叶える祈り,叶わぬ願い
空が高い。
突き抜けるような青空,雲一つない真夏のフリスタリカ。
「ん?」 しかし風を司る彼女は、旅ゆく風に僅かだが湿ったものを感じていた。
それを頭の片隅に留めることもなく、目の前のそれに視線を移す。
ロシュタリア城の城門に、身の丈10mはあろうかという青笹が2本、立っていた。
その笹は色紙などで飾り付けされている。その周囲には城で働く兵士を中心に、お祭りを楽しむような町の人々のや楽しげな表情が見受けられた。
それを遠目で眺めていた彼女は、この城までの同行者がガラにもなく嬉しそうに、両手一杯の折り紙の飾りを手に、笹に向かって行くのを発見する。
「…シェーラ,アンタそれ全部吊す気おますか?」 アフラは笹を見上げていた赤毛の少女に歩み寄り、その中にある数十枚の短冊の一枚を取った。
「? 晴れますように? なんやの? これ」 眉をひそめ、彼女。
「アフラ?! か,勝手に見るんじゃねぇよ! うわぁ!」 バサバサ,シェーラは手にした飾りを落としてしまう。仕方なしに、アフラはそれを拾う為に腰を屈める。
「…? 『もっと強くなりたい』? 『昼ご飯のメニューが良いものになりますように』。『誠と…」 紙飾りと拾いながら、同時に散らばった短冊に記された言葉を読むアフラ。
「だぁぁ! 見るんじゃねぇって言ってんだろ!!」 アフラの拾う短冊を引ったくり、シェーラは顔を赤くして怒鳴る。
「何をそんなに慌てているんどすぇ? そんなに恥ずい事なら書かなければいいもんを…」
「うっせぇ! お前にはロマンってもんはねぇのかよ!」
「ふぅ」 アフラはため息一つ。それがシェーラの逆鱗に触れた。
「アフラ,てんめぇ!」 額から漏れ出す炎、そして…
ドゴォォォォ!
城門前で炎の嵐が起こった。
「まったく、願いっていうのは叶うもんやなし,叶えるもんですわ」 すばやく上空へと逃れたアフラは、地上で観客達に袋にされるシェーラを眺めながら、目の前の笹の先端に、手にした2枚の短冊を結びつけた。
赤い短冊,シェーラのそれを見つめ、アフラは苦笑。
『女らしくなれますように…
シェーラ・シェーラ』
そもそも発端は、誠に彼らの来た世界の事をシェーラが聞いたことだ。
丁度この時期、誠達がロシュタリアに来た日から数えると、今夜は「七夕」である。
「七夕」とは織り姫と彦星の逢瀬の話で、ここんところは長くなるんで省略。
年に一回しか合うことの許されない男女,空に走る天の川を2つの星がカササギに乗って出会うことのできる唯一の日,それが七夕。
七夕の日,短冊に願いを込めて笹に結ぶと、それは天に届き、叶うというが。
アフラは誠の語るその物語を思い出しながら、城の中に降り立った。
彼女の脳裏から離れなかったのは、その時の誠の表情だ。
”あの話を語るときの誠はん,少し悲しそうやったわ。多分、異世界に行ったあの人とダブって見えんやろなぁ” 冷静に分析する風の神官。少しシェーラの単純さが羨ましく思う。
「あ、アフラさん,短冊はつけました?」 心ここにあらずなアフラの背後に声が掛けられた。丁度研究室から出てきた誠だった。
その隣には、可愛らしい少女の姿がある。アフラは彼女の姿に首を傾げる。
「…イフリーナ,アンタ、ロシュタリアで何をやってるんでおますか?」 アフラの怪訝な表情に、しかし鬼神は裏表のない微笑みで答えた。
「はい! 御主人様に『偵察してこい』って言われたんで、遊びにきました!」
「…まぁ、イフリーナやさかい」 苦笑の誠。
「そうどすな」
「アフラさんは願い事、書きましたぁ?」 誠から七夕のことを聞いたのであろう,幼き鬼神は彼女に尋ねる。アフラはしかし、興味がないと言った風に答える。
「ウチは書きまへん,叶う訳、あらへんし」
「叶いますよぉ、ね、誠さん?」
