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 8人の若者を乗せた中型ワゴン車が高速道路をひた走る。

 「ふぅ」

 彼は溜息一つ,その吐息はもたれかかる窓ガラスを僅かに白く染め、そして消えた。

 「4番イフリータ,feeling heartの2番を唄いま〜す」

 「何故2番?!」

 「ひゅーひゅー!」

 後ろの席からはそんな陽気な声が聞こえてくる。

 ファトラ,シェーラ,菜々美が二列目に。イフリータ,クァウール,アフラが三列目に陣取っていた。

 「ファトラはん,ビールもぅ残っとらへんの?」

 「日本酒ならあるぞ」

 「夕暮れが夜風を揺らしてゆくよ〜♪」

 彼は珍しく酔いのまわっている愛しの人の音程のやや外れた歌声を聞きつつ、窓の外へ目をやった。

 右から左へと流れて行く景色は、どれもこれも雪化粧をしている。

 「私も変わり始めてい〜る〜よ♪」

 ”ほんに、変わったなぁ”

 歌詞に乗せた陽気な彼女の声に、小さく微笑む。

 と、そんな彼の頭をコツンと硬いものが叩いた。

 「ん?」

 「なぁに、ポケッとしてんだぁ? 誠ぉ!」

 「い、いえ,シェーラさん。僕は普通ですけど」

 後ろの席から身を乗り出したのは瞳に剣呑な光を浮かべたシェーラだ。

 右手には缶チューハイを手にしている。

 「普通ぅ? 呑めや、コラァ!」

 「や、やめ…ぐはっ!」

 シェーラは無理矢理に缶の中身を誠に呑ませると、満足したのか後ろの席に戻って行った。

 「貴方と同じみ〜ちぃ〜を歩い〜て♪」

 イフリータの声が急に飲まさせたアルコールのせいか,やけに遠くに聞こえてきた。

 「どうしてこないなことになってしもうたんやろ?」

 額を軽く叩きながら、彼は溜息と共に呟く。

 「お前はまだ良いではないか、誠」

 助手席の誠は、そう愚痴る運転席の男を見た。

 「何故に私が運転手に…くそぅ! 菜々美の奴め」

 ハンドルを握りながら悔しげに顔を歪める陣内だ。

 「何か言った? お兄ちゃん?」

 ひょいと真後ろの席から兄の横に顔を出す妹。その右手には一枚の写真が握られていた。

 まるで兄にだけ見せるようにひらひらと。

 「…何でもない」

 押し黙る陣内。

 そして…

 「「はぁ」」

 溜息の二重奏。

 誠は気を取り直し、終わりが近づいたイフリータの歌に耳を傾けた。

 「二人が信じ合う事が愛し合〜う事で♪ ふぉお〜えば〜………」

 と、

 「信じ合うことが愛し合う事、か」

 後ろからファトラのそんな呟きが聞こえたかに思えた。




雪国温泉フラリ旅 王女は見た--以下略--




 事の発端は、とある真冬のお昼時のことだった。

 「雪ってどんなもんなんだ? 誠??」

 週刊誌を眺めるシェーラの呟きに、誠は首を傾げた。

 「知らないんですか?」

 「エルハザードは年中温かいさかい,ウチも見たことはありませんわ」

 アフラが代わって応える。

 「へぇ…そうなんですか〜」

 「そうだ、まこっちゃん,今度の週末にみんなでスキーなんてどう?」

 「わらわは雪見酒の方が良いな」

 「ちょっとファトラさん! そんなオヤジ臭い趣味は止めた方が良いわよ」

 「私は温泉が良いですわ」

 「クァウールさん……僕が言うんはどうかと思いますけど、もうちょっと気を若くした方が良いですよ」

 ………………

 ………

 …

 色々あって、運転免許を持つ陣内を誘った(脅迫した)一行8名は北陸の温泉街へと足を伸ばしたのである。




 到着は夕暮れ時。

 静かな街だった。

 雪は音を吸収するからだろうか?

 それとも単純に人が外に出ないからなのだろうか?

