ささやかな風の幸せ
Written by おださが
「ふぅ」
軽い溜息とともに彼女は本から顔を上げる。
そして座っている出窓から窓の外に目をやった。
太陽は空高く上り、建物の影は短い。
すなわち、ほぼ昼時であることを示していた。
「もうこんな時間…」
彼女はそうつぶやくと、腰掛けていた出窓から降り、そこへ本を置く。
そして軽く背伸びをして辺りを見回した。
「何かありましたやろか」
独り言が癖になっているのか、彼女は再びつぶやくと、図書館と見紛うばかりのその部屋を後にした。
居間へとやって来た彼女はそのままキッチンへと歩いて行き、おもむろに冷蔵庫の扉を開けて覗きこむ。
「…ふーん…、これといって何もあらしませんな」
彼女は冷蔵庫の扉を閉めつつ、腰に手をやって考え込む。
「……」
腰に手を当てたまま、彼女は所在無げに視線を部屋へさまよわす。
「仕方おへん。これは菜々美食堂どすな……」
そう言った彼女は、スタスタと玄関のほうへと歩いていく。
そしてそのまま外へ出て鍵を掛けた。
なおも彼女の歩みは止まらず、そのまま崖のほうへと歩いていく。
彼女の『家』は山の上にあり、しかも崖に面していた。
もっとも、『家』というには少々語弊がある。
正確には居住区&仕事場であった。
緑色の外観、かなり特徴的なデザインの建物。
それが彼女の『家』、歴代の者達に受け継がれてきた『家』であった。
彼女は崖っぷちで立ち止まると、瞳を閉じる。
「今日もええ風やな…」
そうつぶやいた彼女はタンと軽く飛び上がる。
そして空へ…と、その瞬間に思い直した彼女は、すぅっと地面に降り立つといそいそと『家』へと戻っていく。
「ええ機会どすな。あれ、持っていってちょっと話を聞いてみるのもええやろ」
彼女は色白の頬を朱に染めつつ、誰にともなく言い訳をしながら早足で自室へと歩いていく。
そして机の上に広げられた書類を丸めて筒に入れ、再び自室を後にした。
「ほな、今度こそ行きましょか」
再び崖っぷちに来た彼女は、先ほどと同じようにタンと地面を蹴り、ふわりと空へ舞い上がった。
彼女の周りを風が包み込む。
その風は、まるで彼女を迎え入れるかのように包み込み、彼女もそれに応えて身を任せる。
「ちょうどランチの時間に着くやろ」
そうつぶやいた彼女は、一路フリスタリカを目指して空を翔けて行った。
●
「さて、食べるもん食べたし、あとは研究室、と…」
菜々美食堂でお昼を済ませた風の大神官アフラ・マーンはそうつぶやくと、王宮目指して歩き始めた。
アフラなら、王宮まではそれこそひとっ飛びなのだが、人通りの多い市場でそれをやって見せ、無用な騒ぎになるのはご免だった。
アフラをはじめとしたマルドゥーンの大神官は、エルハザードの民から尊敬と畏敬の念をもって見られている。
それこそ神にも等しい力を行使する彼女たちは、生きた女神たちなのだ。
しかしそんな大神官がぶらぶらと市場を歩くことなどないと思われているのか、逆にアフラに気付くものはいなかった。
ロシュタリア城内の研究室を目指し、スタスタと早足で歩くアフラ。
アフラは歩きながら、ふと先程の菜々美の反応を思い返す。
それはアフラが食事を摂りつつ、誠が何処にいるか、菜々美に訊ねた時のことである。
「アフラ、マコッちゃんに何の用なのよー」
「何の用て…。別に何の用でもええどすやろ?」
まるで自分が恋人だ奥さんだ母親だ、と言わんばかりに菜々美に問いただされたアフラはあえて冷たく答えると目の前に出された定食にとりかかる。
ランチタイムより少し早い時間に着いたアフラからの注文を菜々美が自分で運んで来たのだ。
「そんなこと言うんなら教えてあげないわよーだ」
口を尖らせてそう言う菜々美に溜息をついたアフラが足元においてある筒に手を伸ばそうとしたときだった。
店の入り口にかかった、大きく「菜々美食堂」と染め抜かれた暖簾を勢い良く跳ね上げて元気な声と影が飛び込んできた。
「菜々美お姉様〜、研究室の誠様への出前からただいま戻りましたぁ!!!」
その声にアフラはゆっくりと、菜々美は大きく溜息をついた後に振り向く。
「ア、アレーレ…」