「ん? まぁ、気分の問題やさかい」 どっちつかずの誠。それを眺めるアフラはそんな誠の性格に小さく微笑む。
「アフラさん,私、こんなに一杯書いたんですよ」 お構いなしにイフリーナは、アフラに彼女の書いた短冊の束を手渡した。シェーラに負けず、数十枚程ある。
「どれどれ…『ディーバ様のヒステリーがなくなりますように』『三丁目の権造さんのボケが直りますように』『御主人様のアレが直りますように』???」 なんかど〜でもいいことが沢山書いてあった。しかしイフリーナ自身の願いはないようだ。
「ちょっと多いでしょうか?」
「う〜ん、良いんやないの? でもアンタ自身のことは一つも…」 そこまで言ってアフラは言葉を止める。
短冊の束の中に,一番下にイフリーナの気持ちがあったから。
”人になれますように,みんなと楽しくすごせますように…か”
アフラは鬼神に短冊を返す。それを笑顔で受け取るイフリーナ。そこにはいつもの天然ボケな彼女があるだけだ。
「誠はんは何を書きましたの?」 アフラは視線を変え、誠の持つ一枚の短冊を見つけ、尋ねる。
「え、いや、まぁ…ははは」 乾いた笑いの誠。
「ふぅん,ま、大体察しはついとりますが。誠はんなら叶いますぇ,その願い」
「…アフラさん?」
「叶えないと、辛すぎますわ。あの人も…ね」
「ええ、そうですね」 表情を引き締め、誠。彼の短冊には願いではなく、決意が書かれている,そしてそれは彼の研究をよく手伝うアフラには痛いほど分かることだった。
だからこそ、彼女は苦しい。矛盾した二つの気持ちが心に交錯する。
「イフリーナ,てっぺんに飾るんどすぇ。一番天に近いところに」 思考を振り切り、アフラはイフリーナに笑顔で言い放った。
「は〜い!」
「ほな、誠はん。晴れるといいどすな,今夜」
「ええ」
「誠さん、いきますよぉ〜」 誠はイフリーナに引っ張られて、城門の方へ向かって行った。
夕方、アフラは人の引き始めた城門の前に立っていた。
どこでどうなったのか、七夕の話は城内はおろか、城下町にまで広がっていたようだ。
お蔭で2本の笹は飾りと短冊で埋まっている。
「あら、アフラさん。シェーラならもう城に帰ったわよ」 背後から掛かった声に、アフラはゆっくり振り返る。
屋台をたたむ少女の姿が二人。菜々美とクァウールである。
「何を売ってましたの?」 商売人の姿に、開口一番の問い掛け。
「月見だんごです。お一ついかがですか?」 手伝わされていたのだろう,クァウールは笹の葉に包んだだんごを一つ、アフラに手渡す。
「売れ残りだけどね」 微笑む菜々美。
”アンタか、ここまで話を広めたのは…”心の中である意味の称賛。
「アフラ様は願い事を書かれたのですか?」
「ウチは…無駄なことはせん主義やし」 本日何度目のセリフだろう,心の中で呟く。
「無駄なこと,ですか」 残念そうなクァウ−ル。
「空、見てみておくれやす」
「「?」」 見上げる2人。昼までは晴れ渡っていた青空が、灰色がかった群青色に染まっている。厚めの雲が広がっているようだ。
「あ〜あ、雲っちゃった。駄目ね、これじゃ」
「いいえ、大丈夫です。皆の願いはきっと空に届きますわ」
「そうかもね」 開き直ったように、菜々美がそれに応じる。
「アフラ様の願いとは何ですか? 叶わないことなんですか?」 クァウールの真摯な視線を向けられ、アフラは戸惑う。脳裏にそれは浮かぶが、黙殺。
「…叶えるものどすぇ,ウチのは。でも、叶わないかもしれんどすわ」
「???」 首を傾げるクァウール。
「シェーラなんかはがっかりでしょうね,この雲。まこっちゃんも案外ガックリきてんじゃないかしら」 アフラの言葉を聞いてか聞かずか、菜々美は空を見上げて呟いた。
「くもっちゃいましたぁ」
「ほらほら、イフリーナ,泣かんといてくれや」
