人間と動物との違いとは何であるか、君は分かるかな?
―――その問いに対する解答は数多であり、それでいて生物学ではなく哲学的な意味をも含めるものもあろう。
だが、あくまで変わらない部分はある。
それは、答える者は人間であると言う一点。
故にこの問いに関する解答は数多であり、しかし基幹は1つであると言える。
全く異なる立場からの答えを求めたとすると、それは何処からであろうか?
人間ではなく、評価対象である動物から。
もしくはどちらにも属さない第3者から……現在ではありえない話だが、例えば宇宙から来訪者など。
もう1つある。
それは人間ではない、しかし人間よりも進んだ知能と能力を持つ生物だ。
ふむ、そんなものは宇宙からの来訪者と同じく存在などしていない、そう思われるだろうな。
その通りだ。
宇宙人にしても、人間を越えた『何か』にしても、世の中には存在していない。
君の知り得る世の中には、だ―――
鬼の啼く道
「人間と動物との違いとは何であるか、君は分かるかな?」
粘度さえ感じさせる濃密な闇の中、試すような調子で男のものと思われる声が響いた。
それに対する気配はしばしの沈黙の後、女の声で応える。
「遺伝子配列の違いでしょうか?」
闇の中からは男の声で「ほぅ」という解答に関する答えが戻ってくる。
「サルと人との遺伝子配列の違いは僅か数%だ。違うと言えば違うが、決定的なさと言えるかね?」
「そうですね。では基本に帰り、知性の有無、では如何ですか?」
まるでレストランのメニューを薦めるかのように女。
闇の中の男から苦笑が起こった。
「さすがの君も、人間達に感化されたと見えるな」
そんな男の態度に僅かに眉を寄せる女。
「どのようなモノであろうと、生物であるからには周囲に順応しないと生きていけない。それが世の中の摂理ですもの」
闇の中の女もまた、苦笑混じりに続けた。
「貴方が教えてくださったことよ」
「そう、そうだったな。全くもってその通り。しかし私は君に己が人間であるように、とは薦めた覚えはないが?」
「では貴方は……」
唐突に、冷たい光が闇を払う。
月光だ。壁一面のステンドグラスから冷たい光が注ぎ込む。
どうやら夜空の雲が今まで満月を覆い隠していたらしい。
闇が消えたそこは、ステンドグラスの壁の前に大きな十字架が壁にかかり、祭壇が設けられていた。
カトリック系の教会のようである。
そしてその十字架を前にして男と女。
男は黒いスーツを着こなした、スラリとした中年。金色のふさふさした髪が月の明かりにさらに金に染まる。
女はまるで舞踏会に出るかのような白いドレスをまとった妙齢。男と同じく金色の腰まである長い髪を持つ、北欧系の美女だ。
女は言葉を紡ぐ、まるで竪琴を鳴らすかのような澄んだ声で。
「貴方は人の命を食らう我が身の立場で答えろと、そういう事ですか?」
先程の苦笑とは打って変わって、まるで童女のような屈託のない笑みで問う女に男は頷く。
「そうだよ、血を食らいし一族の王たる真祖の女よ。聞かせてくれ、君の食らう人間と、そして動物との違いは?」
「人は神の創り出したもの。動物から進化したものではありませんわ」
自らの長い金色の髪を撫でて女は答えた。
「でなくては、神の子たる私が食せたものではありませぬもの」
「君は人間とは、動物の進化により発生したものではなく、大いなる神により創り出されたものと、そう言いたいのだね?」
先程とは全く異なる答えの彼女に念を押す男。女はにっこり微笑んで頷いた。
「では人間は何故、神に創り出されたにもかかわらずあんなにも脆弱なのだろう? 我らのような能力がないばかりか、動物のような鋭い爪も、牙も、そして感も失われている」
「しかし今のこの世を征しているのは人間ですのよ?」
「そこだよ」
男は指摘した。
「何故、動物よりも劣る人間がこの世を征するだけの力があるのか? 同じ種同士、女子供もなく殺し合う愚かな種がなぜこんなにも強いのか? 神が創り出したにしてはあまりにも不完全だ、私はそう思うのだよ」
「不完全……ですか」
小さく首を傾げて女。男の言わんとしていることが微妙に掴めないようだ。
「私はこう思うのだよ、人間という種は神の創り出したある段階への過程ではないかと」
「ある段階、とは?」
女の言葉に男は心の底からの微笑みを浮かべる。
「決まっているだろう?」
彼は輝くステンドグラスを見つめる、その先にある月を見つめているかのように。
「我々へと続く、サナギだと思うのだよ。彼らは、ね」
再び闇が降りた。
人に非ざるものである2人は、闇の衣を再び纏う。
遠く、とうの昔に絶滅しているはずの狼と思しき遠吠えが木霊した。
In North Europe ―― Unknown
18.June.2030.
京都/鞍馬山中――2030年6月19日17:31
鞄を一つ片手に下げたTシャツの青年が次第に薄暗くなりつつある山道を歩いている。
歳はまだ若い。17、8といったところだろう。さわやかな感のある純日本人風な男だ。
と、その彼の前に不意に上空から少女が「降って」きた。
彼は驚きに足を止める。
「なんじゃい、鈴。とーとつに」
肩まで艶やかな髪を伸ばした可愛らしい彼女に、青年は憮然と問うた。
「はい、お兄ちゃん、お弁当。電車の中で食べてよね」
彼女は紙袋を差し出した、青年は一瞬考えた後、素直に受け取る。
どうやら兄妹らしい、整った目鼻の辺りはそっくりだ。
妹の方は兄よりも3つほど年下であろうか? しかしその態度は世話焼き感が見え隠れしている。
「ありがとぉよ、ほな、行ってくるけん」
愛想なく妹の横を通り抜け、彼は懐から一枚の木片を取り出した。
手のひらサイズの、正方形の木の札だ。表面には墨で何か文字が書かれているが達筆なのか、読むことはできない。
彼が目の前の何もない空間に札を差し出した瞬間、不意に空間がよじれた。
彼の前には異なる山道が映っている。
「いってらっしゃーい、気をつけてね!」
力一杯手を振る妹に、彼は振り返ることなく軽く手を振ると、空間の外―――すなわち結界の外へと足を踏み出した。
兄の姿は妹の目の前で消え失せる。
すでに見えなくなった結界の外を見つめるかのように、鈴は心配そうに呟いた。
「お兄ちゃん、ホント大丈夫かなぁ……」
人に非らざる者の住まいし鞍馬の里。
今ここに盟約に従い、次代族長候補の男が里を後にする―――
大阪/生駒山中――2030年6月19日23:16
夜の山道。そのカーブを描くアスファルトの道上にはいくつものタイヤの跡。
ここが走り屋の定番コースであることを物語っている証拠だ。
誰もいない、そして通行車も来ない道の真ん中に立つ人影があった。
月明かりの下で照らし出されるその男の姿を見た者がここにいたとすれば、おそらくは恐怖のあまりに走って逃げる者が98%。
それだけに変わった格好をしていた。
体格は筋肉質、身長は180cmはあろう。
使い込んだ袈裟の下には、明らかに本物と思われる鎖帷子。
なによりも目立つのは、月光すらも照り返すスキンヘッドだ。
頭皮には円を描くようにど派手な凡語が彫り込まれ、そんな彼の表情はまるで仁王のようにおそろしげだった。
そして知る者は知っている。彼の背には一面に曼荼羅が彫り込まれていることを。
しゃんしゃん♪
彼が右手に握った杖でアスファルトを二回叩く。同時に杖の登頂に付いた鉄の輪の飾り同士が擦れ合って音を出した。
杖の音は魔を払う清音だ。
「なぁ」
彼は呟く、夜の中で一人。
「なぁ、神那ちゃんよ」
いや、違う。彼の背後、月明かりの陰になる位置に人影が立っている。
全く存在感を与えない、それこそ影のような存在だった。
「いつになったら来るんかな? ワシ、もぅ飽きたで」