「なるほど…」
気が抜けた表情の菜々美とすまし顔のアフラ。
対照的な二人の顔をまじまじと見たアレーレは、軽く首を傾げた後、やにわにアフラに飛びかかろうとした。
「アフラお姉様〜!!!」
しかしそんなアレーレの行動は、頬を引きつらせた笑顔の菜々美に寸前で取り押さえられてしまった。
「ごめんなさいねー、アフラ。そろそろお店のかきいれ時だから…」
菜々美は引きつった笑顔を懸命に保ちつつ、アレーレの首をつかんで引きずって行く。
そんな二人を表情を変えずに見送ったアフラは、二人に聞こえぬようにつぶやいたのだった。
「相変わらず賑やかな店どすな」
そんなことを思い出しながらアフラは市場を歩いていたが、ふと果物屋で足を止める。
「そうやな…デザートなら…」
そして二言三言店主の言葉を交わしたかと思うと、自分の目の前にある果物を指差し、店主の冗談を適当にあしらいつつ二個購入した。
それは林檎に良く似た果物でとても瑞々しく、アフラの、そして誠の好物でもあった。
店主から袋を受け取り、果物屋を後にしたアフラは市場を抜け、噴水広場を抜け、やがて王宮へとたどり着き、門番に軽く会釈をして中へと入っていく。
その時の門番の緊張といったら大変なもので、イシエルやシェーラを迎えるときの比ではなかった。
アフラは、イシエルやシェーラと違って、普段から大神官としての威厳を崩さずにいるためである。
自分を大神官であると知っている者の前では、その威厳を崩すことはまずなかった。
門番の緊張が解けるころアフラは城内へ入り、一路誠がいる研究室を目指していた。
「なんや、今日は静かやなぁ」
アフラは城内の広い廊下を歩きながらあたりを見まわしてつぶやき、時折すれ違う宮女や兵士達に会釈をしつつ、真っ直ぐに研究室へと歩いていく。
しばらくすると、前方から分厚い本を脇に抱えたストレルバウがやって来た。
「おぉ、これはアフラ殿」
「ご無沙汰どした。博士」
アフラは落ち着いた笑顔でそう言って頭を下げる。
「今日また、どのようなご用件でいらしたのですかな?」
ストレルバウは微笑みながら歩いてきて、アフラの前で立ち止まる。
「えぇ、今日は誠はんに訊ねたいことがありましてな…」
まさか『菜々美食堂にお昼を食べに来たついでに、ちょっと遊び&誠に会いに』とは立場上、そして性格上言えないアフラであった。
「ほう、誠君にですか。彼なら今,研究室で、この間見つかった先エルハザード文明の品を調べていますぞ。して、アフラ殿の訊ねたいこと、と申すのは…?」
ストレルバウはそう言って、アフラが左手に持っている筒に興味津々の視線を向ける。
アフラはストレルバウの視線を追い、それが筒に止まっていることを知ると、筒を持ち上げて見せる。
「あぁ、これどすか?これにはあずまやの設計図が入ってますのや」
アフラはそう言って筒を振って見せる。
丸められて入っている設計図は何の音も立てなかったが、ストレルバウは頷く。
「ほほぅ、あずまやですか?さては、蔵書が多くなりすぎて収納しきれなくなりましたかな?」
ストレルバウはそう言って笑い出す。
「ま、そんなところどすな。以前誠はんにあずまや、建ててもらいましたよって、増築についても意見を聞かせてもらお思いましてな」
「なるほど、そういうことですか。私は建築には詳しくないので、お役に立てなくて申し訳ありませんが、誠君も研究ばかりでは息が詰まってしまいますからな。
たまには外に連れ出してやるのもよいでしょう」
ストレルバウはそう言うと、さも楽しそうに声にして笑った。
その後、ストレルバウの現在研究事象について二、三の質問を受けたアフラは、その思うところをストレルバウに話し、廊下という場所には場違いな学術討論を繰り広げた後ストレルバウと別れ、再び研究室へと歩き始めた。
途中、数人の者とすれ違った程度で、特に誰と会うわけでもなくアフラは研究室へとたどり着いた。
アフラはひとまず呼吸を整えた後、研究室の扉をノックした。
「はーい。開いてますよぉ!」
中から誠の声が聞こえてきた。
アフラはその声を聞いてからノブへと手をかける。
