婚姻の世界エルハザード 〜前編
その日ファトラは何か嫌な予感と共に目を覚ました。
だが次の瞬間にはそれがなんだったのか分からない。
夢だったのかそれとも虫の知らせと言う奴か…どちらにせよ早く忘れるに限る…
そう思いながらゆっくりと背伸びをするといつもと感じが違う。
そうだった…ここは自分の部屋ではない…。
昨夜新しく入った官女の部屋に忍び込んだことを思い出した。
だがいまはベッドの中はファトラだけだ。
時刻は分からないがとっくに業務は始まっている時間であろう。
そういえば 「これからお勤めが始まりますから」 という声を聞いたような気もする。
ベッドの中でぼーっとしているとドアがノックされアレーレが入ってきた。
「おはようございますファトラ様。遅くなって申し訳ございません」
そう言ってアレーレはファトラの世話を始める。
「所でアレーレ」 服を着せて貰いながらファトラが話しかけた。
「何でございましょうか」
「今朝は何か変わったことはなかったか?」 起きるときに感じた“もの”がなにかは分からないが妙に気になっていた。
「そうでございますねえ…特に変わったと言うわけでは有りませんが…」
「どうしたのじゃ?言いにくい事なのか」 口ごもったアレーレを怪訝そうに見つめるファトラ。
「いえそう言うわけではございません。そのうルーン様なんですが…」
「姉上がどうかしたのか」 今度はやや強い口調で問い質す。
「いえ、そうではなくて…ルーン様…今朝はいつもより大変ご機嫌がよろしかったみたいで…」
「どういう事じゃ?姉上のご機嫌が良いのがそんなに不思議なのか?」
「そのう…なんというか…いつもよりテンションが高かったんです」 思い切って口にする。
その答えにファトラは首を捻った。
「テンションが高い?」
「ええ、先ほどもこちらへ来る前に偶然廊下でお見かけしたんですが、私の姿を見つけられたのかすぐに私の方へ参られましてにっこりとお笑いになられました。それから遊びも程々にするようファトラ様へお伝えするようにと仰られました」
「何!いつものように眉間にしわを寄せてではなくか?」 ルーンの前では口が裂けても言えないセリフだ。
「そうなんです。それでルーン様お付きのお姉さまに聞いてみたんですが何でも今日は朝からウキウキされている感じだそうで…」
「なるほど…確かに変じゃのう。それで他には何もないのか?」
「はい、朝食後ストレルバウ博士と何かご相談されたそうです。その後更に…」
「テンションが上がっていったという訳か…。アレーレ、部屋に戻る。ストレルバウを呼べ。その後で姉上の所へ参る」 いつになく真剣な表情で命令するファトラ。
それに応えアレーレはすぐに扉を開けてファトラを見送ったあと学術院へと向かった。
ファトラは自室へ戻ったもののどうも落ち着かない。
ルーンの機嫌が良いという事自体は悪いことではない。
問題はその原因だ。
”何かまた変なことを思いついたのでなければ良いが…”
ルーンは単に思いつきだけで行動する事があった。
”もしかして今朝感じた嫌な予感とはこれの事だったのか”
そんなことを考えているうちにアレーレが戻ってきた。
「申し訳ございません。博士は外出中でした。午後には戻られるそうですが」
「そうか…仕方ない。アレーレ、情報収集を続けよ。また集まらなくとも昼食までに戻ってまいれ。姉上とは食事の時にお会いしよう」
「分かりました。それでファトラ様は何を?」
「わらわはこれから沐浴を行う。場合によっては姉上と対決することになるやもしれん。身を清めておく」
「私はお供しなくてもよろしいのですか?」 ちょっと不満そうに確認する。
「時間が惜しい。アレーレは可能な限り情報を集めて参れ。わらわは沐浴のあと瞑想に入る」 いつになく気合いが入っている。
まるでこれから果たし合いにでも行くかのような感じだ。
だがアレーレはそんなファトラの態度に異を唱えることもなく一礼して部屋を出ていった。
後に残ったファトラも沐浴を行うため部屋を出る。
”姉上、一体何が有ったのですか…”
そう思いながら廊下を歩くファトラの表情は厳しいものになっていた。
「で、結局何も分からないのか」
部屋で瞑想をしていたファトラの元へアレーレが戻ったあと、その報告を受けての第一声である。
「申し訳ございません。ですがロンズ様も心当たりがないそうなんです」
「ロンズも…それでストレルバウの行き先は分かったのか?」
「いえそれもさっぱりです。誠様にも行き先を告げずに出て行かれたそうで誠様もお困りのご様子でした」
「そうか。そうなると直接姉上にお尋ねするしかないな…」 表情を引き締めるファトラ。
「誠に申し訳ございません」 深々と頭を下げる。
「まあ良い。誰も知らぬのではどうしようもない。しかし姉上はどうされたのか…わらわが知る限りこのようなことはない…よほど姉上にとって良い事が有ったのだろうが…」 後は口には出さない。