関西訛りに彼は振り向くことなく呟く。大きなあくび交じりに。
そんな彼に対し、人影―――ともすれば視認していたとしても忘れてしまいそうになる少女は溜め息交じりに肩の力を落とした。
「わたしだってそうですよ、それ以前にどーしてこんな真夜中に羅剛さんと2人きりでこんな山奥にいなきゃいけないんですか?」
「そらやっぱり、局長がワシら2人の仲を気遣って………」
「はぁ、こんなアホ坊主じゃなくて、局長と2人きりだったら何も言うことはないのに」
アホ坊主呼ばわりされた男――破戒僧・羅剛は心に涙。
と、不意に少女の気配が生じた。
「あ、術が解けちゃった」
小さく舌打ちして彼女。
白い上衣と赤い袴、右手には2mはある十字の矛を携えている。
腰までの長い髪を先端で赤い髪止めを使って1つにまとめていた。
その豊かな黒髪の間から覗く顔は10代後半の女性、見る者の第一印象はおそらく物静かな『美』少女かもしれない。
が、薄い眼鏡の向こうには大きな瞳が月明かりを返して異様な輝きを放っていた。
「だから未熟なんや」
「うるさいなぁ」
羅剛の言葉に憮然としながらも彼女は胸元から一枚の紙切れを取り出した。
手のひらサイズの長方形のその紙は、白地に墨で書かれた平仮名と思しき文字の羅列。
神那は空いた左手に掴んだその札を道満紋で切りながら呪を囁いた。
「天津神/月読/隠密の行/起動開始」
札が彼女の額の位置までまるで見えない手に引っ張られるようにして上昇、そして全方位に引き千切られる様にして四散した。
途端、彼女の気配は再び消失する。
「さっさと片づけて、局長にお茶煎れてあげたいなぁ」
「ワシの分は?」
「……ついでにね」
と、2人は申し合わせたように上を―――道路の登り側である道の先に視線と意識を走らせた。
少し遅れて、夜の空気を振動させるエンジン音が聞こえ始め、それは次第に大きくなって行く。
「コイツ、やな」
「そうですね」
坊主は勺杖を、巫女は矛を握り直す。
複数音の騒々しいエンジン音とクラクションが次第に次第に大きくなり、夜風に混じる2人の吐息の音をも掻き消すほどになっていった。
京都/鞍馬山麓――2030年6月20日6:12
彼は日の昇る頃には目を覚ましていた。すでに準備体操も終えて朝の鳥のさえずりに耳を傾けていたところだった。
彼の待つここは、人間達の利器である『電車』に乗る為の待合室―――駅と呼ばれるものの内、無人駅に属するものだ。
昨日、故郷を離れたのは良いが出る時間が遅かったせいもあり電車の時間はとっくに過ぎていたのである。
彼は鈴の弁当を食べながら人のいない駅で翌朝の電車を待つことにした。
自慢の翼を使えば約束の場所まですぐなのだが、なるべく規約に従うのが先達の教えである。
すなわち人間の世界では能力を無駄にひけらかしてはいけない。
それが分からないほど彼は子供ではないし、もっともそれ以上に翼を出すと鳥目が酷くなるので飛べたものではないと言う理由もあるけれど。
「ん、きたな」
彼は小鳥のさえずりに混じって聞こえてくる規則正しい線路の振動音に気付き、立ち上がる。
そして欠伸とともに大きく伸び。
多少寝癖の付いた細目の髪が風に流れ、烏色の瞳に生気が宿った。
やがて一両編成の電車が僅か2人の人間を乗せて到着する。
そのうち一人は車掌だ。
車掌である老域に差し掛かった男は、青年の姿に首を傾げた。
早朝からこんな無人駅にいるなど、確かにおかしい。
が、彼は特段問うこともなく電車を出発させた。
「兄さん、何処にいくんや?」
もう1人の客、こちらは老婆が世間話のように彼に尋ねた。
彼は僅かに微笑み、独特の訛りを伴って解答。
「五代………第五首都、五代じゃよ」
五代―――2025年現在、この日本は7回首都変遷を行っている。
手間取るに手間取った東京からの首都移転が2008年。
そこからなし崩し的に千葉、そして神奈川に、大阪、新潟………と地域振興や利権を含んでコロコロ変わり、7番目である現在は埼玉は旧大宮に首都は存在していた。
その過程で生まれた5番目の旧首都『五代』。それはかつて名古屋と呼ばれた場所。
そこが彼の向かう先だった。
「ほー、これはまた偉く遠くまで」
「そんなんでもないやろー、のぞみで行けば京都駅から1時間じゃよ?」
「そんな早く行けるとな。世の中進歩したものやのぅ」
老婆は1人、感心したようにうんうん頷いている。対する青年はそういう老人の扱いには慣れているのか、にこにこ笑っているだけだった。
2人の乗客のそんなたわいない話を聞きながら車掌は一路、終点京都を目指していつものように電車を走らせる。
五代/中央地区――2030年6月20日8:30
今や地方都市となっている五代だが、しかしその周囲に対する影響力は地方の首都と言っても過言ではない。
いや、国としての主導力がめっきり不明慮となってきた現在、地方国家として機能していると言ってもあながち間違いではないかもしれない。
その五代の中心、20階建てである五代警察署12階の一角に、署員ですらその活動内容を良く知らない部署が存在する。
『特妖部』とプレートが掲げられているそのオフィスは机が6つある小さな部署だ。
そのうち2つは現在のところ、主はいない。
単に部屋が広くて寂しいから置いてあると言っても過言ではないかもしれない。
特妖部――特殊妖物撃退部隊は、あくまで公務員である。
この部隊の存在は明治政府が始る以前よりあり、姿を変え形を変え、現在は警察機構に組み込まれることとなり全国各地に展開している。
さてこの特妖部の仕事は公式には『特殊な事件を特殊な方法により解決に至る手段をさぐる』部隊ではあるが、実際は『この日本国に存在する魑魅魍魎を御し、共存へと導く為』の機構である。
………にわかには信じがたいが、この魑魅魍魎なるものは人々が気付かないだけでホントのところはしっかりと存在しているそうである。
それはおいおい話していくとして、今現在この特妖部には、薄緑色のくたびれたスーツを着込んだ20代後半の男が1人だけ席に就いていた。
彼が向かうのは机の上に山と積まれた書類。
背後から差し込む朝日を後光にした彼の表情は、スーツと同様にくたびれている。
僅かに充血した瞳はおそらく徹夜でデスクワークをこなしていた証であろうし、背中の中ほどまで伸びた僅かに茶色がかった髪が乱れているのは書類の内容が彼の頭を悩ませるものだったのだろう。
そして彼の脇に据え置かれた灰皿に、山のように吸い殻が積もっているのは生じたイライラをごまかした結果に違いない。
彼の名は土御門 亜門―――この特妖部の局長である。
ぷるるるる♪
不意に、不意に彼の目の前の電話が鳴った。
彼はそれを一瞥し……他に取る者がいないことを思い出して手を伸ばした。
「はい、特妖部………」
電話先からの聞き覚えのある声に、彼は眉をしかめ、そして驚いたように立ち上がる。
「今行く! 五代総合病院だな!!」
返事を聞くまでもなく、彼はスーツの上着を引っつかみオフィスを飛び出した。
そしてオフィスは無人となる―――――
五代/五代駅周辺――2030年6月20日8:31
彼は電車を乗り継ぎ辿り着いた。
五代の街。
さっそく彼は街の案内図が描かれた駅前のオブジェを見上げる。
目的地は五代警察署である―――と彼は祖父に聞かされていた。
駅からまっすぐ歩いて2分の距離、道を見るとビル群の間に、どことなく無骨ないかにもそれと思われる建物を発見。
「迷わなくて済んだわい」
嬉しそうに呟き、彼は歩き出す。
朝の通勤時間なのだろう、駅から出る人、駅へ向かう人で人がごった返していた。
そんな人波の中で1人1人を珍しそうに眺めながら彼は警察署に辿り着いた。
と、
どん!