「だってぇ〜」 城のテラスで、空を見上げる彼らの雰囲気はやはり暗かった。
「曇っていても願いは届くさかい,だから、な」
「…はい!」
「でもせっかく菜々美ちゃんから買った月見だんごも無駄になってしもうたなぁ」
「う〜ん、晴れますようにって、短冊も飾ったんだけどな」 と、こちらはシェーラ。
「やっぱり届かないんですかぁ〜」
「こんなところで三人して…月見どすか?」 背後からアフラは歩み寄る。
「ケッ,信じない奴はとっとと寝てな!」 シェーラが中指を立てて同僚に言い放った。
「ったく、まだ根にもっとるんどすか,まぁええわ。イフリーナ,ちょっときておくんなまし」 疲れたように、アフラはイフリーナを呼びつける。
「? はぁ」 戸惑いながらも、鬼神はそれに従った。
ロシュタリアからかなり離れた草原。アフラとイフリーナはその地に舞い降りる。
「どうしたんですかぁ,アフラさん」
「イフリーナ,空の雲を消したい?」 空を指差し、アフラは問い掛け。
「はい!」 思った通りの答えが帰ってくる。
「ウチがここに下降気流を作るどすぇ,アンタの力をウチに貸しておくんなまし」
「下降気流?」
「温度と気圧の関係で上空の雲を地上に落として消すんどす。しばらくこの一帯は湿気臭くなるおますが、うまく行けば消えますぇ」
「う〜ん、全力でやってみましょう!」 瞬考の後、イフリーナ。
「なら、行きますぇ!!」 アフラはイフリーナの肩を抱き、空気を呼び寄せた。
やがて彼女達2人を中心に、上空に下降気流の穴が出現,上空の空気を渦状に呼び集める!
押し寄せる上空からの突風! 落ちてきた雲は地上の空気に暖められ、消えて行く。
「クッ! きっついなぁ」 アフラは額に汗を浮かべる。イフリーナの力を引き出しているとは言え、天候を変えるなどという自然に反することはやったことがない。
膨大な風の因子がアフラに上空から重圧を掛けてくる。
「アフラさん〜、もう限界ですぅ…」
「もう少し、もう少しどすぇ!」 数分のことが永遠と思われた時間,やがて厚ぼったい雲の最後の一片すら飲みこみ…
「まこっちゃん,晴れたね」 遅れてやってきた菜々美。何故か雲のなくなったフリスタリカの上空を見上げて、隣の青年に呟いた。
「まぁ、きれいな夜空ですこと」 同じく月見だんごの追加を持ってきたクァウール。
「ほらな、誠。やっぱり願いは叶うんだよ!」
「…うん、そうやね」 誠は風の流れて行く先を見つめ、その方向に小さく頭を下げる。そして視線を上空へ。
天の川の星々の中に、捜し求めるあの人の面影が見えたような気がする。
それだけで、誠は十分だった。
ゴゥ!
下降気流は草原を湿度100%にして、雲と供に消え去った。
力尽き、その場に倒れる神官と鬼神。
「お星様、ぐるぐるぅ〜」 イフリーナが目を回して呟く。多分、違う星が見えている。
「ああ、星がいっぱいどすぇ」 アフラもまた、草原に横たわりながら夜空を見上げる。
天空を縦断する天の川。一際明るい星が2つ、天の川の中心に寄り添っているように見えるのは彼女の気のせいであろうか?
「誠はん,ウチはカササギくらいには、なれました?」
小さな呟きはしかし、空気の唸りにかき消される。
「来年は、織り姫になりたいどすなぁ」 その言葉はアフラでさえも意識した言葉ではなかった…
風が笹を、短冊を揺らして行く。
2本の笹のうち、シェーラの書いた赤い短冊が一枚、目立つその先端。
赤い短冊の隣にグリーンの色紙の願いが吊されている。
その緑の短冊は風に踊り、楔が解き放たれた。
緑の紙片は風に乗り、空へ空へと舞い上がる。
やがてそれは星空の中に飲みこまれるようにして消えて行く。
風に翻る瞬間,願いを込めた紙片は星明かりに照らされた。
『大好きな人に大好きと言える強さを、
持てる自分になりたい… アフラ・マーン』
fin