だが表情がより厳しくなったことからファトラの決意が伺われる。
「では行こうか」 ゆっくりとファトラは立ち上がった。
「お供致します」 アレーレも続いて立ち上がり扉を開く。
決心が付いたのか部屋を出るときファトラはいつもの表情に戻っていた。
「まあファトラ。今日も元気そうですね」 昼食に現れたファトラを見てルーンが幸せ一杯という表情で話しかけてくる。
”確かにいつもとは違うご様子…何が…”
そう思ったファトラは一瞬表情が硬くなるがすぐに笑顔で挨拶を返す。
「有り難うございます。姉上もご機嫌麗しくわらわも嬉しく存じます」 取り敢えず型通りに攻めてみる。
「ファトラ、いまは私たち二人だけです。そのような堅苦しい言葉は不要ですよ」
やはり優しく微笑みながら話すルーンに対し “だから警戒しておるのです姉上” と心の中で答える。
ファトラと違いルーンは朝から公務に追われている。
特に食事時となると大臣や各国大使らとの懇談の場として使われることが多い。
ルーンと姉妹二人きりで過ごせる時間は余りないのだ。
それが 「昼食をご一緒したい」 というファトラの希望を聞くやすぐに全ての予定をキャンセルしたらしい。
ファトラは表面は笑っていても身構えざるを得なかった。
「申し訳ありません。姉上と二人きりというのも久し振りですからつい緊張してしまいまして」 苦笑しながら答えるファトラ。
だがルーンはにっこりと笑うだけである。
その後は世間話をしながら淡々と(ファトラはそう感じていた)時間が過ぎていった。
食事は終わったがまだルーンは話を切り出さない。のんびりとお茶を飲んでいる。
ファトラとの時間を楽しんでいる様子だ。
にこにこ笑っているルーンに対しファトラは焦燥感に見舞われていた。
とはいえルーンの前でそんな顔はできない。
逆にそちらの方がプレッシャーとなっていた。
このままでは精神衛生上良くない。
”ええい。虎穴に入らねば虎児を得ずじゃ” 思い切って訊いてみることにする。
「所で姉上、大変喜ばしいことがあったようにお見受けしますが何かあったのですか?」
その問いに最上の笑顔を見せるルーン。
ファトラは虎穴に入ってはみたものの中には虎が口を開けて待ちかまえていた事に気が付いた。
”くっ!” 緊張するファトラ。
だがルーンはそんなファトラに構わず話を始めた。
「夢を見たのです」 文字通り夢見るような表情で語るルーン。
「夢、ですか…」 拍子抜けしたものの警戒は緩めない。
「そうです…その夢には大層可愛らしい男の子が出てきました」
「男の子、ですか」 当然ファトラのサポート外だ。
「ええ、その子に色々な服を着せて一緒に遊んでいたのです…」
”姉上…夢の中でもそんなことを…” 一瞬悪寒が走る。
「もう本当に可愛らしくて…何度も抱きしめてしまいました…」
”はあぁ…” 心の中でため息をつきファトラは先ほどまで大騒ぎしていたことを後悔した。
”何事かと思えば夢の中で皇子と遊んでいただけとは…”
気が楽になったファトラはルーンに進言してみた。
「姉上、早くご結婚なされてはいかがです。そうすれば夢の中ではなく現実に我が子を抱くことができますよ」
笑いながら話すファトラにルーンはちょっとだけ表情が曇る。
まずいことを言ったかと思ったファトラだったがルーンはそんなファトラを谷底へ突き落とすような話を始めた。
「何を言っているのですかファトラ。私が抱いていたのはあなたの子供ですよ」
「はあ?」 思わず目が点になってしまう。
「ですからあなたの子供なのです。小さい頃のあなたにそっくりで…本当に可愛らしかった…」 今度はうっとりとした表情になる。
「わ、わらわの子供…ですか…」 辛うじて声を出す。
「そうですよファトラ。ですからあなた結婚なさい」 そう言うルーンの目は笑っていない。
「な、なんですと!わらわに嫁に行けと仰るのですか!」 取り乱すファトラ。食事中だったら皿の二、三枚は割れているところだ。
「いえそうではありません。あなたがお嫁に行ってしまったら子供の顔を余り見ることができませんからお婿さんを貰って下さい」 どうやら本気のようだ。
ファトラは目眩を覚えた。
「あ、姉上…もう一度確認したいのですが…」 自分でも血の気が引いているのがよく分かる。
「なんでしょうか」 嬉々と答えるルーン。
「姉上は夢の中でわらわに似た子供と遊んでおられた…」
「いえ『あなたに似た』ではなく『あなたの子供』です。その後あなたも出て来たのですがその子は『母上』と叫んであなたの元へ駆け寄って行きました。またあなたは赤ちゃんを抱えて幸せそうな笑顔を見せていましたよ」 実際にその場面を見てきたような感じで話すルーン。
ファトラは、今度は目眩どころではなく目の前が真っ暗になるような気がした。
後ろに倒れそうになるのを必死に堪える。
「あねうえ…その子が誰の子であろうと構いませぬ。とにかく姉上は夢で見たその子を抱きしめたいのでわらわに結婚せよと申されるわけですね」