中から飛び出してきた人とぶつかる。
「すまん!」
そう謝るのはぶつかってきた男の方だった、彼は一言言い残すと人込みの中に飛び込み消えていった。
「騒がしいのぅ」
苦笑いを浮かべて中へ。そんな彼を中年の男が出迎えた。
「同僚がスマンな。で、何処に用かい?」
「同僚?」
「ああ。今君にぶつかった奴だよ。悪気はないんだ」
「別にかまわへんで」
彼は男を見る。30代前半らしい、若い割にはやや白髪の交じった男だ。
鋭い目付きと気配、それを内包する柔らかな物腰は、彼が事務職ではなく刑事職であることを物語る。
「ええと、特妖部の土御門いう人に会いたいんじゃが」
「あちゃぁ」
中年男はあからさまに残念な顔に。
「なんか不都合でも?」
「いや、今出ていったのがその土御門さ。まぁすぐ戻ってくるだろう、オフィスまで案内するよ」
「お願いする」
彼の話し方に中年はやや首を傾げながら歩を進めた。
「俺は谷中 浩次。捜査課4部の刑事だ。兄さんは?」
「ワイか? ワイは鞍馬 影希。今日、京都から出てきたんじゃ」
影希は人懐こい笑みを浮かべて、そう答えた。
五代/五代総合病院――2030年6月20日8:40
人にぶつかるとは彼にしては珍しいことだった。
“それだけ動揺しているということか?”
警察署から3km離れた病院の前まで辿り着き、彼は一息深呼吸。
ここまで駆けてきたのだ、それも短距離走並みのスピードである。
タイムを計ったとしたら……微妙に人間業でないことが発覚するかもしれない。
そんな彼は僅かにワイシャツから汗が覗くが、それは初夏の日差しにすぐに乾く。
一路、電話で聞いた病室へ。
がちゃり
スタンダードな病室の扉を開ける。
中は白一色、窓が1つあり、それは開け放たれて僅かに風が入ってきていた。
ベットは2つ。
1つは大柄の男、もう1つは少女が使用していた。
そして病室には白衣の初老の男も1人。
土御門は厳しい目でベットに腰掛けていたスキンヘッドの男――羅剛坊を見つめる。
頭の派手な刺青は明らかに彼がまっとうな坊主ではないことを示していた。
彼の宗派は上司である土御門にも分かっていないが、比叡山系であることだけは知っている。
もっとも特妖部が求めるのは純粋に『力』であるので、清らかであろうが邪悪であろうが協力してくれるのであれば何も問わない主義だ。
いつもは豪快な坊主は今は、右手に添え木を、左足一帯にギブスをはめていた。
来客の姿に苦笑いを浮かべる。表情は暗いが、死に至る怪我ではないようだ。
土御門は苦笑を返し、対する少女に視線を向けた。
こちらは額に包帯を巻いて規則正しい呼吸を繰り返している。その寝顔は揺り起こせばすぐに起きるかのようにも思えた。
「御堂の様子は?」
隣に佇む白衣の初老に彼は尋ねる。
「過労じゃな。現代医学ではのぅ」
羅剛坊が医者の後を続けた。
「戦況が不利になったんで強制離脱の行を使こうたんや。もともと転移関係の行は精神力食いよるさかい、ワシと2人やったから無理が祟ってダウン……ってな感じやなかろか?」
土御門は彼女――御堂 神那の脇に据えられた椅子に腰掛け、続ける。
「ドクター、経験的に見ると?」
白衣の男は溜め息1つ、苦笑を浮かべながら答える。
「相変わらず現代医学の枠に留めてくれんのぅ、君らは」
ドクターはまずは羅剛を。
「坊主の方は全治3週間。腕と足の骨をぽっきりイっとる」
次に御堂へ。
「嬢ちゃんは坊主の考察通り、精神的な過労。しかし2、3日は安静にしとくのが良いじゃろう」
「そうか……」
土御門は少女を見つめ、左手で眠りに就いている彼女の前髪をそっと払う。
「まさかここまでこちらがダメージを受けるとは。相手は何者だ、羅剛?」
しかしそれに坊主は首を横に振る。
「正式にはワシにはわからへんよ。でもあれは多分、鬼やね」
「鬼、か」
包帯越しに土御門は眠りに就く御堂の額に触れた。
なんの気もないその行動はしかし、土御門の手のひらに過度な熱が放出され始めたことから意味がある行為のようだ。
「そうだとしたら、人間種に過ぎない我々には荷が重いかもしれないな」
「う…ん?」
声は少女から。
「起きたか?」
その声に神那は大きな瞳を開いて、そしてぼんやりと映る男の顔と手のひらに目をぱちくりする。
少女が土御門の何らかによって目を覚ましたことに、ドクターはまたかという諦めの表情が浮かぶ。
対する少女はベットの中で首を傾げていた。
「そうか、見えないか」
土御門は苦笑して、彼女のベットの脇においてあった眼鏡をそっとかけてやる。
途端、御堂の顔が赤く染まった。
「きょ、きょきょきょ?!」
「かなり精神にダメージを受けているみたいやねぇ」
「そうみたいだな」
羅剛にスリッパを放り投げ、御堂はぶるぶる頭を横に振った。
「局長がどうしてここに?! はわ、私、パジャマだし、なんで、どーして?!」
「何でと言われてもな。それはどうでも良い、御堂。昨日のことは覚えているか?」
御堂の動きがぴたりと止まる。上司の態度と、そして昨夜のことを思い出したからだ。
「はい」
「鬼、か?」
「ええ。探索中の連続殺人犯・仮称『斬殺腕』は先祖帰りの……鬼です」
御堂の声は小さいが、しかし力強くそう答えたのだった。
彼女らの任務は妖物の駆除もしくは撃滅である。
妖物といっても色々なものが存在する、例えば電磁環境の変化により生じた魔界の門を通ってくる妖魔、あるいは魔獣。
またあるいは浮遊する怨念が一個所に何らかの要因で集まり、現実世界に影響を下せるほどの悪意を有した存在となること。
はたまたこの日本古来より存在する妖怪と呼ばれる種―――これに関しては妖怪にも妖怪の規約がある為に、現在においては全国の特妖部と密接な関係を持つに至っている。
すなわち共存共栄だ。
特妖部の主な出動はこれらであるが、もっとも危険とされる妖怪との抗争は皆無といって良い。
危険とされるものは一番初めの、なんらか要因により魔界の門が開き、這い出てきたモノが妖虫や下等魔獣ではなく上位魔獣・下手をすると悪魔なんかは最悪である。
古来の日本、いや世界においてこの偶発的な魔界よりの召喚は存在し得なかったのだが、電子機器の発展するこの世の中においての電気的な変動が召喚術に酷似した環境を作り出すと考えられている。
さて、今回の五代における特妖部の出動要請はそんな事件のと思われる一つだった。
地方都市・五代に隣接する生駒市―――ここを中心に最近、巨大暴走族グループが出来上がりつつあった。
『ZEON』と名乗る中高生を中心としたその集団は現在120名近くにも達し、夜な夜な暴走行為が続いている。
特に起伏が激しく走り屋に人気の高い生駒山を中心として活動するそのグループは、小さな他の暴走集団を力づくで次々と併合、それとともに幾多もの傷害事件に関わりその中には殺人も幾つか含まれていた。
走り屋としての特徴と、犯罪としての両方の特徴を備えた大グループならではの傾向である。
「交通課に任せれば良いじゃないの」
御堂が羅剛に愚痴ったことは言うまでもないが、彼女らが関わったことには理由がある。
その理由―――『ZEON』を率いるリーダー格の男、住所不定の17歳の少年にまつわる噂であった。
例えば、『彼』は片手で絡んできたヤクザの車を持ち上げた。
バイクで時速200km/hでコーナーにぶつかっても怪我1つしなかった。
一人で並居る力自慢の若者20人を叩きのめした。
などなど、尾鰭が果てしなく付いているものだ。しかし1つだけ、人には笑えて特妖部には笑えないものがある。
―――人間の腹を引き裂き、内臓をむさぼっているのを見た―――
どのようなルートからか、捜査課の谷中から回されてきた一枚の写真が特妖部を動かすこととなる。
写真―――真っ赤に染まる満月の下で、両手と口から下を真っ赤に染めてこちらを見下ろす短髪の若者。
人の3倍はありそうな、異様に大きい両手には五指にそれぞれ長く太い爪。
そして額の中程には親指大の突起が覗く。
なんらかのコスプレ写真か、はたまたなにかの映画の一シーンか?