そして再び軽く呼吸を整えると、何気ない風を装って扉を開けた。
しかし、室内へと一歩踏み出したアフラの足がピタッと止まった。
正確に言うと、一歩踏み出した足がその踏み出し位置に困って中空で止まったのである。
そう、そこは床一面に広げられた書物で足の踏み場も無いほどの有様となっていた。
「な、何どすの、これ?」
額に大粒の冷や汗を浮かべ、普段の落ち着いた表情を何処かに無くしてしまったアフラが訊ねる。
すると扉側に背中を向けていた誠が振りかえった。
「あ、アフラさんやないですか。こんにちはー」
笑顔でそう言ってくる誠。
しかしアフラにはそれに笑顔で答えることができなかった。
「こ、こんにちは、って…。どーしたらこんな状況になるんどす?」
引きつったままの表情で、辛うじてそう訊ねるのが精一杯のアフラは床を指差す。
勿論その指し示した指先には、足の踏み場もないほどの本が折り重なっている。
「いやー、ちょっと熱中してしまって、気が付いたらこんなんなってたんですわ」
そうって笑う誠。
アフラは、そんな誠に対して溜息しか出てこない。
「ふぅ、…にしたって、ここまで広げますかいな!?」
「あははははは」
楽しげに笑う誠を呆れた顔で見ていたアフラだったが、ようやく自分を取り戻してきたのか、軽く身なりを整えると、さも何も無かったかのように言った。
「誠はん、ウチちょっと相談があって来たんやけど…」
「え、僕にですか?」
まことはそう言って首を傾げる。
「で、どんなことなんです?僕に出来ることやったらお手伝いさせてもらいますよ」
「それやったらええんやけど…」
アフラは誠の嬉しい答えに対し、困ったような顔を浮かべて床を指差す。
「…その前に、これ。何とかしてもらえまへんやろか」
「…あ、すみません。今ちょっと片付けますんで、待っててもらえます?」
誠はそう言うと、慌てて床に散らばっている本を片付け始めた。
そんな誠をやれやれと言った表情で見ていたアフラだったが、
一つ溜息をつくと、足元に置かれた本を取り上げる。
「ウチも手伝ってあげますわ。二人でやったほうが早いやろ」
そんなアフラに誠が満面の笑みを向けて言う。
「ありがと、アフラさん」
誠のそんな何気ない一言に、頬を紅く染めるアフラ。
そしてその顔を見られないように、顔を背けて言った。
「こ、このくらいのことで何言うてますの。ほれ、さっさと片付けてしまいませんと、いつまでたってもウチの用件が済みませんやろ」
つっけんどんにそう言うアフラに誠は微笑む。
「そうですねー」
誠はそう答えつつ、せっせと本を集める。
アフラもそれ以上は何も言わずに、黙々と本を集めていく。
そして五分後、床に散らばっていた無数の本は、二人で行ったためかそれほどの時間も掛からずに一冊残らず拾われて、再び元あった場所へと戻されていた。
「ふぅ、これで片付きましたな」
そう言って手をパンパンと叩くアフラ。
「どうもすいませんでした。手伝ってもらっちゃって」
すまなそうに言う誠に、アフラは左手を軽く振ってみせる。
「大した事やないよってな。けど、もう少し整理しつつ行うべきどすな」
「すいません」
頭を掻きつつ、苦笑する誠。
「あ、今お茶入れますから、そこに腰掛けててください」
誠が指差す先には、大きな長机と椅子があった。
「すみませんな」
アフラはそう答えると一旦扉まで歩いていき、立て掛けてあった筒を手にして戻り、そして指し示られた椅子に腰掛けた。
アフラは部屋をぐるりと見回した後、何気に誠に訊ねる。
「誠はん、ストレルバウ博士から聞いたんどすが、何でも先エルハザード文明の品を調べているそうどすな」
「えぇ、まだ良く分からないんやけど…」
誠が部屋の端にある給湯場でポットから湯を注ぎながら答える。
「これどすか?」
アフラはそう言って、テーブルの上に置かれている掌にのる大きさの四角く薄いものを手にとって見る。
「なんどすの、これ?」
アフラはしげしげとそれを眺めた後、静かにテーブルへと戻して改めて訊ねる。
そこへ誠がトレーにティーカップを二つ載せて戻ってきた。
「僕が思うに、多分娯楽用のものだと思うんですけどね」