「誰の子ではありません!ファトラ、あなたの子供ですよ!そんなことでは良い母親にはな…どうしましたファトラ…」
さすがのファトラも限界だった。ゆっくりと倒れる。
「ファトラ!大丈夫ですか!」 慌ててファトラを抱き起こすルーン。
ファトラはうっすらと目を開けた。
「だい…じょうぶです…姉上…昨夜はちょっと無理しすぎたようです…」 辛うじて聞き取れる声で答える。
ファトラが何とか自力で起き上がった時ロンズが入ってきた。
部屋の中にはルーンとファトラしかいない。
賊が入り込んだかと思ったロンズだったが二人の無事な姿を見てほっとした。
「失礼いたしました。何かございましたでしょうか」 端に控え頭を垂れる。
「なんでもない。夜更かしが過ぎて目眩がしただけじゃ。大したことはない」
「大丈夫ですかファトラ。嫁入り前の大事な体ですから無理をしてはなりませんよ」
「誰が嫁に行くと言うのですか!」 ファトラは思わず大声を上げる。
「そうでしたね。お嫁に行くのではなくお婿さんを貰うのですからね」 冷静に答えるルーン。
再び目眩を覚えるファトラ。しかしここで倒れるわけにはいかない。
だがファトラが体勢を立て直す前にロンズが口を開いた。
「恐れながらルーン殿下、ファトラ様に御結婚のお話があるのでしょうか」 驚いた顔をしている。
無理もない。侍従長である彼も初めて聞いた話だからだ。
「ええその通りです。それとここだけの話ですけど早く式を挙げて欲しいと思っております」 爽やかに答えるルーン。
ファトラが抗議する前にロンズは喜びの表情を見せ再度尋ねた。
「それはめでたい。このロンズ、ファトラ様の行く末を案じておりましたがやっと肩の荷が降ろせるというものです。で、お相手はどなたでございますか?」 本当に嬉しそうだ。
”相手?” ファトラは一瞬気勢を削がれる。
結婚は一人ではできない。それにルーンは 「早く式を」 と言っていた。
”まさか具体的に相手を決めておられるのではないだろうな” 頬を汗が流れる。
「ええファトラの相手は誠様しかいないと思っています」 この日最大の爆弾発言だ。
「誠…」「殿でございますか…」 さすがに意外すぎたようで二人とも呆けたような顔をしている。
「そうです。ファトラと誠様のカップルなら間違いなくファトラとよく似た子供が産まれますからね」 嬉しそうに話すルーン。
その言葉にロンズもまた目眩を覚えた。
「それはどういうことでございますか?」 聞きたくはないのだが立場上聞かざるを得ない。
その問いにルーンは再度説明を行なう。
「つまりルーン殿下はファトラ様の御子を抱きたいので誠殿とご結婚するようにと」 冗談であって欲しい、そう願いながら確認するロンズ。
「そうなのですよロンズ。素晴らしいと思いませんか?」 だが間違いなく本気のようだ。
「お、恐れながらルーン殿下、誠殿はイフリータを…」
「大丈夫です。誠様が昔おられた東雲町では一夫多妻と言う習慣はないと聞いていますが、こう言ってはなんですが彼女は人ではありません。ですので道義的にも問題ないと思います」 誰が考えても屁理屈である。
「で、ですが菜々美殿にシェーラ・シェーラ殿が…」 青くなりながら訴えるロンズ。
実際の所これが最大の難関だ。
運が悪いと城が瓦礫の山になるかもしれない。
「そちらの方はロンズ、あなたにお任せします。愛するファトラの婚姻です。極力騒動が起きないよう努力して下さい。他に何かありますか」 優しい顔で恐ろしいことを命じるルーン。
ロンズは青を通り越して白くなった顔を上げた。
「大臣や将軍らの意見も聞かなければなりません。それにまずは誠殿の意志もあるかと」 必死の抵抗を試みる。
「誠様は先の大戦の英雄ですから皆喜んで賛成してくれると思います。また誠様は他の世界からいらっしゃった方ですがいまはこのロシュタリアに住み、ロシュタリア王立学術院で研究員として働いています。つまり私の臣下と言っても構わないでしょう。ですので最悪の場合私が上意として」
「お待ち下さい姉上!姉上は誠の、いやこの私の意志さえも無視なさると仰るのですか!」 それまで青い顔で話を聞いていたファトラだったが突然大声で問い質した。
「ファトラ…私のお願いを聞いてくれないのですか?」 それに対し今度は寂しそうな顔で訴えるルーン。
だが姉としてならともかく国の最高責任者としての願いとなれば命令に等しい。
さすがに即答できないファトラ。
「ならばファトラ、この件をすぐに閣議に掛けても宜しいのですが…」 脅迫しているとしか思えない。
ファトラは口を開けない、というか顔を真っ直ぐルーンの方へ向けたまま気絶していた。
「ファトラ、どうしたのですか?」
ルーンがそっとファトラに触れるとそのまま彼女は後ろへ倒れていく。
「ファトラ!」「ファトラ様!」
慌ててルーンが抱きかかえる。
異変を聞きつけて今度はアレーレがやってきた。