だが不明瞭な一枚だけの写真から覗く鬼気迫る気配を感じ取った特妖部局長・土御門 亜門は部下の2人に出動を命じたのだった。
そしてその晩、御堂と羅剛坊は対峙する。
御影山を突き走る暴走グループ『ZEON』上層部である20名の若者と、そのリーダーである若者と。
青年を睨み、羅剛の後ろで存在を消しているはずの御堂は言い知れない恐怖を感じ取っていた。
リーダーである青年は明らかに彼女の存在を捕らえていることに気付いたからだ。
爆音を響かせて一台、また一台と道の中心に立つ羅剛の前に止まって行く。
「おい、奇妙なおっさん! 死にたいか?」
特攻服を着込んだ先頭の男がバイクにまたがったまま、羅剛に叫んだ。
それに羅剛は無言の鉄槌を以って返した。
すなわち手にした鉄杖を大上段に振りかざし、男のバイクの前面に叩き下ろしたのである!
グシャン!
ライトが割れ、金属音を響かせ、バイクのハンドルから下の部分はひしゃげて、前輪が坂に沿って転がっていった。
特攻服の青年は、ぱくぱくと金魚のように口をぱくぱくするだけだ。
「バカ、挑発してどうするのよ」
御堂はリーダー格の男から目を離さずに小声で羅剛に注意。しかしなまぐさ坊主は答えることなく挑戦的に唇の端を釣り上げる。
「てめぇ!」
「貴様っ!」
一斉にざわめき立つ一行。
「待て!」
と、鋭い声が青年達の動きをぴたりと止めた。
「お前ら、先に行け。ここは俺が楽しませてもらう」
バイクを降りて羅剛の前に歩み寄るのはリーダー格の男だ。
「総長……」
「で、でも!」
「うるせぇよ! 相手はタイマンで来てんだ。それに応じてやるのが男ってもんだろーが」
夜に響く彼の声に仲間達は全員が小さく震えた。
そしてすぐに言葉に従い、一斉に羅剛の横を通りぬけて行く。
やがて静かになった。
そこには青年と、羅剛、そして隠密の行で姿を隠した御堂の3人だけが残る。
雲に隠れていた月が完全に姿を現す、満月を近々に控えた明るい月。
男の姿が顕になる。
白い特攻服をまとった身長2mはあろうかという大男。
月と同じ色の短髪、案外整った鼻立ち、三白眼、右手には大振りの木刀一本。
彼は言葉を紡ぐ。
「あんた『ら』、特妖部とかゆー連中だろ?」
挑戦的に告げる彼の言葉に、羅剛の肩がピクリと動いた。
「ほぅ、知っているのか?」
「まぁな。この前、自分のことを鬼族とか言う女が言っていたよ」
羅剛に怪訝な表情が映った。
鬼族―――この五代周辺に影響力を持つ鬼の一族は特妖部とも関わりがあるが、新たに同族を見つけたとか、そのような話は聞いたことがない。
考えられる例としては……最悪のケースではあるが、あらかじめこの男が仲間ではないかと察知した鬼族が接触を図り、そして。
「その鬼族の女、どうした?」
問う羅剛への答えはあっさりしたものであり、決定的なものだった。
「食った」
最悪のケースだ。
女とは言ってもエージェントの役割を持ったであろう鬼族の一人、それをあっさりと「食う」ほどの力を持つこの男。おそらく鬼族のプライドをして特妖部には報告がなかったのであろう。
「さて、2対1で良いぜ。楽しもう、戦いを!」
特攻服を男は投げ捨てる!
同時、彼の肉体が内部からはじけるように膨張。みるみるうちに体の各パーツがおよそ倍の大きさに拡大する!
そして額には人にはありえない突起。
「神那ちゃん! 全力でいくぞ!!」
「ええ!!」
鉄杖を構える羅剛と、そして矛を両手に祝詞を発する御堂。
矛の刃に光が宿り、退魔の力を有する。
対する鬼と化した男は豪腕を振り上げた。
「金剛羅漢の鍛えし、この鉄杖を受けるがいい!」
先程バイクをいとも簡単に鉄屑に変えた一撃が、鬼の腰を右から狙う。
それを鬼は右腕でガード、まるでゴムタイヤを叩いたような反動を羅剛は鉄杖越しに感じる。
しかしこれはコンビネーションの一環、その背後から飛び出した御堂の矛先がノーガードの鬼の左胸に飛び込んだ!
ぱき
「「へ?」」
傍目には間けな2人の声。
矛先は鬼の胸を貫くどころか、弾力すらある鬼の筋肉に阻まれて首のところからぽっきりと折れたのである。
鬼の空いた左腕が横凪に2人を襲った。彼の手には大降りの木刀が握られている。
「「!!」」
2人は避けられない!
羅剛は覚悟し、木刀の軌跡に体を向ける、
彼の右腕がひしゃげ、そのまま吹き飛ばされる!
「っ!」
背中に御堂をも巻き込んで、側道の木々の中にまで衝撃に飛ぶ。
「っつ〜〜」
ふらつく頭を押さえて立ち上がる御堂、その後ろには彼女を抱きかかえるような格好で背中に折れた木を背負った羅剛の姿。
彼の右腕と、木に叩き付けられたときだろうか、左足が奇妙な方向に曲がっている。
「コイツぁ」
「レベルが違うって感じ?」
苦痛の表情の羅剛に、苦笑いで答えた御堂。
戦いは次元の違う力の差に一方的なものだった。
「どうした、特妖部。そんなものではないだろう、お前達の力というものは」
背後からの声に御堂は振り返る。
戦うことに対して嬉々とした表情の鬼が両手を広げて待っていた。
「さぁ、もっと俺を楽しませてくれ。もっと死と恐怖の媚薬を! さぁさぁさぁ!!」
一歩、また一歩と鬼は近づいてくる。
御堂は鬼を見上げつつ、懐の呪符を握りながら祝詞を呟く。
「……まさかこんなものなのか? あの鬼の女が敬遠すらしていた特妖部の力とはこんなものなのか?」
鬼まで2m、1m。
祝詞が最終行に入る、間に合うかっ。
「そうか、こんなものなのか。ならば」
鬼の手が御堂に伸びる。
「食らうまでだっ、俺を落胆させた償いは、生きながらにして食ってやろう!」
「羅剛っ!」
御堂は坊主の折れた腕を掴む、空いた左手には仄かに輝く札が一枚。
同時、2人の体もまた仄かな光を帯びた。
僅かに遅れて御堂に伸びた鬼の腕が空を切る。
鬼は一人、戦場に取り残された。彼の怒りと戦闘に関する欲求、そして食欲に対する不満から夜空に咆哮する。
そのそら恐ろしい雄たけびは、森の動物達を縮み上らせる恐ろしいものだった。
こうして彼女がぎりぎりのところで放った離脱の祝詞によって、妖部の2人がほうほうの体で逃げ出したことによりこの戦いは決着が付くこととなったのである。
五代/五代警察署特妖部オフィス――2030年6月20日8:45
「ここが特妖部だ」
刑事と名乗る谷中の案内で鞍馬は無人のオフィスに到着。
未使用と思われる席に就き、溜め息一つ。
「取り敢えず、帰りを待つしかないかのぅ」
「そうかもな」
苦笑いを浮かべて谷中は懐からたばこを一本。
「谷中のおっちゃんはここの人と知り合いか?」
煙を吹かせる中年に、鞍馬は問う。谷中はそれにうーんと唸り、
「そーでもない」
「ふーん」
そして無言。
