死神討去人(デットリ−)
違法行為を働き、無闇に人命を奪いゆく死神に対し
冥府の王より与えられた権限を用い、違法を働く死神を
退散、あるいは討伐する者のこと。
Deadlee Shtau Extra.
トン、トン、トン…
一定のリズムを以って音が続く。
トン、トン
不意に止まる。と、大きな溜め息。
暗い部屋だった。暗黒の中に大きな平机が浮かんでいる。
そこに動く影が2つ。
机の上に山と積まれる書類に埋もれた漆黒の髪の女性。細面なその白い顔には、幾分の疲れが見て取れた。
そしてその後ろで処理済み,とは言っても、席に着いたその女性がサインし、判を押しただけの書類を回収する銀色の仮面を着けた人影がある。
身に纏うは夜の闇と同じ色のマントとローブ,その為にこの暗闇の部屋では仮面が浮いているようにしか見えない。
銀製の無表情な仮面,その冷たい金属の光からは生物というより、モノに近い感覚すら感じられた。
「しかしな、人とは全く面倒な生き物だ。そうは思わない?」席に着く女性は仮面の人影に話し掛ける。その凛と響く声の中にやや呆れたものが混じっていた。
それに対して仮面からは似合わない小さな溜め息。
「ヘカーテ様,生物の行動論理を考察している暇があったら、さっさと仕事を片付けて下さいね。後がつかえているのですから」仮面が発するは比較的若めな男性の声。しかし態度はあからさまに冷たいものではある。
「つまらぬ戦争などまた始めおって,我らの苦労を考えて死ねというのだ」
仮面の男が机の上に積まれた1mはある書類の束を片手で持ち上げる。
「…」パチン,仮面は空いた手で指を鳴らした。
バササ!!!
「のわわ!!」ヘカーテと呼ばれる女性は空間から突如現れた新たな書類の山に押し潰された。
「…ったく,一枚一枚の命の重みを知って下さい。それにこれがあるからこそ、我々死神の存在理由があるんです」
「お前達の存在理由,か」書類をどけて、ヘカーテは椅子に背を預けた。
「ええ、ヘカーテ様がしっかりとここで処理を済ませて頂かないと、我々もまた困ってしまいます。それにサボってばかりいますと冥府の女王様に怒られますよ」
「しがない管理職ってね,分かったわ。で、お前はそんなに魂を狩ってくるつもりなのか?」ヘカーテは仮面の男の持つ書類の束を見上げて尋ねた。
「まさか! この戦争の起こる近辺の仲間達に配分するんですよ」
「そう、じゃ、さっさと行ってきてね。ああ、そうそう前々から一つ聞きたかったんだけど」背凭れから胸を反らして後ろを見ながらヘカーテ。
「?」
「そんな仮面,年中着けててムレないのかしら?」真剣な顔で尋ねる。
「メッシュですから」
「そうだったの?!」
「嘘ですよ,それはそうとサボらないで下さいね」
「…はいはい」
「何です? 今の間は…あれ?」仮面の男は足元に落ちる一枚の紙を見つける。
「ヘカーテ様,なんか一枚落ちてるんですが」
「ん〜,ほいほい」ヘカーテは振り向く事なくそれを奪い、サイン,判を押す。
「いってらっしゃ〜い」
「…えらくいい加減な処理ですね,あいも変わらず」呆れと疲れの混じった息を吐いて、仮面の男・死神の姿は闇の中に解けていった。
Deadlee Shtau
〜 今は、その気持ちが嬉しい
とある街から密林とも言える森の中を歩いて丸一日,人気のないその地に一件の人家があった。
パン!