 客観的視野から、観光で足を運ぶには不便過ぎる所ではある。

 とかく静かな温泉街だった。

 そのさらに奥の、ひなびた温泉宿に一行は到着した。

 「さ、さむいなー」

 車を降り、肩を抱いてシェーラは呟く。

 「えらいトコまで来たもんねー」

 「菜々美はんの注文通りどすぇ。料金が安くて、山の幸が美味しい料理と地酒が出て、露天風呂があって…」

 言いながら指を折るアフラ。

 「とにかくさっさとチェックインするぞ」

 上着を何枚も着こんだファトラは早足で宿へと駆け込んで行った。




 部屋割りは誠と陣内で一部屋,イフリータ・菜々美・クァウールで一部屋,ファトラ・シェーラ・アフラで一部屋の計三部屋だった。

 「僕等の他にお客はおらへんのかな?」

 部屋でお茶を煎れながら、誠は畳の上で寝転がる陣内に尋ねる。

 「駐車場には我々の他に車は無かったな。こんな真冬に山奥まで来る酔狂などそうたくさんいるわけ無かろう」

 「それもそうやなぁ」

 「どうでも良いが、誠。お前もさっさと運転免許を取れ」

 「時間がなぁ」

 と、そんなのんびりとした男部屋の隣では…

 「おい、ちょっと待て…冷静になれ,お前達!」

 戦慄が、走る。

 『彼女達』に囲まれ、青い顔をしたファトラに一斉に手が伸びたのだった。




 とんとん。

 誠は隣のイフリータのいる部屋の襖を叩く。

 返事は…ない。

 「んーんー!」

 くぐもった声が聞こえるだけだ。

 訝しげに思った誠は襖を開ける、と、そこには

 「ファ、ファトラさん!! どうしたんですか!!」

 布団で簀巻きにされ、猿ぐつわを噛まされたファトラが畳の上に転がされていた。

 誠は慌てつつも、彼女の戒めを解く。

 「ぷはぁ…くそう、奴等め」

 ファトラは大きく息を吸いこんで深呼吸。いまいましげに呟く。

 「強盗ですか?!」

 「いや、違う」

 誠の問いに咄嗟に応えてしまうファトラ。

 「?? ………!!」

 数瞬後、事の次第を理解して誠は背を向けようとしたファトラを後ろから羽交い締める。

 「何をする、誠! 放せ!!」

 「放さへんで、ファトラさん! ここで逃がしたら僕が殺されるさかい!!」

 そう、ファトラを布団で簀巻きにしたのは今頃露天風呂に入っているであろう女性陣。

 『殺られる前に殺る』,生きていく上で正しい判断だ。

 ここで王女を放せば、どんな惨劇が待っているか分かったものではない。逃がした誠にも制裁が下る事間違いなしだ。

 誠は暴れるファトラを無我夢中で掴んで引き倒す。と、

 「あん、バカ,そんな所を触るでない」

 「ご、ごめんなさい」

 「今じゃ!」

 一瞬の隙を突いて立ち上がり、部屋の外に向って駆け出す色魔。

 「こ、姑息な手を!」

 一瞬早く、誠の手が彼女のくるぶしを掴み、

 「あ」

 どべしぃ!

