『第1回チキチキ・エルハの一番星になりたい』記念SS 



惚れ酒



 彼女は何故かそこにいた。
 見たこともない造りの家の並ぶ住宅地。
 その家々の立ち並ぶ一角に、彼女,イシエル=ソエルは立っている。
 見たこともないが、彼女の脳裏にはこれも何故かまた、ここが何処なのかが分かっていた。
 東雲市東雲町,そう、誠達のやって来た世界である。
 目の前の家、その表札には「水原」と書かれている。読めないはずの文字だが、イシエルにはその文字が分かった。
 不意にその家の玄関が開く。買い物籠を手に持ち、エプロンを着けた、歳の頃は二十後半であろうか,優しい表情の女性がパタパタと足早に現れる。
 イシエルは門の前で立ちつくしていた。現れた彼女を、イシエルは知っている。
 現れた女性もまたイシエルを視界に捕らえると、茫然と立ち尽くした。
 「イシエル…さん? イシエルさんでしょ!」数瞬の後、先に口を開いたのは女性の方だった。満面の笑みをその端正な顔に湛えている。
 「…何で誠の家から…?」未だ茫然と、イシエルは呟くようにして言った。
 「? 何でって…だって私、今は水原 菜々美ですもの」


「うわぁぁぁぁ!!!」


 「きゃ,い、いきなりなんですの? イシエルはん!!」
 アフラはその場に尻もちをついて怒鳴り返した。辺りには彼女が手にしていたのであろう,書物が数冊散らばっている。
 「はぁはぁはぁ…ゆ、夢…?」
 「突然ウチの書庫に来たかと思ったら、昼寝とは…一体何しに来たんですの?!」
 「ごめんごめん,どうも慣れないことをすると…ね」
 「全く…ウチは向こうで調べものしてるさかい、何かあったら呼んでおくんなまし」溜め息一つ,アフラは書物を拾い、書庫の億の方へと行ってしまった。
 「…やっぱり、気になってるんだろうなぁ」イシエルは一人,ぼそりと呟く。
 そう、それは昨日の昼のことだった。



 ロシュタリア城のある一角、そこに異世界からきた青年の研究室がある。城で王女の厚意により居候と化しているイシエルは、今日も今日とてそこへと向かっていた。
 その道すがら、バスケットを手にした誠と同じ異世界の住人,菜々美の後ろ姿を捕らえる。
 「菜々美ちゃん,何処行くの?」追い付き、声を掛けるイシエル。それに菜々美は立ち止まり、振り返った。
 「あ、イシエルさん,こんにちは。まこっちゃんにお昼を持って行くとこなんだ」そう言って、バスケットを持ち上げる。
 「イシエルさんは?」
 「私も誠のトコにね。でも菜々美ちゃんも大変ね,いつも誠にご飯作ってあげてるなんて。なんか通い妻みたい」茶化すイシエル。
 「え? そ、そんなんじゃないですよ,まこっちゃん,支払いしっかりしてるし」顔を赤らめて、菜々美は否定,そしてふと、思案顔になる。
 「イシエルさんもよく、まこっちゃんとこにいるけど、何か用があっているの?」歩きながら、彼女はイシエルに尋ねる。
 「別に。なんとなく…ね」気のない返事。
 「ふぅん…なんとなく…か。まこっちゃんに気があるのかと思ったんだけど」何故かほっとしたような表情で、菜々美は呟く。
 「…菜々美ちゃん,お姉さんをからかっちゃ、ダ・メ・よ」微笑み、イシエルは隣を歩く彼女に言った。
 だが、イシエルの心の中では、菜々美の質問が繰り返し流れていた。