「娯楽用?」
「まぁ、音楽を聴いたり…ひょっとしたら映像を映したりするのかも…」
「そんなことがこの小さな箱で出来ますかいな?」
「うーん…。それはなんとも言えませんけど…。
でも僕らの世界では、そのくらいの大きさの物で、音楽が聴けたりしましたよ」
「ふーん…。誠はんの世界って、なんや結構進んだ世界なんどすなぁ…」
「進んでるんですかねぇ…?」
そう言って笑う誠を興味深そうに見つめるアフラ。
「いっぺん、行ってみたいどすな」
自分でも特に意識しないで出た言葉。
口にしてからその言葉に隠れた意味に気付いたアフラは思わず頬を紅く染める。
しかし誠はアフラの言葉の意味するものに気付かず、笑顔で言う。
「そうですねー。行き来できるようになったら来てみてください。
僕が案内しますよって」
「そ、そうどすな。その時はよろしゅう頼みますわ」
そう言って安堵とも落胆ともつかない溜息をつくアフラ。
「??? どうかしました?」
誠がアフラの顔を覗き込むようにしながら訊ねてくる。
「な、なんでもあらしまへん」
アフラはそう言うと目を伏せ、慌ててティーカップへと手を伸ばす。
そして唇を湿らせた後、軽く笑顔を作って見せ、強引に話をすりかえる。
「おいしいお茶やわぁ。これは何処のどすか?」
自分でも引きつっているとわかる表情。
しかし幸か不幸か、誠がアフラの表情の変化に気付くはずも無く、自分もティカップを手に取り、口へと運びながら微笑んでいった。
「でしょう?これ、王女様から頂いたんですよ。
なんでも…えーと…王女様も頂いたものやったそうなんですけどね…。
すいません。確かに聞いたんやけどちょっと思い出せへんわ」
屈託無く笑う誠。
アフラもそんな誠の笑顔につられるように自然な笑顔で言った。
「ま、そんなこともあるやろ」
<誠はんって………単純やわ>
内心そう思いながら、アフラはもう一口美味しいお茶を堪能しつつ、ふとある事を思い出す。
「誠はん、これ」
そう言ってアフラは紙袋を誠に差し出す。
「なんです?」
誠は紙袋を受け取って、ごそごそとそれを開けた後、アフラへと嬉しそうな笑顔を向けた。
「どうしたんです、これ?」
誠は紙袋からいそいそとその果物を取り出し、机の上に置いた。
「どうしたもこうしたも…。買うて来たに決まってるやないの」
アフラは、さも当然とした顔で言う。
「店先に出ていたんが、なんや美味しそうだったんどす。それで…」
「ありがとうございますー。早速食べませんか?」
心底嬉しそうな表情の誠。
「もちろんそのつもりで買うてきたんどす」
「じゃあ、ちょっと待っててください」
そう言って誠は嬉しげに席を立つと、果物を洗い、包丁を持って戻ってきた。
そして、皮を剥きはじめた誠に、訝しげな表情のアフラが声をかけた。
「誠はん、包丁使えますの?」
「え?まぁ、そこそこには…」
二人の間に少々の沈黙の時が流れる。
「ほれ、かしなはれ」
アフラが誠へと手を差し出す。
「???」
誠はただ首を傾げる。
「包丁…かしなはれ。なんや、危なっかしくて見てられませんわ」
誠はアフラの手と顔を交互に見た後、すまなそうに頭を下げる。
「すいません…」
そう言う誠から包丁を受け取ったアフラは、果物を手に取り、すいすいと皮を剥いていく。
「へぇぇ、アフラさん器用なんですねぇ」
感心したように言う誠に、アフラは照れ隠しにそっけない返事を返す。
「何言うてますのや。人として、これくらい出来て当然どす」
「はぁ…」
苦笑いを浮かべるしかない誠であった。
二人はアフラにより切り分けられた果物に舌鼓を打ちつつ、他愛のない話を続けていた。
もっとも、他愛のない話といえども他の者が聞いたら十分に難しい話であったが。
なにせ、先エルハザード文明の話から始まり、科学、歴史、その他もろもろ全てにおいて学術面の話ばかりであったのだから。
互いの説を時には戦わせ、時には頷きながら。
しかし二人にとっては、互いにとても充実した時間であった。
二人が抱えている高度な知識は、やはり二人でしか話し合う事が出来ないものである。
