kimothi


 時は巡る。心と景色をゆっくりと変えながら…
 凍てつく冬のあの日から二十九程、日が沈み,そして同じ数だけ登っていた。
 仄かに彼女の鼻腔をくすぐるは、自然な甘い香り。
 開け放たれた窓の外から、春を匂わせる暖かい風に乗って、それは届く。
 「もうすっかり雪も溶けたのぅ」 
 窓枠に座り、黒髪をかきあげた彼女は青く晴れ渡った空を見上げる。
 天高く、小さな雲に隠れて日が瞬間、翳った。
 「…ふむ」 彼女は何か、満足そうに一人頷き、窓の外へと飛び出して行く。
 まるで、その香りに誘われるように。



 白い小さな花が開く。
 「もう咲いていたのだな」 
 ロシュタリアの中央を走る大通り。
 左右に大小の店を並べ、路肩には同じ街路樹が植わっている。
 彼女は僅かに色を含んで白く映えるその一本の前で立ち止まった。
 いつもよりも多めの、行き来する人々。穏やかな日差しの中、自然とどの表情にも柔らかいものが見て取れる。
 店の客を呼ぶ景気の良い声。人々の息吹。
 暗い、モノトーンの雰囲気に包まれていた、『冬』という季節の終わり。
 枯葉を隠し、木々を、動物を眠らせていた雪というヴェール。
 それが消えた今、この街路樹『梅』という木を埋め尽くすような、僅かに桃色を混ぜた白い花が、かつての暖かなロシュタリアを思い出させてくれた。
 無彩色から次なる季節への有彩色、そして花の香り,色覚と嗅覚の再起に懐かしさすら覚える。
 彼女は梅の花の一つに、ぐっと背伸びして右手を差し出して触れた。
 冷たく,柔らかい触感。白い指先に僅かに黄色い花粉と、一片の花弁が落ちる。
 そっと、『春』がついた人差し指を鼻腔に近づけ、香りを堪能。
 そのまま白い花弁を、整った赤い唇に含んだ。
 「ふぅ」 
 大きく吐息を一つ。
 「冬があるからこそ、春を心地よく感じるのであろうか…な」 
 人の河の中、街路樹に背を預けた彼女は、そんな自分の言葉に苦笑。
 「あ、ファトラ様!」 
 「ん?」 
 聞き覚えのある声を遠くに聞き、彼女は視線を向ける。
 両手一杯の紙袋を抱えてやってくるは幼い少年。
 「パルナスではないか、何だ、その荷物は?」 目の前で立ち止まる彼に、ファトラは小さく首を傾げる。
 大きな紙袋の中には、小さな箱が飛び出さんばかりに詰まっていた。
 どれも綺麗にラッピングされ、リボンが付いている物も多い。
 「今日はホワイトデーでしょう? そのお返しなんです」 
 「ああ、菜々美の奴はそんなことも言っておったの。しかしお主、こんなにお返しするほど貰ったのか?」 
 ファトラの問い掛けに、パルナスはさすがに苦笑。
 「半分は誠様の分です。何でも今日はストレルバウ博士を始めとした学会との打ち合わせがあるとかで、忙しいんだそうです」 
 「ふぅん…ところでこれはどこに売っておった?」 箱を一つ、手にしながらファトラは尋ねる。
 「わらわも貰った手前、しっかり返さんといかんしな」 
 「菜々美様の所で買ったんです。ご主人様も手伝って、一番うまくできていましたから」 
 「クァウールがか? そうか、行ってみるとしよう。ありがとう」 
 「はい!」 笑顔のパルナス。
 ファトラは彼の頭を軽く撫で、軽い足取りで街路を進んでいった。