「どうされました…あ、ファトラ様大丈夫ですか!」 急いで傍へ駆け寄っていく。
「ルーン殿下、ファトラ様はお疲れのご様子。私がお部屋へお運び致しますのでこの件はまた改めましてお願い致します。アレーレ、ファトラ様をお部屋へお運びせよ。早ういたせ」
ルーンに答える暇も与えず一方的に話をまとめアレーレに命令するロンズ。
また命令されたアレーレもそれまでのファトラの言動から非常事態であることを察知し何も言わずにファトラを運び出した。
「では私は一旦下がらせていただきます。ファトラ様ご婚儀の件は後日改めてお伺い致します」
ルーンに一礼し念を押す。
”なんとしても阻止せねばならない!” 堅く心に誓ってロンズは退出した。
自室へ運ばれたファトラはすぐに目を覚ましたもののさすがにショックが大きかったようだ。
「大丈夫ですかファトラ様」 傍でアレーレが心配そうな顔をしている。
「ああ…しかし姉上は一体何を考えておられるのか…」
「ファトラ様、いまはそのことよりも」 険しい顔でロンズが促す。
「そうであったな…ロンズ、ストレルバウを探して参れ。姉上が何をご相談されたのかを聞き出さねばならぬ。また外出先も気になる。急いで探すのじゃ。手段は問わぬ。急げ」
「かしこまりました。速やかに引っ立てて参りましょう」
一礼してロンズはストレルバウ逮捕に向う。
「大変なことになりましたねえファトラ様。何か名案はあるのですか?」
「…ない。姉上がこの話を他の者になされる前に思い止まっていただくしかないのだが、その方法は浮かばん…」 暗い顔で答える。
「それにしても誠様というのは困りましたね」
「ああ、この話が菜々美とシェーラに漏れてみい、フリスタリカは廃墟になるぞ」
ファトラは一息ついて更に言葉を続ける。
「それにもしも誠がわらわとの結婚を承諾したらもう逃げようがない」 そう話すファトラの頬に朱が差した。
「それはないと思われますが?」 ファトラの顔を不思議そうに見ながらアレーレが尋ねる。
「いや、あの姉上が相手なのじゃ。誠では到底勝ち目はない…まさか薬物を用いることは無いだろうが何らかの手段で承諾させることは十分にあり得る」 首を振りながら答えるファトラ。
「だがまだ望みはある。わらわの結婚ともなれば閣議の承認が必要じゃ。わらわは将軍達には受けが良いからな、彼らが反対すれば幾ら姉上が大臣達を説得できてもすんなり事は進むまい」
「つまり将軍様達をお味方にできれば大丈夫だと」
「うむ、ついでに何人か大臣を懐柔できれば確実じゃ…なんか希望が出てきたぞ。閣議で反対が出ればいくら姉上でも無理は言えまい」 一転して明るい表情になるファトラ。
「では将軍様の元へ参られますか?」
「いや、彼らの居場所がわからん。だがロンズは把握しておるはずじゃ。ストレルバウに全てを吐かせた後でロンズを向かわせよう」
「そうでございますね。所でストレルバウ博士はどちらへ行かれたのでしょう」
「それも気になる。もしも姉上の御用でとなると問題はその相手だな…」
「ストレルバウ博士を御使者にしたのは特別な訳があったのでしょうか」
「姉上が何を尋ねられたのかはわからんがそう考えて良いと思っておる。とにかくストレルバウを捕らえてみんとな」
「すぐに捕まるとよろしいんですけどねえ」
「なにあの風貌じゃすぐに見つけることができるはず。ロンズが確実に仕留めてくるであろう」
「ファトラ様、仕留められては困るのでは?」
「そうであった。口がきける程度にして貰わんとまずいのう」 そう言ってファトラは笑顔を見せる。
ようやく笑ったファトラを見てアレーレがほっとした後、ロンズが戻ってきた。
急いでアレーレが出迎える。
「ロンズ様お疲れさまでした。ファトラ様がお待ちです」
「うむ。さあ博士、これ以上世話を掛けさせないでいただこう」 そう言ってロンズはロープを引く。
その先にはストレルバウが後ろ手に縛られていた。
「た、頼む!見逃してくれ侍従長。早く逃げんと…ロシュタリアはもうおしまいじゃあ…」 錯乱しているようだ。
「何を取り乱しておるストレルバウ?国が滅ぶとは聞き捨てならぬが」 床に転がるストレルバウを見下ろしながら声をかける。
「ファ、ファトラ様!お願いです!誠君との結婚は諦めてくだされい…」 ファトラの足下へすがりつくようにして懇願する。
「何を馬鹿なことを言っておるか!ロンズ、一体どういう事じゃ?」 ストレルバウに蹴りを入れながら問い質す。
「はっ!ストレルバウ博士を捕らえるための配置を完了したところへちょうど博士が戻って参りました。すぐに捕らえ、こちらへ向かう途中でルーン殿下のご意志を説明したのですが突然暴れ出しまして」
「まさか他の者にこの件は!」 顔色が変るファトラ。
「それは大丈夫でございます。博士を捕らえた後は私と博士のみですし先ほどまで博士の口には私の手ぬぐいを詰めておりましたので」
ストレルバウが錯乱するのも無理はない。
取り敢えずロンズはストレルバウを床に座らせる。
