寝起き様に雨戸を開け、窓を開け放つ!
気持ち良い朝だ。
「確か今日は…英語の時間に小テストやるって言ってたなぁ」
じめじめした水無月後半の、灰色の間にぽっかりと開いた青。
そう、すかっと晴れ渡った、吸い込まれるような青空が窓の外にあった。
雲一つない。乾いたそよ風が、僕の髪を揺らす。
この青空の下に、僕はいる。
でもこの青空の下には何があるのだろう?
僕は手にした学生服を、ベットの上に投げ捨てた。
代わりに…僕は自転車の鍵を手にする。
それは、予め敷かれている僕というレールから途中下車する通行手形。
「ちょっと降りてみるのも、良いよね」
スニーカーの紐をキツク。玄関から出て空を仰ぎ、誰ともなく呟いた。
ポケットを空っぽに,僕を縛るものは何もない。
埃をかぶった自転車のサドルに、腰を下ろしてペダルをキック!
「さ、旅に出よう!」
CD Image Short Story ポケットを空にして
〜 坂本真綾
いつもの学校への道。
いつもの電柱、いつもの犬。
そう、いつもの風景だ。少しづつ変わり続けるその景色は、今日はいつもよりもずっと早く僕の脇を過ぎ去って行く。
そして行き着く、いつものT字路。
いつもはここを左に。
でも今日は…ハンドルを右に切る!
途端に広がる、知らない風景。
知らない電柱、知らない猫。知らないマンホールに、知らない壁の落書き。
すぐ傍にあった、知らない世界。
ペダルを踏む足に、力を込める。
風が頬をくすぐり、僕を包む景色の変遷は一層早くなってゆく。
やがて道は上り坂。まっすぐなその道の果ては見えない。
僕の左右は一戸建て住宅が立ち並んでいた。
そんな建物が無数に,そして延々と続いて行くような錯覚を覚える。
斜面に僕はとうとう立ち漕ぎ。
右手に目をやると、庭に水を捲く若い主婦の姿。
水色のエプロンにホースからの水が跳ね返る。彼女の背では幼い少女の笑い声。
さっきまで、ただただ無数に思えた住宅。
でも、それは無数っていうだけじゃない。
その数だけ人がいるんだ,そこで生きているんだ。そう、思った。
不意に追い風が僕の背を押す。
ペダルを強く 強く 強く!
自分の吐息が、改めて自分のモノに感じられる。
何気なく生きてきた今までの僕。決まったルーティンワークの如き僕の生き方。
決まっていたから,いや、自分で決めてしまっていたから、『今』を強く感じなかったのかもしれない。
その連環を外れた今。
誰も僕を知らない。僕もここを知らない。僕の行動一つで僕自身が全て決まる今。
強くペダルを漕ぐ僕は僕自身を、実感する。
不意にペダルの抵抗が、消えた。
視界が拓ける!
坂を登り切り、下り坂。
眼下に街並みが広がっていた。
広い街。
知らない街角。
知ってる店。
知らないサラリーマン。
知ってる駅。
知らない公園。
知ってる電車。
風に乗って、知らない音と知ってる声が耳に届く。
そぅ、ここは僕の住む街。
退屈な日常なんて、嘘だ。
真新しいモノがないなんて、それもウソ。
こんなに知らないモノが、僕の街にあるじゃないか!
知らないフリをしていただけ,目を向けなかったダケ。
決まったルーティンワークな人生? そんなの嘘さ。
そう思い込んでいただけじゃないか!
途端、今までのモノトーンが急にサイケに変わる。
僕は腕にはめた時計をチラリ。
「まだ、間に合うな」
ペダルを強く踏む。小さく笑っている自分に気付く。
ポケットを空にして、途中下車した小さな旅。
初めて気付く色々なコト。
笑って、僕は空を仰ぐ。
連環な人生なんてのは思い込み。行き先は誰が決めるでもない,僕自身が決めるのさ!
「さぁ、旅に出よう!」
人生そのものが、旅なんだから!
From Sakamoto Maaya Single collection Hotchpotch No.14