二人の話についていける者は、唯一ストレルバウくらいであろうか。
それほどに高度で難解な会話を、二人は時がたつのを忘れ、心ゆくまで話し合った。
それに、運が味方していたのかもしれない。
普段なら、誠のいる研究室には訪れるものが少なくない。
イシエル、シェーラ、菜々美、ルーン王女…。
純粋に誠目当てで訪ねてくる彼女達だけではなく、誠が手伝っているストレルバウの研究に関して、ロシュタリアや他国の研究員達。
暇を持て余して訪ねてくるアレーレ。
どこかにいい隠れ場所はないか、と訪ねてくる藤沢。
そんな感じで、いつもなら中々じっくりと研究に打ち込む時間も取れない誠であったが今日に限っては、アフラと誠に遠慮したかのように誰も訪ねてこなかったのだ。
アフラも誠も、カップに残ったお茶が完全に冷えてしまったことにも気付かない。
しかし二人の充実した、そしてアフラにとって幸せな時はあっという間に過ぎて行くのだった。
「はぁ…今日はなかなか有意義どしたな」
そう言って背伸びをするアフラ。
誠がそんなアフラのティーカップに新しく入れ直したお茶を注ぐ。
「えぇ、僕もなんだかすっきりした感じです」
そう言って笑う誠に、アフラもまた微笑みかける。
「そうどすな。なんか私もすっきりした感じやわ」
「こんなにじっくりと話し合ったのって久しぶりですもん」
「ウチもやわ。ほれ、ウチの周りってシェーラやミーズ姉さん、イシエルはんやろ? この手の話を始めると、みんな寝てしまいますよってなぁ」
「寝ちゃうんですか?」
「ほんまどすえ」
アフラは、やれやれと両手を広げて溜息をついてみせる。
その仕草に、誠はさらに笑う。
「まぁ、でもそんなものかもしれませんよ。菜々美ちゃんもアレーレも同じですから」
アフラの真似するかのように両手を広げる誠の仕草に、アフラもつられて笑う。
「ほんに、困ったもんどすなぁ」
そんなアフラの言葉に二人は顔を見合わせ、そして改めて二人そろって笑い始めたのだった。
「ほな、そろそろお暇しますわ」
そう言ってティーカップを置いたアフラは、口元をハンカチで拭うと、すっと席を立つ。
「お邪魔しましたな。その上、とても美味しいお茶を頂きました。ありがとう、誠はん」
そう言って軽く頭を下げるアフラに、誠は恐縮しながら言う。
「また来てくださいね、アフラさん。楽しみにしてますから」
「ホンマ、どすか?」
誠の何気ない一言が、アフラの心にわずかに波を立たせる。
しかし相変わらず誠はそんなアフラの心に気付く風もなく、いつもと変わらない笑顔をアフラに向けて繰り返し言う。
「ええ、ホンマにまた来てくださいね。また二人で色々と話し合いたいです」
「そう…どすな」
アフラは誠の言葉に内心少々落胆したが、それでも笑みを崩さずに言った。
「今度くるときは、ウチもお気に入りのお茶を持ってくるよって、ぜひ味を見てくれはりますな?」
「ええ、是非」
二人は視線を交わし、微笑み合う。
「それでは失礼しますわ」
そう言って背中を向けたアフラを見送る誠の眼の端に、一つの筒が目に入った。
それは確かにアフラがこの部屋に来たときに持っていたものである。
誠は席を立って筒を手に取りつつアフラに声をかけた。
「アフラさん、これこれ!」
「え?」
振りかえったアフラの瞳に映ったのは、自分が持ってきたあずまやの設計図の入った筒であった。
そう、もともと設計図を口実に訪ねるつもりで来たアフラであったが、ついうっかりと楽しい議論に夢中になった挙句に忘れてしまっていたのだった。
「すいませんな」
アフラはそう言いつつ誠から受け取る。
「それ、なんです?」
誠はアフラが受け取った筒を興味深そうに眺める。
<やっぱり、見てもらったほうがええやろな>
「これはどすな…」
アフラはそう言いつつ、筒の蓋を開けて中から設計図を取り出す。
「…こーゆーものどす」
そして机の上に広げて見せた。
「これは…設計図ですね。それも建物…あれ?」
誠は設計図を前にして、しきりに首を傾げる。
「……」
アフラは何も言わずに、設計図を真剣に眺めている誠を上から見下ろしていた。