「ではストレルバウ、姉上からどういうご相談を受けたのじゃ。それからそなたはどこへ向かった。まずこの二点を話して貰おう」 ロンズから渡された棍でストレルバウの顔を上へ向ける。
ストレルバウは観念したように話し出した。
「ルーン殿下のご相談と申すのはファトラ様の御結婚についてでした。具体的にはファトラ様のお相手としてはどういう人物が相応しいかというものです…私はファトラ様の夫となられる方は必ずしも文武両道に秀でた方である必要はない、ファトラ様より強い者など殆どおりませんからな、ですからむしろファトラ様を陰から支えることができる方の方がよろしいのではと。また政治的な野心を持たない、真面目な人物が望ましいのではないかとお答えしました」 そこまで話すとストレルバウは苦渋の表情に変わる。
「私はおろかだった…確かに誠君ならばこの条件に当てはまります…ああこんな事になるのならファトラ様のお相手は筋肉ムキムキのマッチョで岩をも簡単に砕けるような者がよいとお答えするのだった…」 はらはらと落涙するストレルバウ。
「馬鹿なことを申すでない!何がマッチョじゃ!」 容赦なく棍を振り下ろすファトラ。
「ファトラ様手加減を…まだ聞き出さねばならぬ事が有ります故に」 慌ててロンズが間に入る。
「そ、そうであったな。次にそなたはどこへ行ったのじゃ」
ストレルバウは床に転がったまま口を開いた。
「ミーズ殿の所です。ルーン殿下はミーズ殿の意見も聞きたいと仰いました」
「ミーズの…どういうつもりじゃ。ミーズに話したらすぐにシェーラにも知れるではないか」 驚愕の表情に変る。
「ルーン殿下は私の意見とミーズ殿の意見を比べてみたいと仰っておられました」
「で、ミーズはなんと申したのじゃ」
ストレルバウの答えに全員が注目した。
「それがミーズ殿はそう言うことならば直接ルーン殿下にお話ししたいと嬉しそうに申されて…お茶の時間に藤沢君と一緒に登城すると申しました…お終いです…ミーズ殿や藤沢君にこの事が知れればシェーラ・シェーラ殿や菜々美君に伝わるのは必至…この国はもう…」
「馬鹿者!そうならぬよう努力せぬうちから諦めるとは何事じゃ!」 ファトラが一喝する。
「そうですよ博士。まだ時間は残っています。がんばりましょうよ」
「博士、私とて怖い。ですがここで逃げてはなりません。ルーン殿下の臣として忠誠を誓ったのです。この国を救えるのは我々しかおりません。さ、頭を上げて下さい」 矛盾したことを言うロンズ。
「しかし…」
「しかしではない!いいかストレルバウ、姉上の願望は一時的なものじゃ。いまさえ乗り切れば問題ない。だがいまここで手をこまねいておるとそなたが言った通りになるのだぞ」
その言葉にストレルバウはゆっくりと体を起こした。
「分かりました。それで何をすれば宜しいのでしょうか」
「うむ…ロンズ、縄を解いてやれ」
「かしこまりました」
ロンズはストレルバウを解放しストレルバウと並んでファトラの前に座り直した。
アレーレが二人のためにお茶を入れる。
「ファトラ様何か妙案がお有りで?」 先ほどと違い落ち着いているファトラに期待しながらロンズが問い掛ける。
「妙案というほどのものではない。ロンズよ、我がロシュタリア軍は現在どのような配置になっておる?」 にやりと笑ってファトラが逆に質問する。
「我が軍の配置ですか…」 首をひねるロンズ。
「分からぬかロンズ。姉上に直接申し上げても無駄じゃ。しかし周りから反対されれば幾ら姉上とて無理押しはできまい」
「つまりファトラ様は軍部をお味方にされようと?」 お茶を飲み何とか落ち着いたストレルバウが問い掛ける。
「正確には将軍をじゃ」
「なるほどファトラ様は将軍達に人気がありますからな。彼らを味方にすれば効果は大きいでしょう」 頷きながらロンズが答える。
「後は大臣達じゃ。当然姉上も懐柔されようとするはずだが何人かで良い。それに将軍らを加えれば閣議で過半数とまで行かなくとも無視できる数では無いはずじゃ」
「御意」 ロンズとストレルバウが頭を下げる。
「ロンズ、そなたは将軍達の所を回り『誠のような軟弱者はロシュタリア王家の婿として相応しくない』と説得しろ。ストレルバウは文官達じゃ。誠が研究一筋であることを挙げ『政治が全く分からぬ人物』であると宣伝して回れ。くさびを打ち込むだけでも構わん。とにかく一人でも多く回るのじゃ」
「ははっ!」
「御意にございます」
感心したように再び頭を下げる両名。
だがアレーレが心配そうな表情で問いかけてくる。
「あのうファトラ様、間に合うのでしょうか。特に将軍様達は遠くにいらっしゃいますし」
「案ずるなアレーレ。時間稼ぎなら策がある」
「と申されますと?」
「しばらく身を隠す。わらわが出奔したとなれば姉上もわらわを探すのを最優先とするはず」
「なるほど。でどちらへ向かわれるのですか?」 少し心配そうな顔を見せるロンズ。
