彼女の七夕



 私は目を覚ます。
 ぼんやりとした意識は次第と形を成し、視界に映る景色が瞳に焦点を結ぶ。
 今日も7月7日。
 私が目覚めることを許された唯一の日。
 そして私の目の前にはいつもあの人がいる。
 少し寂しげな笑顔を浮かべた大切な人。
 私は彼に逢うために、一年のこの日に目覚める。


 彼女は病に犯されている。
 今の医学では治癒できない病だ。
 しかし近い未来、必ず治すことができる。
 だから彼女はその未来が来るまで、眠りに就く。
 新陳代謝を極限までに落とした眠り―――コールドスリープだ。
 来るべき未来までずっと眠り続けるのかというと、そういう訳ではない。
 肉体の劣化を避けるために、一年に一度、それも一日だけ目覚めなくてはならない。
 今日はその一年で彼女が目覚める日。
 7月7日だ。


 「おはよう」
 私の変わらぬ声に彼は小さく頷いて応えた。
 「おはよう」
 その彼の声は先日聞いた声よりも少し大人びいて聞こえた。


 きっと彼女は、この僕との出会いは昨日のように感じていることだろう。
 そして一年後の出会いは、明日のように感じることだろう。
 彼女にとっては一年は一日と同価値だ。
 だが僕にとっての一年は、彼女の365倍だ。
 彼女の病を治すため、僕は医者の道を歩んだことを告げた。


 彼は医者になっていた。
 そして私の手を強く握ってこう言ってくれた。
 「必ず、この手で君の病を治してみせる」と。
 私は「お願いね」とだけ答え、しばしの彼との談話を楽しむ。
 彼との時間はあっという間。
 日はいつしか傾き、辺りは夕闇に包まれる。
 空には瞬く天の川。
 時間、だ。
 一年という長い眠りは、私にとっては一晩にしか感じられないけれど。
 けれど、短いようで長い眠りだと思う。


 彼女は再び眠りに就く。
 まだ僕の知識では、現在の医学では彼女を癒すことができない。
 「必ず、必ず直してみせる」
 冷たく眠る彼女の横顔に、そう誓う。


 私は目を覚ます。
 何度の7月7日を経験したことだろう。
 1日1日は大切で、それでいてまるで昨日のことのように感じていたはずなのに。
 今日も、昨日の目覚めが思い出せない。
 ぼんやりと、意識に白い靄がかかっているように感じる。
 私の目の前でいつもと同じ微笑を浮かべる男性。
 彼は、誰?
 けれど私は彼の笑みを見つめるだけで、心落ち着き、私もまた笑みを作ることができる。


 医学の進歩、いや人類の技術の進歩というものは、思った以上に歩みは遅いようだ。
 未だに彼女を救うことができない。
 すでに彼女は長期間のコールドスリープにより、記憶に障害が出始めてしまっている。
 だが俺は諦めない。
 彼女を救うことこそが俺に課せられた使命。果たせなかった父の夢であるからだ。


 その日の目覚めは快適だった。
 すべて頭の中の靄が取り払われ、目の前の霧が一気に晴れたような感じ。
 体を覆っていた倦怠感と鈍痛もまた完全に消えてなくなっていた。
 「おはよう」
 『変わらない』笑みで、『彼』は言う。
 「おはよう」
 私もまた、変わることのない笑みで応えた。
 「そしておめでとう。今日で君はもう一年を眠ることをしなくて済むんだ」
 私の手を取りながら、彼は言う。
 「それって」
 「治ったんだ、君の病は」
 その言葉に、私は一つの事実に気付いた。


 ボクにとっての七夕は、父と爺さんに病院に連れられていく思い出で占められている。
 病院では一人の女の子が眠っているのだ。
 その子は重い病にかかっており、今の医学では治すことができない。
 いつか治療法の見つかる未来まで、眠り続けなくてはいけないのだという。
 ボクは眠り続ける彼女の美しい横顔を見つめながら、父や爺さんと同じく誓ったんだ。
 「必ず、この手で君の病を治してみせる」、と。


 「私は、いくつの夜を過ごしたの?」
 私の問いに、白衣の彼は口を閉ざす。
 私は病室の窓を開ける。
 空を、天の川を見るために。
 しかし、そこには。
 「……え」
 窓の外は見渡す限りの光の洪水。
 いえ、これは未来都市??
 空はなく、いつまでもどこまでも光の漏れる窓が上と下に続いていた。
 私の中で、気付いた事実が大きくなっていく。
 「そう、なのね」
 事実が口をついて漏れる。
 「全ては変わってしまった。変わらないのは私だけ、なのね」
 急速に視界が涙で歪む。


 「この世界には、すでに私の知っているものは何もないのね」
 彼女は涙ながらに呟いた。
 「私の刻は止まっていて、けれど回りは動いていたから。何もかも変わってしまって、私は一人、残されてしまったのね」
 「違う!」
 ボクは彼女を強引にボクに振り向かせる。
 その細い肩をしっかりと掴んで、ボクは決して変わらなかった事実を告げた。
 「ボクも、父も、そして爺さんも、ずっとずっと変わらずに持ち続けたモノがある」
 彼女は小さく震えつつ、それは何?と問うた。
 それは、
 「必ず、ボクのこの手で君の病を治してみせるという想い、さ」


 私の愛した人と同じ瞳で、彼の孫はそう言った。
 いくつもの夜を重ねても変わることのできなかった私は、いくつもの夜を重ねても変わらなかった想いを受けて。
 凍結した7月7日は解け崩れ、今ここに刻が動き出す。

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