布を張る、軽快な音が響く。
日は中天,雲一つない青空に洗濯物が風に揺れた。
「いいお天気ねぇ」干し終えた声の主は目を細めて天を仰ぐ。
金色の長い髪が風に吹かれ、白い指先でそれは掻き上げられる。
歳の頃は20代前半であろうか,優しげな瞳を持った女性である。
「お〜い、ウィル。ちょっと来てくれないか?」そんな家の中からの男の声。
「は〜い!」ウィル,ウィルクリエル・ハ−フェンは微笑みながら家の中へ戻っていった。
机を挟んで二人の人があった。
一人は腰まである髪を軽く縛った丸眼鏡の男,やはり20代前半であろう,が、その表情は困ったような、良く分からないものになっている。
ウィルを呼んだ男,シュタウ・ハーフェンその人であった。
そしてシュタウに出されたお茶を啜るのは、黒いマントを羽織った銀色の仮面。器用に仮面の上からお茶を飲めるところを取っても、怪しさ爆発だ。
それを目の当りにしたウィルは硬直する。
「…ええと、どちら様でしょう?」あからさまに愛想笑いのウィル。
「? 死神です」若い男の声が仮面の奥から発せられた。
「そうですか、お疲れさまです」
「いえいえ、突然お邪魔しちゃいまして、こちらこそ失礼してます」頭を下げる自称死神。
「そんな、お忙しそうですね」
「ぼちぼちといったところですねぇ」
どうでも良いほのぼのとした会話が二人の間で展開していた。
「…話が全然進まないぞ、おい」シュタウがしびれを切らして割りこむ。
「アンタ,ウィルに話があるんだろ?」
言われて死神はポンと手を叩く。
「ああ、そうでした。これをお渡ししようと思って」懐から取り出されたるは数十枚の書類。
「…これは」ウィルの表情が沈む。同時にシュタウのそれにも厳しいものが走った。
「はい、隣国で近々戦争が起こります。この一帯の死神総出の作業になるでしょう」死神の口調もまた、先程とは異なり重たいものとなっていた。
「分かりましたわ」言って、書類を受け取る。
「あとどれくらいの死神に?」
「そうですね…2、30程連絡をつけないと,ま、私等は仕事あっての死神ですからね」明るく言い放つ死神だが、その明るさゆえに無理に暗くどんよりとしたものを隠しているようにしか見えない。
「ええ、私はこの分を導けば良い訳ですね,分かりましたわ」
「お互い、問題なく導きたいものです」
「そうですわね…」
「では、失礼します。お茶、美味しかったです」死神は元ののほほんとした口調に戻って席を立ちあがった。
「いや,道中気をつけてな」
「お茶菓子,お出しできなくてゴメンなさいね」
「いいえ,それでは、善き生なる時間を」そして死神は黒い霞となって消え去った。
シュタウ・ハーフェン,大陸唯一の死神討去人である彼は、敬称としてのデッドリー=シュタウの名が有名であろう。
死神とはその名の通り、死者の魂を冥府へと送る冥府の死者である。
その死神の中で違法死神というものが存在する。彼らは冥府の許可なしに勝手に人を死に追いやり、冥府へと送る者達である。
そんな違法死神を浄化、または冥府の女王に引き渡すのが死神討去人の仕事だ。
だが、つい50年前までは違法死神は存在しなかった。
50年前,そう、魔竜皇大戦という大きな戦争によって多くの人命が失われた。
その際に既存の死神の数では死者達を冥府に送り切れなかったために、冥府の女王は仕方なしに見合った数の死神を生み出した。
そして戦争は終わり、死者の数以上の死神が存在することになる。
結果、仕事をなくした死神の一部が暴走し、違法死神となった。
そんな違法死神に対抗すべく、冥府より特別の許可を得たのが死神討去人である。
その数少ない死神討去人のシュタウが、今以上にデットリー=シュタウが名を馳せていた3年前、突然に仕事の際に知り合った亜人種の女性と結婚した。
その女性こそがウィルクリエル,愛称ウィル、その人である。
「そうか、そっちの仕事があるんだな」冷め始めたお茶を啜り、シュタウ。
「ええ、迷わせる事なくしっかり導いてきたいと思います」
「そうだね」
ウィルは死神から受け取った書類を一枚一枚めくっていく。その一枚一枚が人の魂と同価値のものであり、冥府へのパスポートとなる契約書だ。
「!?」彼女は最後の一枚で手を止める。
何度もまばたき,紙を近づけて遠ざけて…
顔色がだんだんと青くなる。
「何かあったのかい,ウィル? 愉快な動きだな」そんなシュタウの言葉は彼女の耳には入っていなかった。
最後の契約書の氏名欄には査問官のサインを判とともにこうあったのだ。
『シュタウ・ハーウェン』
”一体何の間違い? 新手のパーティジョークかしら,それとも冥界のビックリドッキリカメラ?! それともそれとも…“
そこまで考えて、彼女は首を横にぶんぶんと振る。
“冥府への強制送還の指示,私が…”
ウィルは自分を心配そうに見つめるハーフェンに視線を向け、慌てて逸らす。
“死神である以前に私には…できない! 貴方の命を断たないと、私は違法死神になる。違法死神となったら、私は貴方に浄化されることになるわ。でも優しい貴方は私を…きっと浄化させることなんてできない。ならば…”
「何か変なものでも食べたのか,ウィル?」
「い、いいえ! 全然そんなこと,さっぱりありませんわ,ほほほほほほ…」
「…そ、そうか,ちょっと俺、外の空気吸ってくる」額に暑さ以外の汗を浮かべ、シュタウは玄関から外に出て行った。
ウィルはその後ろ姿を眺めながら、懐から銀色の仮面を取り出す。
装飾のほとんどない、虚無すらを感じさせる死の仮面。
それを自らの顔に…
「ふぅ、良い天気だ」シュタウは玄関口に出て、大きく伸びをする。
空を駆け抜ける風は木々の香りを届け、これから起こりうる大きな戦いとは全く無縁に感じられる。
と、シュタウは背後に冷たい殺気を感じて、本能的にその場を飛び退く!