「…これ、あずまやですね?」
誠はそう言って顔を上げる。
そんな誠にアフラは満足そうに頷き返した。
「そうどす。よう覚えていてくれはりましたな。前に誠はんに建ててもらったあずまやの設計図どす。
今度、そのあずまやを増築しよう思いましてな。で、ちょっと手を入れてみたんやけど、手を入れた部分について、誠はんの意見も聞いてみようと思って持ってきたんどした」
「そうやったんですか…」
アフラの言葉を受けて、誠は再び設計図へと真剣な眼差しを向ける。
そんな誠の横顔を、アフラはじっと見つめる。
<誠はん…ほんに何事にも真剣に取り組むお人やなぁ>
思わず誠の横顔に見入ってしまっていたアフラに、誠が急に振り返って言う。
「アフラさん、これちょっと預からせてもらってええですか?」
「は、はい…。構いまへんけど?」
自分の誠を見る眼差しに気付かれたか、と慌てるアフラ。
しかしそんな心配は無用であった。
「ちょっと今ひらめいた事があるんです。で、それを書かせてもらおうか思うんですけど…」
「それは構いまへんけど…ほな、今回もお願いできるんどすやろか?」
わずかに期待を込めて訊ねるアフラ。
「僕にやらせてください! なんか、設計図見てたらワクワクしてきちゃって…」
嬉しげに目を輝かせてそう言う誠に、アフラは黙って頷く。
「ほな、よろしゅう頼みますわ」
「はい!」
アフラはにっこりと微笑み、誠も嬉しげに微笑む。
それはほんのわずかの時間だったが、アフラにとってはとても幸せで充実した一瞬であった。
それからアフラは研究室を出る際に誠にもう一度だけ頭を下げ、誠もそれに応えるように設計図を大事そうに抱えつつ微笑んだ。
研究室を後にしたアフラは静まり返っている廊下を、心地よい風に髪をなびかせつつ歩いていた。
すると、前方からゆっくりとした足取りで歩いてくる人影を見つけ、その人影に声をかけた。
「こんばんわどすな。博士」
そう、廊下のわずかな明かりに照らされて歩いてくるのはストレルバウであった。
彼は研究用の機材と思われる器具を手に持っていた。
「おぉアフラ殿。用件は御済になられましたかな?」
「へぇ、おかげさまで。なんとか誠はんに引き受けてもらえましたわ」
そう聞いて、ストレルバウはにっこりと微笑んでいった。
「それはそれは。では、私が人払いをしておいた事は無駄にはならなかったわけですな」
「え…?」
ストレルバウの言葉にアフラは耳を疑う。
<人払い…て……>
しかしストレルバウはそんなアフラには構わず、先へと行こうとする。
「それではアフラ殿。まだ私の用件は終わっておらぬゆえ、これにて失礼しますぞ。
今度は私の相手もお願いしたいものですな」
「は、はぁ…」
呆気に取られるアフラを尻目にストレルバウは軽く会釈をすると、笑いながらその場を離れていく。
立ち去るストレルバウの後姿を見ながら、アフラは思わず溜息をつく。
「まったく…余計な気を回しはってからに…」
そう呟いたアフラは、軽く肩をすくめると再び歩き出していた。
「いつのまにか、もうこんな時間やな。ほな、今日は夕食も菜々美食堂としますか。
なんやお腹いっぱいな気分やから、軽く蕎麦にでもしますかいな…」
アフラは誰にともなくそう言うと、フリスタリカ一の繁盛を誇る菜々美食堂へと足を向けた。
このとき、アフラの表情がいつになくにこやかで優しいものであった事を知る者はいなかった。
そう、アフラ自身さえも気付かなかったほどなのだから…。
終
Comment
おださが氏より頂きました,旧ページでの一周年記念です。
リクエストを聞かれ、私の一番好きなキャラ・アフラという事でお願いしたのですが…
むっちゃ良い感じ!!
この『我,関せず』,『計画的犯行(?)』こそがアフラの真骨頂です!
鈍感な誠と、知識はあるが経験不足故に純情なアフラ,そんな彼等の日常。
どんな日常でもその中にこそ、幸せはあるのかもしれませんね。
ささやかな幸せをアフラに与えてくれた、おださが氏に感謝いたします!
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