「なぁ、谷中のおっちゃん。『ここ』のことはアンタ、どう聞いてるんじゃ?」
「……よーわからん」
「ふーん」
再び無言。
次の沈黙を破ったのは谷中の方だった。
「何かと迷宮入りになりそうな捜査に関わってきやがるんだ、ここの連中は。Xファイルのモルダー捜査官じゃあるまいしなぁ」
忌々しそうに呟く刑事。
「そかー、要するにワイをダシにしてこの特妖部を知ろうとした、そんな感じじゃな?」
「……そー言われるとそうなんだが。しかし話は変わるがお前、何処の生まれだ? 無茶苦茶な訛りだぞ」
「そかー? まぁ、細かいことは気にしてはいかんぞ。これからお主とワイは長い付き合いになるんじゃからのぅ」
彼の言葉に刑事はいぶかしげに首を傾げた。
「どういう事だ?」
「ワイ、この特妖部勤務になる予定なんじゃよ。付き合い始めにアンタにだけ教えておいてやるわ。ワイが何者なのかを、なぁ。でも誰にも言ったらアカンぜよ?」
鞍馬はニヤリと微笑み、立ち上がった。
「? おい、何するつもりだ? お、おい……」
谷中の目の前で、鞍馬の姿が変化する。
――その変わり行く姿に、幾多もの犯罪現場を目にしてきた谷中を以ってすら、くぐもった悲鳴を上げさせたのだった。
五代/五代総合病院――2030年6月20日9:16
御堂の話を聞き終えた土御門は溜め息1つ。
「鬼族の方面にはこれから問いただすとして、早急に手を討たんと危険だな、その男は」
「はい。今度こそはっ!」
上体を起こしていた御堂が起き上がろうとした、それを土御門は彼女の額を突ついてベットに逆戻りさせる。
「きゃふ! 何するんですかー、局長!!」
しかし土御門は彼女には振り返らずに、医師に一言。
「コイツらの治療をお願いします。特に」
ジロリ、御堂を睨む。
「抜け出さない様に気をつけてください」
「分かっておるよ」
「どーしてですか! 私は羅剛のおっさんと違って怪我は!!」
不満の声を上げる御堂を土御門は眼光で制した。
「私の精神力付与は一時的な回復しか望めん、しっかり治せ」
「怪我人は足手まといだから引っ込んでろと言うことですな」
羅剛もまた不満気に呟くが、それには土御門は答えない。
彼はドクターを伴って病室を後にする。その反応にかえって御堂は落胆の溜息。
「ねぇ、羅剛のおっさん」
「なんやねん?」
ベットに身を投げた坊主は面倒くさそうに問う。
「やっぱり私って、局長の足を引っ張ってばっかりだよね」
「そう思うのんか?」
「うん」
「だったら、そうならない様に強くなれば良いやん。誰だって、最初から何でもうまく出来やせんわ」
「………そう、だね」
そんな坊主の言葉に、御堂はベットで四肢を伸ばしながら苦く笑ったのだった。
五代/五代警察署特妖部オフィス――2030年6月20日9:20
「兄ちゃんが特殊なことは良く分かった。というか『そういう事件』があったらこちらからお願いするわ」
疲れた笑みで谷中は鞍馬に答えた。そんな彼の様子を満足げに眺めながら鞍馬は頷く。
鞍馬は元来、規則に縛られるタイプではない。
だから、必要とあらば制約を破る。それがベストと思われる場合があるからだ。
今回、後々のことを考えてベストと思われる事態と考えたのだろう――刑事であるからこその谷中にのみ正体を見せること。
仮初めである人の姿に戻った鞍馬は来客の気配を感じ、オフィスの扉に視線を移した。
扉が開き、1人のスーツ姿の男が姿を現す。
「ん?」
彼は2人の先客の姿に首を傾げた。
「よっ、土御門局長」
「刑事課の谷中に、それと……?」
影希を見て、首を傾げる。
「アンタが土御門さんか。ワイは鞍馬 影希。聞いとるじゃろう?」
「ああ」
彼の言葉に土御門は大きく目を見開いて納得。
「それじゃ、俺はこれで。兄ちゃん、頑張れよ」
「おぅ!」
谷中はそう言ってオフィスを出ていく。
それを確認して、土御門は言った。
「鞍馬の烏天狗一族、長候補の研修は今日からだったか」
「そうじゃよ。忘れとったらアカンで」
そんな鞍馬の言葉を背に聞きながら、土御門は自分の机の引き出しを開けて色々と取り出していた。
「どうしたんじゃ? 何か忙しそうじゃの」
と、土御門は鞍馬を見る。そして良いことを思い付いたようにこう言った。
「着任早々、悪いんだが私に付き合ってくれないか、鞍馬くん」
そして2人は一台の公用車に乗り、土御門の運転である場所へと向かう。
すっかり暑くなってしまった、初夏の昼前の出発であった。
生駒市/個人宅――2030年6月20日8:42
俺は夢を見ている。
夢と分かるから夢なのだと思う、だが目を覚ませない。
『嫌』な夢だ。最近、ずっとこの夢を見ている。
俺は闇の中に立っていた。深く暗い、上下すらもはっきりしない闇の中だ。
唐突に目の前に親友の慎也が現れた。
俺とは違う優等生面をしながらも、結構ワル……とは言っても都会の犯罪じみた悪ではないかわいいものだが、そんな奴だ。
奴は自慢の単車である赤いスティードを駆って真夜中の峠を飛ばす。俺はそれをまるで映画の一シーンを見るかのようにただ見つめているだけだ。
飛ばす慎也の後ろから4台の単車が迫る。
そいつらはあろう事か、それぞれの単車の脇から角材を取り出し各々高速の中で振り下ろす。
黒いヘルメットの中で驚愕の表情を浮かべる慎也。
4本の角材が彼に振り下ろされ、打撃力は奴のバランスを崩し………
慎也は恐怖の表情を浮かべながら、目の前に迫った急カーブに突入!
ガードレールを突き破り、岩壁に激突した。
俺はそれから目を逸らすことができない、逸らしても、目を閉じても映像は映るのだ。
“くそっ!”
怒りとそれに伴う吐き気を感じる。
映像は次に移る。
今度は奴の葬式だった。慎也を殺った奴は未だに捕まっていない。
クラスの連中が焼香する間、俺の隣では一時の悲しみではなく本当の深い悲しみに暮れる女が一人。
クラス委員長の新條 やよい。
真面目だけが取り柄の彼女と慎也が付き合っていた事を知っているのは俺だけだ。
当初、俺は結構モテる慎也がどうして奴の方から彼女に告白したのかが分からなかったが、今に至っては奴が彼女を選んだことが良く分かっていた。
それだけお似合いの、気の合う2人だった。
涙に暮れる彼女の横顔には決心の色が見て取れた。
俺は後悔する、この時に何も言えなかったことを。
夢の中で後悔する。
映像は再び移る、闇の中で彼女は駆けている。
息を切らし、駆けている。
後ろからは単車の眩しい光と、エンジン音。
それも複数だ。
やがて彼女は囲まれる、気丈に睨み返す彼女に、しかし非情な男達の手が伸びた。
“やめろ!”
目を閉じても、映像は流れ続ける。
“やめてくれ!!”