 顔から畳にキスするファトラ。

 「………くぅぅ〜〜」

 鼻を押さえるファトラ。さすがに誠も反省。

 「だ、大丈夫ですか?」

 ずるずる…

 匍匐前進で進む王女。誠は内心での反省を撤回。

 「いい加減、諦めや!」

 誠は再び後ろから羽交い締めた。

 「は〜な〜せ〜」

 「だ〜め〜や〜」

 ジタバタと暴れるファトラを、しかし顔は同じでも体格差でしっかりと捕縛する誠。

 「しっつこい男は嫌われるぞ」

 「執念深い女の子はモテませんよ」

 言い返す。

 「男になぞモテる気なぞないから良いのじゃ」

 「僕もイフリータさえいればいいから良いんです」

 ピクリ、その誠の言葉に一瞬ファトラの動きが止まる。

 が、

 「だったら良いじゃろうが! は〜な〜せ〜!!」

 「だ〜か〜らぁ、僕も死にとうないから放しまへん!」

 じたばたじたばた

 「はぅ、変な所を触るなと言っておろうが!」

 「その手には乗りませんよ」

 言う誠だが、心なしか掌に柔らかい感触が伝わってくるような気がする。

 「あぅ…や、やめいと言うに、バカ」

 ファトラの仄かに熱い声が漏れた、その時だった。

 ガラリ

 襖が開く。

 「良いお湯だったわね〜」

 「ホンマに」

 5人の浴衣に着替えた女性達がやってきた。

 部屋の中を見て、一斉に動きが止まる。

 「ま、誠…さん?」

 「テ、テメェ、誠…」

 唖然とするクァウールにシェーラ。

 「何やってるのよ、まこっちゃん!!」

 「身動きの取れへんファトラはんを襲うとは…いつからそんなに大胆になったんどすか?」

 菜々美が怒りの言葉を吐き、九割の嫌悪感と一割の感心を表情に浮かべるはアフラ。

 そして最後に、イフリータが二人を見下ろしてこう言い放った。

 「…最低だ、誠」

 一同の白い目の中、怒りに身を振るわせる二人は

 「「違うわ!!」」

 同じ言葉がキレイにハモった。




 湯煙りの中、王女は湯の上に浮いた盆からとっくりを手に取り…面倒になったのか、そのままがぶ飲み。

 「ふぅ〜」

 全身に湯の心地好い熱が染み入る。同時に燗にした地酒もまた、血管の一本一本に広がって行く錯覚を覚えた。

 彼女は夜空を見上げる。

 満天の星…は見えない。

 それは0℃を切った外気温と湯の温度との差でいつもよりも濃い湯煙と、そして…

 「風流じゃのぅ」

 ファトラの鼻頭に乗って一瞬で水滴に変じた氷の結晶のお陰だ。

 厚ぼったい雪雲が、オリオンの輝く真冬の夜空を覆い尽くしている。

 「しかし他に客はおらんのか?」

 ファトラはあまり広くないこの温泉宿を思い出す。

 先程、宴会場で夕食を摂った際、他の客の声すら聞かなかった。

 陣内も言ってはいたが、他の客の車がないということは、残るは徒歩の客,こんな所に徒歩で来る客に女性はいないだろう。

 そんな結論に達した時点でファトラの思考は瞬時に切り替わった。

 ではここに入りに来るのは身内しかいない。

 宴会の席で酔い潰れた菜々美とクァウールを、やはり眠そうなイフリータが部屋に回収していた。

 ファトラの部屋では同室であるシェーラとアフラが、誠と陣内を巻き込んで未だに酒盛りを続けている頃だろう。

 となると、ここに来る者としたら、

 ガラリ

 合図したかのように脱衣所の扉が開く。

 湯煙で朧げに人影が一つ、見えるだけだ。

 ”菜々美とクァウールではないな,となると酔い覚ましにきたイフリータか…”

 キラリ,ファトラの瞳に狩人の光が光る。

 彼女は残るとっくりの中身を一気に飲み干し、半ば潜水モードで獲物を待ち構えた。

 人影は備え付けのシャワーで体を流してから、露天風呂に入って来る。

 ファトラに気づいた感は無い。

 やがて人影は湯船の中でリラックスしたらしい,影に向ってファトラはゆっくりと波すら立てずに近づき…

 「む?」

 首を傾げる。そこにはイフリータの姿はなく、

 「何故にこんなところに鏡があるのじゃ?」

 驚きの表情を浮かべた鏡の、己の頬に当たる部分に触れる。

 ふにょ

 立体的だった。

 「はて?」

 ”それ以前にわらわはこんな驚いた顔などしてはおら…ん?!”

