現実を見つめる理想主義者だと思うておる

              〜 ファトラ・ヴェーナス


星に願いを
果てしなく深い夜の向こうに…



 わらわはグラスを傾けた。
 心なしか、肌に冷たい風が吹き抜ける。
 年を通して温暖であるこのフリスタリカの地にも、一応は冬という季節はある。
 とは言っても、服装を変えるほどのことではないが。
 それでもやはり夜にもなると”涼しい”を多少通り越したものを感じざるを得ない。
 わらわは部屋から持ってきた、首に巻いたストールに唇を埋める。
 絹地の柔らかな香りが鼻腔を突く。
 その体勢のまましばし…
 ここはロシュタリア城の最も高い位置にある踊り場のテラス。
 その柵にわらわは背を預けていた。
 「寒くはある,だが耐えられぬほどではない。火照った体には丁度良いやもしれぬな」誰ともないわらわの呟きは夜の静寂の中に染み入るように消えて行く。
 少し大きめの、寝巻きに近いチェニックの袖口を、かきあげた髪と一緒に再び冷たい風が揺らした。
 ストールの暖かさと触感から、涼しさと高く拓けた夜空に視界は移る。
 見上げる黒いキャンパスには星が幾つも瞬き、それらが次々と流れ落ちている。
 冗談抜きの星降る夜。
 そぅ、今日は33年に一回訪れるという流星雨の夜なのだ。
 壮大な自然の作り出す無言の劇をわらわは眺めながら、グラスを唇に近づける。
 と、そんな時…
 ガシャガシャ
 騒がしい,静かな夜を邪魔するのは一人の研究者だった。
 わらわは鬱陶しげであったのだろう,視線をそれへと向ける。
 向こうも先客に気づいたようだ,微笑みを浮かべてくる。
 「ファトラさん,どないしたんです? こんなところで」
 わらわと同じ容姿を持つ男が筒を片手に尋ねてきた。
 全く以て意味のない質問である。わらわはグラスの中身を小さく一口。
 「お主と対して変わらん」
 柵にもたれながら、言葉を返す。
 「でも、そんな格好ではこの時期、風邪をお召しになりますよ」まるで乳母のように、わらわにそう諭す。
 その通りではあるが、従うつもりもないのでこれには無視する。
 「ファトラさんもこの場所知ってらしたんですね,一番空が見えますもんね,ここ」彼は同意を求めてきた。案外よく喋るな,思う。
 「無駄口言っている間にも星は落ちて行くぞ。さっさと観察せんか,誠」
 「そうですね」微笑んでそう答える青年はすでに大筒をセットし終えている。
 これは望遠鏡というもので遠くのものを大きくして見る機械なのだそうだ。
 何かメモを一心に取りだした彼を眺めながら、わらわは空に視線を戻した。
 妙な沈黙だ,そう感じたのは誠も同じだったようだ。
 「ファトラさん,これで見てみます? 良く見えて奇麗ですよ」
 彼は沈黙を破る。
 わらわはゆっくりと誠の指す望遠鏡に視点を合わせた。
 「いや、遠慮しておこう」
 「どうしてです?」疑問形ではあるが、単に会話の流れだ。何故の答えを知りたい訳ではない。
 「お主とわらわでは見方が違う,ただそれだけのことであろうな」
 「はぁ…?」奴らしい反応だ。
 「分からぬか…,空は、見たか?」逆に問いかけ。
 「ええ、こうして見ているじゃないですか」
 「お主は星を見ているのだろう? 空を見ている訳ではあるまい」
 「そんなことはありませんよ,きちんと星座の位置,神の目の距離,全部を観察しました」
 「だから、空は見ておらぬではないか」思った通り、話が噛み合いそうもない。
 「? 良く分からないんですけど」困った顔の誠。
 「わらわはお主と違って研究の為に見ているのではない,故に見方が違うということだ」諦め、言葉を区切る。
 「…よう分かったような分からんような…」首を傾げながらも、彼はわらわの前に座り込み、同じように空を見上げた。
 「この流星雨は33年に一回の周期で見られる現象なんです」読み上げるように彼は夜空を見上げながら続ける。
 「僕らにとっては33年って言ったら長い期間ですけど、宇宙や森や海っていった自然から見たら一瞬の出来事なんですよ。それこそ僕らの一生の時間なんて瞬きにもならんようですわ」
 「そのようだな。だがそれはそれだ。わらわ達にとっては一生は一生。それが短いと感じるのならば、なおさら今この時を感じ取るべきではないか? この星降る夜を楽しむものをして捕らえるのも、人としてまた重要なものぞ」
 わらわは言って、足下に置いておいた酒瓶を誠に投げ渡す。
 「理屈抜きに、時には心のままに感じてみよ。新たな発見があるやも知れぬぞ」
 「…」酒瓶を抱きながら、誠は変なものを見る目付きでわらわをしばらく見ていたようだ。
 コト,床に酒瓶を置く音がした。
 「ファトラさんは案外、哲学者になれるかもしれませんよ」誠は微笑。
 「惜しいな,現実を見つめる理想主義者だと思うておる」顔を誠の位置にまで下げ、修正を与える。と、酒瓶が開いていないことに気付く。
 「お酒は、二十歳になってからなんで」
 「変なところは固い奴だな」
 わらわは微笑みを浮かべながら、グラスを口に運んだ。
 「それこそ僅か2、3年など一瞬にも入らないであろうに」
 「それこそ、それはそれ,ですわ」
 お互い、顔を見合わせ、笑う。
 次にこの夜空を見る頃、わらわはどんな話をしているだろう?
 わらわの隣にはどんな奴がいるのだろう?
 そして満足な人生を歩んでいるだろうか?
 だが、その問いは自らに問いかけるものだ。
 一際大きな流星が東から西へと堕ちて行く。
 星に、わらわは願いを祈らない。
 願いとは自らの手で叶えるもの。
 そして未来はこの手で拓いて行くものだからな。
 わらわにはそれだけの力があるはずだ,いや、それは誰にも持ち得るものだと信じている。
 だから模索しようではないか。
 この星空の下、自らの夢を。
 そしてそれに向かって歩み出すことをこの満天の星に、誓う。
 今日という日を忘れずに。
 「星に願いを…か」
 呟く誠。その横顔には強い意志が、見えたような気がする。
 降り続く星の夜。
 わらわと誠は特に言葉を交わす訳でもなく、いつまでも。
 そう、いつまでも、何処から吹いてきたか分からぬ風の中で見えない彼方を見上げ続けていた。



    星に願いを…か

         〜 水原 誠


BGM : Desert (PSY・S)