「誠殿」
「あ、博士,どないしたんです?」 試験官の中の青い液体を炎に掛けたフラスコに移しながら、若き研究者は突然の訪問者に笑顔を向けた。
訪問者である老人は、彼の身の丈よりも長い杖を付きながら椅子に腰掛ける。
そしてその視線を誠から部屋全体に移した。
怪しい薬品や機械,大量の書物が積み上げられている雑多な部屋。
だが誠にしてもストレルバウにしても、彼らのような人間にはもっとも慣れ親しめる環境である。
ストレルバウはしかし、今日は誠の生活を注意しにしたのだ。
「近頃はめっきり外に出ていないそうではないか?」
「ええ、この研究が結構良いトコまで行っているんで。博士,これを見て下さい」
言って、誠は書物の山に埋まった大きな紙を取り出す。
おもむろにそれを広げる誠。
何やら良く分からない回線図のようなものが描かれていた。
「むぅ、これは!」 目を輝かせるストレルバウ。
「しかし装置自体の負荷が大きすぎるんです。どないしたらいいんでしょう?」
「それならここをこうすれば…」 ストレルバウは誠から羽ペンを受け取り、図面に書き込む…
と、手を止め、
「って、違う! 誠殿,研究も良いが少しは休む事も必要じゃぞ」 ペンを机に置き、誠に向き直る博士。
「ちゃんと寝てますよ,菜々美ちゃんが怒るんで」
「そういう休みではない。休暇と言う意味じゃよ」
「はぁ」 気のない返事の誠。
「今日は何の日か、知っておるかね?」
「ゴミの日…」 そこまで言って、ストレルバウの教鞭が誠を打った。
「…今日は納涼ということで花火大会があるんじゃよ。ルーン陛下を誘ってあげなさい」 溜め息をつきながら、老人は立ちあがる。
「王女様を? 忙しいのと違います?」
「無理矢理連れ出すくらいの気力がなければ、お主の研究も先へはなかなか進まぬぞ」
「そないなこと言っても…」
「ワシから陛下にお贈りしたものがあるからのぅ。きっと誠殿を待っておると思うぞ」 薄い笑いを浮かべ、ストレルバウは雑多なその場を去っていった。
「博士…何たくらんどるのやろ?」
Gift
TV1の後日談です
女性の声が聞こえてくる。
はしゃぐような,怒るような声。
誠は、とある扉の前で立ち止まる。
城の最も奥の,突き当たりの大きな扉。
コンコン…
小さくノック。
返事はない。おそらく聞こえないのか。
ダンダン!
思い切り叩く。
「どちら様でしょう?」
官女の声。
「水原ですけど…王女様、いらっしゃいます?」
「は、は~い,ちょっと、ちょっと待って下さいね」 少女の声が聞こえる。
ズル…バタン! ドカッ!
「いった~い」
「大丈夫ですか? 姫様!!」
「額から血がぁぁ!」
「だ、大丈夫ですから」
「そんな格好で出られるおつもりですか?!」
「へ、あらあら…」
「中で何が起きてるんや?」 茫然と誠は呟く。
やがて中で一騒動が起こり、一段落したようだ。
ガチャ
扉がようやく開く。
「ごめんなさい,遅くなってしまって」
「一体中で何が…」 そこまで言って、誠は言葉に詰まる。
ルーンの着ている服,見慣れたロシュタリアの衣装ではなく、紺の地に白い鳥の羽を型取った柄の入った浴衣だった。
「着衣の方法はこれで合っていますわよね?」 両手を広げ、ルーンは微笑んで尋ねる。その右手にはウチワすら握られている。
誠は久しぶりに見る自分の世界の香りと、何より良く似合ったルーンに無言で頷くしか出来なかった。
「ストレルバウがくれたのですよ。誠様の世界で夏に着る衣装ということですが、涼しいですけど歩きにくいですわね」 ウチワで口元を隠して苦笑。
「良く似合ってますよ,王女様。そのまま、これから花火、見に行きませんか?」
「え…は、はい!」 ルーンは満面の笑みを湛え、即答した。
夜空に一際大きな、光の花が一輪咲いた。
数瞬後、
ドン!
お腹の底から響く爆音が一つ。
それが花火大会の始まり。
「た~まや~」
「? 何です? 誠様、それは」
「ああ、僕達の世界の風習というか…一つ花火が上がる毎に『たまや』『かぎや』と叫ぶんや」
「へぇ、そうなんですの」
そんな二人の横顔を、漆黒の夜空に咲いた光が照らした。
ドドドンドン!!!
「「た~まや~」」
連発される白や青,黄色,赤い花。
叫んだ2人は同時に顔を見合わせ、微笑む。
そんな彼らの頭上では次々と花火が咲く。
キラキラと星のカケラを撒き散らすような一際眩しい金色の光。
光の余韻を残す、巨大な柳。
南国の植物の葉を連想させる緑色の花火。
様々な光が生まれ、消えて行く。
だが、黒いキャンバスが光を失うことはなかった。
「今年の花火はまたえらく、豪快ですね」
休みなく放たれる夜空の花を見上げ、誠は呟いた。
「そうですね。何でも今回はシェーラ様が陣頭指揮をなさっておいでとか」
「へぇ、シェーラさんらしいですね」
やがて花火は星型やら土星やら、職人達の趣味の方向へと向かって行く。
「シュールリアリズムを感じますわ」
「?? 多分違うと思いますよ,それ」 誠は苦笑。
しばらく言葉なく見上げる2人。
「あ、あの,誠様?」 ルーンが躊躇いながらも、決意したように言葉を切り出した。
「あ、まこっちゃん!」 同時に背後からの元気の良い声。
”…また”ルーンの表情が沈む。
”でも、今年は”王女は拳を強く握る。
「あ、菜々美ちゃん。どうしたん?」
「あ、じゃないわよ。カチ割り氷、売るの手伝ってくれるって言ったじゃない!」
「言うたかなぁ…」 困った顔で首を傾げる誠。
「言ったわよ」
「でもな、菜々美ちゃん」 菜々美に視線を向ける誠。顔は笑っているが、目は笑っていなかった。
花火が消える一瞬の間に、誠はルーンの小さな右手を掴む。
”え?”