 「あの…ファトラさん??」

 『鏡』は、心底困った顔でそう呟いていた。

 ファトラは疑問の表情から納得のそれへ。

 そして怒りの顔になり直後、絶望の色を浮かべて…

 「キャーーーーー!!」

 「うわぁぁぁ! 誤解です、叫ばんといてーー!」

 「イヤァァーーー,むぐぅ」

 ファトラの口を両手で押さえる誠。

 「こ、混浴なんですよ、ここは!」

 目を白黒させて、王女はしかし数秒後に冷静さを取り戻す。

 「聞いておらんぞ」

 「人の話を聞かなかっただけでしょう!」

 「スケベじゃのぅ、誠」

 「あのねぇ…しっかし、まさかファトラさんが入ってるなんて」

 「こんな誰も入らない真夜中に入って来るでないわ!」

 「だから入るんでしょうが」

 困った顔で誠。

 そんな彼に第3の声がかかった。

 「おい、誠。いるのか?」

 「おるで、陣内」

 「?! なぬぅ!」

 さすがにこれには驚き、ファトラは湯船の中を後ずさる。

 「他に誰かいるのか?」

 湯煙の向こうからそんな陣内の問いかけ。

 「お、おらんと言え」

 「おらへんよ,今日は僕達以外、お客おらへんみたいやし」

 「そうか」

 陣内はそのまま湯で体を流してから湯船に入る。

 「ふぃ〜」

 オヤジくさい声が聞こえる。

 「どうします? ファトラさん??」

 「どうもこうも…しばらくわらわの盾になっとれ,誠」

 背中にくっつく様にして隠れるファトラに、誠は苦笑。

 「誰かと話してるのか、誠?」

 「猿や、っつ!」

 脇腹を抓られる。

 「誰が猿じゃ、誰がっ」

 「ぬぅ、そんなものまでいるのか。余程の山奥なのだな」

 「そうやなー」

 そのまま20分が経過する。

 「もう私は出るぞ、誠。いつまで入ってるつもりだ? のぼせても知らんぞ」

 「せっかく来たんやから、もうちょっと入っておくわ」

 さすがに誠も頭を朦朧とさせながら、湯煙の向こうに応えた。

 「そうか,ほどほどにな」

 ザバァ,お湯の音が聞こえ、脱衣所の扉を開ける音を最後に陣内の気配が消えた。

 「行ったで、ファトラさん?」

 後ろに振り返る誠。

 「ん…そうか…」

 その彼の胸にファトラがしなだれかかってくる。

 胸を隠していたタオルが水面に浮かび、誠の胸に柔らかな双丘の感触が伝わってくる。

 「ちょ…ファトラさん?」

 彼の肩に乗ったファトラの口からは、仄かな日本酒の香り。

 横には湯に浮いたお盆と、空のとっくりが二本。

 「って、湯当たりやないか!!」

 誠は気を失ったファトラを慌てて抱き上げ、脱衣所へと走ったのだった。




 火照った頬に緩やかな風が当たって弾ける。

 霞む視界の先には、うちわを扇ぐ浴衣姿の人影一つ。

 やがてその輪郭が彼女にははっきりと見えてきた。

 隣の部屋からであろう,シェーラとアフラ、陣内の騒ぐ声が聞こえてくる。

 対して風のそよぐ音しか聞こえないここの静かさが強調された。

 「ん…誠か?」

 ファトラは浴衣姿で布団の上に寝かされていた。

 「わらわは…?」

 曖昧な記憶の糸をたどる。

 「のぼせたんや。調子に乗ってお酒飲みながら長湯するからやで」

 「…お主等が入って来たから、出るに出られんかったのではないか」

 いきり立ちながら上体を起こす,途端、立ち眩みにも似た眩暈が僅かに彼女を襲う。

 そんな彼女を苦く笑って誠は抱き止めた。

 少し湿った長い黒髪が彼女の口元にまで流れる。

 「ところで、わらわに浴衣を着せたのは…?」

 再び横に寝かしつけられ、王女は気にしていた事を口にした。

 途端、誠の顔色が変わる,視線が宙を泳いだ。

 「え、ええと…」

 そんな彼を見て、ファトラは小さく笑う。

 「まぁ、わらわはお主を信じておるからの」

 まどろみの中で呟く王女の声は、窓の外でしんしんと降り続く雪に染みこみ、消えて行った。