新條の悲鳴、しかしそれを聞いて助ける者はここにはいない。
男達の狼藉に、次第に彼女から声と、そして表情が失われて行く。
“ゆるせねぇ”
怒りが吐き気を凌駕した。
映像が移った。今度は……彼女の葬式だ。
自殺。
警察はそう発表しているが半分当たり、半分は大きく間違っている。
彼女は死に追い込まれたのだ。
汚された彼女は、自ら命を絶った。遺書に一言だけを残して。
『ごめんなさい』
と。
映像が消える。
暗黒が全てを支配した。その中で俺は震える。
怒りに、己の中から生まれ出る破壊衝動に震えが止まらなかった。
慎也と新條を殺った奴等への殺意は、無間とも思える闇の中で増大する。
世の中の全てに対する破壊衝動として。
存在する全てのモノを壊すことへの己の欲望が果てしなく膨れ上がり、俺の意識を押しつぶさんとしていた。
自分自身がまるで人間という枠を突き破り、他のモノへと変化せんばかりに。
影が、自分の影が地面に伸びる。それは人間離れした大きさと体格を持っていた。
そう、これはまるで……夢の中の俺は呟く。
「鬼―――――
目を覚ました。
全身が汗ばんでいる、暑いのも確かだが、夢の影響が大きい。
俺は寝床の中で時計を一瞥。
すでに高校に遅刻だ。
「ふけるか」
呟く。
いつもの4畳半の部屋。節目のある見慣れた天井。
たばこの煙でやや煤がかっている。その煙は俺だけのものではなかったことを思い出し、夢の残滓が僅かに蘇った。
俺は起き上がる。金色に染めた短髪を軽く掻きながら部屋を出て、共同の洗面所へ。
ここは格安のアパートだ。家賃4万はしかし親のいない俺にはきついが施設に世話になるよりもよっぽどましである。
鏡に映る俺は、愛想のない三白眼の自分を見つめて気付く。
目の下の隈はやはり夢の影響だろう。
思い至り、否定。
夢のせいではない。2人の無念を俺が晴らさなければならない。
命の次に大切なモノの敵を取る、それは俺の身勝手だが、だからこそ勝手にやらせてもらう。
すでに呼びかけることもできない友に、心の中でそう言い放ち、俺は蛇口に手を伸ばした。
奈良市/市内坂田邸――2030年6月20日14:22
立派な日本庭園を思わせる庭を眺めながら、土御門と鞍馬はお茶をすすっていた。
坂田と表札のかかる屋敷に2人は足を運んでいる。
やがて新たな2人の気配が廊下から現れて2人の客の前に腰掛けた。
1人は和服姿の老紳士。がっしりとした体つきには老いから来る弱さは窺わせない。
もう1人は少女。10代半ばを思わせるその姿からは活発な体育会系少女を連想させる。
「やはり来ましたな、五代担当特妖部局長殿」
溜息を吐いて老人は土御門に言う。
「予測しておいでということは、何を聞かれるかも分かっておいでということですな?」
土御門の言葉に老人は小さく頷いた。
しかし彼は不意に、土御門の隣の若者に目を向ける。
「ところで鞍馬天狗の一族が何故、貴殿と?」
「研修中じゃ」
答えるのは鞍馬本人だ。その明確な解答に老人はふむと頷く。
「懸命なことだ、土御門殿。アレには人如きが太刀打ちできるものではないからな」
「そのようですな」
土御門は苦笑い。
人と妖怪は圧倒的に力に差がある。
人を1とすれば、妖怪の肉体的、精神的能力は100以上だ。
かつての土御門家の先祖である安部晴明は幾人もの鬼を退治してきたが、それは彼自身の力ではなく彼に調伏させられた式神の力である。
すなわち、どんなに優れた人の力であっても、ネイティブな妖怪に拮抗することはできない。
それを補うのが人間の繁殖能力の強さではあるのだが、種対種をここで述べるのは異なるので止めておく。
さて、それを踏まえた上で坂田老――五代周辺の鬼族を束ねる代表者は言ったのである。
鞍馬天狗の一族は鬼族のような圧倒的な筋力と回復力を持たないが、飛翔能力とそれに伴う敏捷性、何よりかの牛若丸に伝えたという優れた剣技と戦闘能力を備えている。
充分に鬼族と拮抗しあえる力だ。
「実際のところ、わしにもはっきり分かっておらんのだよ」
坂田老は足を崩し、あぐらを掻いて土御門に向かう。
「ヤツは先祖帰りの鬼であること、理性よりも本能が強いこと――これは何より戦いを好むことにつながるが。そしておそらくは」
そこまで言って言いよどむ。
かこん
庭の獅子おどしが一際大きく鳴った。
「殺意を他者に伝播する……」
「おじいさま!!」
傍らの少女が怒鳴る。
「どうしてそんなことまで?! この男は敵でしょう!」
「敵?」
鞍馬は首を傾げた。老人には感じていなかったが、現れたときから少女は土御門に対して殺意を放っていた。
「香奈枝、幾百年もの前の話をしておるのだ?」
老人と、そして土御門は苦笑い。
「わしらと陰陽師達が対立しておったのは平安の世じゃ。今は互いを良く知る間柄だといっておろうが」
「で、でも!」
しかし香奈枝と呼ばれた彼女は老人の笑みの中の鋭い視線に口篭もる。
「すみませんなぁ、どうやらこの子も鞍馬の坊やと同じく世の中を知らせる為に研修に出した方が良いかもしれませぬわ」
「そんな……」
唸る彼女の様子に土御門は苦笑。そして佇まいを正して坂田老に向き直った。
「さて、坂田老。貴方方が極秘裏に同族を確保しようとしたのはこの際、何も言いません。現状を教えていただきたい」
坂田老は腕を組み、小さく唸った後、顔を上げる。
「まぁ、抜け駆けしてしまったのはワシらの過ちじゃ。話す事にしようか」
隣の少女がぎょっとした顔で老人を睨む。彼はそれに構う事無く続けた。
「同族の気配を感じ始めたのは今月の初め。ワシらが知らぬ同族がいるとは思わなんだが、まさかとは思いつつも一族で一番腕利きの者に調べさせた」
老人は苦々しそうに呟く様にして言う。
「しかし相手は聞く耳を持っておらなかった。問答無用に我らが手の者に戦いを挑み、そして」
「殺された、のですね」
「違うわ!」
叫ぶ様にして口を挟んだのは鬼族の少女。
「ただ殺されるのなら……お姉ちゃんは全てを奪われたの!」
「香奈枝」
老人の言葉を聞かずに、少女は震える声で土御門に向かう。
「一族で一番の腕利きだったのは私のお姉ちゃん。お姉ちゃんと私は意識がつながっていたわ。だからその時の様子は私が目の前で見ていたようなもの……」
「坂田老?」
問う土御門に老人は苦笑い。
「この娘の言う通り、放った者は香奈枝の姉でしてな。能力なのか、妹と意識を通わせる事もできたのですよ」
「だから奴のことは良く知ってるわ。だからお願い! 私も奴を倒す為に連れていって!!」
「香奈枝!」
慌てるのは坂田老だ。しかし彼女のその提案に土御門は頷く。
「分かりました。ですから話してください、何が起こったのか」
香奈枝は祖父を見ない様に、やや言いよどみながら語り出す―――
黒いスーツに包まれた彼女はモデルと見紛うほどの抜群のプロポーションだった。
大阪・生駒山頂で車を路側帯に止めた彼女は目を瞑る。
聴覚を意識的に閉じ、今捕らえるのは嗅覚一点。
坂田 瑠璃枝が微かに香る同族の香気を、形の良いその鼻に捕らえたのはその時だ。
「複数?」
昨晩だろう、間違いなくターゲットはここを通っている。
しかしその数は複数。一つの大きな気配とそれに率いられるように幾つもの同族まがいの匂い。
「一体これは?」
訝しみながらも、彼女は一番香りを強く現れる夜半をここで待った。
いくつもの爆音が近づいてくる。
それは彼女のいる車内にまで体の心にまで届くかのように響いてくる。
留美枝は寝かしてあったシートを上げて外を見る。
ちょっとした広場になっている生駒山頂には、およそ30台あまりの二輪車が集っていた。
それらのエンジンの轟音に混じって次第に大きく同族の気配が大きくなって行く。
「え?」
そしてそこからの変化に留美枝は驚いて思わず車内から飛び出した。
同族の気配がぽつぽつと増えていくではないか!
「これはまるで……」
“鬼の伝播?”
そしてそれらの気配は一斉に彼女へ向いた。
「あ……」
幾台かのヘッドライトの光に照らし出される。
その眩しさに思わず顔を逸らした。
「最近俺の周りに探りを入れてるのはアンタか?」
くぐもった声に留美枝は目を細めながらも前を見る。
背の高い男に見える、がバイクのヘッドライトのせいでシルエットしか見えない。
「渚さんの知り合いっすか? すげぇ美人じゃないですか」
「まぁな」
“渚?”