「フリスタリカからは出ない。城下にはわらわの愛人達がおるからしばらくそこへ潜伏する。アレーレは連絡役としてこの城に残り情報を集めよ。ロンズとストレルバウはアレーレを通してわらわと連絡を取るようにいたせ」
「えー私を連れて行ってくれないのですかぁ」 思いっきり不満そうな顔をするアレーレ。
「そう言うなアレーレ。この件は我ら四人で動かねばならん。しばしの間じゃ。帰ったら存分に可愛がってやるから我慢いたせ」 アレーレの胸から顎の辺りをなぞりながら説得(?)するファトラ。
「あぁん…分かりましたファトラ様ぁ…約束ですよ…きっと…」 目が潤んでいる。
「しかしただ単にファトラ様がお姿を隠されただけではインパクトに欠けると思うのですが」 ファトラとアレーレの行為はいつものことなので大して気にせず進言するストレルバウ。
「それも考えておる。ロンズ、そなたは兵を数名連れて門の方へ廻れ。名目は警備の強化でいいだろう。姉上もわらわの行動を規制しようするはずだから不都合はないはずだ。そなたが門の所にいる間にわらわがそこから城外へ逃亡を図る」
「そこで私と揉めるわけですな」
「そうじゃ。軽く押し問答をした後わらわは強行突破を図る」
「それを私が押し止めようとして騒ぎを大きくする」 にやりと笑うロンズ。
「その通りじゃ。だが本気で打ち掛かってくるのじゃ。芝居と見抜かれるわけにはいかん。また最後はそなたを打ち倒してわらわは逃亡するができるだけ派手に倒れるようにせい」
「なるほど。警備兵が私の方へ集まった隙にお逃げになるわけですな」
「そうじゃうまくやれよ。姉上にご報告した後で将軍達へ連絡を取れ。姉上に気付かれるでないぞ。アレーレはわらわが置き手紙をしたためるのでそれを持って姉上の元へ行くのじゃ。その後は情報収集を行い夜になったらわらわの元へそれを届けよ」
「かしこまりました」
「騒ぎとなれば姉上もミーズと会う余裕はあるまい。間違いなく門前払いじゃ」
「そうなるとミーズ殿の性格からして間違いなく良い印象は持ちますまい」
「そう言うことじゃ。では皆のもの行動開始じゃ。この国の存亡はそなたらの肩に掛かっておる。頼むぞ」
「御意に」
一礼して部屋を出るロンズとストレルバウ。
「さてと…」 そう言ってファトラは滅多に使うことのない机に向かう。
便せんを広げ、大きく一言 『嫌です』 とだけ書く。
それを畳んでアレーレに手渡し命じる。
「よいか、正門での騒動が収まった頃を見計らって姉上の元へ行くのじゃ」
「かしこまりました。ですが単純すぎませんかねえこの手紙」 心配そうなアレーレ。
「大丈夫じゃ。この一言にわらわの全ての想いが託されておる。姉上も無碍にはできまい」 そう言って天井を仰ぐファトラ。
「ともかくいま必要なものは時間じゃ。アレーレ、城に残るそなたがこの作戦の要となる。しっかり頼むぞ」 そう言い残しファトラは部屋を出ていった。
「御武運を…」 後に残ったアレーレはファトラの置き手紙を握りしめ…慌ててしわを伸ばし始めた。
廊下をのんびりと歩くファトラ。
”わらわがいなくなればさすがに姉上も慌てるはず…わらわを探し出すことに力を注がれるだろう…そうなれば勝機はある”
そしてこれから身を寄せる予定の愛人のことを思い浮かべる。
”彼女の所ならばしばらくは見つかるまい。その間はゆっくりと…” 自然と頬が緩んでしまう。
だがそんな彼女も正門近くにいる兵士達を見て緊張した。
”数が多い…ロンズめ数名と言うたのに何を考えておるのじゃ!”
所がそのロンズも当惑気味の表情をしている。
”何かあったな” ファトラは気合いを入れ直す。
近くまで行くとロンズが正面に立った。
「ファトラ様どちらへお出でで?」 まあ型通りだ。
「別にどこでも構わぬではないか。ちょっと散歩に行くだけじゃ」 そっと回りに気を配りながら答える。
兵士達がゆっくりとファトラを囲むように動いていた。
更にロンズの後ろ、正門を背にして数名立っている。
”姉上か…仕方ない。ロンズには少し痛い目に遭って貰おう”
「ファトラ様、申し訳ございませんが外出を控えるようにとルーン殿下からのお達しでございます。どうかお部屋へ戻られるようお願い申し上げます」
そう言ってロンズが頭を下げたところへファトラが飛び込んだ。
一気に間を詰めその懐に入る。
「な!?」
驚いたロンズが構える間も与えず掌底を繰り出す。
「済まんなロンズ」
ファトラがそう呟いたときにはロンズは後方へ弾き飛ばされそこに立っていた兵士達に激突する。
ファトラの計算では周りが動けないロンズに気を取られ、隙ができるはずだった。
そこを突いて一気に城外へ脱出するつもりだったのだが彼らはロンズには構わずその輪を縮めファトラに迫った。
”何!” 驚いたもののすぐに門へ向かう。
地面に倒れるロンズ達の上を跳躍し更に数名と打ち合う。
ロンズとぶつかった兵士達は大した衝撃でもなかったのか多少ふらついたものの立ち上がった。
