探す旅



 彼の住む国は、裕福であった。
 食事に困ることもなく、不当に命を奪われることもなければ、不条理な搾取もない。
 しかしそこに生まれながらに住んでいる彼にとってはそれが普通であり、息をするのと同じ位に当然のことであった。
 こうして命を左右するほどの苦労もなく育った彼はしかし、生きていく中で自分自身を見出せないでいた。
 何に帰属するわけでもなく、何か決まった主義主張にすがって生きているわけでもない。
 漠然とした気持ちで生きていた。
 自分とは一体、何者なのだろう?
 周りの人と比べて、自分はどんな人間なのだろう?
 「自分にしかない、何か特別なものが自分にはあるに違いない」
 根拠もなく、彼はぼんやりした生活の中でそれだけは信じていたという。
 やがて彼は『自分の探しの旅』という、育った国を出て他国を渡り歩く旅に出た。
 自分を取り巻く環境を変えることで、自分にしかない『なにか』を見つけるための旅である。
 
 
 彼は隣国の地を踏みしめた。
 乾いた風の吹く、大陸の隅にある国だ。
 風に乗って香る匂いは、彼の住む国とは全く違うものだった。
 そこに住まう人々は、彼の国とあまり変わらない生活をしていた。
 しかし、旅する彼はその国の住民から一方的に罵倒される。
 「何故?」
 尋ねる彼にその国の人々は答える。
 「お前の国の人間は、かつて我々を苦しめたからさ」
 彼は知らない、生まれた国の過去を。
 その国では結局、自分にしかない『なにか』は見つからなかった。
 しかし自分の背負う『なにか』を感じた。
 
 
 彼は太陽が暑い国へやってきた。
 青々と草木が茂り、緑が豊かな国だった。
 そこに住む人々は彼の住む国よりも明らかに貧しい生活を送っていた。
 しかしその人々の浮かべる笑顔は、彼の住む国では見ることが少なくなった、妙に晴れ晴れとしたものだった。
 旅する彼に、その国の人々は笑いかけ、歓迎した。
 「何故?」
 見知らぬ彼にこんなにも親切なのか?
 「君の国の人間は、かつて我々とともに戦った友だからさ」
 彼は知らない、生まれた国の過去を。
 この国でも結局、自分にしかない『なにか』は見つからなかった。
 しかし自分の中にある『なにか』を感じた。
 
 
 彼は混沌うごめく賑やかな国へとやってきた。
 金持ちも貧乏人も、男も女も子供も老人も、あらゆる種類の人間のいる国だった。
 そこで彼は様々な人々に声をかけられ、気がつくと財布の紐が緩んでいた。
 彼は話しかけてきた人々に問う。
 「何故、こんなにもかまってくるのか?」
 人々は笑って答えた。
 「貴方の国は裕福だから。それだけさ」
 彼は自分の国が裕福であると感じたことがない。
 この国に来て、彼は息をするのにもお金が必要であることを知った。
 だが残念ながらこの国では、自分にしかない『なにか』は見つけることはできなかった。
 しかしながら、自分の背後にある『なにか』を知った。
 
 
 彼は乾燥した砂の大地を踏みしめる。
 この国は彼の住む国とは全く異なる文化を持ち、人々の感情は他者を容易く死に落しいれるほど過激であると聞いていた。
 予備知識は彼の国でのニュース番組。
 しかしこの国で出会った人々は、彼を見ると親しく接してきた。
 打算なしの、友好の笑顔を以って。
 「何故、優しく接してくれるのです?」
 彼の問いに、人々は答える。
 「君の国を尊敬しているからさ。かつて様々な強敵を打ち破りつつも、最後には負けてしまったが」
 「負けたのに?」
 「そうさ、これ以上もないくらい負けたのに、今ではどうだい? とても裕福だろう? その努力を尊敬しているんだよ」
 彼は努力してきた覚えがなかった。
 手放しの賞賛に恥ずかしい思いを抱きつつも、彼はこの国で自分にしかない『なにか』は見つけることはやはりできなかった。
 けれども、自分の育った場所に『なにか』を感じた。
 
 
 最後に彼は伝統ある国へとやってきた。
 この国の文化は、彼の国では流行の最先端になることが多い。
 この国で出会った人々は彼に挑戦的な笑みを浮かべる者が多かった。
 「何故?」
 問う彼に、人々は首を傾げる。
 「前の戦いでは我々をあそこまで追いこみ苦しめてくれたが、次も勝ってやるさ」
 ライバルを見るような彼らの視線は、彼にではなく彼を通して誰かを見ているようであった。
 結局、この国でも彼は自分にしかない『なにか』は見つけることはできず、代わりに自分に纏う『なにか』を知っただけだった。
 
 
 帰国した彼は生まれ育った地に足を下ろし、そして気付く。
 『帰ってきた』ことに。
 そしてそれこそが、この旅でずっと感じ続けていた『なにか』であることを知った。
 自分にしかない『なにか』などではなく、自分の素である『なにか』を。
 気付いたが故に、彼はよりそれを知らなくてはいけないと改めて感じざるを得なかった。

おわり