 「…とまぁ、そんな訳で、誠んとこに行く理由を捜す意味で、わざわざアフラの書庫まで来て、誠の研究に役立ちそうな本を捜しているのよ、って誰に説明してるの!」一人でボケ、一人でつっこむ。しかし書庫は言うまでもなく静かだった。
 「別に菜々美ちゃんみたいに気がある訳じゃないけどさ。何となく…ああ、もぅ,イライラするわね」ブツブツ一人言を言いながら本棚に蹴りを入れる。バサバサと数冊の本が落ちてくる。
 「…素直に捜すか…ん?」イシエルは足下に積もった本の中に、明らかに他の物とは異なる古い表丁の薄い書物を見つけた。
 気になり、手に取る。赤い表紙のその本の題名は…
「いつの時代の文字? ええと…人,手にする,酒…お酒!?」
 「もぅ、何騒いでますの? あ、その本は…」額にシワを寄せてアフラが再び現れる。彼女はイシエルの手にする書物を見て、口に手を当てた。
 「あら、アフラ,この本、どういう本なの?」
 「先エルハザード文明の著名な心理学者が冗談で書いた本ですわ。意中の人の心を手にすることのできる酒の隠し場所を記してあるんですわ」
 「…惚れ薬ってこと? そのお酒,美味しいのかしら?」
 「え?」
 「これ、借りるわね!」立ち上がり、イシエルは背後からのアフラの静止の声を聴かずに、書庫を飛び出した。
 「行ってもうたわ…心理学者が冗談で書いた本って言うたのに」今日、何度目かの溜め息。
 「ま、引っかかったのがウチだけってのもシャクですし…いいやね」



 彼女の眼下,崖の下に広がるのは広大な森。
 森は森でも多くの猛獣が住み、先エルハザード文明の呪いが掛かっていると専ら噂な、近寄るものを拒む森「イルージョンの森」と呼ばれている。
 「この奥に…幻のお酒があるのね」書物を閉じ、イシエルは呟く。
 「なるほど…この先にか」
 「にゅおぉぉぉぉ! ふ、藤沢センセ!!」突如、隣に立つおやじに、彼女は飛び退いた。
 「イシエルさん,水臭いじゃないですか。幻の酒…私も味わ」そこまで言って、藤沢は消える。
 というか、彼のいた場所に黒い穴が口開いている。
 「ごめんね、センセ。貴方に飲ませる訳にはいかないのよ」トン,イシエルは手にした杖で地面を軽く叩く。
 プチ,そんな小さな音が足下で聞こえたような気がする。突然開いた深い縦穴は、現れたときと同様、突如にして閉じた。
 「待ってなさい,幻のお酒! きっと手に入れて、そして…取り合えず手に入れるわ,とぅ!!」イシエルは叫ぶと、崖から飛び降り一路、森の奥目指して走り出した。
 数分後、彼女の立っていた地面が盛り上がり、何かが飛び出してきた!
 「はぁはぁはぁ…イシエルさん,貴方に幻の酒は一人占めさせませんぞ,飲むのはこの私,藤沢真理!!」言うまでもなく、藤沢は「幻の酒」という単語しか耳にはしていなかった…。



 巨大な熊のような怪物がイシエルの前に立ちはだかる。
 「物騒な森ね,ったく」杖を地に一叩き,藤沢と同じく、熊もどきは深い穴の中に落ちた。
 「さてと」彼女は穴を閉じることなしに、先に進む。それが仇となった。
 ”ウォォォォォン”穴の中から雄叫びが聞こえる。
 「え?」
 ガサガサガサ…逃げる暇すらなく、イシエルは先程の熊もどきの仲間、7匹に囲まれた。
 「…やるしかないってことね」
 数刻後…
 「久々に本気出したわ,先に行かせてもらうわよ」先に進むイシエル。
 その後ろには完膚なきまで素手で叩きのめされた怪物達がいた。



 「ま、時間かせぎはしてくれたな」ひときわ高い木の上,双眼鏡を覗きながら藤沢はイシエルのいるさらに先で呟いた。
 「しかし山岳部で鍛えた俺のトラップの数々をかわすことができるかな?」不敵に微笑む。しかし山岳部で何故トラップを鍛えた? 藤沢!!



 ドドド…
 「だぁぁぁっ!!」倒れてくる大量の木材。
 バサ,ボソ,ゲシ
 「ひぇぇぇ!」至る所にある落とし穴。
 ブゥン,メキ
 「きゃぁぁぁぁ!!!」飛来する岩石。
 オォォォン
 「げげげ!」怨嗟の声をあげる封印された古代の死霊。
 うぞぞぞぞ
 「のひゃ〜」横断するニョロニョロ(ば〜い、ムーミン)。