「大丈夫か?」 ファトラを囲んでいた兵士の一人が声をかける。
「ああ、それよりもファトラ様を。我らもすぐに追う。ロンズ様の死を無駄にはできん」
「分かった。急げよ」 そう言ってファトラへ向かっていく。
ファトラが何とか脱出した後、残った兵達も互いに怪我がないことを確認し未だ倒れて起きあがれずもがいているロンズには目もくれずファトラ追撃に加わった。
「ま、まて…わしを…誰か…」 誰もいない正門にロンズの声が空しく響いていた。
「ふう…エラい目に遭ったわ。それにしてもロンズめ、あそこまで人望がないとは…今度姉上に進言せねばならぬな」
二時間以上も走り回ってようやく追っ手を振り切ったファトラはぶつぶつ言いながらやっと愛人宅に辿り着いた。
周りに注意しながら扉をノックする。
それに応えて出てきたのは二十歳くらいと思われる長身の美女だ。
「これはファトラ様このようなところへ…一体どのようなご用が…」
さすがに面食らったらしい。だがそれに構わずファトラは中へ入りすぐに扉を閉める。
「アンゼラ、済まんが水を一杯くれ。走り回ったので喉がからからじゃ」
「はい直ちに…」 一瞬怪訝そうな表情を見せたがすぐに水を持ってくる。
「少々お持ちいただければお茶もご用意できますが」
「いや構わん。それよりも頼みがある」
「なんでございましょうか。私にできることなら何なりとお申し付け下さい」
「ああ、しばらく匿って欲しいのじゃが」
「匿う?それは穏やかではございませんね。それにアレーレちゃんの姿が見えませんがどうなされたのですか?」
ファトラは水を飲み干しゆっくりと呼吸を整えてから答えた。
「アレーレは城におる…実は姉上から結婚せよという御命令が出てな」
「なるほど、それで逃げてこられたのですか。でもどうして私の所へ参られたのですか?こんな狭い所ではなく他にも有ったと存じますが」 いたずらっぽい目で問い掛けてくる。
ファトラは答えを躊躇した。
困ったようなファトラの顔を見てアンゼラはにこっと笑う。
「私が新参者だからでございましょ?古くからお付き合いが有る方達の所ですとお城もご存じかもしれない。しかし私はファトラ様のご寵愛を受けてまだ一ヶ月も経っておりませんから」
「…ああそうじゃ…済まんなそんな理由で訪れて…」 ばつが悪そうに答える。
「いえ、もったいのうございます。それにこれから数日はファトラ様を独り占めできるわけですからこんな光栄なことはございません」
「ふふ…ういことを言う奴じゃ…わらわがここにいることを誰にも知られぬようにな。時々アレーレが連絡を取りに来るが十分気をつけてくれ」
「左様で。ですが私は少々口が軽うございますからつい口が滑ってしまうかもしれませんよ」 もちろん嘘だ。
「そのようなたわけたことを言うような口は塞がねばならぬな…」 目が妖しく光る。
ファトラは彼女をぐっと抱き寄せた。
「誰にも話さぬようしっかりと封印して進ぜよう…」
そう言ってファトラが唇を合わせゆっくりと押し倒したその時
ガンガン! 少々大きいがノックの音だ。
もちろんそれに怯むようなファトラではない。
だが更にノックが続く。
「ええい!誰じゃ人の邪魔をするのは!」 さすがに頭に来たらしい。体を起こして壁越しに玄関の方を睨み付ける。
「ファトラ様、取り敢えず見て参ります。しばしお待ちを」
着衣を整えながら部屋を出ていくアンゼラを見送りながらファトラは朝から思うように事が運ばない事に苛立ちを感じ始めていた。
だが再び扉が開きアンゼラの姿を見た瞬間それも消え去ってしまう。
しかしアンゼラの顔色が悪い。
「どうした?幽霊でも見たような顔をして…」
「ファトラ様これを」ファトラの問いには答えずそっと封書を差し出す。
「これは?」 ファトラは怪訝そうな表情を見せる。
「外にいたのは背が高い男性です。武装はしておりませんでしたが兵士ではないかと」
「背が高い兵士?」
「はい。私よりも頭一つ以上は高く体格も素晴らしいのですがお顔は人懐っこい感じで、お顔だけ拝見したらとても兵士とは思えないでしょうね」
「そやつがこれをわらわに?」
「ええ、中にいらっしゃるファトラ様へお渡しするようにと」
ファトラは封書を開けてみる。
想像通り中にはまた封書が入っていた。
ルーンの花押がある…ファトラは無言のまま開いた。
『ファトラ、あなたの友人達の住居は全て分かっています。彼女達に迷惑が掛ってはいけませんから早くお戻りなさい』
思わずファトラは天を仰いだ。
アンゼラは何も言わずにファトラを見つめ言葉を待つ。
「来たばかりで済まぬが戻らねばならなくなった。今度また必ず寄らして貰う…」 力無く話すファトラ。
アンゼラはファトラのために扉を開けた。
「ファトラ様、私のような者の事を覚えていて戴いた事を有り難く存じます。狭いところですがいつでもファトラ様のために開けておきますので気兼ねなくいらして下さい」 一礼してファトラを送り出す。