彼は見る。立っていた場所に、黒い影があることを。
大鎌をその肩に担ぎ、死を象徴した銀色の仮面は仄かな冷たい光を放っている。身に着ける黒装束はあの世への渡し守・カロンのその姿をモチーフにしていた。
死神である。
先程の死神とは明らかに風格が高い,見る者を圧倒させる何かがあった。
チャキ
死神は仮面の視線をシュタウに向け、鎌を向けた。
殺気めいたものが2人の間に瞬間、流れる。
先に動いたのはシュタウの方である。
彼は厳しい視線のまま…土下座する!!
「すまん、ウィルの大事にとってあったチ−ズケ−キを食ったのは俺だ!」その死神に何を感じたのか、シュタウは叫ぶ。
「そうだったの?!」仮面の奥から女性の驚きの声が響いた。
「ち、違うのか? じゃ、じゃあ、タンスの裏のヘソクリの事か?」
「そ、そんなこともしてたの?」
「げげ,なら、その仮面にハナ毛のいたずら書きしたことか? すまない、あれは俺なんだ,だから…」
「…あなたって人は!」殺気倍増!
「浮気だけは絶対してないぞ,死神に誓って、絶対…絶対だ!」
「本当に?」
「う〜ん…」
「死刑」死神の鎌が振りあがった!
死神が暗闇の書斎に再び出現する。
仮面の彼が見たものは、机の周りでウロウロするヘカーテの姿だった。
「どうかいたしましたか?」
その声に、彼女はようやく存在に気が付く。
「ああ、ここのところ、一ページ足りないのだが…さっきの資料の中に混じってしまったか?」ヘカーテは机の上に開いてあった大きなファイルを見せる。
「ここは、あいうえお順だと…シュタウ・ハーフェンというものらしいのだが」
「そんなこと…まさか,あ…」仮面の男は動きを止める。先程拾って適当にサインされたあの書類,確かにその名があったはずだ。
「冥府送りのサインをして提出してしまいましたね」渇いた声で死神。
「ま、死神討去人だから心配いらないだろぅ」
「そ〜ゆ〜問題じゃあないでしょう!!」
「そ、そうか。では取り消しの手続きを明日にでも」
「今日中にやってください…」
大鎌がシュタウの頭上を通り過ぎる。
死神の振う鎌はシュタウを的確に捕らえて行くが、それ故に確実に交わされる。
「…そういうことか」シュタウは小さく溜め息一つ。
彼は不意にその回避行動を止めた。
鎌を横になぐ死神。
「!!」死神の鎌がシュタウの首筋で止まった。
無防備なその死神の懐にシュタウは右手を突っ込み、そして書類の束を手にする。
「ちょ、ちょっと!」取り返そうと、死神は空いた手を伸ばすが、簡単にかわされた。
「ふぅむ、俺の名があるな」眼鏡を押し上げながら、シュタウは呟く。
その時点で、死神の動きは完全に止まった。
「例え君を倒して契約書が灰になっても、すぐに次の死神が現われるんだぞ」言ってシュタウは溜め息一つ。
「分かってる,でも…私には貴方の命を断つことなんてできない!!」
「じゃぁ、僕は君の命を断てると思うのかい?」書類を背後に投げ捨て、軽く微笑みながらシュタウは死神に向き直る。死神は仮面越しながらも視線を合わせまいと顔を背けた。
「…」
流れる無言の時間。ほんの数瞬が長く感じられる時間。
「つらいのなら、止めてしまえ,死神を」ぼそり、小さく、しかしはっきりとした強い意思を込めての言葉。
「?!」
「なぁに、守ってやるさ,俺は死神討去人だ」
シュタウは死神を抱きしめる。
大鎌が死神の手から落ちて、乾いた音をたてた。
「…ありがとう,今は、その気持ちが嬉しいわ」
死神は仮面に手を掛ける。
黒装束は仮面の内に消え、一人の女性がシュタウの腕の中にあった。
風が吹いた。
地面に落ちた書類の一枚が小さな青い炎をあげて、瞬時に灰となり、その風の中に散る。
そう、これはある晴れた日の午後のこと。
FIN
これはさとをみどり氏のHP『T'ienLung』に、祝壱万Hit記念として奉納したものです。