それがこの鬼の気配の中心でもっとも強い気配を放つ者の名前のようだ。
「お前ら、先に走っとけ。俺はちょっと積もる話があるからよ」
「了解」
「麓で待ってますわ」
「新しく来る奴等の顔合わせには間に合わせてくださいよ」
言いながら、僅かな鬼の気配を纏わせた男達は各々の二輪車に跨って一斉に去っていった。
一気に静かになる山頂。
遠く響くエンジン音と虫の音をBGMに、2人は対峙する。
「貴方、何者?」
「そういう事は聞く方から答えるもんだぜ」
月の光に男の顔が良く見える。
大柄だが太っている訳ではない、三白眼の荒々しい雰囲気を持つ青年だった。
「私? そうね、教えてあげるわ」
留美枝は答え、自らの力を解放した。
内から沸き上がる鬼の力に、留美枝の顔付きが鋭いものに変わる。
同時、男性の鬼ほどではないが体格も僅かに大きくなり着ているスーツがきつそうに唸った。
それ以上に彼女から沸きあがる殺意――鬼の気配がまっすぐに青年にぶつかる!
だがそれに青年は顔色一つ変えない。それどころか、
「へぇ、初めて会ったよ、『同族』には」
彼もまた呼応するかのように殺気が高まる。
同時に体格も留美枝以上に変化した。
大柄な体に、それ以上の筋肉が生まれて身長は2mを越え、太い腕は丸太の様。
瞳には爛々とした狂気の光が灯り、目の前の獲物を見据えている。
「同族ならば、私とともに来なさい」
「ほぅ、どうして?」
馬鹿にしたような答えに留美枝の額にしわが寄る。
端から取り込むのは無理だと思っていた。
ましてや目の前の相手はこのところの解事件に関わり、少なくとも人を殺しているはずだ。
「単身でうろうろされては困るのよ、鬼族には鬼族のルールがあるわ」
「くだらんな」
「何ですって?」
「従う気は、ない」
ニヤリと微笑む青年の鬼――渚。
「ならば」
「ならば殺すってか?」
身構える留美枝に対して渚は自然体。
「ええ。貴方はおそらく今まで何人か人間を殺してきているのでしょうが、妖相手に同じにはいかなくてよ」
「それは楽しみ…」
彼の言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
留美枝が高速で彼に接近、肘で彼の顎を下からかち上げた!
厚さ10cmのコンクリートの壁を破砕する事のできる留美枝の一撃、いかなる鬼とは言えかなりのダメージになっているはずだ。
渚はしかし、僅かに浮き上がっただけで彼女の首を左手で掴む。
「え?!」
彼の表情にはまるでダメージを受けた様子はなかった。
「さすがに早いが、アンタが今まで殺ってきた相手は同じ化け物でも素人ばっかりだったんだろうな」
渚は自ら飛び上がる事で留美枝の肘のダメージを軽減していた。彼もまた人外の運動神経を持っていたからできた見切りだ。
「同じ土俵上なら、しょせんは普通の男と女。そうだろう?」
渚は留美枝をぶん投げる!
留美枝は空中で姿勢を取り戻そうとし……
グシャ!
「くはっ!」
背中から自分の車に衝突、車は屋根をも吹き飛ばして大破する!
渚はゆっくりと壊れた車に歩み寄り、中に埋まる様にして倒れる留美枝の髪を引っ張り上げた。
「ぐ……」
額から血を流し、所々破れたスーツからは同じく小さな傷が覗く。
すでに彼女からは鬼の気配は薄れ、ただの人と同然になっていた。
「思った以上に軟いな。よくこれまでやってこれたもんだ」
「う」
留美枝は髪を掴む渚の腕に右手を伸ばすが、腕が上がらない。
肩が外れているようだった。
「お前、そんな組織にいるんだ? 詳しく教えろ」
問う渚に、留美枝は唇を釣り上げる。
「へぇ、恐いの…ぐっ」
空いた渚の左の拳が留美枝の腹部に食い込んでいた。
「教える気がないのなら、俺流に聞き出すだけだが?」
「私が口が軽い様に見える?」
血を吐き、留美枝は気丈に言い放つ。
渚はそんな彼女に残酷な笑みを浮かべながら地面に叩きつけた。
「ぐ…」
全身が砕けるような錯覚を受けるほどのダメージが彼女を襲う。
動けない彼女を見下ろす渚の表情は、月明かりの逆光で読めない。
「鬼って言うのか。俺は初めは良く分からなかったがな……」
渚の右手が留美枝のスーツの襟を掴む。
「むかつく奴を殺したときに生まれたこの力は一体何なのか、分からなかった。だが最近は良く分かってきたんだよ。『同類を増やせ』って声がするんだ、遺伝子って言うのかな、体の奥底からさ」
ぶっ!
留美枝の襟にかけた手を下に一気に引き降ろす。
スーツを引き千切り、白いブラウスとその下の下着ともども布切れに変わる。
形の良い白い双丘が冷たい月明かりの下で顕わになる。
「だから俺は仲間を集める。そしてむかつく奴は殺して、俺達の住みやすい様にする。そのための能力が俺にはあるんだ」
睨み据える留美枝の白い首筋に指先を這わせながら、渚は自慢げにこう言った。
「力を分け与える能力と、奪う能力。その両方がな」
渚の指が留美枝の体を這い始める。
「香奈枝……」
狂気に満ちた渚の瞳を、満身創痍の留美枝はただ黙って見ている事しかできなかった。
「そしてお姉ちゃんは……」
香奈枝は頬を涙で濡らして小声で呟く。
「犯されて、生きながら食べられたわ」
かこん
庭の獅子おどしの音が一際大きく聞こえた。
「なるほど、相当厄介な相手のようですね」
難しい顔をして土御門。
「中国の妖にもそんなん、聞いた事ないわい。もしかしたら西洋の妖が混じっとるかもしれんの」
と、こちらは鞍馬だ。
「確かに人間への同族伝播という点はヴァンパイアに似てはいるが。しかし人を食う鬼としての能力と効果範囲内の人間を同族に変えていく能力、さらに相手を食うことにより情報を己がモノにする能力――こちらは西洋の魔導師の代替わりに師の脳を食べることで知識を引き継ぐというのに良く似てはいる」
「多能力者とも考えられる。変種であろうか?」
鞍馬の呟きに坂田老は言う。
「奴が何者かは分からぬ。だが一つ言えるのは、奴の周りの人間が完全に妖に変異する前に息の根を止めることじゃろう」
「そうですね」
土御門は立ち上がる、見習って鞍馬も立ち、香奈枝もまた続く。
土御門は香奈枝に振り向くと、小さく頭を下げた。
「情報ありがとうございました。残念ながら貴方を連れて行く事はできません」
「ど、どうして!」
「邪魔なんじゃよ」
鞍馬のあっさりとした一言に香奈枝の顔が怒りに真っ赤に染まった。
「私だって鬼族よ! 烏なんかに邪魔呼ばわりされ…」
そこまでで彼女の言葉が止まった。
鞍馬の、そして土御門の放つ剃刀のような鋭い殺気に呑まれたからだ。
それは彼女の姉も、ましてや一族の頭である祖父よりも遥かに研ぎ澄まされた、それ自体が武器になりうる殺気である。
「局長殿、しかしながらお主は人の身。これを持っていくといい」
坂田老は立ち上がり、背後の床の間に歩み寄る。
そこに飾られていた太刀を一振り手に取ると、土御門に渡す。
「これはワシらの先祖がお主の先祖に切られた時、使われた太刀じゃ。鬼切り丸と呼ばれておる。こいつで奴を葬ってほしい」
土御門は太刀を握り、そして小さく頷いた。
「仇は取りましょう」
一礼し、土御門は部屋を出た。
その後を鞍馬が続く。
「香奈枝、お主は決して手を出すでないぞ」
残された老人は隣の少女にしか聞こえない声で言い放つ。
「厄介な相手は厄介な者に叩いてもらうのが一番じゃ」
「……そうね」
かこん
獅子おどしが甲高くその音を響かせる。
「で、どうするんじゃ?」
「今夜、叩く」
車内、土御門の言葉に鞍馬は難しい顔をする。
「しかしなぁ」
「神剣鞍馬流は会得しているのだろう、自信はないのか?」
「いや、そういう訳でも」
「私の陰陽五行でお前の能力を高めてやる。さらに鬼切り丸もこちらにはある」
後部座席にある太刀に軽く目をやり、土御門は言った。
「お主、端からあの太刀を取りに坂田の家に行ったんじゃな?」
「偶然だ」
答える土御門はしかし、とても偶然の様には思えない。
「まぁ、ヤバかったら逃げるわ。そのつもりでな」
投げやりに鞍馬はそう言ったのだった。
大阪/生駒山中――2030年6月20日22:25
20数台の単車が夜の山道を駆けていく。
先頭を走るのはチームのリーダーである通称『渚』だ。
我が物顔で走る一団は登り道をひたすらに駆け上がっていく。
「む?」
渚はヘルメットの下で気づく。
遠く、下って来るバイクのエンジン音に。どこかで聞いたことのあるクセのあるエンジン音だった。
さらにそれは下りにも拘らず、アクセルを全開にしたものだ。それ故に彼らとの接近はすぐ。
ウォン!
