彼女に笑った。
 彼の心には、治らずにわずかに残っていたらしい。これまでの彼女の炎による火傷の痕、が。
 「また忘れそうになったら、焼いてあげるよ」
 学校への帰り道、清水はそう甲賀に言ってのける。
 「あー、そこなんだがもうちょっと何とかならんかね。眠れる王子様にキスをする王女様みたいに…ぐふっ!」
 言葉は途中まで。
 後には股間を蹴り上げられて白目を剥いた甲賀が取り残された。
 その一撃は炎を纏っていなかったものの、これまでの攻撃の中で一番彼には効いた一撃だったという。
 ここに、2人の普通の(?)学生生活がスタートした。