 「ふぅふぅふぅ…何とか切り抜けたようね…」目的の場所,森の奥に口開いた洞窟を前に、イシエルは座り込んだ。
 既存の古代の罠,徘徊する怪物に加えて、藤沢の仕掛けた罠をくぐり抜けてきたのだ,いくら大神官と言えども息は切れる。
 パチパチパチ…場違いな拍手が1つ、響く。
 「ふふふ…さすがはイシエルさん。あれだけの罠を交い潜ってくるとはね」
 「ふ、藤沢センセ…生きてたの!?」
 「…殺す気だったんですか,イシエルさん…」
 「え? ま、まさか…ハハハってセンセの罠だったのね!?」
 「ま、まぁ…ちょっとやりすぎたかなって思ったから、わざわざここで待ってた訳ですよ」
 「ふっふっふ…」
 「はっはっは…」
 異様な雰囲気が二人の間に流れる。
 「ま、いいわ。ここまで来たからには、休戦といきましょう」
 「そうですな,では、行きますか」
 「ええ」
 二人は洞窟の中へと足を踏み込む。
 ぶぅん
 浮遊感が二人を包む。
 「あれ?」
 「ここは東雲町…?」隣の藤沢が呟く。
 洞窟など何処にもなかった。
 「夢の中と同じ景色…」イシエルが呟く。
 早朝の夢の中と同じ景色,住宅街が並んでいる。そして彼女の目の前には一軒の家,それも夢と同じ。表札には…やはり「水原」と書かれていた。
 「センセ…あれ?」隣を振り返ると、藤沢もまた茫然としていた。
 彼の目の前にある家を茫然と眺めている。
 ガチャリ,水原宅の玄関が開く音。イシエルは視線を元に戻す。
 「ほな、行ってくるさかい」
 「いってらっしゃい,あなた。あら、ネクタイ曲がってるわよ」男の後ろ姿,そしてその影から見える女性の顔に…
 「え…これって…何?」茫然とイシエル。その面影は良く知る顔だった。
 「く、くるしい…首締まる…」
 「あら、ゴメンゴメン」笑い声。そしてその彼女とイシエルの視線が合った。
 瞬間,心が重なる。
 直後、洞窟の前に立ち尽くしていた。
 「…別に、望んでいた訳じゃないっしょ」誰ともなく呟く。
 「ただ、一緒にいると何かが起こって…楽しいから」足を踏み出す。洞窟は僅か3m程しかなかった。
 今のが最後の罠,罠というよりはここまでこれた事に対する、古代の製作者からの贈り物にすぎないが。
 イシエルは洞窟の奥の台に置かれた酒瓶を手に取る。
 「心理学者の冗談,ね。全くもぅ…」
 ラベルはすでにくすんでいて読めなかった,しかし大体どんなものかは、すでに予想が付いている。
 「でも…あんな未来,あっても良いかな?」瓶を胸に抱き、彼女は微笑む。
 台にはその側面に古代文字でこう記してあった。



こんなところまで来れるくらいの気持ちがあるのなら、
その気持ちを持ってその人に迫りなさい。
それでも駄目な時は、酒で酔わせてでも,ね!




 「ところで、藤沢センセ,どうしたの?」立ち竦んでいる藤沢に声を掛けるイシエル。
 「あ、ああ…悪夢を見たような気がする…」暗い顔で答える藤沢。
 ”藤沢センセ,何を見たのかしら?”何となく、想像は付くが敢えて聴くことはあるまい。
 「さ、センセ,帰って飲みましょ!」元気なイシエルの声が、森の中に響いた。



 その後、その酒と書物がミーズに売り払われたかどうかは、定かではない…


おしまい 



あとがき


 『第1回チキチキ・エルハの一番星になりたい』で見事、一番星となったイシエルさんのショートストーリーっす。
 イシエルは難しいです,書いていて。ゲームでしか資料がないんで、想像の部分が多いんです。
 そしてその想像の部分が許容範囲を越えると…イシエルではなくなってしまうわけで。
 さて、このイシエルは如何でしたでしょうか?
 やっぱりイシエルはお酒でしょう。そして今は春,花見の話にしようと思ったのですが、そうするとイシエルの出番が少なくなってしまうので、こんなお話にしました。
 水原 菜々美…実を言うと、いつか出そうと思ってました(笑)。
 そんなこんなで、いつの日か,第2回が行われることを春のうららかな日差しの中、夢見て…。

1998.4.19. 自宅にて