 ファトラが城に戻ったのは夜半だった。さすがにこの時間になると昼間の暖かい陽気は嘘のように、冬はその勢いを取り戻している。
 彼女は薄めのコートの上から両肩を抱いて、通用門をいそいそとくぐった。
 と、そこから傍にある誠の研究所の明かりがついているのに気づく。
 「…何か着るものを借りて行くかの」 
 白い息を吐き、ファトラは石造りの平屋へと駆けた。
 ダン!
 豪快に一回だけノック。
 「入るぞ、誠」 扉を開け、その身を滑り込ませる。
 暖炉を炊いているのだろう、身を包む暖かさが彼女の悴んだ手足をゆっくりと癒していく。
 歩を進めると、妙に疲れ切った男の姿が一つ。
 「…こんにちわ」 ベットに横たわったまま、ファトラを一瞥。彼は無表情にそう言った。
 「何じゃ? そんなに今日の学会で叩かれおったのか?」 
 椅子の一つにファトラは腰掛け、同じ顔の青年に微笑む。
 「それも…ありますけどね」 言って、溜息。
 ファトラが散乱したテーブルの上を見ると、いつものガラクタの中に見覚えのある箱が幾つかあった。
 その一つを手に取る。投げつけられたように、端がへこんでいる。
 他のものも同じような状態だった。
 「何じゃ? 渡さないのか?」 手の中で箱を弄びながら、ファトラは問う。
 誠は身を起こし、ベットの上であぐらを掻いて彼女に向いた。
 箱の中身は、ビンが一つ入っているのが破れた部分から見て取れる。
 綺麗な白色の、小粒な飴玉が詰まったおしゃれな小ビンだ。
 「何でか分からへんけど、皆受け取ってくれんのや」 困った顔で彼は疑問とともに同じ顔をもつ異性に尋ねる。
 「『何でか分からへん』か」 手に持った箱を見つめて、彼女は苦笑。
 誠はそんな彼女に首を傾げるしかない。
 「そういえば、わらわはお主に胃薬をやったな。これ、貰っても良いか?」 
 話を変えるように、ファトラは手にした箱を誠に見せて尋ねる。
 「え,ええ。それで宜しければ…」 
 豆鉄砲に打たれた鳩のような顔で、誠は頷く。
 ファトラは箱を開け、入っていた小ビンの蓋を捻る。
 白い掌の上に転がるは真珠のような白い飴玉。彼女一つ、摘まんで口に含む。
 「おいしいですか?」 
 「ふむ、なかなか美味じゃの」 尋ねる誠に、そう答える。
 「それは良かったわ」 
 「食べてみるか? わらわの口移しになるが」 意地悪げに、笑みを浮かべて尋ねる彼女。
 「はい」 
 ブ〜
 ガキ!

 「くぅ〜〜〜」 弾丸と化した飴玉を額に受け、痛みに身を屈める誠。
 「な・な・な…」 対するファトラは耳まで赤くなっている。
 「いきなり何するんですか! ファトラさん!」 
 「お主こそ、いきなり何を言い出すのじゃ!」 
 「冗談に冗談で返しただけじゃないですか」 
 しばし沈黙。
 そしてどちらともなく、笑い出す。
 「お主も成長したものじゃのう」 
 「頭撫でんといてくださいよ!」 憮然と誠。
 と、急にファトラは真面目な顔になる。
 「しかしな、別に冗談でなくとも良いのだぞ」 
 「…は?」 
 「折りしもお主は承知済み。菜々美やシェーラに咎められる理由は、ない」 
 ベットに膝を掛け、ファトラは迫った。
 「ちょ…冗談は止めといて下さいよ」 
 「冗談に見えるか?」 ゆっくりと顔を、誠に近づける。
 「…」 
 ファトラの漆黒の瞳の中に戸惑いを浮かべた同じ容姿の男が映っていた。
 やがて瞳に映ったその男の瞳の中には、穏やかな表情の同じ姿をした少女が映る。
 張りつめた緊張と沈黙。
 ニカッ
 ファトラは意地悪く笑う。微妙な細い糸が切れた感触が誠に伝わった。
 「これこそ冗談じゃ。わらわにやり返そうなど100年早いわ」 
 「そうすると僕は117歳まで勝てへんのですか?」 
 言って苦笑する誠。そこにあるは微妙な安堵の表情。
 と、いきなり誠の胸ぐらが捕まれ、ファトラに強引に引き寄せられる!
 「?!?」 
 彼の口の中に、仄かに甘い感触が伝わった。
 一瞬の沈黙…
 「…ふん、その頃にはわらわも成長しておるわ。下手な口ごたえなどするものではないぞ」 互いの吐息をすぐ傍に感じながら、誠の額に自らのそれを当てる。
 逃さないように彼の瞳を捕らえながらて彼女はそう、強く言葉を放った。
 「…」 
 「お主は学問より先に、乙女の気持ちを学ぶべきであろうな」 
 胸倉を掴む手を離し、立ち上がるファトラ。
 誠はただ、彼女を見つめるしかない。
 「何故皆がその菓子を受け取らなかったのか、それが『菓子』だからだ。お前が皆から貰ったのは『菓子』ではなかったはずだぞ」 
 「あ…」 
 「まだ、14日だ」 
 ファトラは誠に背を向け、そう言葉を残し部屋を去った。
 「…わからん人や」 嵐のように去っていった女性の見えない背を見つめながら、青年は立ち上がり、壁にかかるコートを手に取る。
 「そうやな、まだ14日や、ありがとな、ファトラさん」 



 ファトラは暗闇が支配する白亜の城を疾駆。
 「ったく、コートが借りれんではないか」 
 一人、愚痴とも、聴く者のいない言い訳とも捕らえられない言の葉を紡いだ。
 やがてその駆け足を止め、歩みに変える。
 「まったく…」 白い息が月光の下、浮かぶ。
 彼女は立ち止まり、遠くなった誠の研究所に振り返った。
 すでに明かりは消えている。
 「お主はしかし、これには気づくまいな」
 彼女は己の胸に手を当て、少し寂しげに呟く。
 視線の先にある黒い影。
 通用門に向かって駆ける青年を、王女は優しい瞳で見送った…・・


End...