思うが同時、彼らの前に1台の真っ赤なスティードが出現。
そいつはまっすぐに、ひたすらまっすぐに渚達に突っ込んできた。
山間の直線、僅か200mだ。
「ほぅ、死んだんじゃなかったのか? おもしれぇ!」
渚は叫ぶ。チキンレースを挑んできた久々の血気ある相手に愉悦すら感じる。
渚はアクセル全開。それを感じ取ってか、取り巻きである周りの単車も負けじと加速する。
相対。
接近から接触まで、僅かに数秒。
「クハッ!」
渚は笑った。
取り巻き達は皆が皆、ハンドルを切るか、急ブレーキをかけた。
だが相手は違う。
接触の瞬間、ブレーキングどころかさらにアクセルを上げた相手に対して、渚は敬意すら抱いた。
真っ赤なスティードに乗った走り屋。
この峠で出会った時から虫の好かない嫌いな相手だった。だから襲った。
今思うと、当時はこんな剛直さがなかった己自身が嫌いだったから、奴の何もかもを嫌ったのかもしれない。
「棺桶から這い出してきやがったか、慎也!」
真正面から激突する2台のバイク。
搭乗者達はぶつかった瞬間に前のめりとなり、互いにヘルメットを通して頭突きをし合う形となる。
渚は見た。
相手のヘルメットの向こうを。己よりもずっと小柄だが、憎しみに燃えた己と似たような三白眼の、鬼気迫る光を宿す目を。
己の知る男ではない。だが奇妙な親近感を得た。
激突の末の爆発炎上。
頭をぶつけあった2人はそれぞれ慣性の法則に任せて上と下に吹き飛んでいく。
砕け散るヘルメット、そして飛び散る血潮。
唖然とする取り巻き達は己の信奉する男に駆け寄った。
「大した根性だ」
ライダースーツを所々焦がし、額から出血しながらも渚は立ち上がる。
その瞳はまっすぐと前を睨んでいた。
衝突してきた相手を睨んでいる。思わず取り巻き連中も炎上する単車に視線を走らせた。
そこには渚と同じく頭から流血した男が立っていた。
金髪の、小柄な男だ。同じくライダースーツをボロボロにしながらも、渚と同じように立ち上がっている。
「お前、俺と同じだな」
渚は問う。
「誰が貴様と同じだ!」
彼は答える。敵意をむき出しに、渚をその三白眼で睨みつけている。
「慎也と新條のカタキ、取らせてもらう」
叫ぶ彼の体が変形していく。小柄に見えたその身は3倍ほどの巨躯に。ライダースーツは上半身が破け散った。
「「うぉぉぉぉ?!」」
取り巻き達から悲鳴が上がる。その誰もがまるで頭から水をかぶせられたかのように目を覚ました状態だ。
「いいぞいいぞ、来い!」
応える渚の姿も鬼と化す。
その状況に取り巻き達は皆が皆、自らの単車に乗って逃げ去って行った。
燃え盛る2台のひしゃげたバイクを中心に、2つの鬼だけが対峙する。
どちらともなく動き、互いの拳が激突した。
大阪/生駒山中――2030年6月20日23:00
2人がそこに到着した時、すでに決着がつこうとしていた。
2体の鬼が殴り合っている。
いや、違う。
一体がもう一体をマウントポジションで一方的に殴りつけていた。
殴られている方の鬼は抵抗するも、次第に力が抜けていき、ついには殴られるままに無抵抗となった。
やがて上の鬼が殴る腕を止める。
「うぉぉぉぉぉ!!」
生駒山中に響き渡る勝利の雄たけびを上げた。
そして2人の新たな来訪者、土御門と鞍馬に視線を向ける。
「これはどういうことだい?」
「分からんが、友好的とは思えんな」
土御門は答えるや否や、懐から符を取り出す。
同時、鞍馬もまた鬼切丸を抜いて鬼との距離を一気に詰めた。
鬼は危険を感じ取り、その場を飛び退く。
ザギン!
硬質なものが断ち切れる音が響く。
それは飛びのきざまに燃え尽きた単車のなれの果てが真っ二つに裂かれて、そして爆発四散した。
「チッ!」
舌打ちする土御門。
投げつけられた鉄塊と化した単車を裂いたのは鞍馬だが、2分された残骸は彼が投げつけた符のことごとくを飲んでその効果を発現させたのだ。
すなわち爆裂四散。
「ぐわっ!」
思わぬ爆風を背後に受ける形となり、空を疾走した鞍馬は鬼に向かって押し出される。
それを待ち受けていた鬼は右腕を振りかぶり、そして。
再度今度は先程まで殴りつけていた鬼に向かって飛んだ。
そのまま振り上げた右腕を払うが、宙を切るだけだ。
そこに先程殴られた方の鬼はおらず、やや離れたところで肩で息をしながら何かを掴んでいた。
それは一人の少女だ。細い首をまるでコルクの栓を抜くかのような挙動で鬼は捕まえている。
鬼の傍らには倒れた原付が一台。少女が乗っていたものだろう。
「二人とも、こちらです。こちらの鬼です!」
鬼に拘束された少女・香奈枝は叫ぶ。
少女を盾にした鬼はニヤリと笑みを浮かべた。
しかしもう一匹の鬼は意に介さず、そのまま彼に突っ込んでいく。
「他人が死のうと関係ないということか、まさに鬼だな」
慌てて鬼・渚は突っ込む鬼に香奈枝を投げつける。
それを器用に抱き留める鬼。その間に渚は逃走を図ろうとするが。
「?!」
両足が土御門の投げた符によって氷漬けにされる。
「くそ、こんなところでこんなやつらに!」
そして体勢を取りなおした鞍馬の鬼切丸の斬撃により、袈裟切りにされ息絶えたのだった。
五代/五代警察署特妖部オフィス――2030年6月23日10:45
「入院していたら後輩が3人も増えていたでござる、の巻?」
「どういうことですか、局長?!」
禿頭の中年と巫女が上司に詰め寄る。
手狭なオフィスには3つの机が増えており、それぞれに烏天狗と鬼の男女が座っていた。
「君たちも手が足りないから人が欲しいと言っていたじゃないか」
「それは言いましたけど、突然3人、それも私たちがいない時にですか?!」
そんな巫女の非難を聞き流し、土御門は3人を紹介する。
「鞍馬 影希くんだ。鞍馬流の剣技を修めている、期待の前衛だ」
「よろしゅう」
「こちらが坂田 香奈枝くん。同調と増幅の術式が得意の鬼族だ」
「よ、よろしくお願いします」
「そしてこっちが」
「羽良 吉武。よろしく」
三白眼の彼はそう不愛想に告げたのだった。
人の世には人に非ざる者がいる。
それは人とは異なるものという意味にでもあるが。その中でも最も恐ろしいのは人であるのに人でないものだ。
俗にかれらはこう呼ばれている。
人でなし、と。
『2030年6月20日23:18 生駒山中にて人でなし・仮称『斬殺腕』こと山井 渚』
土御門は報告書にこう綴る。
『撃 滅』