「今回は堪忍な!」
駆け出した。
引っ張られるようにして、ルーンも彼に続く。
「ちょ、ちょっとっぉぉぉ!」
「菜々美殿,カチ割り二つくださらんか?」 横からの老人の声。
「はい、まいど! …ってあれ?」 うっかり客へと視線を移す菜々美。
慌てて視線を誠に戻した時には、すでに二人の姿は彼女の前から消えていた。
「ふぅ、逃げ出せたみたいやね」
「そう、ですね」
2人は荒い息を大きく吐く。
ふと、ルーンは右手の感触を思い出し…
「あ、ごめんな」 慌てて誠は手を放した。
「い、いえ」 ルーンは自分の右手を胸に抱く。
ドン
大きなオレンジ色の花火が咲く。
「ここ,何処やろ」 辺りを見回して、誠。
所々に背の高い草が生えている。
郊外の畑へと出てしまったようだ。
「ここは…」 空に残る花ビラの残り光をつてに、ルーンは前へと進む。
「もう少し先へ行った所に川がありますの,そこの堤防からだと、もっと花火が良く見えますわ!」
「ほな、行ってみようか」
誠は今度はルーンの手を引かない様、歩き出した。
「何かちょっと薄気味悪いところですね」 背の高い草に囲まれ、2人は目の前のなだらかな上り坂を前にする。見渡しが悪いせいであろう,ルーンは声を落として呟いた。
カエルとも何ともつかない、妙な鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。
「そう言えば、夏はお化けの話題とか多いのは、何でやろ?」
「こんな時にそんな事、言わないで下さい」
「ははは,ゴメンな,ほら、ここを登りきれば堤防や」
ぼそ,そんな折り、乾いた大きな物が王女の肩に圧し掛かる。
「きゃ!」
誠に抱き着くルーン
「ど、どうしたんや?」
「誰かが私の肩を叩いて…」
「??」
誠はルーンの肩越しにある、身の丈大のそれを見る。
「王女様。幽霊の、正体見たり、枯れ尾花ってことわざ,御存知ですか?」
「え?」
おそるおそる後ろを振り返るルーン。
そこには夏の忘れ物,一時の華やかさを失ってタネをその身に宿したヒマワリが彼女の肩に、自重を押さえ切れなくなりもたれかかっていた。
「あ…あらら」
「な?」 そんなルーンに微笑みかける誠。
「わたしったら。あ…」
ルーンは慌てて誠から離れる。そして赤面。
誠もまた、顔を赤くする。
「ふふふ」
「ははは」
そして、どちらとも付かず、笑い出した。
草叢が拓ける。
ドン
360度拓けた夜空一杯に、大輪の花が咲いた。
辿り着いた夜空を一望できる、ロシュタリアの街の外れに流れる川の堤防。
ドドン…
引き続き、一際大きな花火が地上を照らした。
秋の風に揺れるすすきの穂の片わらに、一組の男女のシルエットが映し出される。
堤防に腰掛けた彼らはそんな空を見上げている。
しばらくの後、少女のシルエットの視線が、夜空から隣の男へと移ったようだ。
躊躇うように、少女は少年の袖を掴まえる。
袖を引っ張られ、誠は彼女を見る。
「誠様,また、来年も誘って下さいね」
満面の微笑みで誠を見上げるルーン。
「ええ、来年も、その次の年も…約束ですよ」 見上げた体勢のまま、少年は問い返す。
「はい!」 爽やかな笑顔。
「…今日の事は決して忘れませんわ」 両手を胸の前に、ギュっと握り締めてルーン。
「僕もです」 誠は夜空に華やぐ炎の花から視線を隣のルーンに移す。
赤く映える王女の表情,赤い花火だけではない。
はにかむようなその笑顔は、真夏の太陽に向うヒマワリにも劣りはしない。
どどどん,どん!!
一年で最も眩しい夜空の瞬間。
音はその近さ故に、光と同時に大地に降り注ぐ。
瞬間の芸術。
夏の最後の雄叫びが終わる。
秋の涼しさと儚さを含んだ風が2人を包む。
「秋ですわね」 しみじみとルーン。
「ええ、時は確実に過ぎていくんですね,草も木も,風も変わってますよ」 背伸びを1つ,誠は答える。
「誠様は、変わられました?」
「え?」
「一年前、あの時は藤沢様に菜々美様,私の4人でこの花火を見ましたわよね。その時から、誠様は変わられました?」 少し寂しそうに王女は尋ねる。
誠は小さく考え、
「変わったよ。ほんの少しだけ、ね」 ルーンに微笑む。
「そう…ですか」
「ええ、一緒にいて一番、安心できる人が分かったような気がします」
「え?」
そうして、夏の花火の開花音が絶え、落ち着いた鈴虫の音が聞こえてくる頃。
星空の下、どちらからでもなく2人の唇と唇が静かに重なっていた。
それは、ある夏の終わりの日の、忘れる事のない、最高のGift…
Fin