「済まぬ」 それだけ告げるとファトラは外へ出た。
ざっと周囲を見渡したあと城へ向かって歩き出す。
ファトラが十歩も歩かない内に後ろから大きい影がやってきた。
「ふん、やはりそなたか優男」 歩きながら後ろを振り向かずに口を開く。
「申し訳ございませんねえファトラ姫。私も野暮なことはしたくなかったんですがルーン殿下直々の御命令となるとちょっと無視するわけにもいきませんので」 隣に並び謝罪の言葉を述べるものの全然悪びれた様子はない。
「なぜそなたが出てきた?第一師団は聖大河近くで訓練中と聞いておったが」
「相変わらずですなファトラ姫。それは先々週の話です。我々はフリスタリカ郊外に展開している第二師団との合同演習のため昨夜戻って参りました」
「そうか…所で優男、先ほど姉上から直々にと申したがハウザは知っておるのか?」
「そのハウザ将軍から飲み屋にいた所を呼び出されましてね。文句言いながら登城するとルーン殿下から直々に封書を手渡されたって次第です。お陰で酔いも吹っ飛んじゃいました」 笑いながら答える。
「…と言うことはハウザは姉上についたと見てよいな…」 唇を噛みしめるファトラ。
「悪い報告が続いて申し訳有りませんがその場にはルカル将軍も同席されてましたよ」
「…そうか…そなたにしては兵の配置が見事だと思っておったが…」
「私が言うのもなんですがね。良いんじゃないですか、誠君」
「ば、馬鹿を申せ!誰があんな軟弱者…」 頬を紅潮させながら答える。
だが幸いにしてファトラの方が圧倒的に背が低いためその顔を見られずに済んだ。
「軟弱者…まあ確かに武で彼に遅れを取るものは軍にはいないでしょう。だがただの軟弱者ではない。彼の勇気と根性は誉めてやっても良いと思いますよ」
「勇気の方は知らんが確かに根性だけは有るようじゃな。シェーラ・シェーラと菜々美に挟まれながら未だにイフリータを想い続けておる…それだけは誉めてやっても良いだろう…」
「なるほど、そう言う見方もありますな。さすがファトラ姫、ロマンティックなお方だ」 にやりと笑う。
「何を言いたいのじゃ優男。わらわと一戦交えたいのなら遠慮はいらんぞ」
「はっはっはっ、今日は非番で獲物も有りませんからね。また次の機会にお願いしますよ。では私はこれで」 軽く会釈する。
「良いのか、わらわを連行せずとも」
「私が命じられたのはルーン殿下のお使いだけでその後のことは知りません。なんせ飲みかけの酒が有るもんですから早く行かないと連中に全部飲まれっちまう。そんなわけなんで失礼いたしますよ」 そう言って立ち止まった。
ファトラは数歩進んだ後、後ろを振り返り
「一言言っておく。確かに誠はただの軟弱者ではない。軟弱な大うつけじゃ。よく覚えて置け」
彼は再び歩き出したファトラを見送りながら
「全く素直じゃないお方だ。もっとも素直なファトラ姫なぞ想像もできんがね」 そう呟き酒場へ戻っていった。
ファトラが正門に着くやアレーレが姿を見せる。
「お帰りなさいませファトラ様」 その表情はファトラの推測を裏付けるものであった。
「ロンズとストレルバウは?」 余計なことは訊かず部屋へ向かう。
「ロンズ様の執務室にいらっしゃいます。ファトラ様がお戻りなったらすぐに伝えるよう申しつかっておりますが」 すぐ後を追いながら報告する。
「分かった。すぐにわらわの元へ来るよう伝えよ」
「承知いたしました」
ロンズの所へ行くアレーレを見送るファトラは今更ながらルーンの力を思い知った。
「だが負けるわけにはいかん!」
その言葉に近くにいた官女達がびっくりしてファトラの方を見たが彼女はそれに構わず先へ進んだ。
婚姻の世界エルハザード 中編予告
「姉上を甘く見ていた…」
唇を噛みしめるファトラ。
ルーンは正規軍までも動員しファトラを包囲していく。
落胆したファトラをストレルバウが一喝する。
そしてストレルバウが画策した起死回生の計画。
「だがそれはシェーラから怒りを買うことになるやもしれぬぞ」
ファトラの心配をよそにアレーレ達は作戦を決行する。
陰謀の渦中にあることに気付かない誠。
できることなら誠とは顔を合わせたくなかったファトラだったが
運命のいたずらか誠と二人きりになってしまう。
「本当にそなたは馬鹿なのか利口なのか分からない奴じゃな」
「休みを取ることは考えませんでした。そうや、休みが取れたら旅行にいきませんか?」
のんきな誠に苛立ちを覚えるファトラ。
”殴りつけるぞ! おらっ!”
策を練るファトラに対し動きがないルーン。
ファトラの行動を無視するかの如く平静を装っている。
「わらわが奇策と思うておるだけで姉上にしてみれば他愛もない策かもしれぬ」
疑心暗鬼に陥るファトラ。
「そんなことはございませんファトラ様。きっとうまくいきます」
アレーレの激励も空しく聞こえる…。
『婚姻の世界エルハザード 中編』 満を持して『えれくとら』にて掲載
「姉上とて万能ではない。必ず弱点があるはずじゃ!」